ターメル・スレッジ
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | ノースカロライナ州フェイエットビル |
| 生年月日 | 1977年3月18日(36歳) |
| 身長 体重 |
183 cm 85 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 左翼手、一塁手 |
| プロ入り | 1999年 MLBドラフト8巡目 |
| 初出場 | MLB / 2004年4月6日 NPB / 2008年3月20日 |
| 最終出場 | NPB / 2012年6月13日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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ターメル・スレッジ(Terrmel Sledge , 1977年3月18日 - )は、アメリカ合衆国ノースカロライナ州出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。
愛称は「スレッジハンマー」(両手で持つような大きいハンマーの意)。アフリカ系アメリカ人の父と韓国人の母を持つハーフである。
目次 |
経歴 [編集]
MLB時代 [編集]
カリフォルニア州グラナダヒルズのジョン・F・ケネディ高校を経て、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校を卒業。
1998年のMLBドラフト45巡目でシンシナティ・レッズに指名されるが契約せず、翌1999年のMLBドラフト8巡目でシアトル・マリナーズに指名され契約。2000年9月にトレードでモントリオール・エクスポズに移籍。
2004年にエクスポズでメジャーデビューし、主に左翼手として133試合に出場し打率.269、15本塁打、62打点を記録。エクスポズがワシントンD.C.へ移転し、名称をワシントン・ナショナルズと改めた2005年の開幕戦には、ナショナルズ第1号となる本塁打を放つ(4月4日、対フィラデルフィア・フィリーズ戦の6回表)も、2005年は20試合の出場に止まり、12月8日にアルフォンソ・ソリアーノとの1対3のトレードで、ブラッド・ウィルカーソン、アーマンド・ガララーガと共にテキサス・レンジャーズに移籍。さらに2006年1月6日には大塚晶則ら3選手とのトレードで、エイドリアン・ゴンザレス、クリス・ヤングと共にサンディエゴ・パドレスに移籍した。
2007年は100試合に出場し、打率.210・7本塁打・23打点を記録。チームメイトに、後に埼玉西武ライオンズへ入団するヒラム・ボカチカがおり、ボカチカが右翼手、スレッジが左翼手で先発出場した試合も多かった。
日本ハム時代 [編集]
2007年12月4日に北海道日本ハムファイターズが退団したフェルナンド・セギノールに代わる主砲候補として2年契約(総額285万ドル)で合意したことを発表した。背番号は10。
2008年の開幕直後は内野ゴロ、特に二塁ゴロが多く、出塁も四球によるものが大半で打率が上がらなかったが、セ・パ交流戦から徐々に打率を上げて日本の野球に順応し出した。大柄ではないが、パンチ力を生かした鋭い打球を飛ばす打撃が持ち味で、得点圏打率.355(リーグ2位)という勝負強い打撃で大砲不在のチームでは貴重な存在となった。打順は4番・5番、指名打者での出場が多く、一塁手・左翼手としても起用された。
2009年は、高橋信二が4番・一塁手に定着したこともあり、打順は5番で指名打者か左翼手での出場が多くなった。5月17日の対オリックス・バファローズ戦で走塁中に左太もも裏の軽い肉離れのため選手登録を抹消された時期があったものの、117試合に出場。打率.266、27本塁打、88打点と前年以上の成績を残した。しかし、目標にしていた30本塁打には届かず、対戦相手によっては極端な右寄りの守備体形(スレッジシフト)を取られたことで[1]、何本かの安打性の打球を捕球されたこともあった。クライマックスシリーズ第2ステージ第1戦(対東北楽天ゴールデンイーグルス戦)では、9回裏に福盛和男から値千金の逆転サヨナラ満塁本塁打を放ち、楽天の勢いを断ち切った[2]。第4戦では岩隈久志から3点本塁打を放ち、日本シリーズ進出を決定的にするなど、4試合で2本塁打10打点の大活躍でMVPを獲得。日本シリーズでも、本塁打を放つなどの活躍を魅せた。しかし、契約更改においては難航し、将来の和製大砲として期待を寄せる中田翔を起用したい方針もあり、現状維持の単年契約を掲示する日本ハム球団側と、大幅増の複数年契約を主張するスレッジの代理人側との間に開きがあり、保有権を喪失した12月1日に自由契約となった。日本ハムは自由契約となった後も引き続き交渉を行ったが、両者の主張は平行線を辿ったままであった。
横浜時代 [編集]
その後横浜ベイスターズから、スレッジが希望していた大幅増の複数年契約でのオファーがあったため、2009年12月17日に2年契約にて横浜への入団が決まった。背番号は3。
2010年は、DH制のないセ・リーグでは左翼手のみでの出場となった。打順は基本的に5番。打率(.252)と打点(78打点)は共に前年の記録には及ばなかったが、右投手に対し打率.215と不調であったのに対し左投手に対しては打率.311と相性が良く、本塁打はシーズン最多の28本を残した。交流戦直前には子供が生まれたために一時帰国。チームも低迷したため、9月23日をもって早々と自身のシーズンを終えることとなった[3]。
