琴光喜啓司

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琴光喜 啓司
四股名 琴光喜 啓司
本名 田宮 啓司
愛称 タミヤ、タミヤン、ミツキ
生年月日 1976年4月11日
出身 愛知県岡崎市
身長 181cm
体重 149kg
BMI 45.48
所属部屋 佐渡ケ嶽部屋
得意技 右四つ、寄り、押し、上手出し投げ、下手投げ、内無双
成績
現在の番付 大関
最高位 大関
生涯戦歴 532勝338敗43休(62場所)
幕内戦歴 444勝308敗43休(53場所)
優勝 幕内優勝1回
十両優勝1回
幕下優勝1回
殊勲賞2回、敢闘賞4回、技能賞7回
データ
初土俵 1999年3月場所(幕下60枚目格附出)
入幕 2000年5月場所
趣味 釣り、パチンコ
備考
金星3個(武蔵丸3)
2009年3月30日現在
  

琴光喜 啓司(ことみつき けいじ、1976年4月11日 - )は、愛知県岡崎市出身(出生地は豊田市)で佐渡ケ嶽部屋所属の現役大相撲力士。得意手は右四つ、寄り、押し、上手出し投げ下手投げ内無双。最高位は東大関。本名は田宮啓司(たみや けいじ)、身長181cm、体重156kg。愛称はタミヤ、タミヤン、ミツキ、趣味は釣りパチンコ、好きな食べ物は鶏の唐揚げ

四股名は「光る相撲で観客を喜ばせる」という思いを込めて、「琴圭傑(ことかけつ)」「琴吉勝(こときっしょう)」「琴光喜」の3つの候補の中から選んで命名された。極度の近視で、土俵外では眼鏡姿がトレードマークだったが、レーザー治療を受け視力を大幅に回復させている。

目次

[編集] 来歴

[編集] 入門まで

トヨタ自動車相撲部監督の次男で、小学生から相撲を始め、高校は強豪鳥取城北高校へ相撲留学、2年生で高校横綱となり、将来を嘱望されるようになる。さらに日本大学へ進学し、本格的に才能が開花。ちなみに大学時代のチームメイトだった高見盛は、中学生時代からのライバルでもある。日大相撲部在籍中に27個のタイトルを獲得し、佐渡ケ嶽部屋に鳴り物入りで入門した。

若松(現・高砂)親方(元大関・朝潮)には、高校卒業時から声をかけられていた。近畿大学OBの親方が両親と同郷(高知県)のためである。

[編集] 幕下付出、関脇へ

平成11年(1999年)3月場所、日大同期の加藤(後の高見盛)、高濵(後の濵錦)とともに幕下60枚目格付出初土俵。初土俵以後負け越し知らずで、平成12年(2000年)5月場所に初土俵から8場所目で入幕するも、場所直前の怪我で全休。再入幕の場所で、いきなり13勝2敗というあわや事実上の新入幕優勝かという成績を挙げ、三賞を総ナメにする。この場所西前頭9枚目の位置だったが、1横綱武蔵丸)3大関出島雅山武双山)を破ったことが評価されたか番付運が良かったか、小結を飛び越して関脇に昇進した。事実上1場所での三役昇進で陰の最短記録である。

[編集] スピード出世で大関挑戦へ

平成13年(2001年)9月場所は13勝2敗をあげ、幕内在位7場所目という史上3位のスピードで初の幕内優勝を果たした(しかし優勝パレードはアメリカ同時多発テロの影響で自粛)。この場所を含め以後連続3場所の通算成績は34勝11敗(9月場所は13勝、11月場所は9勝、翌1月場所は12勝)を挙げたものの、当時大関が4人いたことや3場所前が平幕であったこと、および2場所前が9勝であったこと(平成以降に大関昇進した力士は、を除いてすべて2場所前は10勝以上である)、また14日目に当時平幕の武雄山(琴光喜と同じ愛知県の豊橋市出身)に敗れたことなどの原因により、相撲内容を問われて大関昇進は見送られた。翌3月場所は13日目の取組中に下骨折するなど8勝に留まり、5月場所は公傷適用とならない全休だったため翌7月場所には平幕へ陥落、大関獲りは完全に振り出しに戻った。

