泉区 (横浜市)

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いずみく
泉区
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 神奈川県
横浜市
団体コード 14116-0
面積 23.51km²
総人口 154,540
推計人口、2014年10月1日)
人口密度 6,570人/km²
隣接自治体
隣接行政区
横浜市戸塚区旭区瀬谷区
藤沢市大和市
区の木 サクラキンモクセイハナミズキ
アジサイコムラサキモミジ
区の花 あやめ
マスコット
キャラクター
いっずん
泉区役所
所在地 245-0016
神奈川県横浜市泉区和泉町4636-2
北緯35度25分4.3秒東経139度29分19.4秒座標: 北緯35度25分4.3秒 東経139度29分19.4秒
Yokohama City Izumi Ward Office.JPG
外部リンク 泉区役所ホームページ
横浜市泉区位置図

泉区 (横浜市)位置図

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泉区(いずみく)は、横浜市を構成する18区のうちの一つである。

地理・地勢[編集]

総面積23.56平方キロメートルは、市内18区中第9位、市総面積のうち5.42%。農地は市内最大面積。

横浜市の南西部に位置し、相模野台地と呼ばれる関東ローム層に覆われた比較的平坦な台地の一部で、区の西側を境川和泉川が南北に流れ、北側を阿久和川、東側を宇田川村岡川)が流れている。台地の辺縁には湧水が分布する。河川流域に農業地帯が開け、製糸業が行われていた。区内は歴史的な経緯より中川地区と中和田地区から成る。

西側は境川を市境として藤沢市大和市と接し、北側は瀬谷区旭区、東側と南側は戸塚区と接する。相鉄いずみ野線横浜市営地下鉄の2本の鉄道路線、および神奈川県道22号横浜伊勢原線(通称長後街道 旧 大山道)が区を横断している。かつて戸塚区に属し、日立製作所戸塚工場・横浜工場、ブリヂストンの従業員らのベッドタウンでもあり、戸塚とのつながりが深い。

1965年以降に市営上飯田団地、県営いちょう団地などの大規模な公営団地の建設が相次いで行われ、1976年に相鉄いずみ野線が開通して、沿線を中心に、急速に宅地開発が進んだ。持ち家比率と、一戸建て率が市内一位である。

区内の数カ所で渓流の蛍をみることができる。飯田団地、いちょう団地には中国残留孤児の帰国家族やインドシナ難民家族などが住み、多文化共生の試みが進められている。いちょう小学校は在校生の約半数が外国籍である。

歴史[編集]

原始・古代[編集]

境川、阿久和川、和泉川、宇田川に沿った丘陵上に縄文時代遺跡が分布する。弥生台は開発時に弥生時代土器出土したことによる。古墳(高塚古墳)は今のところ区内では未見である。横穴墓は上飯田町柳明遺跡などが挙げられる。

律令制下の動向は明らかでない。相模国鎌倉郡であった(下飯田町本郷が高座郡涓堤郷であったとする説もあるが不明)。高座郡との境界は境川である。ゆえに広義での鎌倉であった。新橋町、岡津町が鎌倉郡大島郷に比定されている(諸説あり)。

平安時代半ばの人物で鎌倉党の祖鎌倉景政を祀る「御霊社」「五霊社」が区内に存在する。大庭御厨を根拠とする鎌倉党のテリトリーであった可能性がある。境川やその支流をたどって開発を進めていったのであろう。また対岸の渋谷氏の影響も考えられる。同様に「サバ神社」(左馬、鯖などの字を充てる。また名前は変わったが飯田神社もその一つ)がいくつかある。これは一時期鎌倉(現在の寿福寺の地)に住んでいた左馬頭源義朝(または源満仲)を祭神とする。義朝は大庭御厨に乱入して殺傷事件を起こしており、鎌倉党とは微妙な関係にあった。

中世[編集]

同じ郡内に鎌倉幕府鎌倉府がおかれ、政治の中心地となる。首都鎌倉に向かうための鎌倉街道上ノ道が通っていた。また、新田義貞による鎌倉攻めはたつ道(横浜市道環状4号)であったという。