2011年は1試合3本塁打を2度記録するなど固め打ちが多かったが、1ヶ月以上本塁打が出ない時期もあり波の激しいシーズンだった。8月21日に右脚付け根を痛め登録を抹消された。その後9月6日に復帰したが、痛みが再発して4日で再び抹消され、治療のため帰国することになり、12月1日に球団から戦力外通告を受けた[4]。
日本ハム復帰 [編集]
2011年12月7日、古巣日本ハムと契約することが発表され、3シーズンぶりに復帰することになった。背番号は再び10に決定した。
2012年は左翼手に中田翔、一塁手に稲葉篤紀が定着しているためDHでの出場、DH制のない交流戦のセ・リーグ主催試合では代打での出場となった。主に7番打者を務め、5月22日の横浜DeNA戦にて、史上23人目となる全球団から本塁打を達成するなど、前半戦のチームの首位争いにも貢献していたが、6月19日に左膝の検査を受けるため帰国した[5]。その後、6月30日に左大腿骨滑車溝に4度(重度)の軟骨損傷と遊離軟骨があると診断され[6]、リハビリが進まず、結果的に復帰できないまま2012年シーズンを終えた。11月5日、球団より退団が決定したことが発表された。
人物 [編集]
ファーストネームは、両親が名付けるときにTerrence(テレンス)かMelvinの(メルヴィン)どちらにするか迷い、2つをつなげたTerrmelにした。
焼肉が好物である。2008年9月15日の対オリックス戦で先発したダルビッシュ有は、試合後「何をオゴったらいいかわからない」と発言(8回まで完璧な投球だったが9回に逆転を許し、そのままオリックスの勝利かと思われたが、その裏スレッジのサヨナラ打があり、勝ち星が転がってきた)。それを聞いたスレッジは「じゃあ焼肉をお願いします」と即答した。この約束が果たされたかどうかは不明だが、クライマックスシリーズ第1ステージでダルビッシュが先発し、スレッジが先制本塁打を放って勝利した試合後、「今はこのままの方がお互いに流れがいい。日本シリーズが終わったら、連れて行ってもらうよ。僕は焼肉が大好きだから」とリクエストした。
相手選手を試合やシーズンを通して研究している。試合やシーズンが終盤に近づくにつれて好成績を上げる場合が多い。試合を決める一打も多く、2009年はリーグ最多の15勝利打点を記録している。
詳細情報 [編集]
年度別打撃成績 [編集]
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2004 | MON WSH |
133 | 446 | 398 | 45 | 107 | 20 | 6 | 15 | 184 | 62 | 3 | 3 | 6 | 1 | 40 | 4 | 1 | 66 | 2 | .269 | .336 | .462 | .799 |
| 2005 | 20 | 46 | 37 | 7 | 9 | 0 | 1 | 1 | 14 | 8 | 2 | 1 | 0 | 2 | 7 | 1 | 0 | 8 | 3 | .243 | .348 | .378 | .726 | |
| 2006 | SD | 38 | 78 | 70 | 7 | 16 | 3 | 0 | 2 | 25 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 17 | 1 | .229 | .308 | .357 | .665 |
| 2007 | 100 | 233 | 200 | 22 | 42 | 9 | 0 | 7 | 72 | 23 | 1 | 2 | 1 | 2 | 27 | 2 | 3 | 60 | 7 | .210 | .310 | .360 | .670 | |
| 2008 | 日本ハム | 113 | 446 | 395 | 41 | 114 | 21 | 2 | 16 | 187 | 69 | 0 | 1 | 0 | 4 | 44 | 3 | 3 | 88 | 12 | .289 | .361 | .473 | .834 |
| 2009 | 117 | 487 | 418 | 53 | 111 | 27 | 1 | 27 | 221 | 88 | 1 | 0 | 0 | 5 | 58 | 0 | 6 | 108 | 12 | .266 | .359 | .529 | .888 | |
| 2010 | 横浜 | 129 | 533 | 469 | 57 | 118 | 27 | 0 | 28 | 229 | 78 | 0 | 0 | 0 | 0 | 60 | 0 | 4 | 136 | 10 | .252 | .341 | .488 | .829 |
| 2011 | 95 | 373 | 339 | 45 | 88 | 15 | 0 | 20 | 163 | 57 | 0 | 1 | 0 | 4 | 26 | 0 | 4 | 90 | 5 | .260 | .316 | .481 | .797 | |
| 2012 | 日本ハム | 47 | 152 | 138 | 12 | 32 | 7 | 1 | 5 | 56 | 23 | 0 | 0 | 0 | 0 | 12 | 0 | 2 | 47 | 2 | .232 | .303 | .406 | .709 |
| MLB:4年 | 291 | 803 | 705 | 81 | 174 | 32 | 7 | 25 | 295 | 100 | 6 | 6 | 7 | 5 | 82 | 7 | 4 | 151 | 13 | .247 | .327 | .418 | .745 | |
| NPB:5年 | 501 | 1991 | 1759 | 208 | 463 | 97 | 4 | 96 | 856 | 315 | 1 | 2 | 0 | 13 | 200 | 3 | 19 | 469 | 41 | .263 | .343 | .487 | .830 | |
- 2012年度シーズン終了時
