ざまぁKANKAN!
| ざまぁKANKAN! | |
|---|---|
| ジャンル | バラエティ番組 |
| 放送時間 | 平日 17:00 - 18:00(60分) |
| 放送期間 | 1988年10月3日 - 1990年9月28日 |
| 放送国 | |
| 制作局 | 読売テレビ |
| 製作総指揮 | 岡島英次 |
| プロデューサー | 白岩久弥 |
| 出演者 | 森脇健児 山田雅人 ほか |
| 音声 | ステレオ放送 |
『ざまぁKANKAN!』(ざまぁカンカン)は、1988年10月から1990年9月まで読売テレビが放送したバラエティ番組。放送時間帯は毎週月曜から金曜、17時から18時までの1時間。
ダウンタウン司会の『4時ですよーだ』(毎日放送)や圭・修司会の『素敵!KEI-SHU5』(関西テレビ)に刺激された読売テレビが打ち出した若者向け公開バラエティ番組である。略称は「ざまカン」。
目次 |
[編集] 概要
『4時ですよーだ』や『KEI-SHU5』が吉本興業制作なのに対し、『ざまぁKANKAN!』(以下ざまカン)は松竹芸能制作だった。当時松竹が売り出していた森脇健児(モリケン)と山田雅人をメインに据え、他の番組とは一線を画していた。
番組タイトルは色々候補が挙がっていたが、最終的に「バラベソテレビ」「おはよう!ゴジ(5時)バチョフ」(当時ソ連大統領であったミハイル・ゴルバチョフを捩ったもの)「ざまぁKANKAN!」の中から「ざまぁKANKAN!」が選ばれた。
裏番組である『素敵!KEI-SHU5』を終了に追い込み、続く『5時からテレビ』『しっぽまでアンコ!』『○爆ワイド』も短期間に終了に追い込み、関西テレビの夕方バラエティ番組を撤退させた[独自研究?][要出典]。
[編集] 番組構成
番組は大阪市中央区の読売テレビ本社第2スタジオ(本社内で2番目に広いスタジオ)からの生放送。
前出の番組が吉本特有の破天荒な番組構成で放送されたのに対し、ざまカンは番組開始直後、視聴者から送られてきた葉書を読むということだけに徹底した。これは、当時読売テレビで放送されていた『鶴瓶上岡パペポTV』の構成を担当した放送作家疋田哲夫によるアイディア。その後は、少しずつ葉書が読まれる枚数も減っていった。
この時期のローカル番組としては珍しく、全てステレオ放送。トークの合間全てに洋楽を流すなど、全体としてラジオ番組的なテイストを醸し出していた。ちなみにトークの合間のBGMは、アメリカの音楽雑誌『ビルボード』の「HOT100」にランクインしているアルバムの中から番組の雰囲気に合った曲をプロデューサーの白岩久弥自身が選曲して使用していた。また、番組中に使用した洋楽BGMの曲名・アーティスト名はすべてテロップで表示されていた。
[編集] パペポTVとの関係
トーク中心の構成、洋楽をBGMに使用、松竹芸能系タレントの起用、観客を当日に並ばせて整理券を配布し先着順にスタジオへ入れるなど、番組の作り方の随所に『パペポTV』との共通点が存在する。疋田以外にもパペポTVのブレーンを担当した鹿児島俊光・藤本多賀雄をブレーンに、パペポTVのディレクターであった白岩久弥をプロデューサーに起用し、同じくプロデューサーであった岡島英次をチーフプロデューサーに据えるという、共通のスタッフが非常に多い体制で制作されていた。
通常時間帯の番組だけでなく、春(改編期)と夏(『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』開始前)の土曜日にもスペシャル版として放送されていた。ただし、この時は読売テレビ横の駐車場に大型のテントを張ってライブ形式にしていた。
[編集] 番組の終焉
1989年秋頃からは企画ものが増え、ドラマ仕立てのVTRコント(『ビバリーヒルズ・コップ』をもじった「ヒバリーが丘花屋敷コップ」、ホームドラマ「山田家の人びと」など)、視聴者が参加して歌や特技を披露する企画(「5時のヒットスタジオ」、「いきなり何でも自慢」)や若手を集めて一発芸を披露する「メケノハカマカイェー(元は「キャサリンの秘密」を一発ダジャレコーナーと勘違いして送られてきたハガキを読む企画であった。後に若手の一発ギャグを披露する企画に変わった)」、「ギャグストロイカ」などの企画なども加えられたが、1990年9月末で番組打ち切りが決定。最後の1週間は収容人数の多い第1スタジオから生放送された。
