バイエルン国立歌劇場
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バイエルン国立歌劇場(バイエルンこくりつかげきじょう、Bayerische Staatsoper)は、ドイツのバイエルン州ミュンヘンにある歌劇場。実際の運営はバイエルン州とミュンヘンの補助金が大半を占めていることからバイエルン州立歌劇場とも呼ばれるが、日本では昔から「国立歌劇場」の名称で紹介されて広く知られている。ちなみに、ドイツの州立歌劇場はこれに限らず国立歌劇場と訳されることが多い。起源がバイエルン選帝侯国の宮廷劇場にある(17世紀に選帝侯妃ヘンリエッテ・アーデルハイトが設立した歌劇団を嚆矢とする)ことや、各州が首相以下の政府を擁して強い自治権を持つことから、「国立歌劇場」で間違いではないとする意見もある。
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概要 [編集]
ドイツを代表する歌劇場の一つであり、ブルーノ・ワルター、ハンス・クナッパーツブッシュ、ゲオルク・ショルティなどが音楽監督を務めてきた。特に1970年代から80年代にかけてのヴォルフガング・サヴァリッシュ時代は、常連のカルロス・クライバーらとともに全盛期を築き、活発な録音録画や訪日公演などで日本でも広く親しまれた。クライバーはここの管弦楽団に強い信頼を寄せ、しばしばオペラ以外にコンサートを開催。映像や録音も残されている。現在、音楽監督はケント・ナガノが務めている。なお、短期間のフリッチャイ時代を除いては、一貫してドイツ(オーストリア)人音楽監督を据え続けてきた(ショルティも当時はドイツ国籍)が、1998年以降はこの伝統は絶えている。
歴代音楽総監督 [編集]
- 1836–1867 フランツ・ラハナー
- 1867–1869 ハンス・フォン・ビューロー
- 1870–1877 フランツ・ヴュルナー
- 1872–1896 ヘルマン・レーヴィ
- 1894–1896 リヒャルト・シュトラウス
- 1901–1903 ヘルマン・ツンペ
- 1904–1911 フェリックス・モットル
- 1913–1922 ブルーノ・ワルター
- 1922–1935 ハンス・クナッパーツブッシュ
- 1937–1944 クレメンス・クラウス
- 1945 ハンス・クナッパーツブッシュ
- 1946–1952 ゲオルク・ショルティ
- 1952–1954 ルドルフ・ケンペ
- 1956–1958 フェレンツ・フリッチャイ
- 1959–1968 ヨーゼフ・カイルベルト
- 1971–1992 ウォルフガング・サヴァリッシュ
- 1992–1998 ペーター・シュナイダー
- 1998–2006 ズービン・メータ
- 2006–2013 ケント・ナガノ
- 2013– キリル・ペトレンコ
歴史 [編集]
- 1753年 キュリヴィエ劇場が開場
- 1811年 Carl von Fischerの設計による国立劇場として開場[1]
- 1823年1月14日 火災で焼失。消火活動の際、水が凍結していたため、マクシミリアンI世は「ビールで消化せよ」と命令したと言われる。
- 1825年 Leo von Klenzeの設計によるナツィオナール・テアーターとして再開
- 1865年 ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」初演
- 1868年 ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」初演
- 1901年 プリンツレゲンテン劇場が開場
- この間、戦争により公演が中止される。
- 1958年 キュリヴィエ劇場が再建
- 1963年 ナツィオナール・テアーターが再開
来日公演 [編集]
- 2006年9月24日-10月9日、2011年9月23日-10月10日(予定)[2]