貴乃花部屋

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貴乃花部屋(たかのはなべや)は、二子山部屋を前身として現在は貴乃花光司が師匠を務める日本相撲協会所属の相撲部屋。かつては二所ノ関一門に所属していたが、2010年1月以降はどの一門にも所属していない。

本項では大正末期から昭和初期にかけて存在した旧二子山部屋についても記述する。

目次

[編集] 沿革

[編集] 10代二子山時代

1962年(昭和37年)5月場所直前に引退した花籠部屋所属の第45代横綱初代若乃花年寄・10代二子山を襲名し、1962年9月2日に花籠部屋から分家独立して二子山部屋(ふたごやまべや)を創設した。1970年代においては、1975年(昭和50年)に10代二子山親方の実弟である大関貴ノ花が初優勝、1978年(昭和53年)には同じく娘婿である2代目若乃花が横綱に昇進するなど、新興ながらも横綱や大関を輩出するようになる。

1980年代になると、1981年(昭和56年)1月場所で大関・貴ノ花が引退、続いて1983年(昭和58年)1月場所をもって横綱・2代目若乃花が引退したが、同年1月場所より若嶋津が大関に昇進、また1983年(昭和58年)9月場所より隆の里が横綱に昇進するなど、有力部屋として発展していった。また、この時期の二子山部屋からは、藤島部屋(大関・貴ノ花)、間垣部屋(第56代横綱・2代目若乃花)、鳴戸部屋(第59代横綱・隆の里)、松ヶ根部屋(大関・若嶋津)、荒磯部屋小結二子岳)、花籠部屋(関脇太寿山)がそれぞれ分家独立した。

[編集] 11代二子山時代

1990年代に入り、10代二子山が1993年(平成5年)3月に停年退職を迎えるため、1993年2月1日付で10代二子山と実弟の12代藤島(貴ノ花)が年寄名跡の交換を行い、二子山が13代藤島、藤島が11代二子山となった。また、これと同時に藤島部屋と二子山部屋が合併し、11代二子山を師匠とする二子山部屋は幕内力士10人を含む総勢50人の大所帯となった。この時の幕内力士10人は、以下の通りである。

1993年3月場所の幕内番付[1]
番付 西
四股名[2] 旧所属[3] 四股名[2] 旧所属[3]
大関 貴ノ花光司 藤島部屋 (省略)
関脇 (省略) 安芸乃島勝巳 藤島部屋
小結 若花田勝 藤島部屋 若翔洋俊一 二子山部屋
前頭 1枚目 貴ノ浪貞博 藤島部屋 (省略)
3枚目 (省略) 三杉里公似 二子山部屋
6枚目 隆三杉太一 二子山部屋 豊ノ海真二 藤島部屋
7枚目 浪ノ花教天 二子山部屋 (省略)
12枚目 貴闘力忠茂 藤島部屋

この後、11代二子山の次男である貴ノ花1994年(平成6年)11月場所後に横綱昇進、次いで1998年(平成10年)5月場所後に長男である若乃花が横綱昇進して大相撲初の兄弟横綱を誕生させ、1990年代後半には2横綱を抱えることとなった。さらにこれと同時期に大関・貴ノ浪や関脇・安芸乃島、関脇・貴闘力、関脇・若翔洋を輩出し、二子山部屋は全盛期を迎えることになった。しかしその一方で豊ノ海五剣山などといったパワー相撲をとる巨漢力士は、巨体を活かした相撲を身につけることができず、大成しなかった。

[編集] 貴乃花部屋時代

2003年(平成15年)1月場所限りで引退した第65代横綱・貴乃花は一代年寄・貴乃花を襲名して二子山部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっていたが、2004年(平成16年)2月1日付で二子山部屋を継承して、部屋名称も貴乃花部屋に変更された。

2000年代に入り、1990年代に部屋を支えた力士たちが相次いで引退しており、貴乃花が部屋を継いだ直後の2004年5月場所には西前頭13枚目と唯一の幕内力士だった元大関・貴ノ浪が引退、2006年11月場所には元十両・五剣山が引退したことから、ついに関取経験者が一人もいなくなり、幕下力士さえ一人もいないことが常態化していった。入門者も2005年(平成17年)以降1人もなく所属力士は減少していき、かつて10人の幕内力士が所属した部屋の面影はなくなっていった。

また、この時期には藤島部屋生え抜きで貴乃花の兄弟子でもあり、貴乃花部屋の部屋付き親方であった千田川(安芸乃島)と対立し、千田川が入門時の師匠である11代二子山に許可をもらって2004年(平成16年)9月27日に高田川部屋に移籍(事実上の破門)するなど、内紛も起こった。

