キース・リチャーズ
| キース・リチャーズ | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 別名 | キース・リチャーズ Keith Richards |
| 出生 | 1943年12月18日(68歳) イングランドケント州 ダートフォード |
| ジャンル | ロック ブルース カントリー・ミュージック レゲエ リズム・アンド・ブルース |
| 職業 | ミュージシャン ギタリスト ソングライター 音楽プロデューサー |
| 担当楽器 | ギター ヴォーカル ピアノ ベース |
| 活動期間 | 1962年 - 現在 |
| レーベル | デッカ・レコード ローリング・ストーンズ・レコード ヴァージン・レコード |
| 共同作業者 | ローリング・ストーンズ ザ・ダーティー・マック ニュー・バーバリアンズ X-Pensive Winos |
| 公式サイト | keithrichards.com |
| 著名使用楽器 | |
| 1952 Fender Telecaster ギブソン・レスポール ギブソン・ES-335 Dan Armstrong フェンダー・ストラトキャスター |
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キース・リチャーズ(Keith Richards, 1943年12月18日 - )は、イギリスのミュージシャン。ミック・ジャガー、ブライアン・ジョーンズと共にローリング・ストーンズを結成した。ジャガー/リチャーズ名義で多くの曲を作曲している。また、ミックと彼は「グリマー・ツインズ」名義でプロデュースも行う。身長174cm。
目次 |
[編集] 略歴
キース・リチャーズは1943年ケント州ダートフォードで生まれる。ローリング・ストーンズでデビューしたときにはリチャードと名乗っていたが1978年に本名のリチャーズに戻す。
13歳の時に、母親からギターをプレゼントされ、以後ギターに熱中するようになる。ダートフォード・テクニカル・スクールに入学するが放校となる。1960年、シドカップ・アート・スクール在学中に幼い頃からの知り合いだったミック・ジャガーに再会。お互いにロックンロール、リズムアンドブルースに興味があることを知り、バンドを結成する。1962年にはブライアン・ジョーンズと出会い、ロンドンのはずれのエディス・グローヴにミックとブライアンと3人で暮らすようになる。同年ブルースのコピーバンドとして、ローリング・ストーンズを始動させる。やがてビル・ワイマン、チャーリー・ワッツを加えて、1963年シングル『カム・オン』で、ローリング・ストーンズはデビューする。
当初カバーバンドとしてスタートしたストーンズだったが、マネージャーのアンドリュー・オールダムの方針で、キースはミックと共にオリジナル曲の作曲をスタートさせる。ロック史に残るソングライティングチーム、ジャガー・リチャーズの誕生である。やがてストーンズはヒット曲を連発し、キースはミックと並ぶストーンズの顔となる。1969年、初期のリーダー格だったブライアン・ジョーンズの脱退、死去に伴い、それは決定的になった。
1967年に初めてドラッグの家宅捜査を受けて、逮捕されてから約10年間、ドラッグによるトラブルが絶えなかったが、1977年、トロントで麻薬売買の容疑で逮捕されてからは、本格的にドラッグ中毒の治療に乗り出し、やがてクリーンアップに成功する。
1980年代にはミックとの軋轢が表面化し、ストーンズ解散の危機も迎えたが、それも乗り越え、21世紀を越え、自身60歳を過ぎた現在も、ローリング・ストーンズを「世界最高のロックバンド」として牽引し続けている。
なお、1979年12月に初めて彼自身の名義でシングル「ハーダー・ゼイ・カム/ラン・ルドルフ・ラン」(前者はジミー・クリフの、後者はチャック・ベリーの、それぞれカヴァー)をリリースしているが、その後1988年に自身のバンドを結成してアルバムをリリースしツアーを行うまで、彼自身の名義でのソロ活動はしていなかった。
[編集] 人物
ロック・ミュージックが不良の音楽と呼ばれ、そのイメージの代表格であるローリング・ストーンズにおいて、ミック・ジャガーと共にストーンズの音楽性の柱であるキースは、同時に不良のイメージの柱でもある。後述するドラッグ問題に代表されるキースの無法者的イメージは、ロックンロールのひとつのアイコンとして語られることしばしばである。
ミック・ジャガーがビジネスマンとしての才覚も持ち、音楽的にも最新の音にも目を配る鋭敏さと抜け目無さを持ち合わせているのに対し、キースはあくまでバンドマンとして演奏することに心血を注ぐ姿勢を貫いており、打ち込み等を多用した流行の音にも背を向け、あくまでブルースやレゲエといった「生身の人間によるグルーヴ」にこだわる姿勢を見せている。しかし最新のサウンドに全く興味がないわけではなく、MXR社が新型エフェクターであるフェイザーを先駆けて販売した際、アルバム『女たち』で、その特性上作成可能な4種類全てのサウンドをいち早く使用している。80年代以降はミックとキースのこの正反対の性格が、時として両者の対立も生んでいるが、この2つの個性のぶつかりがあってこそ、ストーンズは存続しているのである。
