増位山大志郎

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増位山 大志郎 Sumo pictogram.svg
Masiuyama Daishiro I.jpg
基礎情報
四股名 濱錦 → 増位山 大四郎 → 増位山 大志郎
本名 澤田 國秋
生年月日 1919年11月3日
没年月日 1985年10月21日(満65歳没)
出身 兵庫県姫路市
身長 174cm
体重 116kg
BMI 38.31
所属部屋 三保ヶ関部屋(のち出羽海部屋
得意技 突っ張り、押し、左四つ、内掛け
成績
現在の番付 引退
最高位 大関
生涯戦歴 199勝126敗24休(32場所)
幕内戦歴 138勝95敗23休(20場所)
優勝 幕内最高優勝2回
十両優勝1回
幕下優勝1回
殊勲賞1回
技能賞1回
データ
初土俵 1935年1月場所
入幕 1941年1月場所
引退 1950年1月場所
引退後 年寄三保ヶ関
備考
金星2個(羽黒山1個、前田山1個)
2014年3月19日現在

増位山 大志郎(ますいやま だいしろう、本名:澤田 國秋、1919年大正8年)11月3日 - 1985年(昭和60年)10月21日)は、兵庫県姫路市出身の大相撲力士。入門時は三保ヶ関部屋、のち出羽海部屋所属。最高位は東大関。身長174cm、体重116kg。得意手は突っ張り、押し、左四つ、内掛け

来歴[編集]

1935年昭和10年)1月場所濵錦の四股名初土俵。若い頃から有望視され幕下時代には当時連勝街道をひた走っていた横綱双葉山に目をつけられ「いつかあいつに土をつけられるんじゃないか」と言われたことがあるという。稽古のときには双葉山から「おい苦手、こい」と言われて感激したという。その双葉山には1944年(昭和19年)1月場所11日目、小結の増位山は5回目の対戦で勝って恩返ししている(この場所11勝4敗の好成績)。

1940年(昭和15年)1月場所新十両1941年(昭和16年)1月場所新入幕で10勝5敗。順調に出世して1948年(昭和23年)10月場所関脇で10勝1敗、前場所優勝して綱とりの東冨士との優勝決定戦を制して初優勝、場所後大関に昇進した。大関2場所目となる1949年(昭和24年)5月場所に羽島山との同部屋決戦を制して13勝2敗で優勝した時には横綱を期待され3ツ揃いのまわしまで用意されたがこの場所で相次いで両手の小指を傷め、さらに肋間神経痛などに苦しみ連続して途中休場1950年(昭和25年)1月場所後に引退した。その後体調の回復で現役復帰を希望したことがあったが「引退相撲まで終えているのに筋が通らない」と力士会で否決されている(この時、増位山の復帰とまとめての採決にされてしまって現役復帰しそこなったのがまだプロレスラーになる前の力道山)。

大坂相撲の小部屋である三保ヶ関部屋を再興し、しばらくは弟弟子の増巳山しか関取のいない状況であったが、1960年代に大竜川が十両に昇進してから活気付き、横綱・北の湖、長男でもある大関・増位山、大関・北天佑などを育てた。自身の現役時代に日の目を見ることのなかった3ツ揃いの化粧廻しは弟子の北の湖が横綱になったことでようやくその使命を果たすことができた。定年までつとめ、部屋を実息の大関増位山に譲って隠居した。相撲協会を停年退職したためか、愛弟子北の湖の断髪式では鋏は入れたが、止め鋏を入れたのは増位山(北の湖の兄弟弟子)だった。

趣味が多彩で絵や歌がうまく特に絵は1971年(昭和46年)からは連続して二科展に入選する程の腕だった。肖像画も描いたが題材にした人が次々亡くなるのを見てこれはやめてしまったという。絵は精神を鍛えるのにも有効と考え弟子の指導にも取り入れたという。絵の趣味は北の湖や息子の増位山にも受け継がれている。

なお「増位山」は、故郷である兵庫県姫路市の山名で、もともと姫路藩お抱えの力士が名乗っており14代横綱境川も襲名したことのある、由緒ある四股名である。

主な成績[編集]

  • 通算成績:199勝126敗24休 勝率.612
  • 幕内成績:138勝95敗23休 勝率.592
  • 大関成績:27勝20敗5休 勝率.574
  • 現役在位:32場所
  • 幕内在位:20場所
  • 大関在位:4場所
  • 三役在位:6場所 (関脇2場所、小結4場所)
  • 三賞:2回
    • 殊勲賞:1回(1948年10月場所)
    • 技能賞:1回(1947年11月場所)
  • 金星:2個(羽黒山1個、前田山1個)
  • 各段優勝
    • 幕内最高優勝:2回(1948年10月場所、1949年5月場所)
    • 十両優勝:1回(1940年5月場所)
    • 幕下優勝:1回(1939年5月場所)

場所別成績[編集]

                                 

増位山大志郎
春場所 夏場所 秋場所
1935年
(昭和10年)
(前相撲) 新序
3–0
 
x
1936年
(昭和11年)
西 序ノ口 #2
2–4
 
西 序二段 #24
3–3
 
x
1937年
(昭和12年)
東 序二段 #18
4–2
 
西 三段目 #28
6–1
 
x
1938年
(昭和13年)
東 幕下 #27
7–5
 
東 幕下 #12
4–3
 
x
1939年
(昭和14年)
東 幕下 #7
4–3
 
西 幕下 #3
優勝
7–1
x
1940年
(昭和15年)
西 十両 #6
9–6
 
西 十両 #4
優勝
12–3
x
1941年
(昭和16年)
東 前頭 #16
10–5
 
東 前頭 #8
5–10
 
x
1942年
(昭和17年)
西 前頭 #10
6–9
西 前頭 #12
10–5
 
x
1943年
(昭和18年)
東 前頭 #7
8–7
 
西 前頭 #3
10–5
 
x
1944年
(昭和19年)
東 小結
11–4
 
西 張出関脇
4–6
 
西 張出小結
4–6
 
1945年
(昭和20年)
x 東 前頭 #3
2–3–2[1]
 
東 前頭 #8
5–5
 
1946年
(昭和21年)
x x 東 前頭 #6
11–2
 
1947年
(昭和22年)
x 西 小結
0–0–10[2]
 
西 前頭 #2
8–3
1948年
(昭和23年)
x 東 小結
7–4
 
西 関脇
10–1[3]
1949年
(昭和24年)
西 大関
7–6
 
西 大関
13–2[4]
 
東 大関
3–6–6[5]
 
1950年
(昭和25年)
西 張出大関
引退
4–6–5[6]
x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 場所開催連絡不備・交通混雑により初日から途中休場、4日目から再出場
  2. ^ 左足首関節捻挫により全休
  3. ^ 東冨士と優勝決定戦
  4. ^ 羽島山と優勝決定戦
  5. ^ 急性関節リューマチ・発熱により9日目から途中休場
  6. ^ 左足首関節捻挫により10日目から途中休場