ルドルフ・ケンペ

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ルドルフ・ケンペRudolf Kempe,1910年6月14日 - 1976年5月12日)はドイツ人の指揮者

生涯[編集]

宿屋の息子としてドレスデン近郊ニーダーポイリッツで生まれた。ドレスデン音大でオーボエを学び卒業。

指揮の特徴と評価の変遷[編集]

ケンペは、ベートーヴェンブラームスワーグナーブルックナーR.シュトラウスなどドイツの作曲家の作品を得意とするだけでなく、チャイコフスキードヴォルザークなどスラブものにも適性を見せている。古くはバッハ、近代ではラフマニノフレスピーギさえ押さえてしまうレパートリーの広さを誇る。その指揮は、冴えたリズム感、自身もオーボエ奏者であったことからくる各声部の透明で豊かな響き、歌劇場での活動に支えられた劇的表現といった積極的要素に富んだ、「正統派」としてきわめて説得力の高いものである。指揮法はかなり細かく打点を押さえ、指示の多いものである。

ケンペは生前、「ドイツ本流」の指揮者として日本でも評価が高かった。特に死の直前には各社から相次いで新録音レコードが発売されてブーム状態となり、その頂点で急死したこともあって死後1年ほどは加熱気味ともいえる人気ぶりであった。しかし、来日も実現せず、指揮者としてこれから実り多い時期を迎えるというときに急逝したこともあって、死後徐々にブームの反動が来て忘れられ、録音も大部分が廃盤となった結果、中庸で地味な演奏という否定的イメージが残るようになる。ところが、2001年に日本で伝記が出版されたころから再評価の動きが急速に高まっている。

客演指揮者として[編集]

客演した先は非常に多い。「たとえ相手が女王陛下でもタクシードライバーでも同じ」と評された物腰柔らかい紳士的な人柄や長身というスタイルもあり、イギリスでは特に人気を博した指揮者である。初期はフィルハーモニア管弦楽団を中心とし、その後ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団やBBC交響楽団、ロンドン交響楽団でも多く指揮を執り、録音も多数リリースされている。母国ドイツではベルリン・フィルハーモニー管弦楽団で多数録音を行ったほか、バンベルク交響楽団バイエルン放送交響楽団シュトゥットガルト放送交響楽団、その他多数のオペラハウスを振っている。その他ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との録音も多く残されおり、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団にも頻繁に客演した。 また、ポストを辞した古巣への再登場が非常に多いのも特徴的である。ロンドンのすべてのオーケストラと終身懇意にしたほか、ドレスデンは特に頻繁に客演し、そこでのレコーディングの大半はポストを辞した後だったほどである。

ケンペの代表的な録音[編集]

ケンペは大器晩成のイメージもあるが、比較的若い時期にドレスデンとミュンヘンに大型のポジションを獲得し、健康面の不安を除けばカラヤンに次ぐホープであった。1950年代からEMIレーベルにベルリン・フィルハーモニー管弦楽団ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と多数録音している。シュターツカペレ・ドレスデンとのリヒャルト・シュトラウスの管弦楽作品集は、発売当初から決定盤的な評価がある。ほかにも、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団とのベートーヴェン交響曲全集、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのワーグナーの歌劇『ローエングリン』などが名盤として知られる。再評価の動きが始まって以降、CBSソニーからシューベルトの交響曲第8番『ザ・グレイト』などの3枚、TESTAMENTレーベルからはEMIに残されていたベルリン・フィル、ウィーン・フィル、ロイヤル・フィルとのボックスセット、SCRIBENDUMレーベルからは、ミュンヘン・フィルとのブラームス交響曲全集やブルックナーの交響曲(第4番、第5番)などが復刻されたほか、バイエルン放送交響楽団やBBC交響楽団などとの放送用・ライヴ録音が次々に発掘されている。

外部リンク[編集]

先代:
ハンス・ロスバウト
チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団
首席指揮者
1965 - 1972
次代:
ゲルト・アルブレヒト