食事

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日本人の伝統的な食事
日本人の伝統的な食事

食事(しょくじ、Meal)とは、食品を食べること。メシとも呼ばれる。人間が生命を維持し活動や成長をするためには、栄養素を摂取する必要があり、そのための手段が食事である。味を楽しむためにも行われる。食事の時刻、回数、調理法、内容には文化や宗教、栄養学、好みが反映される。これは食生活(しょくせいかつ)と呼ばれる。

調理された料理を食べる形が一般的であるが、弁当として携帯できる形で食の生活をとることもある。

なお、会席料理においては、止め肴のあとに続いて、止め椀や香の物とともに出される御飯物を指して「食事」という(この意味の食事については「会席料理」の項目参照)。

目次

[編集] 回数

一般にヒトは1日に1 - 数回の食事をとっている。

西洋では1800年ごろまで1日2食であった[1]。日本では20世紀前半に、国立栄養研究所での実験により1日3回と栄養学の研究によって決定された[2]。日本では1日2回の食事を朝餉夕餉と呼んだ。したがって、多くの地域で1日に3回の食事の食事をするようになったのは近代のことである[2]

現代の日本では、朝食昼食夕食の3回食事をとる習慣が一般的である。これは、昼間に活動し夜間は眠るという通常の生活サイクルにあわせたものである。深夜に勉強や業務を行う場合には夜食などをとることがある。朝食や昼食の間、昼食から夕食の間に間食をとることもある。

[編集] 宗教と食事

最後の晩餐。イエスが弟子たちとともに食事をとる様子。レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたもの。
最後の晩餐。イエスが弟子たちとともに食事をとる様子。レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたもの。
ユダヤ人青年らの安息日における食事の一風景
ユダヤ人青年らの安息日における食事の一風景

宗教と食事・食生活には大きなかかわりがある。

例えばキリスト教における聖餐があり、これは新約聖書に、イエスが引き渡され十字架にかけられる前に、弟子たちと最後の食事を共にし、自分の記念としてこの食事を行うよう命じた、ということが書かれていることによる。キリスト教徒はこの儀式を行うことで、そこにキリストが確かに現存している、という信仰を保持している。

教義で特定の食品を食べることを禁止している宗教は珍しくはなく、調理法についても厳しい戒律を持つ宗教がある。例えばユダヤ教では、旧約聖書に食べてよいもの食べていけないもの、一緒に食べてはいけないものの組み合わせ、動物の屠り方、調理法などに関する規定がこと細かに記述されており、厳格な教派においては現在でもそれを守っているユダヤ教徒が多い[3]キリスト教はその初期の段階においてユダヤ教の厳格な食事規定を大幅に緩めたことで人々に歓迎された。イスラム教では現在もを不浄のものとして食べることを禁じている。反対にヒンドゥー教では、を神聖なものとして(大切なものとして)食べることを禁じている。 また、仏教では、精進料理を発達させた。

また、一定期間食事をとらない断食を行うことに宗教上の意味を見つける宗教もある。

[編集] 精神的・医学的な側面

摂食障害のように、肉体的疾患や精神的なストレスや異常によって、食欲の減退したり正常な食事ができなくなることがある。 生活習慣病の原因となることもある。また、医療の一環として食事制限や食事(食餌)療法が行われる場合がある。


また食事の時の気分や意識の持ち方は、唾液の出かたや内臓の働きや消化・吸収に影響するので、食事の時は安らかでほがらかな気持ちでいるようにすること、一口一口よく噛んでよく味わうこと、食べ物が自身の滋養となっていくことを心から楽しむというような心構えで食べること、なども大切である。[4]

[編集] 競技としての食事

娯楽や単なる競合として、食べる量、速さを競う行為が行われることがある(早食い・大食い競争)。また、食に関する知識、経験を競い合うこともあるし、料理人の技量が競争されることもある。

[編集] 食生活

[編集] 社会化と食生活

食生活には、単に食べること以上の社会的意味が付与されている。

「同じ釜の飯を食う」という慣用句にみられるように、複数の参加者が同時にあるいは同内容の食事を取ることは、共同体としての帰属意識を持つこと、あるいはそれを強化する意味がある。また、食生活に招待するということは、儀礼の意味もある。食費を参加者の一部メンバーが肩代わりすることで、上下間や男女間の関係の確認が行われていることもある。自作の手料理を食べてもらうということで特別な関係を意味づける場合もある。