「眠らない男」としても有名である。アルバム『メイン・ストリートのならず者』のレコーディング時には、9日間一睡もしなかった時があったという。
『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』の主演、ジョニーデップは、主人公のジャック・スパロウ船長はキースをイメージして演じた、と公言している。なお、キース自身も、2007年、『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズの3作目『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』で、主演ジョニー・デップ演じるジャック・スパロウの父親、ティーグ・スパロウ役として出演し、見事な演技を披露している。
(ちなみに、ミックとの関係が悪化していた時期には、頻繁に映画出演を繰り返していた彼に苦言を呈する意味で「自分は映画出演なんかしない」と宣言した事もあった。そもそも、2作目にオファーされた時は断わっており、この出演は、ジョニー・デップの熱望で実現したものである)
[編集] ドラッグ問題
キースは麻薬常習によって幾度と無く逮捕、起訴されている。特に1970年代の麻薬中毒者としてのイメージがあまりにも強烈なため、キースはロック界のジャンキーの代表人物として語られることが多く、「次に最も早くドラッグで死にそうなロック・スター」と呼ばれていた。猫を蛙だと思い飼っていたという話もある。
キースの麻薬中毒期の伝説の一つに「キースはドラッグ治療の一環として、全身の血液を全て交換してもらった」という有名な逸話がある。だがこれは辛かった治療を語るのが嫌で「どうやってドラッグを断ったのか?」の質問に「血液を入れ替えたんだ」とウソをついたと、のちに本人が血液の交換は作り話だったことを語る。しかし周囲の人間からは、血液交換の事実を認める証言も多く、未だ真相は謎のままである。 また、血液を入れ替えた直後に「これでまた麻薬が打てる」と言ったといわれている。
1977年3月にはカナダのトロントで騎馬警官隊によって、夫人のアニタ・パレンバーグと共に、ヘロインの不法所持で逮捕された。この逮捕により、7年の懲役刑が予想され、終身刑の可能性も危ぶまれ、ストーンズの存続の最大級危機に見舞われたが、盲人の為のチャリティー・コンサートを行う条件で、無罪判決となった。(この判決は、キースが当時面倒を見ていたストーンズ・ファンの盲目の少女が、判事の家に赴き、キースを刑務所行きにしないよう懇願した為であると言われている)。この事件を機にキースは本格的に麻薬中毒の治療に乗り出し、麻薬から手を切ることに成功した。彼は二度と逮捕されることがないようにと手錠に似たブレスレットをはめ、指には骨の指輪をつけている。
2007年に雑誌のインタビューで「父親の遺灰をコカインと混ぜて吸った」と発言し、物議を醸した(後にこの発言はジョークだったと撤回)。
[編集] 女性、家族
1967年、キースは当初ブライアン・ジョーンズの恋人だったアニタ・パレンバーグと付き合い初め、二人の間に長男マーロンおよび長女ダンデライオン(後にアンジェラと改名)をもうける。(二人は正式には結婚していない)。1976年には次男タラをもうけるが、生後2ヶ月余りで、タラはベビーベッドで窒息死する悲劇に見舞われる。キースとアニタの麻薬中毒の悪化と共に、やがて二人は破局を迎える。
1983年、キースはモデルのパティ・ハンセンと結婚、パティとの間に2人の子供、セオドーラとアレクサンドラをもうける。
[編集] ギター演奏について
彼のギターの演奏スタイルは、ストーンズの変化と共に発展した。1960年代、ブライアン・ジョーンズ在籍時には、スライド・ギターに関してはブライアンがソロを採ったが、通常のギターでのソロについては、チャック・ベリーの影響を大きく受けたスタイルで演奏している。デビュー当初からしばらくは、彼のギターはチャック・ベリーやブルースのコピーの域を越えないものであったが、ジャガー・リチャーズ名義でオリジナル曲を作曲するようになってからは、「サティスファクション」などで、キャッチーなリフを生み出すようになる。しかし、彼が本当の意味で自身のギタースタイルを確立するのは、1960年代後期からである。
1966~67年頃、ストーンズは、当時流行していたサイケデリック・ロック路線の影響を受け、ルーツであるブルースから最も遠ざかっていた時期である。更にミック、キース、ブライアンのドラッグによる逮捕、それに伴うブライアンのバンド内での求心力の消失により、ツアー活動も停滞を余儀なくされていた。この空白期間を利用して、キースは再度、自身のブルースのレコードコレクションを聴き漁り、いわゆる戦前ブルースの研究に没頭した。そして、当時のブルースマンのギター奏法の特徴であった、オープン・チューニングを自身のギターに取り入れていった。そしてその成果は、1968年のヒットシングル『ジャンピン・ジャック・フラッシュ』とアルバム『ベガーズ・バンケット』に結実した。その一方で、同時期には、いわゆるチョーキング・ビブラートを利かせたギター・ソロへの関心もあったようで、アルバム『ビトウィーン・ザ・バトンズ』あたりでは、その手のプレイに果敢にトライし、翌1968年のアルバム『ベガーズ・バンケット』での『悪魔を憐れむ歌』の間奏では、見事なまでのチョーキング・ビブラートを利かせたギター・ソロを披露している(『悪魔を憐れむ歌』のギター・ソロは当初、エリック・クラプトンによるものと噂されていたことがあった)。