最初の大関獲りの失敗後は、怪我もあり低迷が続いた。また、平成15年(2003年)5月20日には痛めた右手術。時折優勝争いにからむ活躍を見せるが、上位では安定した成績を続けられず負け越しも多かった。平成17年(2005年)5月場所小結で13勝をあげ、翌7月場所では地元での昇進が期待され異常な熱気につつまれたが、自滅して終盤巻き返したものの7勝8敗と散々な成績であった。翌9月場所は、東小結で9勝6敗と勝ち越して再び関脇に復帰する。しかしそれ以降の8場所中7場所までが8勝7敗という勝ち越しギリギリの成績で、辛うじて関脇の地位を守り通すという状態が続いた。しかし2006年は初の全6場所勝ち越しとなり、安定感は増した。

[編集] 悲願の大関昇進

この間、弟弟子・琴欧洲の大関昇進後と同様、前半は好調ながら後半急に失速するパターンが何場所も連続して続いていたが、平成19年(2007年)3月場所では10勝5敗と約2年ぶりの2桁の勝ち星をあげた。そして翌5月場所も関脇の地位で12勝3敗と活躍し、自身初の連続2桁勝利を達成。

そして翌7月場所、地元愛知で4度目の大関挑戦を迎える。かつては佐渡ヶ嶽部屋の先輩力士である長谷川琴錦同様に、最強の関脇で終わってしまうのかと懸念されていたが、師匠の交代や琴欧洲の大関昇進、琴奨菊の成長といった身辺の出来事に刺激される中、一時期の低迷を脱して成績も安定感を増して来ていた。ここ3年余にわたって、三役の地位をほぼ守り通す中、関脇での連続2桁勝利を達成し、満を持しての大関挑戦となった。

その7月場所は初日から順調に勝ち星を積み重ね、10日目には新横綱の白鵬の連勝記録を25でストップさせる勝ち星をあげ、初日からの連勝記録を自己最多の10とする。そして14日目にこの場所での13勝目と、関脇の地位で3場所通算35勝をあげ、悲願の大関昇進を決定的なものとした。しかし千秋楽、1敗の状態で勝てば優勝の可能性があるという稀勢の里戦に敗れ優勝ならず。花道で涙をぬぐうシーンはファンの感動を誘った。場所後、理事会の承認を経てついに悲願の大関昇進を果たす。二代目増位山の31歳2ヶ月を1ヶ月上回る歴代最年長(年6場所制になってから)の新大関、また新入幕から所要44場所での昇進という史上2位のスロー昇進、日本人としては平成13年(2001年)11月場所後の栃東以来、約5年半ぶりの新大関となった。

[編集] 大関昇進後

新大関の同年9月場所は優勝を期待されたが、10日目までに4敗を喫して優勝争いから脱落、10勝5敗に留まった。翌11月場所前には胆石を患っていることが判明し、稽古不足となったが、千秋楽に横綱白鵬を破るなど10勝を挙げる。場所後に胆石の除去手術を行った。この年は年間63勝をあげ、年間最多勝の白鵬(74勝)に次いで第2位となる勝ち星をあげた。

平成20年(2008年)1月場所はその手術による影響もあってか、千秋楽の給金相撲で安美錦に勝って8勝7敗とようやく勝ち越し。3月場所は初日から3連敗のスタート、8日目では2勝6敗と苦しい星勘定となる。それでも、13日目に横綱朝青龍を上手出し投げで破り、対朝青龍戦の連敗記録を28でストップさせ、千秋楽に千代大海を下し8勝7敗で辛うじて勝ち越しを決めた。

