金親和行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
金親和憲 Sumo pictogram.svg
Replace this image JA.svg
基礎情報
四股名 金親 和憲
本名 山村 和行(旧姓:金親)
生年月日 1969年11月12日(42歳)
出身 神奈川県横浜市鶴見区
身長 181cm
体重 162kg
所属部屋 三保ヶ関部屋北の湖部屋
得意技 右四つ、寄り、下手投げ
成績
現在の番付 引退
最高位 十両2枚目
生涯戦歴 494勝481敗11休(114場所)
幕内戦歴 なし
優勝 なし
なし
データ
初土俵 1985年9月場所
入幕 なし
引退 2004年9月場所
引退後 宮城野部屋師匠
備考
2009年8月28日現在

金親 和行(かねちか かずゆき、1969年11月12日 - )は、神奈川県横浜市鶴見区出身で北の湖部屋(入門当時は三保ヶ関部屋)所属の元大相撲力士。本名は山村和行(やまむら かずゆき)、旧姓は金親。趣味は映画鑑賞。最高位は東十両2枚目(1995年7月場所)。現在は年寄熊ヶ谷血液型はAB型。

目次

[編集] 来歴

中学時代はバスケットボール部に所属していた。身体が大きかったため多くの相撲部屋からの勧誘があったが一度は入門を断り、横浜商大高校に進学した。しかし1ヵ月ほどで高校を中退し、引退したばかりの北の湖親方(元横綱北の湖)の内弟子として三保ヶ関部屋に入門して、1985年9月場所に初土俵を踏んだ。

幕下上位で伸び悩んだ時期もあったが、1992年3月場所に月山(がっさん)の四股名で新十両に昇進した。しかし4勝11敗と負け越し1場所で幕下に陥落した。1年ほど幕下で低迷したが、1993年11月場所に本名金親の四股名で再十両に復帰し十両に定着した。取り口は四つ相撲で柔軟な体を活かした土俵際の粘りを時折見せ、1995年7月場所には自己最高位の東十両2枚目まで番付を上げた。幕内力士との対戦があったが、5勝10敗と負け越し幕内に昇進することは出来なかった。1998年3月場所を最後に幕下に陥落、十両復帰を目標に幕下上位で長く取り続けていたが、2004年5月場所には三段目まで陥落した。同年7月場所は西三段目34枚目の地位で迎え、3勝4敗と負け越し、これを最後に現役を引退した。

当初は、名古屋のラーメン店で修行する予定だったが、2004年7月に9代宮城野親方(元小結廣川)の次女と結婚して娘婿になることが決まり、年寄・宮城野を襲名して宮城野部屋を継承することになった。襲名の条件として「十両と幕内通算30場所以上」という規約があるが、例外規定として部屋後継者と認定された場合には「十両と幕内通算20場所以上」でよいため、十両通算24場所の金親に初めてこの例外規定が適用された。しかし10代宮城野親方(元前頭13・竹葉山)がすぐに名跡を工面することができず、年寄・熊ヶ谷を取得するまで引退届けを提出せずにいたため、2004年9月場所の番付まで四股名が記載された。11代宮城野親方として後進の指導にあたっていたが、2010年12月、下記の処分により先代宮城野と名跡交換した。現在は熊ヶ谷親方となり宮城野部屋付の親方として引き続き、後進の指導に当たっている。

[編集] 八百長発言疑惑

2007年5月場所中、大相撲の八百長疑惑を報じている雑誌週刊現代講談社)が、「弟子の大関白鵬を横綱に昇進させるために八百長を画策した」という内容の記事を掲載した。記事では「宮城野親方は2007年5月場所の直前に、2006年7月場所(白鵬が初の綱取りに挑戦した場所)で横綱・朝青龍(当時、現実業家タレント)ら4人に計900万円を支払って、白鵬に勝たせるよう依頼したことを知人の女性に話した」とされている。その会話の内容は、約9時間に渡ってテープに収められているという。白鵬はこの2006年7月場所で千秋楽に横綱朝青龍を破るなど13勝を挙げたものの、横綱昇進は見送られた。この報道に対して宮城野親方は「お答えすることはありません」と話した。なお、週刊現代の一連の八百長報道については、日本相撲協会が提訴した分については週刊現代敗訴の判決が確定している(後述)。