しかし、2008年3月(平成20年)には約4年ぶりとなる新弟子貴天秀(元時津風部屋力士の息子)が入門した。これ以後11月場所より貴乃花部屋初となるモンゴル人力士貴ノ岩が、2009年(平成21年)1月場所でも高校で実績を残した双子の貴月芳貴斗志が入門した。このように現師匠が部屋を継承して5年ほど続いていた所属力士の減少傾向には歯止めがかかりつつある。また、2009年11月場所に貴ノ岩が三段目で優勝決定戦を制して優勝し、貴乃花部屋となってから初の各段優勝力士となり、2010年7月場所には貴斗志が三段目で優勝するなど頭角を現す力士が出てきているが、まだ関取の誕生には至っていない。

[編集] 部屋の特徴

外国人や学生相撲出身の力士が台頭する中で、貴乃花親方自身が経験してきた昔ながらの叩上げ教育を軸に若手を育てている。そのため、長らく在籍力士の全てが中卒の日本人力士のみであるという特徴があったが、2008年11月場所においてモンゴル人力士の貴ノ岩が入門したため、現在では中卒の日本人力士以外も在籍している。

また、部屋を継承した直後、貴乃花親方は自身の自宅から部屋に通う形で弟子を指導してきたが、2005年8月からは部屋に住み込んで弟子と生活を共にするようになっている(ただしおかみである花田景子は同居していない)。

[編集] 所在地

[編集] 師匠

  • 10代:二子山勝治(ふたごやま かつじ、第45代横綱・初代若乃花、青森)
  • 11代:二子山満(ふたごやま みつる、大関・貴ノ花、青森)
  • 一代年寄:貴乃花光司(たかのはな こうじ、第65横綱・貴乃花、東京)

[編集] 力士

[編集] 横綱・大関

[編集] 横綱

[編集] 大関

[編集] 幕内

[編集] 関脇

[編集] 小結

[編集] 平幕

[編集] 十両

[編集] 現役(2011年9月場所現在)

番付 名前 初土俵 出身 備考
幕下 西27枚目 貴月芳将匡 2009年1月場所 埼玉県
東40枚目 貴斗志将吏 2009年1月場所 埼玉県
東41枚目 貴輝鳳進 2002年3月場所 東京都
三段目 西15枚目 貴勇大治 1998年3月場所 熊本県
西22枚目 貴ノ岩義司 2009年1月場所 モンゴル
西47枚目 貴翔馬忍 1997年3月場所 北海道
西62枚目 嵐望将輔 1988年3月場所 東京都
序二段 西23枚目 貴天秀哉太 2008年3月場所 埼玉県
東67枚目 渡辺大志 2011年5月場所 山梨県
東97枚目 古関卓弥 2001年9月場所 北海道
東104枚目 貴王良成樹 2010年1月場所 群馬県
序ノ口 西9枚目 松木柊斗 2011年5月場所 東京都
西11枚目 隈本大二郎 2011年5月場所 長崎県

[編集] 所属

親方
  • 常盤山太一(ときわやま たかかつ、元小結・隆三杉、神奈川)
  • 音羽山貞博(おとわやま ただひろ、元大関・貴ノ浪、青森)
  • 二子山賢一(ふたごやま けんいち、元前頭9・光法、鹿児島)
床山
  • 床貴(とこたか、二等床山、山口)
  • 床勝(とこかつ、二等床山、東京)

[編集] 旧二子山部屋 

1921年(大正10年)5月場所限りで引退した友綱部屋(前頭筆頭・海山)所属の元前頭筆頭・土州山が年寄・二子山を襲名して、友綱部屋より分家独立して二子山部屋を創設した。中立部屋(大関・伊勢ノ濱)が中立親方の死去で部屋が閉鎖された時には、後の幕内・灘ノ花、銚子灘らを一時預かり(彼らはその後出羽海部屋に移籍)し、幕内・土州山らを育てたが、1947年(昭和22年)限りで二子山部屋を閉じた。弟子の土州山は高知県出身ということで同郷の横綱・玉錦の露払いなどを務め、引退後は年寄・大嶽を襲名したが部屋は興さなかった。

[編集] 外部リンク

[編集] 脚注

  1. ^ 関係分のみを記載している。
  2. ^ a b 当時のものであり、後に改名した力士もいる。
  3. ^ a b 1993年1月場所までの所属
  4. ^ 部屋の合併に伴い藤島部屋から移籍したため。初土俵は1988年3月場所
  5. ^ 部屋の合併に伴い藤島部屋から移籍したため。初土俵は1988年3月場所
  6. ^ 部屋の合併に伴い藤島部屋から移籍したため。初土俵は1987年3月場所
  7. ^ 部屋の合併に伴い藤島部屋から移籍したため。初土俵は1982年3月場所
  8. ^ 部屋の合併に伴い藤島部屋から移籍したため。初土俵は1983年3月場所
  9. ^ 二子山部屋独立に伴い、内弟子として花籠部屋から移籍。初土俵は1961年3月場所
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