翌5月場所も2日目から11日目まで白星と黒星の交互が続いて波に乗れなかった。13日目に横綱白鵬に勝ち琴欧洲の援護射撃で見せ場は作ったものの、3場所連続の千秋楽勝ち越しで8勝7敗に終わった。大関として初めて迎えた地元7月場所は、全勝で走る白鵬を追いかけ、優勝次点の11勝4敗という成績だった。翌9月場所も11勝を挙げるが、11月場所は9勝6敗に終わる。

平成21年(2009年)1月場所は、場所直前痛風による右足首の痛みを訴え3日間入院、稽古が殆ど出来なかった。その影響で序盤から黒星が続き10日目で朝青龍に敗れ2勝8敗、大関昇進後初めての負け越しが決定。2005年9月場所から2008年11月場所まで続いた、幕内連続勝越記録は20場所でストップした。12日目から治療のため不戦敗(対戦相手の白鵬は不戦勝)・途中休場に。翌3月場所は自身初の大関角番となるが、12日目に朝青龍を破り、13日目に勝ち越して角番脱出は果たしたが8勝7敗に終わった。5月場所は7勝2敗から5連敗し、千秋楽に勝ち越しを決めた。

[編集] 略歴

  • 初土俵…平成11年(1999年)3月場所
  • 新十両…平成11年(1999年)11月場所
  • 新入幕…平成12年(2000年)5月場所
  • 新三役…平成13年(2001年)1月場所
  • 幕内初優勝…平成13年(2001年)9月場所
  • 新大関…平成19年(2007年)9月場所←7月場所後に昇進

[編集] 取り口

右四つ得意で右の下手が命綱。足腰は強く、差し身もよくて、もろ差し、あるいは右下手左前褌の形で一気に寄るのが理想。このように本来の相撲はスピード感のあるものなのだが、緊張に弱く考え込んでしまう性格から大事な一番で勝ち味が遅くなりがちである。突っ張りはないが、相撲の技術も一級品である。相手の突きを腕で跳ね上げる技術、廻しを切る技術は高く評価されている。内無双、出し投げなどの小技も駆使する。

[編集] エピソード

[編集] 人物

  • 公称身長は182cmであるが、実際の身長は180cmで、2cmサバを読んでいたことを自らテレビ番組のインタビューの中で告白した。
  • 7月25日に行われた大関の昇進伝達式の口上は、親方が原文を考え、それを自身がアレンジすればいいものだと勘違いしていた。慌てて佐渡ヶ嶽親方(元関脇・琴ノ若)に相談すると「バカヤロー!」と一喝された。
    • その注目の口上は「謹んでお受けいたします。いかなるときも力戦奮闘し相撲道に精進いたします」であった。大関昇進伝達式後の記者会見で目標の大関について訊かれた際には、初土俵から大関昇進まで91場所かかった霧島(現・陸奥親方)の名前を挙げ、豪快な吊り出しや同じ大関としての魅力や憧れを語った。
      • この昇進伝達式には相撲協会の計らいで先代佐渡ヶ嶽(元横綱・琴櫻)も同席したが、その弟子の晴れ姿を見たわずか三週間後の8月14日、先代は66歳でこの世を去った。
  • 額が極端に狭く、時津洋普天王と並ぶ狭さであると言えよう。また額の狭さのせいもあってか、大銀杏を結うまでの所要年数が同期の高見盛と比べると長かった。
  • 普段は明るい性格で、バラエティ番組にも頻繁に出演している。
  • 新宿歌舞伎町キャバクラで泥酔し路上で転がっているところを週刊誌に写真を撮られたことがある。
  • 2008年10月、同じ年の女性と結婚。2009年4月、挙式・披露宴を行った。