- MON(モントリオール・エクスポズ)は、2005年にWSH(ワシントン・ナショナルズ)に球団名を変更
年度別守備成績 [編集]
| 年度 | 一塁 | 外野 | ||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
| 2008 | 38 | 287 | 19 | 0 | 17 | 1.000 | 23 | 20 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
| 2009 | 4 | 31 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | 59 | 77 | 4 | 2 | 1 | .976 |
| 2010 | - | 119 | 161 | 4 | 2 | 1 | .988 | |||||
| 2011 | - | 87 | 140 | 8 | 1 | 2 | .993 | |||||
| 通算 | 42 | 318 | 22 | 0 | 17 | 1.000 | 288 | 398 | 16 | 5 | 4 | .988 |
表彰 [編集]
- 「ジョージア魂」賞:1回 (2010年度第8回)
- クライマックスシリーズMVP:1回 (2009年)
記録 [編集]
- NPB
- 初出場・初先発出場:2008年3月20日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(札幌ドーム)、4番・一塁手で先発出場
- 初安打:2008年3月22日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(札幌ドーム)、2回裏1死に成瀬善久から右翼線二塁打
- 初本塁打・初打点:2008年3月29日、対東北楽天ゴールデンイーグルス1回戦(クリネックススタジアム宮城)、1回表2死に田中将大から右越先制2ラン
- 初盗塁:2009年5月16日、対オリックス・バファローズ10回戦(京セラドーム大阪)、6回表に二盗(投手:小松聖、捕手:鈴木郁洋)
- 全球団から本塁打:2012年5月22日、対横浜DeNAベイスターズ1回戦(札幌ドーム)、3回裏に小林太志から右越逆転決勝満塁本塁打 ※史上23人目
| 日付 | 対戦球団 | 球場 | 回 | 相手投手 | 通算本数 | |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2008年3月29日 | 楽天1回戦 | フルキャストスタジアム宮城 | 1回表 | 田中将大 | 1 |
| 2 | 4月5日 | オリックス2回戦 | 京セラドーム大阪 | 9回表 | 近藤一樹 | 2 |
| 3 | 4月16日 | 西武5回戦 | 西武ドーム | 6回表 | 涌井秀章 | 4 |
| 4 | 4月18日 | ソフトバンク4回戦 | 札幌ドーム | 7回裏 | 杉内俊哉 | 5 |
| 5 | 5月25日 | 巨人1回戦 | 東京ドーム | 2回表 | 木佐貫洋 | 7 |
| 6 | 5月29日 | ヤクルト2回戦 | 明治神宮野球場 | 6回表 | 石川雅規 | 8 |
| 7 | 6月18日 | 広島4回戦 | 広島市民球場 | 9回表 | 永川勝浩 | 9 |
| 8 | 2009年5月5日 | ロッテ4回戦 | 千葉マリンスタジアム | 2回表 | 小林宏之 | 24 |
| 9 | 2010年4月13日 | 中日4回戦 | ナゴヤドーム | 1回表 | 山井大介 | 45 |
| 10 | 4月17日 | 阪神4回戦 | 横浜スタジアム | 2回裏 | 上園啓史 | 48 |
| 11 | 5月29日 | 日本ハム1回戦 | 札幌ドーム | 4回表 | ダルビッシュ有 | 54 |
| 12 | 2012年5月22日 | DeNA1回戦 | 札幌ドーム | 3回裏 | 小林太志 | 96 |
背番号 [編集]
- 10 (2008年 - 2009年、2012年)
- 3 (2010年 - 2011年)
登場曲 [編集]
応援歌 [編集]
- 横浜時代に使用していた応援歌は、かつて在籍していたデーブ・ドスターの応援歌を流用(メロディのみ。歌詞は新たに作成)したものであるが、この曲はドスターの在籍時には一度も球場で使用されたことがなかった。
- 2010年の交流戦のみ、横浜時代の応援歌と日本ハム時代の応援歌が交互に演奏されていた(かけ声は横浜時代の「GO!GO! スレッジ」)。
脚注 [編集]
- ^ 特に千葉ロッテマリーンズ、福岡ソフトバンクホークスの守備が顕著で、遊撃手の西岡剛、川崎宗則が二塁ベースよりも右の位置で守ることさえある。
- ^ 2010年8月9日にNPBが現役選手と監督を対象に行った「最高の試合」「名勝負・名場面」アンケートの「名勝負・名場面」部門で第1位に選ばれている。
- ^ 横浜:スレッジが”有終の美”となる右前安打/巨人戦から
- ^ “2012年度選手契約について”. 横浜ベイスターズ (2011年12月1日). 2011年12月1日閲覧。
- ^ スレッジ選手一時帰国のお知らせ - 北海道日本ハムファイターズ 2012年6月18日
- ^ スレッジ選手診断結果 - 北海道日本ハムファイターズ 2012年6月30日
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
- 選手の通算成績と情報 ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
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