生きていくことを比喩的に表す言葉に「飯を食う」というものがある。例えば、「~で飯を食う」は生計をたてることを意味しているし、扶養することを「食べさせてやる」という言い方で表現する。

[編集] 所得と食生活

食生活は、地域や民族を問わず、所得の増加によって以下の四段階のパターンをたどる[5]

  • 第1段階
主食から、雑穀イモ類が減り、小麦トウモロコシなどが増える
  • 第2段階
主食が減り、野菜といった副食が増える
  • 第3段階
副食の中でも、動物性タンパク質の割合がさらに増加する。また、アルコールの量も増える
  • 第4段階
食事を簡単にすませようとし、レトルト食品外食が増える。また、伝統的な食事を見直し、高級化する動きも見られる。

なお、食生活の段階が進むにつれて、穀物の消費量は加速度的に増えていく。これは肉類が増えると、飼料として穀物が消費されるためである[6]

[編集] 関連項目

[編集] 関連書

  • 香川 芳子『なにをどれだけ食べたらいいの―バランスのよい食事ガイド』女子栄養大学出版部、2005、ISBN 4789509125
  • 今村 光一『キレない子どもを作る食事と食べ方』主婦の友社、2001、ISBN 4072311073
  • 大森 一慧『からだの自然治癒力をひきだす食事と手当て』ソレイユ出版、2000、ISBN 4763130048
  • 幕内 秀夫『美味しい食事の罠―砂糖漬け、油脂まみれにされた日本人』宝島社、2007、ISBN 4796660593
  • 茂木健一郎 『食のクオリア』 青土社 ISBN 4-7917-6276-2
  • 草柳 大蔵 『食事・食卓の覚え書―すわる 食べる 飲む 話す 辞去する 礼を言う 101話』グラフ社、2000、ISBN 4766205944
  • 永山 久夫『日本古代食事典』東洋書林、1998、ISBN 4887213301

[編集] 脚注

  1. ^ 小田裕昭、加藤久典、関泰一郎『健康栄養学』 共立出版、2005年4月。ISBN 978-4320061538
  2. ^ a b 佐伯芳子 『栄養学者佐伯矩伝』 玄同社、1986年。ISBN 978-4-905935-19-3。158頁。
  3. ^ ユダヤ教のこの食物規定を「カシュルート」や「コーシェル」と言う。
  4. ^ このようなことは多くの専門家が言ったり書いたりしていることであるし、また多くの一般人によって広く知られていることであり、昔から親たちが子に、祖父母らが孫たちに言って聞かせていることでもある。つまり、誰もが知っているべき常識的知識ですらある。
    出典とできる書物はいくらでもあるが、一例を挙げれば、井出雅弘『専門医がやさしく教える自律神経失調症』PHP研究所、2004、ISBN 4569661912 の201頁の「よくかむことも心身を健康に保つ秘訣」というタイトルの節には以下の記述がある。
    「楽しみながら、ゆっくりと食事を味わえば、食べ物をよくかむことにもなります。よくかむと、唾液が多量に分泌されて味覚が敏感になり、消化活動を促します。また、唾液と食べ物が混ざることで食べ物の刺激が緩和され、胃壁が守られます。さらに、口の中にはさまざまな細菌がいますが、唾液には殺菌作用もあります。
    かむという運動は、脳の満腹中枢を刺激しますから、たくさん食べなくても満足感が得られ、肥満予防にも役立ちます。かむ回数は、食べ物の大きさや硬さにもよりますが、ひと口20~30回くらいがよいといわれています。
    食事は、栄養を補給することだけが目的ではなく、心をうるおすためのものでもあります。食事が "えさ"にならないよう、味わって食べる習慣をつけましょう。」
    専門家や書物によって多少は言い回しが異なっているとしても、おおむね同じようなことが説かれている。また、日本以外の世界各国でも、専門家や一般人によってほぼ同様のことは書かれている。
  5. ^ 『中国の伝統的食文化の変化』小島麗逸 日本貿易会月報2003年2月号
  6. ^ 『食料争奪』柴田明夫 日本経済新聞社 2007年7月