[編集] 交友関係など

  • タレント中山秀征とは家族ぐるみの付き合いがある。
  • デヴィ夫人からは化粧回しが贈られている。
  • 安田大サーカスの団長は高校の2年先輩にあたる。団長の方は既にそのとき有名人だった琴光喜には恐れ多くて近寄れなかったというが、琴光喜の方は高校の学園祭で団長のコントを見たこともあるらしい。安田大サーカスが『第41回 上方漫才大賞』で奨励賞を受賞した時もプレゼンターとして駆けつけた。
  • 敬宮愛子内親王は相撲好きで有名だが、特に琴光喜がお気に入りらしい。皇太子徳仁親王が「愛知に行く」と言ったら、「琴光喜のところ?」と尋ねたという(愛知県は琴光喜の出身地であるため)。
  • プロ野球中日ドラゴンズファンでも知られ、ナゴヤドームでの始球式を務めたことがある。同チームの立浪和義選手と親交があることで有名。大関昇進の伝達を受けた2007年7月25日にも中日対阪神タイガース戦をナゴヤドームで観戦していた。また、千葉ロッテマリーンズのファンである荒磯親方(元関脇・琴錦)に誘われ、パ・リーグではロッテファン。

[編集] 大相撲

  • 横綱朝青龍とはライバルであり、大関争いをした時期もあった。土俵上では互いに闘志をむき出しにし、熱戦が繰り広げられた。しかし琴光喜が両肘を故障したあたりから一気に水をあけられ、2008年1月場所終了時点で対朝青龍戦はついに28連敗と幕内対戦成績での連敗記録のワースト記録にあと一つとなり(ワースト記録は栃光北の湖に対して喫した29連敗)、対戦成績は琴光喜の6勝31敗となってしまったが、同年3月場所で5年半ぶりに勝って連敗を28で食いとどめた。
  • 2001年5月場所6日目の武双山戦で5分13秒後に水入りとなったが、勝負再開後にそれでも決着がつかなかったため4分3秒後に二度目の水入り、二番後に取り直しとなった。これは1978年3月場所7日目の旭國 - 魁傑戦以来23年ぶりの珍事だった。取り直しの一番では、武双山を寄り切り28秒後に勝利を決める。この一番の合計時間は、実に9分44秒の大熱戦だった。
  • 2004年5月場所から2005年1月場所まで5場所連続で小結に在位した。5場所連続小結在位は麒麟児(後の大関大麒麟)、土佐ノ海と並び歴代1位タイ。
  • 2006年5月場所から2007年1月場所まで5場所連続で雅山とともに関脇を務めた。5場所連続同じ力士が関脇を務めたのは131年振り。
  • 2007年7月場所をもって、関脇在位が22場所となった。これは部屋の先輩である長谷川と琴錦、また魁皇(現・大関)の21場所を抜いて歴代1位である。
  • 2008年に行われた初めてのモンゴル巡業は乗り継ぎ先のソウルで急性虫垂炎と診断されて巡業は不参加となった(後に病名は尿管結石に訂正された)。

[編集] 場所別成績

  • 通算成績(2009年(平成21年)1月場所終了現在)
524勝 - 331敗 - 43休場
優勝1回、殊勲賞2回、敢闘賞4回、技能賞7回、金星3個[1]
琴光喜啓司
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1999年
(平成11年)
x x 幕下付出 #60
5–2
 
東 幕下 #44
6–1
 
西 幕下 #20
7–0
 
西 幕下 #1
5–2
 
2000年
(平成12年)
東 十両 #12
9–6
 
東 十両 #7
11–4
 
休場 西 十両 #6
9–6
 
東 十両 #4
14–1
 
西 前頭 #9
13–2
2001年
(平成13年)
西 関脇
4–11
 
西 前頭 #3
10–5
東 小結
9–6
西 関脇
6–9
 
東 前頭 #2
13–2
西 関脇
9–6
 
2002年
(平成14年)
東 関脇
12–3
東 関脇
8–7[2]
 
休場 西 前頭 #6
7–8
 
東 前頭 #7
12–3
 
西 関脇
8–7
 
2003年
(平成15年)
西 関脇
9–6
 
西 関脇
6–9
 
東 前頭 #2
0–5–10[3]
 
