ターメル・スレッジ
| 北海道日本ハムファイターズ #10 | |
|---|---|
2009年11月3日、東京ドームにて
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | ノースカロライナ州フェイエットビル |
| 生年月日 | 1977年3月18日(34歳) |
| 身長 体重 |
183cm 85kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 左翼手、一塁手、指名打者 |
| プロ入り | 1999年 MLBドラフト8巡目 |
| 初出場 | MLB / 2004年4月6日 NPB / 2008年3月20日 |
| 年俸 | 1億2,000万円(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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ターメル・スレッジ(Terrmel Sledge , 1977年3月18日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(外野手)。アメリカ合衆国ノースカロライナ州出身。
愛称は「スレッジハンマー」(両手で持つような大きいハンマーの意)。アフリカ系アメリカ人の父と韓国人の母を持つハーフである。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] MLB時代
カリフォルニア州グラナダヒルズのジョン・F・ケネディ高校を経て、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校を卒業。
1998年のMLBドラフト45巡目でシンシナティ・レッズに指名されるが契約せず、翌1999年のMLBドラフト8巡目でシアトル・マリナーズに指名され契約。2000年9月にトレードでモントリオール・エクスポズに移籍。
2004年にエクスポズでメジャーデビューし、主に左翼手として133試合に出場し打率.269、15本塁打、62打点を記録。エクスポズがワシントンD.C.へ移転し、名称をワシントン・ナショナルズと改めた2005年の開幕戦には、ナショナルズ第1号となる本塁打を放っている(4月4日、対フィラデルフィア・フィリーズ戦の6回表)。
しかし2005年は20試合の出場に終わり、同年12月8日にアルフォンソ・ソリアーノとの1対3のトレードで、ブラッド・ウィルカーソン、アーマンド・ガララーガと共にテキサス・レンジャーズに移籍。さらに2006年1月6日には大塚晶則ら3選手とのトレードで、エイドリアン・ゴンザレス、クリス・ヤングと共にサンディエゴ・パドレスに移籍した。
2007年は100試合に出場し、打率.210・7本塁打・23打点を記録。チームメイトに、後に埼玉西武ライオンズへ入団するヒラム・ボカチカがおり、ボカチカが右翼手、スレッジが左翼手で先発出場した試合も多かった。同年12月4日、北海道日本ハムファイターズは退団したフェルナンド・セギノールに代わる主砲候補として2年契約(総額285万ドル)で合意したことを発表した。背番号は10。
[編集] 日本ハム時代
2008年の開幕直後は内野ゴロ、特に二塁ゴロが多く、出塁も四球によるものが大半で打率が上がらなかったが、セ・パ交流戦から徐々に打率を上げて日本の野球に順応し始めた。大柄ではないが、パンチ力を生かした鋭い打球を飛ばす打撃が持ち味で、得点圏打率.355(リーグ2位)という勝負強い打撃で大砲不在のチームでは貴重な存在となった。打順は4番・5番、指名打者での出場が多く、一塁手・左翼手としても起用された。
2009年は、高橋信二が4番・一塁手に定着したこともあり、打順は5番で指名打者か左翼手での出場が多くなった。5月17日の対オリックス・バファローズ戦で走塁中に左太もも裏の軽い肉離れのため選手登録を抹消された時期があったものの、117試合に出場。打率.266、27本塁打、88打点と前年以上の成績を残した。しかし、目標にしていた30本塁打には届かず、対戦相手によっては極端な右寄りの守備体形(スレッジシフト)を取られたことで[1]、何本かの安打性の打球を捕球されたこともあった。クライマックスシリーズ第2ステージ第1戦(対東北楽天ゴールデンイーグルス戦)では、9回裏に福盛和男から値千金の逆転サヨナラ満塁本塁打を放ち、楽天の勢いを断ち切った[2]。また、続く第4戦では岩隈久志から3点本塁打を放ち、日本シリーズ進出を決定的にした。クライマックスシリーズでは、4試合で2本塁打10打点の大活躍でMVPを獲得。しかし、契約更改において高額年俸の要求を恐れた球団が、将来の和製大砲として期待を寄せる中田翔を起用したい方針[3]のため、自由契約。12月17日に横浜ベイスターズへの入団が決まった。背番号は3。
[編集] 横浜時代
2010年は、DH制のないセ・リーグでは左翼手のみでの出場となった。打順は基本的に5番。打率(.252)・打点(78打点)は共に前年の記録には及ばなかったが、右投手に対し打率.215と不調であったのに対し左投手に対しては打率.311と相性が良く、本塁打はシーズン最多の28本を残した。交流戦直前には子供が生まれたために一時帰国。チームも低迷したため、9月23日をもって早々と自身のシーズンを終えることとなった[4]。
2011年は1試合3本塁打を2度記録するなど固め打ちが多かったが、1ヶ月以上本塁打が出ない時期もあり波の激しいシーズンだった。8月21日に右脚付け根を痛め登録を抹消された。その後9月6日に復帰したが、痛みが再発して4日で再び抹消され、治療のため帰国することになり、同年12月1日に球団から戦力外通告を受けた[5]。12月7日、古巣日本ハムに復帰することが発表された。背番号は再び10に決定した。
[編集] 人物
ファーストネームは、両親が名付けるときにTerrence(テレンス)かMelvinの(メルヴィン)どちらにするか迷い、2つをつなげたTerrmelにした。
