信楽焼

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信楽壺 ロサンジェルス・カウンティ美術館蔵
信楽焼の店舗(信楽町)

信楽焼(しがらきやき)は、滋賀県甲賀市信楽を中心に作られる陶器で、日本六古窯のひとつに数えられる。一般にはの置物が著名であるが、後述のように多様な発展を遂げている。

信楽は、付近の丘陵から良質の陶土がでる土地柄である。長い歴史と文化に支えられ、伝統的な技術によって今日に伝えられて、日本六古窯のひとつに数えられている。信楽特有の土味を発揮して、登窯、窖窯の焼成によって得られる温かみのある火色(緋色)の発色と自然釉によるビードロ釉と焦げの味わいに特色づけられ、土と炎が織りなす芸術として“わびさび”の趣を今に伝えている。信楽の土は、耐火性に富み、可塑性とともに腰が強いといわれ、「大物づくり」に適し、かつ「小物づくり」においても細工しやすい粘性であり、多種多様のバラエティーに富んだ信楽焼が開発されている。

歴史[編集]

信楽は、奈良山城などの畿内東海地方とを結ぶ交通路でもあり、茶湯の中核として発展した、奈良に近いことから、後に茶陶信楽焼が発展した大きな要因と考えられている。また、焼き物に良好な陶土が豊富にあり、陶工たちにとっても理想郷だったといえよう。

中世末期頃より窖窯(あながま)によって擂鉢などの焼き物づくりが始められ、日本独自の陶磁器産地としての歴史が展開してきた。

素朴さのなかに、日本人の風情を表現したものとして、室町桃山時代以降、茶道の隆盛とともに「茶陶信楽」として茶人をはじめとする文化人に親しまれ、珍重されてきたのもその所以ともいえる。

江戸時代に築造された登り窯
(信楽町長野)

江戸時代には、商業の発達にともない、茶壺をはじめ、土鍋徳利水甕などの日常雑器が大量に生産され、幕末には陶器製灯明具の一大産地であった。明治時代には、新しく開発された「なまこ釉」を使った火鉢生産がはじまった。その他、神仏器や酒器などの小物陶器や壺、などの大物陶器も生産され、質量ともに大きな発展を遂げた。

昭和の時代に入り、第二次世界大戦末期には金属不足から陶器製品の需要の高まりとともに、火鉢の全国シェアの80%を占めた[1]が、1950年代後半から1970年代にかけて、高度経済成長による生活水準の向上により、電気や石油暖房器具の開発・普及が進み、生活様式の変貌にともない火鉢の需要は減退に見舞われる。しかし、「なまこ釉」を取り入れた、高級盆栽鉢や観葉鉢を生み出すなど品種転換、生産主力の変更に成功する。

現在では、日用陶器のほか建築用タイル、陶板タヌキフクロウなどの置物、傘立て、庭園陶器、衛生陶器など、大物から小物に至るまで信楽焼独特の「わび」「さび」を残しながら、需要に対応した技術開発が行われ、生活に根ざした陶器が造られ、今日に至っている。

1976年(昭和51年)に国から伝統的工芸品の指定を受けている。

特徴[編集]

信楽焼の特徴は、土中の鉄分が赤く発色する火色や、窯のなかで炎の勢いにより器物に灰のふりかかる、灰かぶりの現象による自然降灰釉(ビードロ釉)の付着、また、に埋まり黒褐色になる「焦げ」も含めた、炎が生み出す独特の焼き上がりにあるといわれている。

古信楽にはしばしば見られる特徴的な窯変の現象もある。器面の素地が荒く、細かな石粒(石英粒や長石粒、珪砂)などが多く含まれていることも特徴の一つといえよう。

信楽焼の焼かれた甲賀地域(滋賀県最南部)は、伊賀地域(三重県)と隣接し、そのため信楽焼と伊賀焼は雰囲気がよく似ているといわれるが、これは同じ古琵琶湖層の粘土層を利用しているためで、「古信楽」と呼ばれる信楽特有の土味を発揮して、素朴であたたかい情感は、この古琵琶湖層の粘土にあるといえよう。

灰釉の他にも、植木鉢や火鉢に見られる「なまこ釉」など、絵付の商品が少ないためか釉薬の種類が多いことや、大物づくりの成型、乾燥、焼成技術なども信楽焼の代表的な特徴である。

また、作家によって、焼き〆や粉引など実にバラエティーに富んだ焼き物を楽しめる事も信楽焼の特徴に挙げられる。

従って、現代の信楽焼は様々な技法が用いられる個性あふれる器であると言えるだろう。

技法[編集]

  • 陶土は、水簸(すいひ)せず、製造すること。
  • 成形は、轆轤(ろくろ)成形、押型成形または手ひねり成形による。
  • 素地の模様づけをする場合には、「松皮」、「虫喰(く)い手」、「布目」、「印花」、「線彫り」、「櫛描」、「トチリ」、「掻き落とし」、または「化粧掛け」によるものである。
  • 絵付は、手描きによる下絵付。この場合、顔料は鬼板または呉須を使用。
  • 釉(くすり)掛けをする場合は、「重ね掛け」、「流し掛け」、「ろう抜き」、「イッチン」、「片身掛け」、「吹き掛け」、「はけ掛け」、または「はけ目」による。
  • 素地の模様付け、絵付および釉掛けをしない場合は、登窯または穴窯による自然釉または火色を現出させる。

狸の置物[編集]

信楽焼の店の前に所狭しと置かれた狸の置物

信楽焼の狸の置物の歴史は比較的浅く、明治時代に陶芸家藤原銕造が作ったものが最初と言われている。1951年(昭和26年)、昭和天皇が信楽町行幸の際、たくさんの信楽狸に日の丸の小旗を持たせ沿道に設置したところ、狸たちが延々と続く情景に感興を覚え、歌を詠んだ逸話が新聞で報道され、全国に知られるようになった。信楽町長野・新宮神社に歌碑が建っている[2]

縁起物として喜ばれ、狸が「他を抜く」に通じることから商売繁盛と洒落て店の軒先に置かれることが多い。信楽焼八相縁起[3]に因んで福々とした狸が編み笠を被り少し首をかしげながら右手に徳利左手に通帳を持って突っ立っている、いわゆる「酒買い小僧」型が定番となっている。

今では狸の置物は、信楽焼の代名詞のような存在となり、信楽へのアクセス路線である信楽高原鐵道の車体には、タヌキのキャラクターが描かれている。

サントリーが発売するウイスキー、オールドは黒い瓶と白いラベルとのコントラストが、信楽焼の狸を連想させるとし、愛飲者から「タヌキ」の愛称をつけられている。

信楽たぬきの日[編集]

信楽町の観光協会が定めた記念日。もともとは2008年に八相縁起から8月8日を、日頃立ちっ放しで頑張っている狸の置物にお休みして貰って(「信楽は狸の置物だけじゃない」とアピールする意味もあり)感謝する日「たぬき休むでぇ~(DAY)」を定めたが、2012年に更なる発展を目指し、開催月を「いい月」の語呂から「11月」、名前も現在のものにリニューアルした[4]

文化財、関連施設[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • 陶芸の森ホームページ「信楽産業展示館情報」の信楽焼の項目を参照
    財団法人滋賀県陶芸の森は滋賀県及び甲賀市が出資する団体で、滋賀県立陶芸の森の管理・運営を担っており、広く陶芸に関する国内外の交流及び情報発信を行い、また、滋賀県甲賀市の伝統産業である「信楽焼」にかかわる産業振興にも力を入れている。