その2007年5月場所後、白鵬は第69代横綱への昇進を決める。それから同年5月28日に開かれた横綱審議委員会の席では、内舘牧子委員(脚本家)から「新聞などでは熊ヶ谷(当時)親方がこう語っているとか、たくさん書いてあります。横綱白鵬にとっては一体誰が師匠なんですか?」という質問が北の湖理事長(当時)に寄せられた。これに対し北の湖理事長は「それは熊ヶ谷です。今まで熊ヶ谷がやってきたし、これからもやるべき」と即答し、「宮城野親方(当時)は事実上白鵬の師匠でない」という見解を示した。但し、白鵬の大関昇進時(2006年3月場所後)及び横綱昇進時(2007年5月場所後)の昇進伝達式に、それぞれ同席したのは当時の宮城野親方夫妻であり、熊ヶ谷親方の出席は認められなかった。その後の報道でも全て宮城野が師匠、熊ヶ谷は育ての親と扱われていた。[1]

後に弟子となった光法(現・二子山親方)、龍皇、若竹葉らとは現役時代に対戦経験があり、このうち若竹葉とは現役最終場所で対戦している。また幕下時代の朝青龍にも勝ったことがある(1999年11月場所)。

先述の「八百長発言」を巡り、最高裁判所で日本相撲協会の勝訴が確定した直後、相撲協会はこの問題に関する扱いを協議することを決定[2][3][4]

さらに相撲協会は2010年12月24日の理事会で弁明の場を設けた上で、「竹葉山と年寄名跡を交換」し部屋の師匠の座から追放する勧告を行うとともに、個人としての処分として「主任」から「平年寄」に降格(定年まで昇格停止)させた[5]。処分を決めた放駒理事長(元大関魁傑)は、記者会見で指導者としての再出発を促すコメントを述べた。

[編集] 主な成績

  • 通算成績:494勝481敗11休(114場所)
  • 十両成績:167勝193敗(24場所)

[編集] 場所別成績

金親和行
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1985年
(昭和60年)
x x x x (前相撲) 東 序ノ口 #45
4–3
 
