三杉里公似

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基礎情報
四股名 岡本 公似→三杉里 公似
本名 岡本 公似
愛称 おかもっちゃん・おかもん
生年月日 1962年7月1日(52歳)
出身 滋賀県信楽町(現・滋賀県甲賀市
身長 185cm
体重 158kg
BMI 46.17
所属部屋 二子山部屋1979年入門時は初代・若乃花が師匠、1993年に二子山部屋と藤島部屋が合併したことにより初代・貴ノ花が師匠となる、現・貴乃花部屋
得意技 右四つ、寄り、上手投げ、突き落とし
成績
現在の番付 引退
最高位 小結
生涯戦歴 700勝709敗2休(118場所)
幕内戦歴 367勝428敗(53場所)
優勝 十両優勝1回
敢闘賞1回
データ
初土俵 1979年1月場所
入幕 1988年5月場所
引退 1998年7月場所
引退後 年寄浜風
他の活動 「健康回復館 三杉里のごっつハンド」を開業
備考
金星6個(北勝海2個、旭富士1個、3個)
2013年8月25日現在

三杉里公似(みすぎさとこうじ、1962年7月1日 - )は滋賀県信楽町(現・滋賀県甲賀市)出身の元大相撲力士。現役時代は二子山部屋1979年入門時は初代・若乃花が師匠、1993年に二子山部屋と藤島部屋が合併したことにより初代・貴ノ花が師匠となる、現・貴乃花部屋)所属。最高位は東小結。本名は岡本 公似(おかもとこうじ)。現役時代の体格は、身長185cm、体重158kg。趣味は映画、音楽鑑賞、ゴルフ格闘技観戦。得意手は右四つ、寄り、上手投げ、突き落とし。愛称は「おかもっちゃん」・「おかもん」。血液型はA型。

来歴[編集]

信楽焼で有名な滋賀県信楽町の出身で、陶芸家もよく出入りする陶芸燃料商の三男として産まれる。そんな環境から陶芸家を目指したこともあり、地元信楽中学から信楽工業高校(現・信楽高校窯業科に進学する。高校入学と同時にレスリング部に入部するとグレコローマンスタイルで1年生でインターハイ国体に出場するほどの強豪になり、オリンピック出場も夢ではないと言われていた。父親の知人である元幕下の柴田が二子山部屋所属の荒磯親方(元小結二子岳)と友人だった関係からスカウトされた。母は最後まで角界入りに反対だったが、高校を1年で中退して二子山部屋に入門した。

1979年1月場所に16歳で初土俵を踏む。当時は番付外制度があり、番付外同士で正規の取組を行った後に、次の同年3月場所において本名の岡本で序ノ口に付いた。入門後すぐに半年間通う相撲教習所では卒業時に北尾(後の横綱双羽黒)と共に優秀賞を受賞した。1980年11月場所に、二子山部屋由来の「三杉」と、故郷である「信楽の里」の「里」から字を取って、四股名を「三杉里」と改名した(当時の兄弟子横綱隆の里若三杉の名から取ったという説もある)。順調に番付を上げていき、1984年7月場所で同学年の源氏山(寺尾から改名、翌場所元に戻す)と共に21歳で新十両へ昇進した。しかし、その7月場所では源氏山は7勝8敗で翌9月場所も十両に留まったのに対し、三杉里は4勝11敗と大きく負け越して幕下へ陥落と明暗を分けた。

1986年7月場所において再び十両へ昇進し、その7月場所では西十両12枚目の位置で11勝4敗の成績を挙げて初の十両優勝を果たした。「駆けつけた信楽の応援団にやっと恩返しができた」とこの時の十両優勝インタビューで語っている。その後も右四つ左上手を取る型を固めていき、1988年5月場所において25歳で新入幕を果たした。

入幕してからも徹底した四つ相撲を見せ、1989年1月場所において新三役となる西小結へ昇進し、その後も長らく幕内上位に定着し続けた。当時の貴花田には分が良く「貴花田キラー」と評され、貴花田が初優勝するまで初顔から5連勝している。また、うっちゃり突き落とし巻き落としなどの土俵際の逆転技「三杉里マジック」で観客を楽しませた。1992年5月場所では東前頭筆頭の位置で小錦霧島の両大関関脇栃乃和歌小結安芸ノ島水戸泉武蔵丸を倒す活躍で10勝5敗の成績を挙げて敢闘賞を獲得し、これが現役時における唯一の三賞受賞となった。同年9月場所には自己最高位となる東小結へ昇進している。地味ながらも持ち技が多く、稽古にも熱心で体型が崩れることがなかった[1]