東 前頭 #13
9–6
 
東 前頭 #6
11–4
 
西 前頭 #1
6–9
 
2004年
(平成16年)
西 前頭 #4
13–2
西 関脇
7–8
 
西 小結
9–6
 
東 小結
7–8
 
西 小結
8–7
 
東 小結
10–5
 
2005年
(平成17年)
東 小結
7–8
 
東 前頭 #2
9–6
 
東 小結
13–2
西 関脇
7–8
 
東 小結
9–6
 
西 関脇
8–7
 
2006年
(平成18年)
東 関脇
8–7
 
西 関脇
8–7
 
東 関脇
8–7
 
西 関脇
8–7
 
西 関脇
8–7
 
西 関脇
9–6
 
2007年
(平成19年)
東 関脇
8–7
 
東 関脇
10–5
 
東 関脇
12–3
 
東 関脇
13–2
西 大関 #2
10–5
 
東 大関
10–5
 
2008年
(平成20年)
西 大関
8–7
 
西 大関
8–7
 
東 大関
8–7
 
西 大関
11–4
 
東 大関
11–4
 
東 大関
9–6
 
2009年
(平成21年)
東 大関
2–10–3[3]
 
東 大関 #3
8–7[4]
 
西 大関 #2
8–7
 
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下

三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口

幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)


[編集] 主な力士との幕内対戦成績

2009年5月場所終了現在

力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
旭天鵬 21 13 旭鷲山 11 3 鶴竜 5(1) 3
栃乃洋 17 7 武雄山 5(1) 2 玉春日 4 0
時津海 3 5 霜鳳 4 4 春日錦 3 1
海鵬 5 3 安美錦 17 4 把瑠都 5 2
闘牙 5 3 北勝力 11 3 豪栄道 4 3
隆乃若 6 3 高見盛 7 3 若ノ鵬 3 0
武蔵丸 3 7 岩木山 6(1) 8 豊響 1 0
貴乃花 0 4 朝赤龍 10 5 栃ノ心 1 0
出島 16 9 垣添 8 6
雅山 23(1) 15 豪風 7 3
武双山 10 7 黒海 13 6
千代大海 17 22 白鵬 8 19
魁皇 23(1) 14(1) 露鵬 8 5
若の里 17 14(1) 日馬富士 9 12
貴ノ浪 3 6 普天王 7 2
栃栄 5 0 稀勢の里 10 8
朝青龍 8 34 時天空 8 6
栃東 14(1) 10 豊真将 6 1
土佐ノ海 7 6 豊ノ島 8 4
玉乃島 14 6 栃煌山 4 0
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。太字の力士は現役。

[編集] 主な成績

2009年3月場所終了現在

  • 通算成績:532勝338敗43休(62場所)
  • 幕内成績:444勝308敗43休
  • 幕内在位:53場所
  • 三役在位:30場所(関脇22場所、小結8場所)(関脇在位は歴代1位)
  • 大関在位:11場所
  • 各段優勝
    • 幕内最高優勝:1回(2001年9月場所)
    • 十両優勝:1回 (2000年9月場所)
    • 幕下優勝:1回 (1999年7月場所)
  • 三賞:13回
    • 殊勲賞:2回(2000年11月場所、2001年9月場所)
    • 敢闘賞:4回(2000年11月場所、2002年9月場所、2004年1月場所、2007年7月場所)
    • 技能賞:7回(2000年11月場所、2001年3月場所、2001年5月場所、2001年9月場所、2002年1月場所、2005年5月場所、2007年7月場所)
  • 金星:3個(武蔵丸3個)

[編集] 改名歴

  • 田宮 啓司(たみや けいじ)
  • 琴田宮 啓司(ことたみや -)1999年3月場所-1999年9月場所
  • 琴光喜 啓司(ことみつき -)1999年11月場所-
※初期の四股名は田宮であったが、この四股名を土俵で使用することはなかった。

[編集] 脚注

  1. ^武蔵丸3個
  2. ^ 千秋楽不戦敗・休場
  3. ^ a b 途中休場
  4. ^ 角番

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

先代:
白鵬翔
大関
(在位:2007年9月-)
次代:
日馬富士公平