生稲晃子
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| いくいな あきこ 生稲 晃子 |
|
| 本名 | 佐山 晃子 |
|---|---|
| 生年月日 | 1968年4月28日(41歳) |
| 出生地 | 東京都小金井市 |
| 国籍 | |
| 血液型 | B型 |
| 職業 | 歌手、女優 |
| ジャンル | テレビドラマ、情報番組 |
| 活動期間 | 1986年(昭和61年)- |
| 公式サイト | http://www.ikuina.com/ |
| 主な作品 | |
| 『キッズ・ウォー』シリーズ 『暴れん坊将軍Ⅶ・Ⅷ』 |
|
| 備考 | |
| 『ちい散歩』アシスタント | |
生稲 晃子(いくいな あきこ、1968年(昭和43年)4月28日 - )は、日本の歌手、女優。本名・佐山 晃子(さやま あきこ)。旧姓・生稲(いくいな)。
目次 |
[編集] 来歴・人物
[編集] 生い立ち
- 小金井市立緑中学校→私立吉祥女子高等学校 → 恵泉女学園短期大学英文学科卒業。高校は芸能活動禁止であったが、生稲の成績が非常に優秀であったため、「トップの成績を維持すること」と「大学を受験する事」の2つを条件に芸能活動が特別に許可された。
[編集] デビュー
- 芸能活動の起点は1985年『第10回ホリプロタレントスカウトキャラバン』の賞金(優勝者本人に100万円、推薦者に50万円)に惹かれ、兄を推薦者にして「もし優勝したら150万円山分けしようという事で」応募したことが発端。途中落選となったものの、ホリプロの系列モデル事務所からスカウトされて所属することになり、以後複数のオーディションを受けた。
- 1986年3月に「これでダメなら大学受験に向けた勉強に専念しよう」と決めて『タッチ』ヒロイン・浅倉南のイメージガールを選ぶ「ミス南ちゃんコンテスト」に出場。原作者のあだち充が生稲を推したこともあり大会関係者から「たぶん優勝は君になるから」と優勝内定を知らされていたが、発表当日になって生稲がすでに事務所に所属しているという点が問題視されたためこの話は流れてしまった(優勝者となったのは浅倉亜季)。
- このとき居合わせたレコード会社の関係者から「じゃあ、おニャン子クラブのオーディションを受けてみますか?」という話が浮上した。生稲は通常夕方はいつも部活動をしていたので、全く「夕やけニャンニャン」を見たことが無かったこともありこの話には乗り気ではなかったが、当時生稲がファンだった「トシちゃんのレコードをあげるから」とそのレコード会社の人から言われたため、ためしに受けてみる事になった[1]。
- 同月発売された『ing高校コース』(学研、『高1コース』をこの年に改名した。その後再度誌名を変更の後に廃刊)4月号の「ハイスクールライフ大特集/バイトしたい恋したい高校生したい!」に、高校生生活について語る先輩として写真入で出ていたことがある。なお、このときは名字に「いくいね」と間違ったルビが振られたが、後に同誌がおニャン子クラブ関係で彼女を取り上げた際も特に訂正は入らなかった。
[編集] おニャン子入りと大学受験
- 1986年6月にフジテレビ系放映「夕やけニャンニャン」内オーディションコーナーを経て、おニャン子クラブの会員番号40番としてデビュー。10月、渡辺満里奈のデビュー曲「深呼吸して」で工藤静香と共に「with おニャン子クラブ」としてバックコーラスで参加。11月、おニャン子クラブの6枚目のシングル「恋はくえすちょん」で、フロント4人の中に入る。
- 1986年12月、ローソンのからあげクンのCMに単独で出演、BGMには自身の歌う「ハートに募金を」(アルバム『SIDE LINE』収録)が流れる(アルバムでは4人のコーラスであるがCM用にソロで歌う)。
