ヘルマン・レーヴィ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
ヘルマン・レーヴィ

ヘルマン・レーヴィHermann Levi, 1839年11月7日 - 1900年5月13日)はドイツ指揮者


目次

[編集] 略歴

ヘッセンの首席ラビ、ベネディクト・レーヴィの息子としてギーセンに生まれ、ギーセンとマンハイムで教育を受け、フィンツェンツ・ラハナーに見出される。1855年から1858年までライプツィヒ音楽院に学び、パリに旅すること数回の後、ザールブリュッケンで音楽監督の地位を得る。1861年、新たにマンハイムで音楽監督となる。1862年から1864年までロッテルダムで、次いで1872年までカールスルーエで、1896年までミュンヘンで、それぞれドイツオペラの首席指揮者を務めるが、病を得て辞任。

[編集] ワーグナー

彼はユダヤ人でありながら反ユダヤ主義リヒャルト・ワーグナーの熱烈な崇拝者であり、1882年にはバイロイトで「パルジファル」の初演を指揮。この作品に啓示を受けてユダヤ教を捨て、キリスト教の洗礼を受けた。1895年ロンドンを訪れ、1900年ガルミッシュ=パルテンキルヒェンで死去した。

[編集] 註記

[編集] 外部リンク


先代:
-
カールスルーエ宮廷歌劇場
総監督
1864 - 1872
次代:
オットー・デッソフ
先代:
フランツ・ビュルナー
バイエルン宮廷歌劇場
総監督
1872 - 1896
次代:
リヒャルト・シュトラウス
個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語