Rまにあ

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RまにあろっこつまにあRマニア)は、浅井企画に所属していたお笑いコンビ。ともに横浜市泉区出身。1996年9月結成、2006年解散。

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[編集] メンバー

解散後は関根勤からしゅく造め」(しゅくはじめ)と命名されてピン芸人として活動。
解散後は芸能界を引退。

[編集] 来歴

  • 幼稚園、小学校、中学校とずっと一緒だった宿輪、中嶋の二人によって1996年6月に結成。宿輪の肋骨が浮き出て見えていたことから「Rマニア」と名付けられた。
  • 進ぬ!電波少年』で1998年4月から1999年10月まで約1年6か月に亘って放送された企画「電波少年的無人島脱出」「電波少年的スワンの旅」で有名になる。「電波少年的スワンの旅」では内田有紀が応援ソングを歌った。番組史上もっとも過酷な企画だったと言っても過言ではないが、その割に終了後の見返りが少なかった。
  • この「電波少年的スワンの旅」で使用されたスワンボートは池で貸し出されているスワンボートとは違い、航洋向けにヨットデザイナー高井理氏に設計を依頼した番組オリジナル。国内用に2隻、インド洋用に1隻建造された。国内用は純然たる人力航行のシステムで、2人で漕ぐことで最高耐水速力5ktの設計であったが実際は海況にもよるものの2~3ktと実に微速であり、また人力船故に軽量が求められ、構造上脆弱なため、緊急時の曳航もままならず、よって番組の収録は過酷を極める結果となった。続く海外版では、1回の航行距離が長くなることと、先の過酷さから学び、特別設計のハイブリッド推進システムを採用し船体も補強して臨むものの故障が多く人力主体となる。結果として内外を通してバラエティ番組にあるまじき熾烈な収録活動を強行せざるを得なくなり、当然ながら「Rまにあ」は体力気力精神力全てを鍛え抜かれることとなる。
  • この「電波少年的スワンの旅」で培われた強靭な脚力を武器に、今度は雷波少年の企画「シドニーへの道」において競輪競技の世界へ挑戦することになり、競輪の学校に2人で短期入学をした後、東京ドームで行われた競輪の選手権に出場するが怪我で断念する結果となった。
  • 先輩の関根勤と仲がよく、ゲームなどでよく遊んでいる。
  • 宿輪は日本にいた交際女性の顔を思い浮かべながら過酷なスワンの旅を続けていたが、旅を終えて帰ってみると彼女は公務員の男性と結婚していたらしい(神さまぁ〜ず出演時に告白)。但し、その後宿輪自身も結婚しており、現在は一児の父親である。

[編集] 出演

[編集] テレビ

[編集] ラジオ

「コサキンヤング部24(ツーフォー)劇場」のコーナーに出演

[編集] ライブ

  • Rまにあ単独ライブ
  • Rまにあ単独ライブ第2段!「加藤コーチ」(2000年5月27日 Shibuya eggman
  • Rまにあ単独ライブ第3段!(フリートークライブ) (2002年6月1日 欽こん館)
  • ずん(R)まにあ  (2005年6月30日、2005年11月18日 ずんと共演のライブ)

[編集] 舞台

[編集] 連載

[編集] 外部リンク