飯田は渋谷氏の一族ともいわれる飯田氏の苗字の地。飯田家義石橋山の合戦で敗れた源頼朝を救ったことで知られる。その館跡は現在「富士塚城址」という碑が建つ公園近辺という。飯田氏は当地の御家人として『吾妻鏡』などに名を遺している。 岡津町のマンション「ルネ戸塚弥生台」付近は「玄蕃山」とよばれ、鎌倉幕府御家人と伝える「島田三郎」(史料にはみえず。甲斐氏か)ゆかりの「島田の塚」があった。その岡津には、横浜市立岡津小学校一帯に城が築かれ、少弐氏甲斐氏が支配したといわれる。なお現在の岡津町200番地付近は近世、処刑場であった。 和泉町の長福寺・須賀神社は、北条氏によって滅ぼされた泉親衡ゆかりの寺社という。ただし親衡は信濃の御家人であり、泉姓から付会した伝承と思われる。同地の和泉中央公園の湧き水が「和泉」の地名の発祥といわれている。

上飯田町の本興寺は、寺伝では日蓮ゆかりの地であるという。のちに鎌倉にあった不受不施派寺院が慶長の法難にともなって移転してきた(現在、再興された同名寺院が鎌倉市大町2丁目にあり)。日什門流で戦前まで顕本法華宗本山、現日蓮宗由緒寺院。

後北条氏の時代には、『小田原衆所領役帳』によると、区内には上飯田に平山氏、下飯田に川上氏、和泉に笠原氏、岡津に太田氏がいた。岡津には現在の横浜市立岡津小学校周辺に岡津城がおかれた。のちの中田村は岡津村の枝村と考えられる。

近世[編集]

江戸幕府ができると、岡津城に岡津陣屋がおかれ、代官彦坂元正が任ぜられた。戸塚宿に近いために、その助郷を担わされた。中田村には、後北条氏の評定衆で小田原征伐に際して豊臣秀吉徳川家康との折衝に当たった石巻康敬が謹慎させられ、戦後そのまま旗本として認められた。家康の関東入府のおり、家康を戸塚区柏尾町で迎えた。その橋は康敬の通称にちなみ「五太夫橋」とよばれて遺っている。また中田寺の開基でもあり、付近に子孫康福が宝暦12年(1762年)建てた墓碑がある(横浜市登録文化財)。この石巻氏のほか、和泉村は松平氏、上飯田村は佐野氏、下飯田村は筧氏、新橋村は安藤氏の知行地となった。

柏尾町を発し、庶民信仰の山である大山に至る大山道が区内を横断していた。領家谷・西田谷には大山道や谷戸の田畑が遺り、中近世の景観を伝えていたが、大規模ニュータウンの開発により消滅した。大山道は今も断片的に遺されている。旧大山道(長後街道)と旧岡津道が交差する踊場は、猫が踊ったという伝説の場所であるが、歌垣あるいは中世の合戦の死者の墓所ともいわれている。坂東三十三箇所観音巡礼の道として、弘明寺と星谷寺(座間市)を結ぶ「ほしのや道」が、和泉町の北部を通っていた。

近代[編集]

1889年4月1日 町村制施行により、神奈川県鎌倉郡中川村(阿久和村・上矢部村・秋葉村・名瀬村・岡津村)・中和田村(中田村・上飯田村・下飯田村の全域に高座郡今田村及び上和田村の各飛び地)が誕生。 1939年4月1日 鎌倉郡中川村・中和田村は、鎌倉郡戸塚町・川上村・大正村・本郷村・豊田村・長尾村・瀬谷村とともに横浜市に編入され、戸塚区が誕生した。この戸塚区の区域は横浜市の他の部分(※)と異なり、武蔵国ではなく相模国に属する。

港南区南区の永野地区(上永谷町・上永谷一~六丁目・下永谷町・下永谷一~四丁目・東永谷一~三丁目・日限山一~四丁目・芹が谷一~五丁目・野庭町の全域及び日野南五~七丁目の各一部、南区六ツ川四丁目)は1937年10月1日までは鎌倉郡永野村であったため相模国である。また現在の金沢区朝比奈町も1897年までは鎌倉郡東鎌倉村に属していたため相模国である。