- 高校での成績は優秀だったものの、芸能活動をしているという理由で大学入試の際に学校からの推薦が得られなかった。1987年初頭、大学入試直前の約1ヶ月間おニャン子の活動は休みをもらって受験に向けた勉強に専念。毎日7時間前後を勉強に当てて、一般入試で兄の母校でもある早稲田大学を受験したが合格に至らなかった。後年に生稲曰く「甘いですよね、1ヶ月じゃ(笑)」[1]。1987年4月に恵泉女学園短期大学(英文学科)に入学。
- 受験を終えておニャン子・夕ニャンのフィールドに復帰すると、『「うしろ髪ひかれ隊」というおニャン子内の新ユニットに自分がメンバー入りする事が(1ヶ月の休みの間に勝手に)決定されていたので、断るも何もなかった』(生稲談)。1987年5月、工藤静香・斉藤満喜子と共に3人組の「うしろ髪ひかれ隊」はアニメ『ハイスクール!奇面組』の主題歌「時の河を越えて」でレコードデビュー。このときから芸能プロダクション「プロダクション尾木」に所属となった(3人とも)。
[編集] おニャン子解散後
- おニャン子での活動当時、生稲は長く芸能活動を続ける意向は強くなく、「おニャン子」および「うしろ髪」の活動が終了した時点で区切りをつけて学校教諭になる道を考えていたため、大学への進学・通学に対する意欲は非常に強かった。当初「うしろ髪」としての活動はおニャン子の活動終了とともに終える青写真だったが、スタッフの「やめようと思ってたけど、売れたんでこのまま続けるから」の一言で、9月のおニャン子クラブ解散後も「うしろ髪」としての活動はしばし続行された[1]。
- 1988年4月をもって「うしろ髪ひかれ隊」の活動が休止となり、5月21日に「麦わらでダンス」(フジテレビ系放映アニメ『ついでにとんちんかん』主題歌)でソロデビュー。7月にはフジテレビ系ドラマ『あそびにおいでヨ!』で連続ドラマに初出演。以後ドラマやバラエティ番組など多数出演。
- 2001年4月、永らく所属していたプロダクション尾木より独立。女優としてCBCテレビ制作のドラマ『キッズ・ウォー』シリーズに長く主演した他、テレビ朝日の人気時代劇『暴れん坊将軍』にはVIIシリーズ〜VIIIシリーズ第1話は魚屋兼岡引おぶん、VIIIシリーズ第2話〜800回スペシャルは江戸町火消しめ組の頭長次郎(山本譲二)の妻おぶんとして出演していた。
[編集] 現在
- 2003年にCM制作会社プロデューサーと結婚(現在、鉄板焼き店経営)。2005年10月、妊娠していることが判明、「思っているよりつわりがひどかった」とのこと。2006年3月に第一子(長女)を出産。
- 2006年からは芸能事務所・株式会社ポートレーブに所属し、近年は子育てをしながらテレビ出演の傍ら、夫婦で鉄板焼き屋を経営している。
- 女優としてドラマでは主に2時間ドラマなどに出演しており、同じ事務所に所属(当時)していた東幹久との共演が多い。
- テレビ朝日系『ちい散歩』や『三波豊和の日本が元気です』等司会やレポーターの仕事を中心に活動。
- 2009年よりプロダクション尾木に復帰。
[編集] エピソード
- 中学時代は50m走を6.8秒で走るなど運動には自信があり、1980年代の中ごろまでは正月恒例の特番だった「オールスター大運動会」の短距離走でいつも活躍する石川秀美にも勝てると思っていたのが芸能界に入りたい一因ともなっていた。この大運動会は、所属レコード会社ごとに組分けして対決する形式で行なわれていたので、運動会に出るためにはレコードデビューしなければならないとまで思いを巡らせていたが、実際に自らがレコードデビューを果たせた時には、この形式の大運動会は企画が終了してしまった直後の世代だったため、出場は叶わなかった。
- 優勝内定が知らされていながら、直前にご破算とされた「南ちゃんコンテスト」からの帰宅時には、ショックでずっと泣きながら帰宅した。