30歳を越しても幕内上位に定着していたものの、1996年7月場所にに勝利して通算6個目となる金星を挙げた後からは、左肘の故障が悪化して上手を取っても力が出なくなり、加えて右肘も悪くなった影響により、急に成績が落ちて番付が降下した。38場所ぶりの前頭二桁台となる東前頭14枚目の位置まで番付を下げた翌9月場所でも7勝8敗と負け越し、翌11月場所では十両へ陥落した。その11月場所では勝ち越して1場所で再入幕を果たしたものの、1997年3月場所に4勝11敗と大きく負け越して翌5月場所において再び十両へ陥落した。以降は幕内へ復帰することなく十両で相撲を取り続けたが、1998年7月場所において東十両13枚目の位置で9日目に負け越しが決定して幕下への陥落が決定的となった。師匠である二子山親方(元大関・貴ノ花)は幕下では相撲を取らせないという方針を持っていたものの、自身は通算700勝という目標があったのでそれを達成するまで取るということで合意してその時点での引退発表はせず、12日目に通算700勝を達成した後、13日目に引退発表を行った。

1998年7月場所で引退した三杉里は同年の5月に制定された準年寄制度を利用した初の人物となり、準年寄・三杉里として二子山部屋の部屋付き親方となった。1999年1月31日に両国国技館において断髪式を行った。2000年7月には年寄浜風を襲名して間垣部屋へ移籍した。NHK大相撲解説では錣山親方(元関脇・寺尾)との絶妙な掛け合いを見せていた。2006年11月に年寄名跡を間垣部屋の五城楼に譲渡して日本相撲協会を退職した。

日本相撲協会を退職した後は鎌倉にてちゃんこ店を経営していたが、その後、知人が理事長を務める整体の専門学校に44歳で入学して2年間学習し、漢方医学を基にした中国伝統医学を学ぶために中国へも留学した後、2008年10月に東京都中野区に「健康回復館 三杉里のごっつハンド」を開業した。現在は「ごっつハンド・中野部屋」を経営するほか、整体の技術を教える「ごっつハンド整体塾」や「伝統四股普及会」と称しての四股の基本を教える講座も開講している。また、錣山部屋の師範代も務めている。

人物[編集]

  • 高校時代は国体に出場するなどレスリングで活躍していたこともあり、プロレスボクシング観戦が趣味である。
  • 真面目で実直な人柄が買われ、1998年に滋賀県国民健康保険団体連合会のイメージキャラクターとして保険税完納推進キャンペーンのポスターに起用された。そこでのキャッチコピーは「保険税まったなし」である。
  • 1990年に結婚した夫人との間に1男1女。長男は2010年における関東高校アメリカンフットボール連盟主催 スティックボールオールスター戦)に正選手として選抜されている。
  • 2012年9月27日に放送されたTBS有田とマツコと男と女SP』に「元有名人50人」の中の1人として出演し、「若貴時代に小結まで上り詰めた元力士」「貴花田が初優勝した時の千秋楽の相手」として紹介された。その貴花田との対戦の1年後には二子山部屋と藤島部屋の合併が決定していたため、現在でもこの一番を「変な相撲(八百長のこと)だったんじゃないか?」と言われることがあるという。三杉里自身は明確に否定している。

主な戦績[編集]

  • 通算成績:700勝709敗2休 勝率.496
  • 幕内成績:367勝428敗 勝率.462
  • 現役在位:118場所
  • 幕内在位:53場所
  • 三役在位:3場所(小結3場所)
  • 三賞:1回
    • 敢闘賞:1回(1992年5月場所)
  • 金星:6個(北勝海2個、旭富士1個、3個)
  • 各段優勝:十両優勝1回(1986年7月場所)

場所別成績[編集]

三杉里 公似
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1979年
(昭和54年)
(前相撲) 西 序ノ口 #15
5–2
 