明治時代以降、和泉の清水、横山の各製糸工場、上飯田の持田、宮嵜の各製糸工場、岡津の萩原製糸工場を中心に養蚕業がさかんになった。

第二次世界大戦時中は旧軍関係の施設として、和泉町の横根(現:変電所)に航空灯台、戸塚区深谷町を含む和泉町に海軍通信隊、市立中田小学校一帯に海軍桑原工兵部隊、和泉町中和田小学校近所に神奈川第2抑留所(外人隔離施設)が、それぞれ設置された。終戦直後、長後街道は、ダグラス・マッカーサー厚木飛行場から横浜のホテルニューグランドへ向かう際に利用した道で、中田町中西は、そのための休息所が置かれた。また、かつての人気玩具「ダッコちゃん」の製造工場が上飯田にあった。

現代[編集]

1969年戸塚区から分かれて瀬谷区が成立し、現泉区にあたる旧中川村のうち阿久和町(旧大字阿久和の北部)が同区に編入される。1986年11月3日栄区と同時に中和田支所(吏員派出所)管轄の地域が戸塚区から分区し、泉区が誕生した。区名は公募の結果に基づき、候補となった和泉区・泉区・いずみ区・弥生区・いずみ野区・富士見区・中和田区・西戸塚区・北戸塚区などの中から、泉が湧き出るように若い力を生み出し、未来に向けて発展する区であることを祈願し、清らかでさわやかなイメージがあり、簡潔で語調もよい「泉区」に決定した。本来であれば区の大部分を占める旧中和田村に因んだ新区名が相応しかったが、一部に旧中川村(岡津町・新橋町・名瀬町・池の谷・緑園一~七丁目・領家一~四丁目・白百合一~三丁目・西が岡一~三丁目・桂坂・弥生台の各町)を含むため、事前に選考からは外されていた。なお「泉区」は瑞祥地名に分類できるが、実際には、区中心部の和泉町がバックボーンにある。

1976年4月8日、相鉄いずみ野線がいずみ野駅まで開通。1990年4月4日 、いずみ野線がいずみ中央駅まで開通。既に設置されていた区役所の最寄駅となる。1999年3月10日、いずみ野線が湘南台駅藤沢市)まで開通。最終的にはJR平塚駅まで延伸できる免許を運輸省(現国土交通省)より受けているが、具体的な工事の予定はない。(すぐに延伸できる構造にはなっている)1999年8月29日、横浜市営地下鉄が湘南台駅まで全面開通。

行政[編集]

  • 区長
    高橋和也(2011年5月1日 - )
    藤田譲治(2008年4月1日 - 2011年4月30日)
    早川和彦(2006年4月1日 - 2008年3月31日)
    池田輝政(2003年4月1日 - 2006年3月31日)

交通[編集]

鉄道[編集]

ゆめが丘駅と下飯田駅は、200mほど離れて近接している。

路線バス[編集]

なお横浜市営バスは区内の路線がない

道路[編集]

県道

通称長後街道。片側1車線しかなく、住民は朝の通勤時の慢性的なラッシュに悩まされてきた。その後市営地下鉄の延伸と、その工事にともなう片面2車線化によって、緩和されつつある。
通称かまくらみち

市道

地域[編集]

健康[編集]

  • 平均年齢 43.75歳(2010年1月1日)

住宅団地[編集]

  • 市営上飯田団地
  • 県営いちょう上飯田団地(上飯田町2670外)
  • アズフローラいずみ野(和泉町5627番地3 県営借上公共賃貸住宅)

教育[編集]

大学[編集]

高等学校[編集]

公立
(かつて当区は横浜西部学区に属したが、旧中田町だけ横浜中部学区に含まれていた)
私立

中学校[編集]

  • 横浜市立岡津中学校
  • 横浜市立中和田中学校
  • 横浜市立上飯田中学校
  • 横浜市立いずみ野中学校
  • 横浜市立領家中学校

小学校[編集]

