琴ヶ嶽綱一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

琴ヶ嶽 綱一(ことがたけ こういち、 1952年9月24日- )は、北海道川上郡弟子屈町出身で、1970年代半ばに活躍した大相撲力士佐渡ヶ嶽部屋に所属していた。本名は竹内 孝一(たけうち こういち)。最高位は西前頭筆頭(1977年5月場所)。現役時代の体格は186cm、111kg。得意手は左四つ、吊り。

来歴・人物[編集]

実家は農家で、牛乳配達のアルバイトや父の内職を手伝うなどした事が、体を作る下地になったという。力士を志したのは、中学3年生の時の事である。

上京して佐渡ヶ嶽部屋に入門し、1967年11月場所にて、15歳で初土俵。翌年1月、「琴緑」の四股名序ノ口に付いた。

以来順調に番付を上げ、1974年1月、21歳で新十両昇進。結果的に、元小結琴錦の11代佐渡ヶ嶽親方が育てた最後の関取となった。その後、1976年7月場所で新入幕を果たした。

1977年3月場所では三賞受賞こそ逸したものの11勝4敗と幕内で生涯唯一の2桁勝利を挙げ、翌5月場所では自己最高位となる西前頭筆頭まで番付を上げた。だが、同場所では3勝12敗と大きく負け越し、三役昇進は成らなかった。

1980年以降は幕下と十両を往復し、幕下13枚目の地位で途中休場した1984年3月場所限り、31歳で引退。序ノ口に付いた1968年1月場所から、現役最終場所までの約16年間で、「965番連続出場」という記録を残した。

引退後は年寄白玉を襲名し、佐渡ヶ嶽部屋付きの親方として後進を指導する傍ら、巡業部委員も務めた。

しかし1995年3月、弟弟子・琴椿(最高位・前頭3)が引退し、年寄・白玉を襲名した事に伴って廃業した。

廃業後は帰郷し、故郷・川上郡弟子屈町にて町役場の職員となった。同郷の大横綱大鵬の偉業を称える弟子屈町川湯相撲記念館(当時の名称)に勤務し、その相撲談義は人気を博した。

現在は記念館が民間委託となったため、水道課に勤務している。

主な成績・記録[編集]

  • 通算成績:493勝472敗1休 勝率.511
  • 幕内成績:36勝54敗 勝率.400
  • 現役在位:98場所
  • 幕内在位:6場所
  • 連続出場:965番(序ノ口以来、1968年1月場所-1984年3月場所)
  • 各段優勝
    • 十両優勝:1回(1977年1月場所)
    • 幕下優勝:1回(1973年5月場所)

改名歴[編集]

  • 琴緑(ことみどり、1968年1月場所-1971年5月場所)
  • 琴魅鳳(ことみどり、1971年7月場所-1975年3月場所)
  • 琴ヶ嶽(ことがたけ、1975年5月場所-1980年1月場所)
  • 琴美鳳(ことみどり、1980年3月場所-1981年11月場所)
  • 琴ヶ嶽(ことがたけ、1982年1月場所-1984年3月場所)

年寄変遷[編集]

  • 白玉(しらたま、1984年3月-1995年3月)

関連項目[編集]