羽黒岩智一

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基礎情報
四股名 戸田 智次郎 → 羽黒岩 智一 → 羽黒岩 盟海
本名 戸田 智次郎
生年月日 1946年6月30日(68歳)
出身 宮崎県延岡市
身長 179cm
体重 130kg
BMI 40.57
所属部屋 立浪部屋
得意技 押し、右四つ、寄り
成績
現在の番付 引退
最高位 小結
生涯戦歴 626勝624敗35休(100場所)
幕内戦歴 385勝427敗13休(55場所)
敢闘賞1回
データ
初土俵 1961年5月場所
入幕 1967年1月場所
引退 1978年1月場所
引退後 年寄
備考
金星2個(大鵬1個、柏戸1個)
2014年3月5日現在

羽黒岩 智一(はぐろいわ ともかず、1946年6月30日 - )は、宮崎県延岡市出身で、立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は戸田 智次郎(とだ ともじろう)。最高位は東小結1973年5月場所)。引退後は年寄として後進の指導につとめ、停年まで日本相撲協会に在籍していた。身長179cm、体重130kg。得意技は押し、右四つ、寄り。

本名の戸田で取っていた時期も長く、戸田当時に横綱大鵬の連勝を45で止める金星を挙げている(但し実は後に「誤審」であると大きな話題となった。詳細は後述)こともあって戸田智次郎四股名でも知られる。

来歴[編集]

1961年(昭和36年)5月場所、本名の戸田で初土俵をふんだ。同期生には後の関脇藤ノ川幕内栃富士若ノ海がいた。1965年(昭和40年)11月場所に19歳で十両昇進。1967年(昭和42年)1月場所に20歳で入幕し、若手として期待された。突き押しや右を差して寄る相撲を得意としていた。ちなみに、宮崎県出身の幕内力士は、1851年(嘉永4年)11月場所の艫綱良助以来116年ぶりのことだった。

はじめのころは幕内下位にいたが、1969年(昭和44年)1月場所に前頭7枚目で11勝4敗で敢闘賞を受賞(結果的にこれが最初で最後の三賞受賞だった)し、翌3月場所に前頭筆頭に昇進、はじめて上位陣とあたる場所に、横綱大鵬の連勝を阻止する大金星を挙げ、大きく脚光を浴びることとなった(後述)。

その後1971年(昭和46年)1月場所から「羽黒岩」と改名、幕内上位で安定して活躍し、上位での勝ち越しも何度もあったが、結局は小結1場所にとどまった。それでも、約10年にわたって幕内を維持した。貴ノ花に相性が良く、対戦成績は9勝3敗(1不戦勝を含む、貴ノ花が大関昇進後も3勝1敗)であった。1977年(昭和52年)7月場所3日目、前頭13枚目舛田山(現千賀ノ浦)との対戦で頚部を負傷し、その影響もあって翌年1月場所、十両下位で大きく負けがこみ、場所中に31歳で引退を表明した。引退後は協会に残り、立浪部屋部屋所属の年寄・(いかずち)として後進の指導にあたっていた。ただし、かつてのが名乗った「権太夫」の下の名は先代の宇多川同様引き継がず、「雷 智次郎」と本名で定年まで通した。

大阪場所担当委員のときに入場券収入の一部を計上していなかった不祥事を起こし、1998年(平成10年)8月から2000年(平成12年)1月場所前まで平年寄への二階級降格処分を受けた。

2011年(平成23年)6月30日に停年(定年)を迎えた。

大鵬の連勝を阻止[編集]

1969年3月場所、円熟期を迎えていた横綱大鵬は、その前の1月場所終了時に2場所連続全勝、通算連勝も彼自身の最高、また戦後最高でもある44までのばしていた。それがどこまで伸びるかが場所前の焦点であった。

