ダミアン浜田
ダミアン浜田(ダミアン はまだ 別名・サタン45世)は、聖飢魔IIの創始者にしてギタリスト。 聖飢魔IIの設定によれば地獄皇太子であるとされ、現在は地獄大魔王という事になっている。早稲田大学教育学部卒業。
英語表記はHis Majesty Damian Hamada。
普段は日本語で殿下と呼ばれているが、2000年1月1日に大魔王位を継いだため、英語表記はHis Highness(殿下)ではなく、His Majesty(陛下)である。
名前の由来は、有名なホラー映画『オーメン』に登場する、6月6日の午前6時生まれの悪魔の子・ダミアンからと思われる。因みにダミアン浜田自身も6月6日生まれである。一人称は「私(わたし)」。
以降、ダミアン浜田について、「悪魔としての設定」はそう断り書きの上で述べ、以外は客観的事実を述べるものとする。
目次 |
[編集] 来歴
早稲田大学在学時、大学のフォークソング同好会に集う学生達と共に、自らをリーダーとするは、は、は、は、浜田さんバンドを結成。その際、とある二名にボーカルのオファーを行ったが断られ、自身のマネージャー的な役割を務めていた後輩のデーモン小暮から、「私では駄目なんでしょうか?」という申し出を受け快諾、デーモン小暮の加入を決定する[1]。
その後、ダミアン浜田作曲の「悪魔組曲」の設定に合わせ、バンド名を聖飢魔IIに改称。その設定の基礎を作り上げる。
CBSソニーのオーディションへ前述の「悪魔組曲」を提出するも、ダミアン浜田に急用が出来てしまい、聖飢魔IIは解散状態となる。ところが既に解散していた聖飢魔IIへソニーから合格及びデビュー決定の知らせが届き、急遽構成員を再編して結成し直すが、既に大学卒業後の進路が決定していたダミアンはバンドに参加せず、地元の高等学校で教諭の道を歩む事を選ぶ。この選択は、彼自身が「プロとしてやっていく実力も気持ちもない」と自己判断したためとデーモン閣下は語っている[2]。
因みに、聖飢魔IIの公式設定としては「魔世復古の大号令を発し、地球征服を目的とした『宗教団体』として聖飢魔IIを結成。だが、地球デビューを目前に控えている時に、ダミアン浜田の実父とされるサタン44世大魔王陛下が病に倒れてしまい、最早寿命幾許も無い[3]という程の危篤となられたため、全てをデーモン小暮に託し、地獄に帰還した」という事になっている。
以降は県立の高等学校で数学教師の職に就いており、聖飢魔IIのデビュー以後、長らく信者達の間では伝説のような存在となっていたが、1995年8月、東京日比谷野外音楽堂で行われた聖飢魔IIのデビュー10周年記念ミサ「オール悪魔総進撃!SATAN ALL STARS」にて実に10年振りにその姿を現し、自身がバンドを離れた後の10年余をプロとして活躍してきた他の3名のギタリスト達(エース清水、ジェイル大橋、ルーク篁)と共にギタープレイを披露する。
1996年、個悪魔大教典(ソロアルバム)照魔鏡をリリース。初期聖飢魔IIテイストの強い楽曲とデーモン小暮ら現役構成員達の参加もあった。しかし、大半の曲で自身がボーカルを担当していたが、彼自身はプロのミュージシャンとしての活動が無く、ボーカルも務めた事が無かったため、その声量・歌唱力はプロであるデーモン小暮のそれには遠く及ばないものであった。当のダミアン浜田自身は、この照魔鏡の発布にあたり、「とにかく自分のやりたい事をやった」と述べている。
勤務した山口県立長府高等学校では、軽音楽部の顧問を14年に渡って務め、彼自身がプロデュースする軽音楽部のCDを、インディーズでリリースする。ダミアン自身のプロデュースだけあって、初期聖飢魔IIを思わせるような展開の楽曲も一部存在した。
1999年には解散3Daysミサの二日目『THE SATAN ALL STAR'S DAY』に登場し、再び初期の代表曲を演奏した。しかし、聖飢魔II解散後の2005年6月~12月、また2010年に行われた期間限定の再結集ミサツアーでは、遂にその姿を現す事はなかった。だが2010年の福岡ミサを、世を忍ぶ仮の姿で見に来ていたことが後に判明した(ウラビデオ3より)。
[編集] 人物
聖飢魔IIの創始者であり、聖飢魔IIの設定の基礎はデビュー後において整合性を取る為に追加された設定や、改変された設定等を除き、殆どダミアンによって作られた。バンドの創始者がメジャーデビュー直前にバンドを去るというアクシデントにも関わらず、リーダーの座を託されたデーモン小暮や構成員によってダミアンが設定したバンドとしての聖飢魔IIのコンセプトは長らく保たれた。
