竹葉山真邦

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基礎情報
四股名 竹葉山 真邦
本名 田崎 誠
生年月日 1957年8月21日(55歳)
出身

福岡県浮羽郡浮羽町

(現・うきは市、出生地は北九州市の旧八幡市
身長 176cm
体重 119kg
BMI 38.42
所属部屋 宮城野部屋
得意技 突き、押し
成績
現在の番付 引退
最高位 前頭13枚目(1986年9月場所)
生涯戦歴 442勝402敗21休(95場所)
幕内戦歴 11勝19敗(2場所)
優勝 十両優勝1回
データ
初土俵 1973年3月場所
入幕 1986年9月場所
引退 1989年1月場所
引退後 年寄・中川宮城野熊ヶ谷→宮城野
備考
宮城野部屋師匠
2013年4月1日現在

竹葉山 真邦(ちくばやま まさくに、1957年8月21日 - )は、福岡県浮羽郡浮羽町(現:うきは市、出生地は北九州市の旧八幡市)出身で宮城野部屋に所属した元大相撲力士。本名は田崎 誠(たざき まこと)。現役時代の体格は176cm、119kg。得意手は突き、押し。最高位は東前頭13枚目(1986年9月場所)。

現在は年寄宮城野として、宮城野部屋で後進の指導に当たっている。

目次

人物 [編集]

幼い頃から相撲を始め、浮羽町立黒崎中学校では相撲部がなかったため野球部に所属した。中学2年時に父親の知人から勧誘され、中学卒業と同時に宮城野部屋に入門。1973年3月場所で初土俵を踏んだ。初土俵の同期には、後の関脇高望山(現・高島)らがいる。

小兵ではあったが、立ち合い強く当たって押し出す相撲を得意とし、着実に番付を上げていった。1978年11月場所では、21歳の若さで新十両に昇進した。

しかし、四つになると力が発揮できないという弱点から、新十両の場所では6勝9敗と負け越して1場所で幕下に陥落。その後は1983年1月場所で再十両を果たすまで、4年以上幕下に低迷した。1984年1月場所で3度目の十両昇進を果たすと今度は勝ち越し、以降は十両に定着。そして、1986年5月場所では十両優勝を遂げ、同年9月場所では初土俵から所要81場所(歴代10位タイ、新十両からの所要47場所は歴代最長)というスロー出世で新入幕を果たした。しかし、その場所では6勝9敗と負け越した。西十両4枚目に陥落した翌11月場所では10勝5敗の優勝同点(優勝は栃乃和歌、現・春日野)とし、1場所で再入幕したが、迎えた1987年1月場所でも5勝10敗という結果で、結局幕内在位は2場所だけに終わった。1988年5月場所で幕下に落ちてからは関取の地位にも復帰できなかった。

1989年1月場所11日目の陸奥乃海(のち十両・陸奥北海、現・世話人)との取組を最後に12日目に引退を発表、年寄・中川を襲名し、以後は宮城野部屋付きの親方として後進の指導にあたった。しかし、同年6月に師匠である9代宮城野(元小結・廣川)が急逝したため[1]、急遽10代宮城野として宮城野部屋を継承することとなった。以降、師匠として横綱白鵬、前頭・光法(現・立田川)や十両・若隼人らを育てた。

2004年7月、北の湖部屋の十両・金親が9代宮城野親方の娘と結婚して娘婿となり、11代宮城野を襲名して宮城野部屋を継承することとなった。これにより、元・竹葉山の年寄名跡は暫定的な取得であったことが判明し[2]、10代宮城野は同年9月場所前までに年寄・熊ヶ谷を工面して15代熊ヶ谷を襲名し部屋付きの親方に戻った。弟子の光法が引退した際には、部屋付きの親方でありながら断髪式で止め鋏を入れている。

部屋付き親方に戻った後も白鵬の指導を続けている。尚、2007年5月場所後に白鵬が横綱昇進した際の横綱審議委員会において内館牧子委員が、北の湖理事長に「白鵬の師匠は何方ですか?」を質問した際には、理事長は「今まで熊ヶ谷がやってきたのだから、今後も熊ヶ谷が指導すべき」と、熊ヶ谷親方が白鵬の事実上の師匠であることを明らかにした。しかし、白鵬の大関・横綱昇進伝達式の両方に同席することは許されず、陰で見守るしかなかった。[3]