ざまぁKANKAN!最終イベントでは、大阪城ホールで1万人を動員する。森脇曰く、構成を担当した疋田の唯一の仕事は楽屋で号泣している山田・森脇を他の報道陣から隔離するためにカーテンを引いた事らしい。
番組終了後、『ざまKAN』のコンセプトを受け継ぐ形で、新たに北野誠・羽野晶紀らをレギュラー陣に加えた実質的な後番組として、1990年10月より『DODONGO!』(→1991年4月より、お見合い系番組への企画変更と共に『その気!アルマジロ』に改題)が土曜17時枠の60分番組として足掛け2年放送され、その後の1992年10月より街頭アンケートの順位を予想し、ブラックジャックの要領で得点を競う人気コーナー「ランキングJACK」の単独放送となった『やる気!アルマジロ』が同18時枠後半の30分番組として1993年3月まで放送された。その番組にも山田・森脇・川下が継続して出演した(川下はナレーションとして出演、番組構成も手がけた)。
[編集] 出演者
- 森脇健児、山田雅人、タージン(リポーター、和光プロダクション所属)、川下大洋(現・よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属)、いま寛大
番組中期以降は松竹芸能や大滝エージェンシーなど、吉本以外に所属している若手芸人や、笑福亭鶴瓶の弟子らが番組レギュラーとして出演していた。高田伸彦がお悩み相談コーナーに出演していたこともある。 - 大阪キッズ(現・よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属)、シンデレラエキスプレス、小川恵理子、成知由梨、笑福亭達瓶、笑福亭瓶太、亀井真司
- 番組エンディング告知担当:住吉里美 → 藤岡久美子(※かつて三桂に所属し、同じ夕方枠の『屋台の目ぇ』(毎日放送)などに出演していた藤岡久美子とは別人。こちらの本職は声優である)
- ほか
[編集] テーマ曲
- 「ざまぁKANKAN娘」(1988年10月 - 1989年4月)
- 「ざまぁカンカン!TVショー」(1989年5月 - 1990年6月)
- 「MESO-KUYOバイビー!」(1990年7月 - 1990年9月)
[編集] コーナーテーマ曲
- 「キャサリンの秘密」→ザ・ビートルズ「オブラディ・オブラダ」(一時期視聴者からのリクエスト制となり、その後JASON DONOVANの「TIME HEALS」に変更される)
- 「失恋伝言板」(失恋した相手へのメッセージをハガキに書いて番組宛に送り、森脇・山田に読んでもらうコーナー)→プリンセス・プリンセス「M」
- 「山田家の人びと」→魔女の宅急便サウンドトラックより「パン屋さんの窓」
- ほか
[編集] スタッフ
- 構成:疋田哲夫、上田信彦
- ブレーン:鹿児島俊光、藤本多賀雄、土井武志
- チーフプロデューサー:岡島英次
- プロデューサー:白岩久弥
- チーフディレクター:山岸正人
- ディレクター:山田典昭
- VTR取材ディレクター:藤木康彰、南中伸一郎、木部勇一、黒田洋行、武野一起、森本豊、菊井徳明
- フロアディレクター:高津英泰、幸田敏哉
- サブディレクター:藪亀かおり
- 制作協力:松竹芸能
- 制作著作:よみうりテレビ
| 読売テレビ 平日17時台 | ||
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| 前番組 | 番組名 | 次番組 |
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再放送枠
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ざまぁKANKAN!
(1988年10月 - 1990年9月) |
再放送枠
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