聖飢魔IIが結成された当時のドラマーは後の聖飢魔IIギタリストの一人・エース清水長官(現ACE)である。これはダミアン自身が自ら「清水さん清水さん、ドラム叩きまへんか?」[4]とオファーした結果なのだが、この時点でエース清水は既にプロのギタリストとしての活動を開始しており、当時は一見サークルのお遊びのような感じだったバンドのドラマーへ、自分の先輩[5]とはいえ、プロギタリストにオファーするというのはある意味勇気がある、もしくは無茶な事をする人物であるともいえる。エース清水自身はダミアン浜田を「悪魔組曲とかモアイ(曲)とか、一体どっからそういう発想が出てくるのか。凄く新鮮で面白い感覚を持った奴」と評している。
初期の代表曲である「蠟人形の館」、「Jack the Ripper」、「悪魔組曲」等はダミアンの作であり、その他にも彼の作る曲に見られる特徴として、ヘヴィメタル然とした陰鬱とした音色や世界観を持ちながら、耳に残るキャッチーなリフやタメの効いたドラマチックな曲展開を盛り込むところが大きい。そうした彼の作る楽曲や彼自身が奏でるギターソロは俗に「ダミアン節」という通称が付く程に独特の存在感を誇った。特に聖飢魔IIの信者・ファンでない者が聖飢魔IIと聞いて思い浮かべる楽曲は、前述の3曲等のダミアンの作品が多く、音楽性が初期のヘヴィメタルから大きく変化していたプロ活動後期にもついて回るその強烈すぎるイメージは、逆に後のメンバー達の悩みの種でもあった[6]。
1995年、聖飢魔IIの活動絵巻教典(映像作品・この場合はライブビデオを指す)『オール悪魔総進撃! THE SATAN ALL STARS』に収録されているダミアンのデーモンとの対談において、サタン45世という別の名を持っている事が語られているが、当時はまだ大魔王の位を継いだ訳ではないようで、以後聖飢魔IIが解散するまでダミアンは「地獄の皇太子」であり、「殿下」と呼ばれていた。
2000年1月1日には、遂にサタン45世大魔王陛下として大魔王の座に即位したとされる。これ以降の期間限定再集結した聖飢魔IIの作品等のスタッフロールの最後は「Say Banzai to His Majesty Damian Hamada!」(訳:ダミアン浜田陛下万歳と言え!)という一文で締め括られるようになる。
解散後、Yahoo!オークションに、活動当時や解散時に使用していたギターや機材類の多くを自ら出品。多くは落札されたが、結成時より使用しているギターについては、複数のオークション利用者から「思い出のギターを売らないで欲しい」「そのギターはあなたが持っているべき」「手放さないで」等の意見がQ&Aで展開され、それが決め手になったかどうかは不明だが、「ある関係者方面から止められた為、出品は取り消します」と回答し、そのギターについては出品を取り消し、手元に残した。また、落札された品々の中には落札者から「他の人の手に渡らないよう、最初から殿下にお返しするつもりで落札させて頂きました。貴方が持っていてください」といった内容のコメントと共に返された物もある。
[編集] 外見
容姿は他の構成員(メンバー)と異なり、非常に人間に近く、多くの信者から「とても美しい」と評判である。肌の色は白いが、他のメンバーのように歌舞伎メイクのような白さではなく、人間の白人程度であり、ソフト・ヴィジュアル系のナチュラル・メイク程度の色に近い。長らくの間この他の構成員との外見的差異の理由は不明であったが、「魔界の皇族は元々は神を裏切ったルシファー(後の大魔王サタン1世)がその祖であり、最初から悪魔として生を受けたデーモンを始めとした他の悪魔達とは血脈的に異なる。従って、皇家に限っては神々の血統を継いでいるために、その容姿もまた神々の容姿なのである」という説明が前述のYahoo!オークションのQ&Aにて回答された[7]。
補足として、デビュー前に脱退している元構成員の魔女RYO子もダミアン同様に人間に酷似した容姿であるが、設定上は皇族との関係は不明である。また、「天地共通の凶皇である雷神の息子」とされるライデン湯沢も設定上は神[8]であり、ダミアンの説明に則るなら人間に近い容姿のはずなのだが、彼はデーモン小暮をはじめとする他のデーモン系の悪魔達と酷似した容姿であり、設定に一部整合性がとれていないととれる事もある。しかし、ライデンは一時期はジード飯島に似た容姿だった事もあった事から、「雷神族はデーモン系悪魔以上に多彩な変身能力を持っている」という説が有力である(現在でもライデンの容姿は変身能力でデーモン系悪魔に変身したものという説が有力)。
[編集] その他
以下は基本的に、活動絵巻教典『オール悪魔総進撃! THE SATAN ALL STARS』や、同時期に雑誌GIGSの増刊号で出された特集雑誌に収録されている情報。
- 聖飢魔IIが地球デビューする際に提出した、ダミアン浜田作曲の「悪魔組曲」は、元々はそれぞれの曲は別々に分かれた曲であり、最初から組曲にするつもりで作った訳では無かったらしいが、ある日新宿の松屋で牛丼を喰っている時に「組曲としてくっつけてみよう」と思いついたという。タイトル後半の「作品666番ニ短調」はエース清水が追加したもの[9]。
