戸塚区

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本来の表記は「戸塚区」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。
戸塚区
とつかく
日章旗 日本
地方 関東地方
都道府県 神奈川県 
横浜市
団体コード 14110-1
面積 35.77km²
総人口 270,928
推計人口、2008年7月1日)
人口密度 7,570人/km²
隣接自治体
行政区
横浜市:南区保土ケ谷区
港南区旭区栄区泉区
鎌倉市藤沢市
区の木
区の花
他のシンボル
戸塚区役所
所在地 〒244-0003 神奈川県
横浜市戸塚区戸塚町157番地3
電話番号 045-866-8484
外部リンク 戸塚区役所ホームページ
横浜市戸塚区位置図

戸塚区位置図

テンプレート (ノート 解説) 日本の市町村PJ

戸塚区とつかく)は、横浜市を構成する18区の行政区のうちの一つである。

目次

[編集] 概要

戸塚は江戸時代東海道宿場町として栄えた。明治になると東海道線が開通、戸塚駅が開業する。近代化に伴って日立製作所など、多くの工場が進出し、高度経済成長以降は丘陵地の造成が進み、東京・横浜のベッドタウンとなっている。横浜市の副都心として指定されている。

都市整備は市中心部に比べて大幅に遅れている。特に新興開発地である東戸塚地区と異なり、戸塚駅の西口再開発事業が商店主の反対もあって計画が遅れ、一帯の再開発が課題となっていたものの、2007年6月より本格的に事業が着手され工事も開始され、西口の仮設のビル(戸塚ウエスト)に金融機関も含めて入居している。再開発は4期に亘って行われ2009年秋に第一交通広場、2010年春に商業施設、2012年秋に第2交通広場、戸塚区役所(新庁舎)などの公益施設度の完成を予定している。これにより、戦後の闇市以来の歴史を有する「旭町通商店街」は消滅する。

[編集] 地理

面積は横浜市の区の中で最大である。人口は第3位。

区域は北東から南西にかけて延びており、中央部を暴れ川と呼ばれた柏尾川・東海道線・国道1号が縦断する。柏尾川流域は古くからの工場が多く、その他ほとんどの丘陵地が住宅地として開発されている。谷戸の地形が多い。

深谷町に広大な在日米軍深谷通信所(送信施設)があり、瀬谷区の上瀬谷通信所(受信)とともに、国内屈指の通信施設となっているが、深谷に関しては全面返還が内定している。なお近隣住民は、テレビなどの受信障害のため、現在も米軍から補償を受けている。

[編集] 地名

秋葉町、影取町、柏尾町、上柏尾町、上倉田町、上品濃、上矢部町、川上町、汲沢町、汲沢一~八丁目、小雀町、品濃町、下倉田町、戸塚町、鳥が丘、名瀬町、原宿一~五丁目、東俣野町、平戸町、平戸一~五丁目、深谷町、舞岡町、前田町、俣野町、南舞岡一~四丁目、矢部町、吉田町