横綱・大関の師匠で理事長・勝負審判でない者はNHK大相撲中継で解説を務める例が多いが、宮城野部屋では11代宮城野に幕内経験がないこともあって、15代熊ヶ谷が向正面解説を務めていた(その際には「白鵬の育ての親の熊ヶ谷親方」と紹介されていた)。

2007年5月に「11代宮城野が知人の女性に対して『(白鵬が初の綱獲りに挑戦した)2006年7月場所で横綱・朝青龍ら4人に計900万円を支払って白鵬に勝たせるよう依頼した』と語った」という内容の記事を講談社週刊現代』が掲載した問題で、名誉棄損として日本相撲協会が『週刊現代』を訴えた裁判自体は日本相撲協会側が勝訴したものの、日本相撲協会は11代宮城野の言動が「協会の品位を傷つけた」として、2010年12月24日の理事会において11代宮城野に対して15代熊ヶ谷と年寄名跡を交換することによって部屋の師匠の座を交代することを勧告した。その後、12月27日に11代宮城野が勧告を受け入れたことにより、15代熊ヶ谷は11代宮城野と年寄名跡を交換する形で12代宮城野として再び宮城野部屋の師匠に就任し[4]、11代宮城野は16代熊ヶ谷を襲名し宮城野部屋付きの親方となった。師匠復帰後は現在までに十両・大喜鵬らを育てている。

2012年2月1日に行われた日本相撲協会役員改選に伴う新たなる人事で、審判部副部長に昇格した朝日山に代わり、新たに審判委員として選任され、2013年2月4日に行われた職務分掌で審判部を離れるまで1年間勝負審判を務めた。幕内在位が10場所未満の年寄が勝負審判を務めるのは異例の人事であった[5]

なお、10代宮城野襲名時は9代目の年寄名をそのまま継承していたが、12代宮城野再襲名以降は、下の名を15代熊ヶ谷時代と同じものとして宮城野 誠志(-せいじ)と名乗っている。

主な成績 [編集]

  • 通算成績:442勝402敗20休 勝率.524
  • 幕内成績:11勝19敗 勝率.367
  • 現役在位:96場所
  • 幕内在位:2場所
  • 各段優勝:十両優勝1回(1986年5月場所)
竹葉山 真邦
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1973年
(昭和48年)
x (前相撲) 西 序ノ口 #6
5–2
 