そしてこの頃、アメリカのカントリー・ロックのパイオニア、グラム・パーソンズとの交流、さらにアルバム『レット・イット・ブリード』のセッションに参加したライ・クーダーのスライド・ギター奏法の影響を強く受け、この時期にオープンGチューニングを取り入れる。(ライ・クーダーは「キースに盗まれた」と主張している)。オープンGチューニングは、6弦からD・G・D・G・B・Dにチューニングし、やがてキースは、コードを指1本で抑える際に6弦が邪魔だ、と言う理由で6弦を外した。これは、バンジョーの一般的なチューニングと同じである。この5弦オープンGのギターは、彼のトレードマークとなり、数多くのヒット曲がこのオープンGチューニングから生まれた。キースのオープンGスタイルを代表する曲は「ホンキー・トンク・ウィメン」「ブラウン・シュガー」「スタート・ミー・アップ」等。
1969年ブライアンの脱退により、ミック・テイラーがセカンド・ギタリストとして加入すると、ギターソロはほとんどテクニシャンのテイラーに任せ、自身はリズムに徹するようになる。彼が「史上最高のリズム・ギタリスト」の異名を取るようになるのはこの頃からで、テイラー在籍時の1970年代初頭において、完全に自身のギタースタイルを確立する。1974年テイラーが脱退し、ロン・ウッドが参加してからは、自身と似たギタースタイルのロンと、どちらがリードで、どちらがリズムとも言えない独特の絡みを聞かせている。
いわゆるスーパー・ギタリスト的なテクニックは持ち合わせておらず、少なくとも現在のレベルから考えればけっして巧いとは言い難いが、単に技術の高下だけでは語れない「キース・リチャーズ」としてのギタースタイルがストーンズ・サウンドの核であり、キース無しではストーンズは存在し得ない。そのスタイルは、多くのギタリストに影響を与え続けている。
デビュー以来、様々なギターを使用しているが、代表的な機種は、フェンダー・テレキャスターである。前述の5弦オープンGチューニングは、ほとんどテレキャスターで用いられている。また、1989~1990年の「スティール・ホイールズ」ツアーでは、自身が開発に携わったミュージックマン・シルエットをメインギターとして使用した。
一部の楽曲では、ベース、ピアノ、キーボード等も弾いている。先の『悪魔を憐れむ歌』のセッションでもキースがベースを演奏して、本来のベーシストであるビル・ワイマンがパーカッションを演奏している姿が映画「ワン・プラス・ワン」の一シーンで垣間見られる。
また、最近はボーカリストとしての評価も高い。ミックとはまた違ったハスキーボイス(というよりも、彼の場合は枯れたと表現する方が正しい)は、非常に個性的である。かつては線の細い高い声だったが、70年代後期に変声期?を迎え、潰れたドスの利いた声に変貌した(しかしながら、彼の高音が活かされた「ハッピー」はいまだコンサートでの定番曲である)。その分に声に味が出ているといえる。特にバラードにおいては、他の追随を許さない渋い味わいを醸し出している。近年では、ミックの休憩も兼ねて、ライブの中盤にキースが2曲ボーカルを採るのが定番になっているが、この際の選曲の妙でファンを沸かせることも間々ある。
[編集] ソロアルバム
- トーク・イズ・チープ - Talk is Cheap (1988)
- ライヴ・アット・ザ・パラディアム'88 - Live At the Hollywood Palladium (1991)
- メイン・オフェンダー〜主犯〜 - Main Offender (1992)
[編集] ゲスト参加作品
- ビリー・プレストン - 『神の掟』(1969)
- イアン・マクレガン - 『トラブルメイカー』(1979)
- トム・ウェイツ - 『レイン・ドッグ』(1985)、『ボーン・マシーン』(1992)、『バッド・アズ・ミー』(2011)
- チャック・ベリー - 『ヘイル!ヘイル!ロックンロール』(1987)
- バーニー・ウォーレル - 『ファンク・オブ・エイジズ』(1991)
- ジョン・リー・フッカー - 『ミスター・ラッキー』(1991)
- チーフタンズ - 『ロング・ブラック・ヴェイル』(1995)
- B.B.キング - 『デューシズ・ワイルド』(1997)
- シェリル・クロウ - 『ライヴ・フロム・セントラル・パーク』(1999)
- バディ・ガイ - 『ブリング・エム・イン』(2005)
- ジェリー・リー・ルイス - 『ラスト・マン・スタンディング』(2006)