- ダミアン浜田作曲作品の一つ「Jack The Ripper」は、元々はダミアンが所属していた「RAY」という別のバンドで演奏されていた「衝動殺人者」という曲だった。
- 大魔王の王位を継ぐまでは、魔界で地獄の皇太子として摂政職を行っていたと主張している。
- 自身が作曲した曲の中で一番思い入れが深い曲は、元々は教典未収録曲だった「野獣」。この時の対談がもとで、その後、小教典「野獣」と大教典「メフィストフェレスの肖像」でアレンジ及び再録という形で収録される事となった。また、対談の中でこの答えを聞いたデーモン小暮が「次回登場する時はぜひ『野獣』を演奏していただきたい」と発言しており、この発言は解散ミサ二日目でダミアンが登場した時に現実のものとなった。但し、『野獣』との答えに閣下は非常に驚き、相当意外であるような受け答えと共に「なぜ野獣?」と聞き返し、笑いを堪えていた。また『悪魔の黙示録』によると他の構成員もダミアンの意と異なり、この楽曲に大して良い印象を持っておらず、サポートメンバーの怪人松崎様(松崎雄一)も同様に「浜田さんならもっと良い曲が沢山あるんですが、なぜ野獣なのでしょう?」述べていた。
- 上記について、デーモン小暮に「野獣」が一番思い入れが深い理由を訊ねられた際に「私はアニマルプリントが好きなのだ」と発言している。そのためか「オール悪魔総進撃!THE SATAN ALL STARS」で登場した際にはアニマルプリントの衣装を着ていた。
- ギターはフェルナンデスとパシフィカの二種類を使用している。地球デビュー前はフェルナンデスの豹柄のギターを使っていた(「ウラビデオ」に収録されている地球デビュー前のミサの映像で豹柄のギターを演奏するダミアンの姿が確認できる)[10]。後に「オール悪魔総進撃!THE SATAN ALL STARS」で登場した際にはパシフィカをノーマルのままで使用、解散ミサ二日目以後は濃い赤と黒のシマウマの模様に似た柄のギター(フェルナンデス 白田一秀モデル BH-155S)を使っている。
- デーモン小暮との対談の終盤で、1999年までに洗脳した人間の数をより効率的に増やすようにとアドバイスを送っている。その際、高校の数学教師をしているためか指数関数のグラフを例に出して説明していた。
[編集] ディスコグラフィ
[編集] 聖飢魔II
- 聖飢魔II〜悪魔が来たりてヘヴィメタる (1985年)
- THE END OF THE CENTURY (1986年)
- 地獄より愛をこめて (1986年)
- メフィストフェレスの肖像 (1996年)
※以上楽曲提供のみ
- THE BLACK MASS FINAL 3 NIGHTS (2000年)
※「野獣」にてギターを担当。
[編集] ソロ
- 照魔鏡 (1996年)
[編集] プロデュース
- 輝きを求めて(1999年)
- CHEER UP!(2003年)
※ 以前顧問を勤めていた山口県立長府高等学校軽音楽部の作品。
[編集] CD未収録曲
- Batrer
- Mid Night Soldier
[編集] 脚注及び補足
- ^ 元々デーモン小暮は、ダミアン浜田が希望していたボーカリスト候補第三位だったため、上位二名に断られた以上は当然の選択であった。
- ^ 1994年7月21日放送ダウンタウンDXでの発言による
- ^ 本来は「余命幾許もない」が正しいが、ダミアンはこのように発言した
- ^ 活動教典「オール悪魔総進撃!SATAN ALL STARS」でのエース清水の発言より
- ^ エース清水は早稲田大学フォークソングクラブのOBで、ダミアン含め早稲田大学出身の構成員全員の先輩に当たる。
- ^ 特にNEWS、MOVE発表時はYOUNG GUITAR誌等で「未だに『蝋人形の館の聖飢魔II?』と言われウンザリしている」エピソードや、「もうあんな曲はやっていないことを分って欲しい」というような発言が目立った。
- ^ 本来、オークションのQ&Aは商品に関する質問だけに特化するはずであるが、著名人であったことも関係し、このように商品とはまるで関係ない質問が多発していたがダミアンは律儀にすべて回答していた。
- ^ ただし「激闘録 ひとでなし」での記述には「神と悪魔のハーフ&ハーフ」とある
- ^ 当初は単に悪魔組曲であったが「大袈裟にして笑えるくらいにしようと思って」付加したという。
- ^ このギターは後に階段から落として壊してしまったらしく、現存していない。
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||