東 序二段 #67
2–5
 
西 序二段 #91
4–3
 
東 序二段 #71
4–3
 
東 序二段 #54
1–6
 
1980年
(昭和55年)
西 序二段 #85
5–2
 
西 序二段 #43
5–2
 
西 序二段 #7
3–4
 
東 序二段 #21
6–1
 
東 三段目 #58
3–4
 
西 三段目 #75
4–3
 
1981年
(昭和56年)
西 三段目 #58
3–2–2
 
東 三段目 #75
6–1
 
西 三段目 #25
2–5
 
西 三段目 #45
5–2
 
西 三段目 #16
2–5
 
西 三段目 #37
3–4
 
1982年
(昭和57年)
東 三段目 #46
5–2
 
西 三段目 #9
3–4
 
西 三段目 #26
5–2
 
東 幕下 #59
4–3
 
東 幕下 #47
4–3
 
西 幕下 #37
3–4
 
1983年
(昭和58年)
東 幕下 #47
3–4
 
西 三段目 #5
5–2
 
西 幕下 #38
3–4
 
東 幕下 #48
4–3
 
西 幕下 #42
5–2
 
東 幕下 #28
5–2
 
1984年
(昭和59年)
西 幕下 #13
4–3
 
東 幕下 #11
6–1
 
西 幕下 #3
5–2
 
西 十両 #11
4–11
 
東 幕下 #8
4–3
 
西 幕下 #4
3–4
 
1985年
(昭和60年)
西 幕下 #10
3–4
 
東 幕下 #19
6–1
 
東 幕下 #4
2–5
 
西 幕下 #16
5–2
 
東 幕下 #6
4–3
 
西 幕下 #3
2–5
 
1986年
(昭和61年)
西 幕下 #16
5–2
 
東 幕下 #9
6–1
 
東 幕下 #1
4–3
 
西 十両 #12
優勝
11–4
西 十両 #4
8–7
 
東 十両 #3
8–7
 
1987年
(昭和62年)
西 十両 #2
6–9
 
東 十両 #8
7–8
 
東 十両 #9
8–7
 
西 十両 #8
8–7
 
西 十両 #7
7–8
 
西 十両 #8
10–5
 
1988年
(昭和63年)
東 十両 #3
9–6
 
東 十両 #2
10–5
 
西 前頭 #13
9–6
 
西 前頭 #7
6–9
 
西 前頭 #12
9–6
 
東 前頭 #7
9–6
 
1989年
(平成元年)
西 小結
3–12
 
東 前頭 #6
8–7
 
西 前頭 #2
6–9
東 前頭 #5
8–7
 
東 前頭 #3
6–9
西 前頭 #5
6–9
 
1990年
(平成2年)
東 前頭 #10
8–7
 
東 前頭 #8
6–9
 
西 前頭 #10
8–7
 
西 前頭 #7
9–6
 
西 前頭 #1
4–11
 
西 前頭 #9
10–5
 
1991年
(平成3年)
東 前頭 #1
6–9
 
東 前頭 #5
8–7
 
西 前頭 #2
6–9
 
西 前頭 #5
8–7
 
西 前頭 #2
8–7
西 前頭 #2
6–9
 
1992年
(平成4年)
西 前頭 #5
8–7
 
東 前頭 #3
8–7
 
東 前頭 #1
10–5
西 小結
8–7
 
東 小結
5–10
 
東 前頭 #3
8–7
 
1993年
(平成5年)
西 前頭 #2
7–8
 
西 前頭 #3
9–6
東 前頭 #1
7–8
 
東 前頭 #2
5–10
 
東 前頭 #6
8–7
 
東 前頭 #2
6–9
 
1994年
(平成6年)
東 前頭 #4
8–7
 
東 前頭 #1
6–9
 
東 前頭 #4
6–9
 
西 前頭 #6
8–7
 
東 前頭 #1
6–9
 
西 前頭 #3
5–10
1995年
(平成7年)
東 前頭 #8
8–7
 
西 前頭 #1
5–10
 
東 前頭 #6
8–7
 
西 前頭 #1
5–10
 
西 前頭 #4
6–9
 
東 前頭 #6
9–6
 
1996年
(平成8年)
東 前頭 #3
6–9
 
東 前頭 #4
8–7
 
東 前頭 #1
4–11
東 前頭 #6
4–11
 
東 前頭 #14
7–8
 
東 十両 #1
10–5
 
1997年
(平成9年)
西 前頭 #15
8–7
 
西 前頭 #14
4–11
 
西 十両 #4
9–6
 
西 十両 #2
9–6
 
東 十両 #1
7–8
 
東 十両 #3
9–6
 
1998年
(平成10年)
西 十両 #1
7–8
 
東 十両 #2
6–9
 
東 十両 #5
4–11
 
東 十両 #13
引退
3–10–0
x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

  • 岡本 公似(おかもと こうじ)1979年3月場所-1980年9月場所
  • 三杉里 公似(みすぎさと-) 1980年11月場所-1998年7月場所

年寄変遷[編集]

  • 三杉里 公似(みすぎさと-)1998年7月-2000年7月〔準年寄〕
  • 浜風 公似(はまかぜ-)2000年7月-2006年11月

著作[編集]

DVD[編集]

  • 『腰力を強化し、股関節を柔軟にする 四股踏みトレーニング』(BABジャパン、2013年)※指導・監修・出演

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 1990年代中盤には身長・体重が全幕内力士の平均値と同じであった。

外部リンク[編集]