戸田と大鵬の取組は2日目に組まれた。戸田は立合いからぶちかまし、ノド輪攻めの後、両ハズで一気に土俵際まで大鵬を押し込んだ。当時大鵬の弱点として「序盤・平幕・押し相撲」ということがいわれ、その3つすべてを持っていた戸田には、番狂わせが期待されていた。しかし大鵬も、回り込みながら叩くと、戸田の右足が一瞬土俵の外にでて、蛇の目の砂をはいた[1]。しかし次の瞬間、戸田は大鵬を押し出し、みずからも土俵の下に突っ込んでいった。立行司22代式守伊之助は大鵬に軍配をあげたが、すぐに西溜勝負検査役(現在の勝負審判)を務めていた千賀ノ浦(元大関栃光)から物言いがついた。審判長の春日野(元横綱栃錦)審判部長は「戸田の足が出た」と言ったが、他の4人の審判委員全員がそれを見落としていたため、協議の結果、行司差し違えで戸田の勝ちとなり、大鵬の連勝は45で終わってしまった。戸田は大金星をあげた。この一番がこたえたか、大鵬は体調を崩し3日後の5日目に休場届を出して休場してしまった。

ところが新聞やテレビの写真や映像には、戸田の右足が土俵を割った瞬間がとらえられていた。このことで「明らかな誤審だ」とする批判が大きく盛り上がった。この場所はほかにも9日目の大関・琴櫻と前頭2枚目・海乃山との対戦でも疑惑の判定があったため、場所後相撲協会は物言いがついたときの判定に、ビデオの映像を参考にすることを決めた(もっとも、導入の準備はかねてから行われていたようで、機材の準備もできていたが、3月場所は大阪で開催されるために機材を運ばなかっただけで、この場所もやろうと思えば可能だったという。そのために、間髪を入れずに導入を決定したという印象をあたえる結果にもなった)。のちにマスコミ等は「世紀の大誤審」として大きく取り上げる事となる[1]。それでも、この問題について大鵬は1度も不満を口にせず、むしろ誤審を招くような相撲をとった自分に責任があるとして、「ああいう相撲をとった自分が悪いんです」とだけ語っていた[2]

次の5月場所、戸田は4日目に横綱・柏戸と対戦した。このときももつれた相撲になったが、ビデオの映像が参考にされて戸田は2つ目の金星をあげることが出来た(これが最後の金星でもあった)。その意味で、ビデオによる判定に深くかかわった力士であった。

エピソード[編集]

1974年9月28日ホテルニューオータニ結婚式を挙げたが、式場で祝儀600万円を泥棒に全部盗まれた

現役時代、テイチクレコードより、『男が女にブルース』、『不知火ブルース』を出したことがある程の美声の持ち主。

主な成績[編集]

  • 通算成績:626勝624敗35休 勝率.501
  • 幕内成績:385勝427敗13休 勝率.474
  • 現役在位:100場所
  • 幕内在位:55場所
  • 三役在位:1場所(小結1場所)
  • 三賞:1回
    • 敢闘賞:1回(1969年1月場所)
  • 金星:2個(大鵬1個(1969年3月場所2日目)、柏戸1個(1969年5月場所4日目))

場所別成績[編集]

羽黒岩智一
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1961年
(昭和36年)
x x (前相撲) 東 序ノ口 #33
4–3
 