  • 横浜市立いずみ野小学校
  • 横浜市立いちょう小学校(飯田北小と統合)
  • 横浜市立新橋小学校
  • 横浜市立飯田北小学校(いちょう小と統合)
  • 横浜市立中田小学校
  • 横浜市立中和田南小学校
  • 横浜市立和泉小学校
  • 横浜市立葛野小学校
  • 横浜市立伊勢山小学校
  • 横浜市立岡津小学校
  • 横浜市立緑園西小学校
  • 横浜市立緑園東小学校
  • 横浜市立西が岡小学校
  • 横浜市立中和田小学校
  • 横浜市立上飯田小学校
  • 横浜市立下和泉小学校
  • 横浜市立東中田小学校
  • 横浜市立飯田北いちょう小学校

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

公園・自然環境・景観[編集]

  • 天王森泉公園・天王森泉館(旧清水製糸場本館)
  • 和泉中央公園(伝・泉親衡館跡)
  • 和泉川畔(地蔵原の水辺、和泉川親水広場)
  • 四ッ谷湧水
  • 中田ふれあいの樹林
  • 泉の森ふれあい樹林
  • 酒湧池(和泉町の語源)
  • 和泉遊水池
  • 阿久和川まほろばの川
  • 横根稲荷神社付近(「関東の富士見百景」No.72)

寺社[編集]

施設[編集]

  • 在日米軍深谷通信所
  • 相鉄文化会館・相鉄ギャラリー
  • 横浜市泉区民文化センター「テアトルフォンテ」
  • 羽太郷土資料館
  • 小島資料館
  • 横浜市立飯田北小学校郷土資料室

病院[編集]

  • 社会福祉法人親善福祉協会 国際親善総合病院
  • 戸塚共立リハビリテーション病院

史跡[編集]

  • 富士塚城址公園
  • 玄蕃新墾(げんばあらく、伝・石巻氏陣屋跡。鯉ヶ久保ふれあい樹林周辺は濠跡という)
  • 石巻康敬墓(市登録文化財)
  • 寒念仏供養塔(踊場の語源)
  • 海軍桑原部隊本部兵舎跡(現横浜市立中田小学校。カマボコ型コンクリート製倉庫が近年まで白百合公園裏にあった)
  • 中丸家長屋門(市認定歴史的建造物)
  • 踊場伝説(猫が踊っていたという伝承があるが、実際は長後街道(旧大山道)沿いで、戸塚宿で売れなくなった遊女たちが客引きを行っていた場所という説もある)

出身有名人[編集]

町名等[編集]

  • 中田町(←横浜市戸塚区中田町←中和田村大字中田)
  • 和泉町(←横浜市戸塚区和泉町←中和田村大字和泉)
    • 区の総面積の約36%を占める。人口は48,452人(平成19年5月31日現在)で市内の町の中でずば抜けて多くなっている。
  • 上飯田町(←横浜市戸塚区上飯田町←中和田村大字上飯田)
  • 下飯田町(←横浜市戸塚区下飯田町←中和田村大字下飯田)
  • 岡津町(←横浜市戸塚区岡津町←中川村大字岡津)
  • 新橋町
    • 中川村の横浜市編入時に大字阿久和の一部から新設。

以下、括弧内は新設年を表す。

  • 弥生台(昭和55年)
  • 池の谷(昭和61年)
  • 緑園一~七丁目(昭和61年)
  • 白百合一~三丁目(昭和61年/住居表示)
  • 西が岡一~三丁目(昭和63年)
  • 領家一~四丁目(昭和63年)
  • 桂坂(平成7年)
  • 中田東一~四丁目(平成7年/住居表示)
  • 中田北一~三丁目(平成8年/住居表示)
  • 中田西一~四丁目(平成8年/住居表示)
  • 中田南一~五丁目(平成7年/住居表示)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  1. ^ [下和泉地区路線バス「Eバス」新設(横浜市道路局) http://www.city.yokohama.lg.jp/doro/plan/chiiki/e-bus/]