[編集] 歴史

  • 元々の戸塚区は、現在の瀬谷区1969年分区)、泉区1986年分区)、栄区(1986年分区)などを含んでいた。
  • 「戸塚」の語源は、区内にある富塚八幡宮の「富塚」(とみづか)から来ているとする説が有力である。同社は富属彦命(とつぎひこのみこと、相模国造二世の孫と伝える)を主祭神とし、社殿背後には彼を葬ったという前方後円墳があるが未発掘。区内には縄文時代以来の遺跡も多い。上矢部町の富士山古墳(円墳。径25メートル)からは多様な埴輪が出土した。
  • 律令制下では、相模国鎌倉郡に属した。中世までは高座郡であったとする説もあるが、面積や境界での不自然さがあり、説得性に欠ける。境川が文字通りの郡堺と考えられる。
  • 吉田町一帯は、中世の豪族山内首藤氏が治めた吉田荘の一部である。
  • 平安後期から鎌倉期には鎌倉党の一族がいたもようである。始祖鎌倉景政を祀る「御霊社」「五霊社」などが区内近隣に遺っている。
  • 中世は、狭義での鎌倉ではなかったが、同じ郡内に鎌倉幕府鎌倉府が置かれたため、政治動向に巻き込まれることも多かったはずである。「いざ鎌倉」という時に用いられた鎌倉街道(上道・中道)が通っていた。
  • 汲沢に「源氏山」、「六郎丸」という地名が残っており、畠山重保畠山重忠の子)の居館跡と伝承されている。
  • 汲沢の宝寿院は土地の旧家・森家の建立であるが同家は森蘭丸の末裔とされている。
  • 区内の俣野は、鎌倉党の大庭氏一族俣野氏の本貫(苗字)の地である。俣野景久(俣野五郎景久)(伝説上はじめて河津掛けをされた人物)が反源氏のため越後で戦死した後も、末裔がいたようである。また同地一帯には、小栗判官・照手姫伝説が残る。
  • 東俣野一帯には横山大膳横山党か?)が住していた。
  • 小雀町には玉縄城の支城があった。
  • 江戸時代になると、五街道が整備され、程ヶ谷宿藤沢宿(戸塚への宿場設置に反対していた)の間の宿駅として、両者より3年遅れた慶長9年(1604年)に矢部、吉田、戸塚を範囲とする戸塚宿が成立、幕末には東海道五十三次中、旅籠の数では小田原宿に次ぐ規模となった。のちに本陣となる沢辺家が、妹が岡津陣屋代官彦坂元正の妾となっていた人脈を活かして幕府の裁許を得たようである。現在でも駐車場やコンビニエンスストアを経営している。なお、当家に設けられた寺子屋が富塚学舎となり、横浜市立戸塚小学校となった。もう一つの本陣内田家は、現在でも旧地のそばでスポーツ店を営む。
  • 東海道は、ほぼ現在の国道1号と重なるが、保土ケ谷区権太坂から品濃町までの間、秋葉町の秋葉立体、舞岡町の舞岡入口の3箇所において、旧道が今も独自に残っている。
  • 原宿、鉄砲宿は、東海道の間宿である。
  • 区内戸塚町にある浄土宗清源院は、徳川家康の妻妾お万の方の創建にかかり、のちに荼毘所となる。
  • 品濃町、川上町は、幕末、日米修好通商条約批准書交換使節として渡米した幕臣、新見正興の領地であり、一族の墓所も現存している。
  • 柏尾から庶民信仰の山である大山に向けて大山道が発していた。
  • 1874年(明治7年)、当時の鎌倉郡川上村柏尾の地で、高座郡産の豚肉を使用した国産のハムがはじめて製造される。現在は名古屋に本社を持つ鎌倉ハムの社名はここに由来する。
  • 1878年(明治11年)、当時の鎌倉郡役所が戸塚町に設置された。この鎌倉郡には現在の鎌倉市も含まれており、旧戸塚区(戸塚区・瀬谷区・泉区・栄区)は相模であり鎌倉であった事実の一つであるが、現在その事を遡って知る住民は少ない。
  • 1887年(明治20年)、東海道線戸塚駅が開業。現在の東戸塚駅北側に位置するトンネル(清水谷戸トンネル)は、東京~小田原間では唯一のトンネルで、武相国境を貫いている。後に横須賀線開通のため東海道線は通過となるが、再び東海道線が停車するようになったのは、東戸塚駅が設置された1980年である。
  • 1939年(昭和14年)4月、戸塚町をはじめとした神奈川県鎌倉郡下の1町7村が横浜市に合併され、横浜市戸塚区となる。横浜市立戸塚高等学校は、町立時代の実科高等女学校の系譜を引く。吉田町の日立製作所は1933年完成の旧戸塚競馬場跡地(現・川崎競馬場)で、その後1942年に汲沢町に移転した戸塚競馬場跡地に現在の汲沢団地バス停がある。バス停周囲が広いのはこの為である。
  • 1944年(昭和19年)、原宿町の一帯に海軍軍医学校戸塚分校が設置された。この分校は戦後に「聖母の園」という施設となったが、1955年に日本の火災史上に残る大惨事となった聖母の園養老院火災が発生している。なお現在の横浜医療センターは戦時中、海軍病院であった。
  • 箱根駅伝は、横浜新道開通以前は旧東海道がルートであったため、走者はしばしば戸塚駅横の大踏切で立往生した。
  • 1961年、秋葉町の無人踏切で湘南電車・ダンプ・横須賀線の多重衝突事故(死者4名)が発生したため、以降立体化された。
  • 1980年、品濃町に東戸塚駅が開業。乗換のため戸塚駅の東海道線停車が復活した。
  • 下倉田町花立は、かつて火葬場であり、また鳥が丘は鳥葬の場で現在は葬祭場があり、また付近一帯は、マスコミも取り上げたほどの市内屈指のミステリースポットといわれる。[要出典]
  • 日本人初のNBA選手・田臥勇太は、コーチを慕い、金沢区から区内の市立矢部小学校ミニバスケットボールの練習に参加していた。

