嵐山次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

嵐山 次郎(あらしやま じろう、 1943年12月14日- )は、岐阜県安八郡安八町出身で、宮城野部屋に所属した大相撲力士である。本名は海老 二郎(えび じろう)。身長179cm、体重110kg。最高位は東前頭12枚目(1970年3月場所)。得意手は右四つ、寄り、下手投げ

来歴・人物[編集]

中学卒業後上京し、旋盤工として働いていた。だが、吉葉山のファンだったことから宮城野部屋に稽古見学に行ったところ勧誘され、同部屋へ入門することとなった。

初土俵を踏んだのは1960年3月場所で、同期生には、後の関脇・長谷川や前頭・牧本らがいた。

身体が小さく取的時代に苦労したものの、順調に番付を上げていき、1967年3月場所で十両に昇進した。その場所では8勝7敗と勝ち越したが、翌場所では「番付枚数削減」のあおりを受け、幕下に陥落してしまった。

この処遇に腐らず努力を続けたものの、再び十両に上がるまで、1年以上かかった。

全盛期でも110kg程度と力士としては小柄ながら、右四つに組んでから櫓投げの大技を見せるなど豪快な相撲を取った。しかし気分屋で、欲のない性格だったために出世が遅れた。

1970年1月場所では西十両3枚目で8勝7敗という星を挙げ、今度は番付運の良さに救われて、翌場所で新入幕を果たした。しかし本人が「ラッキーな入幕だった」と語るように同場所では4勝11敗と大敗し、幕内在位は結局この1場所だけで終わった。

1972年5月場所を最後に28歳で廃業し、現在は名古屋市中区で、相撲料理店「ちゃんこ 嵐山」を経営している。

エピソード[編集]

  • 嵐山という四股名は、占いで付けたもので、観光地の京都・嵐山との関連は特にない。この時、一緒に占ってもらって改名したのが、弟弟子の陸奥嵐(当時、南)である。

主な戦績[編集]

  • 幕内成績:4勝11敗(1場所) 勝率.267
  • 通算成績:323勝299敗15休(72場所) 勝率.519
  • 各段優勝
    • 十両優勝:1回(1969年7月場所)

改名歴[編集]

  • 海老山(かいろうやま)1960年7月場所-1961年5月場所
  • 開路山(かいろやま)1961年7月場所-1962年11月場所
  • 嵐山(あらしやま)1963年1月場所-1967年11月場所
  • 海老(えび)1968年1月場所-同年5月場所
  • 嵐山(あらしやま)1968年7月場所-1972年5月場所(廃業)

関連項目[編集]