西 序二段 #76
5–2
 
西 序二段 #11
休場
0–0–7
1962年
(昭和37年)
西 序二段 #55
5–2
 
東 序二段 #23
2–5
 
東 序二段 #41
6–1
 
東 三段目 #75
2–5
 
東 序二段 #3
4–3
 
東 三段目 #80
5–2
 
1963年
(昭和38年)
東 三段目 #49
6–1
 
西 三段目 #4
2–5
 
東 三段目 #27
4–3
 
東 三段目 #14
4–3
 
西 幕下 #95
4–3
 
東 幕下 #84
5–2
 
1964年
(昭和39年)
西 幕下 #63
4–3
 
西 幕下 #57
5–2
 
西 幕下 #40
4–3
 
西 幕下 #27
5–2
 
西 幕下 #30
3–4
 
東 幕下 #35
5–2
 
1965年
(昭和40年)
東 幕下 #23
5–2
 
東 幕下 #13
4–3
 
西 幕下 #8
4–3
 
西 幕下 #6
5–2
 
東 幕下 #2
6–1
 
西 十両 #17
8–7
 
1966年
(昭和41年)
西 十両 #16
8–7
 
東 十両 #14
8–7
 
西 十両 #11
8–7
 
東 十両 #9
8–7
 
西 十両 #4
8–7
 
西 十両 #2
11–4
 
1967年
(昭和42年)
西 前頭 #12
6–9
 
西 前頭 #15
9–6
 
東 前頭 #11
7–8
 
東 前頭 #11
6–9
 
東 前頭 #9
6–9
 
西 前頭 #10
6–9
 
1968年
(昭和43年)
西 十両 #1
9–6
 
東 前頭 #11
8–7
 
西 前頭 #9
6–9
 
東 前頭 #11
8–7
 
西 前頭 #7
7–8
 
西 前頭 #10
9–6
 
1969年
(昭和44年)
東 前頭 #7
11–4
東 前頭 #1
7–8
西 前頭 #2
8–7
西 前頭 #1
6–9
 
東 前頭 #3
7–8
 
西 前頭 #3
5–10
 
1970年
(昭和45年)
東 前頭 #8
6–9
 
東 前頭 #10
8–7
 
西 前頭 #7
6–9
 
東 前頭 #9
9–6
 
西 前頭 #2
5–10
 
西 前頭 #6
7–8
 
1971年
(昭和46年)
西 前頭 #9
10–5
 
東 前頭 #2
5–8–2[3]
 
東 前頭 #6
7–8
 
東 前頭 #9
8–7
 
西 前頭 #3
6–9
 
東 前頭 #6
6–9
 
1972年
(昭和47年)
東 前頭 #8
7–8
 
西 前頭 #9
7–8
 
東 前頭 #11
7–8
 
西 前頭 #12
8–7
 
東 前頭 #11
8–7
 
東 前頭 #9
10–5
 
1973年
(昭和48年)
西 前頭 #2
7–8
 
東 前頭 #3
9–6
 
東 小結
2–13
 
東 前頭 #9
8–7
 
西 前頭 #6
6–9
 
西 前頭 #8
6–9
 
1974年
(昭和49年)
西 前頭 #11
8–7
 
東 前頭 #10
8–7
 
東 前頭 #7
8–7
 
西 前頭 #2
8–7
 
東 前頭 #2
4–11
 
西 前頭 #9
4–11
 
1975年
(昭和50年)
西 十両 #2
6–9
 
東 十両 #5
5–10
 
東 十両 #11
10–5
 
西 十両 #3
7–8
 
東 十両 #5
7–8
 
東 十両 #7
8–7
 
1976年
(昭和51年)
西 十両 #3
9–6
 
東 十両 #1
8–7
 
西 前頭 #13
8–7
 
西 前頭 #10
8–7
 
東 前頭 #8
6–9
 
東 前頭 #10
8–7
 
1977年
(昭和52年)
東 前頭 #7
6–9
 
西 前頭 #11
9–6
 
東 前頭 #6
6–9
 
東 前頭 #9
1–3–11[4]
 
東 十両 #6
休場
0–0–15
東 十両 #6
5–10
 
1978年
(昭和53年)
西 十両 #13
引退
1–7–0
x x x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴[編集]

現役時代[編集]

  • 戸田 智次郎(とだ ともじろう):(1961年5月場所 - 1970年11月場所)
  • 羽黒岩 智一(はぐろいわ ともかず):(1971年1月場所 - 1973年7月場所)
  • 羽黒岩 盟海(はぐろいわ ともみ):(1973年9月場所 - 1978年1月場所)

年寄時代[編集]

  • 雷 智次郎(いかづち ともじろう):(1978年3月場所 - 2011年5月場所)

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 柏戸戦は初顔で熱闘、連勝ストップ戸田戦は“世紀の大誤審” スポニチ 2013年1月19日 23:41
  2. ^ 「横綱としてああいう相撲を取った自分が悪い!」(大鵬幸喜の名言)昭和ガイド
  3. ^ 右肩関節亜脱臼により6日目から途中休場、9日目から再出場
  4. ^ 頸部挫傷により4日目から途中休場