[編集] 行政

区長

  • 塚原良一(?~2007年3月31日)
  • 谷内徹(2007年4月1日~)

就任早々の2007年4月、大黒海釣り公園にて、釣り禁止時間帯に公園内に侵入し、書類送検された。

[編集] 地域

[編集] 教育

[編集] 大学

[編集] 短期大学

  • なし

湘南工業短期大学が存在したが1951年に廃止)

[編集] 高等学校

公立
私立

[編集] 中学校

公立

[編集] 小学校

公立
  • 横浜市立東戸塚小学校
  • 横浜市立汲沢小学校
  • 横浜市立東汲沢小学校
  • 横浜市立舞岡小学校
  • 横浜市立倉田小学校
  • 横浜市立鳥が丘小学校
  • 横浜市立矢部小学校
  • 横浜市立柏尾小学校
  • 横浜市立南戸塚小学校
  • 横浜市立秋葉小学校
  • 横浜市立品濃小学校
  • 横浜市立東俣野小学校
  • 横浜市立小雀小学校
  • 横浜市立名瀬小学校
  • 横浜市立川上小学校
  • 横浜市立川上北小学校
  • 横浜市立大正小学校
  • 横浜市立下郷小学校
  • 横浜市立戸塚小学校
  • 横浜市立平戸小学校
  • 横浜市立俣野小学校
  • 横浜市立深谷小学校
  • 横浜市立平戸台小学校
  • 横浜市立南舞岡小学校
  • 横浜市立深谷台小学校
  • 横浜市立上矢部小学校

[編集] 特別支援学校

[編集] 総合病院

[編集] 交通

[編集] 鉄道

(湘南新宿ラインは列車ごとに停車駅が異なる)

[編集] 路線バス

[編集] 道路

[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

[編集] 工場

[編集] 金融機関

[編集] 商業施設

[編集] 出身有名人

[編集] ゆかりの有名人

[編集] その他

  • 1980年前後には横浜市立大正中学校や横浜市立戸塚中学校が、生徒数で全国最大規模であった。
  • 栄区泉区の分区までは人口45万人で、全国政令指定都市の行政区中、最大であった。
  • ソーシャルネットワーキングサイト「mixi」において、2004年8月に設立されたコミュニティ「世界の中心戸塚」(正式名称「横浜戸塚」)は、2006年12月現在で会員数4000名を超え、横浜市内の区のコミュニティでは最大規模を誇る。今なお拡大を続けながら活発に運営されている。
  • そのため、戸塚区民の中には『周りの泉区、大船、そして戸塚区は戸塚市である』という意識も少なからず存在する。この地域の住民は『ハマっ子』とも『湘南BOY』とも呼ばれる事が少ない。
  • 横浜市戸塚限定のソーシャルネットワーキングサイト「とつかーな」が2006年11月にオープン。地元有志により運営されている。http://totsucana.net/
  • 戸塚ヨットスクール傷害致死事件により誤解されがちな「戸塚」は、同スクール運営者の苗字に由来するものであり(所在地は愛知県)、横浜市戸塚区とは一切関係が無い。また東京都新宿区にも戸塚があり、同名の戸塚警察署があるので注意。埼玉県川口市にある「戸塚」(読みは「とづか」)も、当然ながら一切関係がない。
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