1986年
(昭和61年)
西 序ノ口 #11
5–2
 
東 序二段 #103
5–2
 
西 序二段 #71
3–4
 
東 序二段 #92
3–4
 
東 序二段 #106
4–3
 
西 序二段 #79
4–3
 
1987年
(昭和62年)
東 序二段 #54
6–1
 
西 三段目 #92
4–3
 
東 三段目 #78
4–3
 
東 三段目 #61
4–3
 
東 三段目 #46
4–3
 
西 三段目 #28
3–4
 
1988年
(昭和63年)
西 三段目 #41
2–5
 
西 三段目 #70
4–3
 
東 三段目 #51
6–1
 
東 三段目 #4
6–1
 
東 幕下 #35
4–3
 
東 幕下 #25
2–5
 
1989年
(平成元年)
東 幕下 #46
4–3
 
西 幕下 #37
5–2
 
西 幕下 #22
2–5
 
東 幕下 #40
4–3
 
西 幕下 #27
1–2–4
 
東 幕下 #57
休場
0–0–7
1990年
(平成2年)
東 幕下 #57
2–5
 
東 三段目 #24
6–1
 
東 幕下 #47
3–4
 
西 三段目 #3
6–1
 
東 幕下 #33
2–5
 
西 幕下 #48
5–2
 
1991年
(平成3年)
西 幕下 #28
2–5
 
西 幕下 #44
4–3
 
西 幕下 #36
4–3
 
西 幕下 #24
5–2
 
西 幕下 #13
6–1
 
東 幕下 #4
4–3
 
1992年
(平成4年)
東 幕下 #2
5–2
 
西 十両 #10
4–11
 
東 幕下 #5
4–3
 
東 幕下 #1
3–4
 
西 幕下 #4
2–5
 
東 幕下 #18
4–3
 
1993年
(平成5年)
東 幕下 #13
5–2
 
西 幕下 #5
3–4
 
東 幕下 #11
4–3
 
東 幕下 #7
5–2
 
西 幕下 #1
4–3
 
西 十両 #13
8–7
 
1994年
(平成6年)
東 十両 #9
7–8
 
東 十両 #10
8–7
 
東 十両 #8
8–7
 
東 十両 #5
6–9
 
東 十両 #8
8–7
 
東 十両 #5
8–7
 
1995年
(平成7年)
西 十両 #2
6–9
 
西 十両 #6
9–6
 
西 十両 #2
8–7
 
東 十両 #2
5–10
 
東 十両 #6
8–7
 
東 十両 #5
6–9
 
1996年
(平成8年)
東 十両 #8
9–6
 
西 十両 #6
6–9
 
東 十両 #10
9–6
 
東 十両 #4
6–9
 
西 十両 #7
7–8
 
東 十両 #10
5–10
 
1997年
(平成9年)
東 幕下 #2
3–4
 
東 幕下 #7
4–3
 
西 幕下 #4
5–2
 
東 幕下 #1
4–3
 
東 十両 #13
8–7
 
西 十両 #8
7–8
 
1998年
(平成10年)
西 十両 #10
7–8
 
西 十両 #11
4–11
 
東 幕下 #4
2–5
 
東 幕下 #14
1–6
 
東 幕下 #37
5–2
 
東 幕下 #23
4–3
 
1999年
(平成11年)
西 幕下 #15
3–4
 
東 幕下 #22
3–4
 
西 幕下 #30
4–3
 
東 幕下 #23
4–3
 
東 幕下 #16
4–3
 
西 幕下 #12
5–2
 
2000年
(平成12年)
東 幕下 #5
3–4
 
西 幕下 #9
2–5
 
東 幕下 #22
2–5
 
西 幕下 #38
3–4
 
西 幕下 #51
5–2
 
西 幕下 #30
5–2
 
2001年
(平成13年)
西 幕下 #18
2–5
 
西 幕下 #33
5–2
 
東 幕下 #22
3–4
 
西 幕下 #33
4–3
 
西 幕下 #26
2–5
 
西 幕下 #41
6–1
 
2002年
(平成14年)
西 幕下 #17
3–4
 
西 幕下 #26
2–5
 
西 幕下 #43
4–3
 
西 幕下 #35
3–4
 
西 幕下 #48
3–4
 
西 幕下 #57
4–3
 
2003年
(平成15年)
西 幕下 #48
1–6
 
東 三段目 #19
4–3
 
東 三段目 #8
4–3
 
東 幕下 #58
3–4
 
西 三段目 #10
3–4
 
西 三段目 #25
4–3
 
2004年
(平成16年)
西 三段目 #11
2–5
 
東 三段目 #36
3–4
 
東 三段目 #51
4–3
 
西 三段目 #34
3–4
 
東 三段目 #52
引退
0–0–0
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

[編集] 改名歴

  • 金親 和行(かねちか かずゆき)1985年9月場所-1992年1月場所
  • 月山 一行(がっさん かずゆき)1992年3月場所-1992年9月場所
  • 金親 和憲(かねちか かずのり)1992年11月場所-1999年11月場所
  • 金親 剛健(- ごうけん)2000年1月場所-2004年5月場所
  • 金親 和行(- かずゆき)2004年7月場所-2004年9月場所

[編集] 年寄変遷

  • 宮城野 友淳(みやぎの ともあつ)2004年8月-2008年8月
  • 宮城野 正浩(みやぎの ただひろ)2008年9月-2010年12月
  • 熊ヶ谷 正浩(くまがたに ただひろ)2010年12月-2011年1月
  • 熊ヶ谷 典諭(くまがたに のりさと)2011年1月-

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 横綱・大関の師匠で理事・勝負審判でない者はNHK大相撲中継で解説を務める例が多いが、金親時代の宮城野部屋では金親に幕内経験がないこともあって、元竹葉山の熊ヶ谷が向正面解説を務めていた(当時NHKアナウンサーの呼び方は「白鵬の育ての親である熊ヶ谷親方」と紹介していた)。
  2. ^ 宮城野親方の処分検討/大相撲 サンケイスポーツ 2010年12月17日
  3. ^ 15日臨時理事会で宮城野親方の処分検討 スポーツ報知 2010年12月17日
  4. ^ 相撲協会:宮城野親方処分へ…「八百長告白」報道 毎日新聞 2010年12月17日
  5. ^ 白鵬所属の宮城野部屋、師匠交代を勧告 スポーツ報知 2010年12月24日
個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス