ダッコちゃん

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ダッコちゃんを腕に付けた水着の女性

ダッコちゃんは、1960年(昭和35年)に発売された空気で膨らませるソフトビニール人形の愛称。またそのモチーフとなったキャラクター。もともとは単なる玩具の一種として、宝ビニール工業所製造により発売された。製造工場は横浜市泉区内。当初は「木のぼりウィンキー」、「黒ん坊ブラちゃん」といった名前で売り出された。発売元はツクダ屋玩具であり、空気で膨らますビニール人形であった。

真っ黒な人型をした本商品は両手足が輪状になっており、木にしがみつくコアラのようなポーズをとっている。「ダッコちゃん」の名前の通り、腕などに抱きつくようにぶら下げることが可能だった。価格は当時180円。腰蓑をつけた黒人のように見えるその姿は極限までディフォルメされており、非常にシンプルな形状だった。

歴史[編集]

ブーム[編集]

1960年(昭和35年)7月に発売されて以降、若い女性を中心にブームの兆しが起こった。戦後の国民を巻き込むムーブは1958年フラフープブーム以来であった。ぶら下がる機能を活かしてこの人形を腕にぶら下げて歩く女性が時折見られるようになった。マスコミが取材対象とする中で、この商品には「ダッコちゃん」という愛称が与えられた。テレビに登場した結果ブームに火がつき、注文は大幅に増え、玩具店、デパートでは常に在庫切れとなった。デパートが販売のために発行した整理券にダフ屋が登場したこともあったという。1960年(昭和35年)末までに240万個が販売される大ヒット商品となり、製造元の宝ビニール工業所が株式会社タカラ(現:タカラトミー)となる基盤をつくった。
ダッコちゃん生みの親である大木紀元は、当時、武蔵野美術大学に通いながら社員として働いていた。現・創造学園大学創造芸術学部の学科長兼教授。

ブームの影で[編集]

製造が間に合わないほどの売れ行きを見せたこと、簡単な構造の商品だったことなどから多くの偽物が流通した[1]。本物の特徴として目に貼られた特殊なシール(レンチキュラー印刷)により見る角度によってウィンクすることがあげられるが、多くの偽物にはそれが無く、真贋の目安になった。それでも偽物は減らなかったが、皮肉にもそのおかげで全国に「黒いビニール人形」は拡大し、1960年代を代表する玩具となった[2]

ブームその後[編集]

製造元のタカラはその後社標をダッコちゃんをデザインしたものに変更し、テレビCMのキャッチフレーズにも「ダッコちゃんマークのタカラ」とダッコちゃんを前面に押し出したPRを行なった。またソフトビニール人形のみならずさまざまなキャラクターグッズが開発・販売された。しかしまもなくブームが沈静化しほとんどの商品は販売を停止した。1975年(昭和50年)に創業20周年を記念して復刻版が登場したが、かつてのようなブームにはならなかった。

1988年(昭和63年)頃に、黒人差別論争が活発化し漫画やアニメなどのステレオタイプな黒人の描写が差別的であるとしてさまざまな出版社や制作会社が自粛を決定した。その論争のなかに「ダッコちゃん」も加えられ、成型色を変えるなどの対策をとったものの、まもなく製造販売が停止されている。社標であったダッコちゃんマークも1990年(平成2年)に変更されている。1997年(平成9年)にも子会社が色を変えて販売したが、腰みのや唇が差別的だったせいかすぐに抗議がきたため販売を取りやめた。

2001年(平成13年)に「だっこちゃん」の名で復活している。その際には腰みのや厚い唇などの人種差別的な要素を取り払い、代わりにしっぽがついた。設定も「くっつきたい、触れ合いたい、という人間本来の心から生まれた架空のキャラクター」というものに変わり、色も黒のほかピンクやブルーなどが用意された。その後、同様の仕組みを持つカブトムシドラえもんなどのキャラクターの玩具が製造された。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 妖怪ウォッチブームを取り上げた「中日春秋」(中日新聞2014年8月3日によれば、「佐藤ビニール工業所(現タカラトミー)が生産したのは二百四十万個だったが、大量の偽物も製造され、合わせて約一千万個の黒い人形が出回ったという」。
  2. ^ 従業員が子どもに一個買いたいと願い出たが、当時の社長は「朝から並んでいるお客さまに一個でも買ってもらうため、われわれが先に買うわけにはいかない」(「中日春秋」(中日新聞2014年8月3日)。