- 前述の理由でレコードデビューしたいと思ってはいたものの、歌唱力そのものには自信がなく、「うしろ髪の3人で一番ヘタなのが私なので、私のソロパートは必ず1番じゃなくて2番にあるんです。それだとTVで歌う時には(TVサイズでは2番は歌わないので)私はソロパートが無くても済むので。」と語っていた。
- アイドル時代には、「いくいな」にちなんで「1917」という表記がグッズなど様々な形で使われることがあった。1917年はロシア革命の年であるため、「生稲晃子がロシア革命」という語呂合わせが成立する。『夕やけニャンニャン』内でも紹介され、近年ではドランクドラゴンのコントの中でも使われている(ドランクドラゴンの二人もやはりその世代である)。
- TIMのレッド吉田が『内村プロデュース』内で「友達の友達が生稲晃子!」というフレーズを独特のイントネーションで発する。(NO PLANのアルバム内の一曲『内P"COCO JAPAN"Remix』にレッドの「生稲晃子!」が収録されている)
- 「麦わらでダンス」の替え歌が1988年にプロ野球の広島東洋カープに在籍していたランスの応援ソングに使われ、現在でも他の選手の応援で使われる事もある。またJリーグのFC東京の応援ソングにも長年同曲の替え歌が使われている
- 近年ではテレビ朝日系で2006年12月24日に放送された『M-1グランプリ』でゲストとして観客席に座って、番組を観覧している姿が見られた。島田紳助とは以前クイズ番組で共演しており、その頃から島田は生稲に「このおニャン子の生き残りが!」と言ってよくからかっていた。島田は工藤静香ファンで、うしろ髪ひかれ隊で『オレたちひょうきん族』に出演した際も工藤を贔屓していた(生稲を押しのけて工藤に近づく、発泡スチロールに埋もれた中から工藤だけを助けた、など)と言われると「そんなん当たり前や」と答えていた。
- 上記のつながりからか、島崎和歌子と仲がいい。また小林千絵は生稲が「親友」だという。
- 担当していたラジオ番組『おニャン子のあぶない夜だよ』では、下ネタ投稿も臆せずに読みこなす等、気さくな一面があった。
[編集] 作品
[編集] シングル
- 麦わらでダンス (1988年5月21日)
- Virgin少年に接吻を (1988年9月21日)
- 作詞: 売野雅勇、作曲・編曲: 後藤次利
- c/w Shadow Of Palm Tree
- ファンファーレが聴こえる (1989年1月25日)
- 作詞: 高柳恋、作曲・編曲: 後藤次利
- c/w わたしだけのリバティー
- Japanese Girl (1989年5月24日)
- 作詞: 売野雅勇、作曲・編曲: 後藤次利
- c/w 夕映えの橋
- 忘れたいのに (1989年9月27日)
- 日曜日はいらない (1990年3月7日)
- 作詞: 原真弓、作曲: 松本俊明、編曲: 西平彰
- c/w 海になりたい
- LUNA Great (1991年2月21日)
- ファンキーララバイ (1995年6月10日) - L・リーグ シロキFCセレーナ イメージソング
- 作詞: 三浦徳子、作曲・編曲: 羽田一郎
- c/w ファンキーララバイ -Long Version-
- Oh!散歩日和 (2008年10月8日) - 地井武男とのデュエット。
[編集] オリジナルアルバム
- 「生稲」De-Dance(1988年11月21日)
- おとといおいで
- 鍵穴の熱帯
- 麦わらでダンス(ターンテーブル・ミックス)
- 今はすべての途中だから
- チェイス チェイス チェイス
- ティラノザウルスロック
- Virgin少年に接吻を
- 恋のルフラン
- 日本「生稲」紀行(1989年8月2日)
- Jealousy In The Night
- 北斗七星の一夜
- 忘れたいのに
- オ・メ・デ・ト・ウ!
- モノローグ…春
- あした元気になぁれ
- Japanese Girl
- さよならの岸辺から
[編集] 企画アルバム
- Myこれ!クション 生稲晃子BEST(2002年7月17日)
- 麦わらでダンス
- 夢に逢いたい
- Virgin少年に接吻を
- Shadow of Palm Tree
- ファンファーレが聴こえる
- わたしだけのリバティー
- Japanese Girl
- 夕映の橋
- オ・メ・デ・ト・ウ!
- あした天気になあれ
- 忘れたいのに
- 朝露の瞳
- 日曜日はいらない
- 海になりたい
- LUNA Great
- ファンキーララバイ
- 「生稲晃子」SINGLESコンプリート(2007年8月17日)
- 麦わらでダンス
- 夢に逢いたい
- Virgin少年に接吻を
- Shadow of Palm Tree
- ファンファーレが聴こえる
- わたしだけのリバティー
- Japanese Girl
- 夕映の橋
- 忘れたいのに
- 朝霧の瞳
- 日曜日はいらない
- 海になりたい
- LUNA Great
- ファンキーララバイ
- ファンキーララバイ (Long Version)
- LUNA
- 日本「生稲」紀行 + シングルコレクション(2008年7月16日)
- Jealousy In The Night
- 北斗七星の一夜
- 忘れたいのに
- オ・メ・デ・ト・ウ!
- モノローグ…春
- あした元気になあれ
- Japanese Girl
- さよならの岸辺から
- 麦わらでダンス
- 夢に逢いたい
- Virgin少年に接吻を
- Shadow of Palm Tree
- ファンファーレが聴こえる
- わたしだけのリバティー
- 夕映えの橋
- 朝露の瞳
- 日曜日はいらない
- 海になりたい
[編集] 出演
[編集] テレビドラマ
- あそびにおいでヨ!(1988年、フジテレビ)
- 年末年始ホテル物語(1988年、TBSテレビ)
- ゴメンドーかけます(1989年、フジテレビ)
- ぼくが医者をやめた理由(1990年、テレビ東京)
- 月曜ドラマスペシャル お局さまはハイミス管理職2(1990年、TBSテレビ)
- 火曜ミステリー劇場 萩、津和野幽霊海岸殺人事件(1990年、テレビ朝日)
- 水曜グランドロマン いつか、サレジオ教会で(1991年、日本テレビ)
- ドラマチック22 刑事犬カール 瀬戸内の追跡(1991年、TBSテレビ)
- 月曜ドラマスペシャル 株式会社徳川家康(1991年、TBSテレビ)
- ひとりでみてネ(1991年、TBSテレビ)
- 七人の女弁護士 第2シリーズ 第1話「成田離婚殺人事件! 新妻レイプの秘密…」(1991年、テレビ朝日)
- 豆腐屋直次郎の裏の顔(1992年、ABCテレビ)
- 柴門ふみセレクション「野望の女 好きなら好きと言いなさい!」(1992年、テレビ朝日)
- 結婚不安症候群(1993年、関西テレビ)
- 月曜ドラマスペシャル キャメラマン健吾の旅情事件簿 (1993年、TBSテレビ)
- 水戸黄門 第23部 第8話(1994年9月19日、TBSテレビ・C.A.L)
- さすらい刑事旅情編Ⅶ(1994年、テレビ朝日)
- 家族の条件 〜優子の青春物語〜(1994年、テレビ大阪製作)
- 花王 愛の劇場 あした家族になあれ!(1995年、TBSテレビ)
- 土曜ワイド劇場 / 事件3(1995年、テレビ朝日)
- 暴れん坊将軍Ⅶ 第3話(1996年、テレビ朝日)
- 暴れん坊将軍Ⅷ(1997年、テレビ朝日)
- ドラマ新銀河 こら!なんばしよっと3(1997年、NHK)
- ドラマ30 キッズ・ウォー(1999年 - 2002年、CBC)※Part4まで出演(Part5では設定上亡くなってしまうため、写真のみ)
- 間寛平少年物語(2003年、関西テレビ製作)
- はぐれ刑事純情派 星野正美役(2003年、テレビ朝日)
- 土曜ワイド劇場 / 温泉(秘)大作戦(2005年1月15日、テレビ朝日)‐ 北原志保 役
- はぐれ刑事純情派 夏目刑事の妻(2006年、テレビ朝日)
- 連続テレビ小説 ちりとてちん(2007年 NHK)‐ 和田静 役
- 金曜プレステージ / 山村美紗サスペンス・京都門司港殺人事件(2008年4月18日、フジテレビ系)
- ママの神様(2008年、CBC)
- 月曜ゴールデン「自治会長・糸井緋芽子社宅の事件簿(9)」‐ 岸部里美役
[編集] バラエティ
- 夕やけニャンニャン(フジテレビ系)- おニャン子クラブのメンバーとして活動。1986年6月〜1987年8月。
- 象印クイズ ヒントでピント(テレビ朝日系)- 司会の土居まさるには指名の際「アッコ」と呼ばれていた。1989年1月〜1991年12月出演。
- クイズ仕事人(ABCテレビ)- 島田紳助とともに司会。1990年5月〜1991年3月。
- 一枚の写真(1991年、フジテレビ系)
- 料理天国(TBSテレビ系)- アシスタント。1991年4月〜最終回(1992年9月)
- 快体新書(TBSテレビ系)- 1991年4月〜1992年3月
- KATO&KENテレビバスターズ(TBSテレビ系)- 1992年4月〜1992年9月
- とびっきり!(東京MXテレビ) - 毎週土曜日放送のレギュラー期を経て、2007年以降は年4回のスペシャルに出演
- ちい散歩(テレビ朝日系)- 司会。2007年4月〜
- もしもツアーズ(フジテレビ系)2009年6月20日ゲスト
[編集] その他のテレビ番組
- 徹子の部屋(1998年にゲスト出演、テレビ朝日)
- 全日本プロレス中継(日本テレビ)
- 川田利明が生稲のファンだった事から実況席に招かれゲスト出演。
- 芸能花舞台( - 2006年2月、NHK教育テレビ)
- アナウンサーの古谷敏郎とのコンビで進行役。この番組では和服姿で臨月ぎりぎりまで出演したが、出産直前に降板。
- 古谷が直後、松山局へ異動となったため、そのまま完全降板した。
- インターネットテレビ&掲示板連動型casTY 生稲晃子のひかりバラエティ
[編集] ラジオ
- あぶない夜だよ(1986年 - 1987年、ニッポン放送) - 渡辺満里奈とコンビで番組担当
- 関根勤のTOKYOベストヒット(1987年 - 1988年、ニッポン放送)
- 生稲晃子デートはこれから(1989年、ニッポン放送)
[編集] CM
[編集] 舞台
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
- クラブ生稲 - オフィシャルサイト
- 生稲晃子のくつろぎVIPルーム - 公式ブログ
- 株式会社ポートレーブ - 所属事務所
- 鉄板焼 佐吉 - 夫婦で経営する鉄板焼屋
- 三波豊和の日本が元気です-レポーター
| シングル |
|---|
| 時の河を越えて - あなたを知りたい - メビウスの恋人 - ほらね、春が来た - ご期待下さい! |
| アルバム |
| うしろ髪ひかれ隊 - BAB - ほらね、春が来た FIRST CONCERT '88 - MYこれ!クション うしろ髪ひかれ隊BEST - うしろゆびさされ組+うしろ髪ひかれ隊 SINGLESコンプリート |
| メンバー |
| 生稲晃子 - 工藤静香 - 斉藤満喜子 |
| 関連人物・関連項目 |
| おニャン子クラブ - プロダクション尾木 - 秋元康 - 後藤次利 - 夕やけニャンニャン - ハイスクール!奇面組 - ついでにとんちんかん - 渡り廊下走り隊 |