西 序二段 #54
5–2
 
西 序二段 #9
3–4
 
西 序二段 #25
3–4
 
1974年
(昭和49年)
東 序二段 #36
6–1
 
東 三段目 #76
5–2
 
東 三段目 #19
3–4
 
西 三段目 #58
3–4
 
東 三段目 #69
5–2
 
西 三段目 #36
3–4
 
1975年
(昭和50年)
東 三段目 #46
3–4
 
東 三段目 #55
1–6
 
東 序二段 #5
4–3
 
東 三段目 #68
3–4
 
西 序二段 #1
4–3
 
西 三段目 #62
3–4
 
1976年
(昭和51年)
西 序二段 #1
4–3
 
西 三段目 #64
4–3
 
西 三段目 #47
6–1
 
西 三段目 #7
2–5
 
東 三段目 #31
4–3
 
西 三段目 #18
6–1
 
1977年
(昭和52年)
西 幕下 #41
2–5
 
西 三段目 #3
4–3
 
東 幕下 #52
4–3
 
東 幕下 #40
3–4
 
東 幕下 #47
5–2
 
西 幕下 #30
4–3
 
1978年
(昭和53年)
西 幕下 #25
3–4
 
東 幕下 #32
4–3
 
西 幕下 #24
5–2
 
西 幕下 #12
6–1
 
西 幕下 #2
4–3
 
東 十両 #13
6–9
 
1979年
(昭和54年)
東 幕下 #4
3–4
 
東 幕下 #10
4–3
 
東 幕下 #6
3–4
 
東 幕下 #12
1–6
 
東 幕下 #38
5–2
 
東 幕下 #23
5–2
 
1980年
(昭和55年)
東 幕下 #12
4–3
 
西 幕下 #9
2–5
 
西 幕下 #24
4–3
 
西 幕下 #16
3–4
 
西 幕下 #25
3–4
 
西 幕下 #37
6–1
 
1981年
(昭和56年)
西 幕下 #14
4–3
 
西 幕下 #10
3–4
 
西 幕下 #17
4–3
 
西 幕下 #9
4–3
 
西 幕下 #7
3–4
 
西 幕下 #11
5–2
 
1982年
(昭和57年)
西 幕下 #4
2–5
 
西 幕下 #17
3–4
 
東 幕下 #28
6–1
 
西 幕下 #8
4–3
 
東 幕下 #6
4–3
 
東 幕下 #4
4–3
 
1983年
(昭和58年)
西 十両 #13
7–8
 
西 幕下 #3
1–6
 
西 幕下 #26
2–5
 
西 幕下 #41
5–2
 
西 幕下 #23
5–2
 
西 幕下 #10
5–2
 
1984年
(昭和59年)
西 幕下 #2
4–3
 
東 十両 #13
8–7
 
西 十両 #9
9–6
 
東 十両 #4
8–7
 
東 十両 #2
7–8
 
東 十両 #4
5–10
 
1985年
(昭和60年)
東 十両 #9
4–5–6
 
東 幕下 #2
休場
0–0–7
東 幕下 #2
5–2
 
西 十両 #10
8–7
 
西 十両 #9
8–7
 
東 十両 #8
9–6
 
1986年
(昭和61年)
東 十両 #3
4–4–7
 
東 十両 #12
9–6
 
西 十両 #8
優勝
11–4
東 十両 #1
8–7
 
東 前頭 #13
6–9
 
西 十両 #4
10–5
 
1987年
(昭和62年)
東 前頭 #14
5–10
 
西 十両 #4
8–7
 
東 十両 #4
8–7
 
東 十両 #2
7–8
 
西 十両 #4
7–8
 
西 十両 #5
6–9
 
1988年
(昭和63年)
西 十両 #10
7–8
 
東 十両 #12
6–9
 
西 幕下 #2
4–3
 
東 幕下 #1
3–4
 
東 幕下 #6
2–5
 
東 幕下 #22
5–2
 
1989年
(平成元年)
東 幕下 #10
引退
2–4–1
x x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴 [編集]

  • 田崎 誠(たざき まこと)1973年5月場所-1974年1月場所
  • 筑葉山 誠(ちくばやま -)1974年3月場所-1979年9月場所
  • 竹葉山 誠(ちくばやま -)1979年11月場所-1981年1月場所
  • 竹葉山 真邦(- まさくに)1981年3月場所-1989年1月場所

年寄変遷 [編集]

  • 中川 清勝(なかがわ きよまさ)1989年1月20日-1989年6月20日
  • 宮城野 泰孝(みやぎの やすたか)1989年6月20日-2004年8月26日
  • 熊ヶ谷 誠志(くまがたに せいじ)2004年8月26日-2010年12月27日
  • 宮城野 誠志(みやぎの せいじ)2010年12月27日-

著書 [編集]

関連項目 [編集]

脚注 [編集]

  1. ^ 死去直前に竹葉山の断髪式が行われたが、病気療養中として欠席していた。止め鋏は一門の総帥である立浪(元関脇・安念山)が入れた。
  2. ^ 10代宮城野襲名時は借株だったという説もあるが、借株では部屋の師匠となることは不可能なので、借株であったとは考え難い。「宮城野」の名跡を暫定的に取得していたと考えられる。
  3. ^ 佐渡ヶ嶽部屋琴欧洲琴光喜が大関へ昇進した際には、現・佐渡ヶ嶽親方(元関脇・琴ノ若)と共に先代の佐渡ヶ嶽親方(元横綱・琴櫻)も伝達式に同席したケースが存在し、決してあり得ないことではなかった。
  4. ^ “宮城野親方が勧告受け入れ 師匠を交代”. 日刊スポーツ. (2010年12月27日). http://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/f-sp-tp3-20101227-718205.html 2010年12月27日閲覧。 
  5. ^ 過去には幕内在位1場所の6代・高田川(元前頭21・朝若)と、14代・振分(元前頭12・朝嵐)が勝負審判を務めたことがある。