焼肉が好物である。2008年9月15日の対オリックス戦で先発したダルビッシュ有は、試合後「何をオゴったらいいかわからない」と発言(8回まで完璧な投球だったが9回に逆転を許し、そのままオリックスの勝利かと思われたが、その裏スレッジのサヨナラ打があり、勝ち星が転がってきた)。それを聞いたスレッジは「じゃあ焼肉をお願いします」と即答した。この約束が果たされたかどうかは不明だが、クライマックスシリーズ第1ステージでダルビッシュが先発し、スレッジが先制本塁打を放って勝利した試合後、「今はこのままの方がお互いに流れがいい。日本シリーズが終わったら、連れて行ってもらうよ。僕は焼肉が大好きだから」とリクエストした。
相手選手を試合やシーズンを通して研究している。試合やシーズンが終盤に近づくにつれて好成績を上げる場合が多い。試合を決める一打も多く、2009年はリーグ最多の15勝利打点を記録している。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2004 | MON WSH |
133 | 446 | 398 | 45 | 107 | 20 | 6 | 15 | 184 | 62 | 3 | 3 | 6 | 1 | 40 | 4 | 1 | 66 | 2 | .269 | .336 | .462 | .799 |
| 2005 | 20 | 46 | 37 | 7 | 9 | 0 | 1 | 1 | 14 | 8 | 2 | 1 | 0 | 2 | 7 | 1 | 0 | 8 | 3 | .243 | .348 | .378 | .726 | |
| 2006 | SD | 38 | 78 | 70 | 7 | 16 | 3 | 0 | 2 | 25 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 17 | 1 | .229 | .308 | .357 | .665 |
| 2007 | 100 | 233 | 200 | 22 | 42 | 9 | 0 | 7 | 72 | 23 | 1 | 2 | 1 | 2 | 27 | 2 | 3 | 60 | 7 | .210 | .310 | .360 | .670 | |
| 2008 | 日本ハム | 113 | 446 | 395 | 41 | 114 | 21 | 2 | 16 | 187 | 69 | 0 | 1 | 0 | 4 | 44 | 3 | 3 | 88 | 12 | .289 | .361 | .473 | .834 |
| 2009 | 117 | 487 | 418 | 53 | 111 | 27 | 1 | 27 | 221 | 88 | 1 | 0 | 0 | 5 | 58 | 0 | 6 | 108 | 12 | .266 | .359 | .529 | .888 | |
| 2010 | 横浜 | 129 | 533 | 469 | 57 | 118 | 27 | 0 | 28 | 229 | 78 | 0 | 0 | 0 | 0 | 60 | 0 | 4 | 136 | 10 | .252 | .341 | .488 | .829 |
| 2011 | 95 | 373 | 339 | 45 | 88 | 15 | 0 | 20 | 163 | 57 | 0 | 1 | 0 | 4 | 26 | 0 | 4 | 90 | 5 | .260 | .316 | .481 | .797 | |
| MLB:4年 | 291 | 803 | 705 | 81 | 174 | 32 | 7 | 25 | 295 | 100 | 6 | 6 | 7 | 5 | 82 | 7 | 4 | 151 | 13 | .247 | .327 | .418 | .745 | |
| NPB:4年 | 454 | 1839 | 1621 | 196 | 431 | 90 | 3 | 91 | 800 | 292 | 1 | 2 | 0 | 13 | 188 | 3 | 17 | 422 | 39 | .266 | .346 | .494 | .840 | |
- 2011年度シーズン終了時
- MON(モントリオール・エクスポズ)は、2005年にWSH(ワシントン・ナショナルズ)に球団名を変更
[編集] 年度別守備成績
| 年度 | 一塁 | 外野 | ||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
| 2008 | 38 | 287 | 19 | 0 | 17 | 1.000 | 23 | 20 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
| 2009 | 4 | 31 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | 59 | 77 | 4 | 2 | 1 | .976 |
| 2010 | - | 119 | 161 | 4 | 2 | 1 | .988 | |||||
| 2011 | - | 87 | 140 | 8 | 1 | 2 | .993 | |||||
| 通算 | 42 | 318 | 22 | 0 | 17 | 1.000 | 288 | 398 | 16 | 5 | 4 | .988 |
[編集] 表彰
- クライマックスシリーズMVP:1回 (2009年)
[編集] 記録
- NPB
- 初出場・初先発出場:2008年3月20日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(札幌ドーム)、4番・一塁手として先発出場
- 初安打:2008年3月22日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(札幌ドーム)、2回裏1死に成瀬善久から右翼線へ二塁打
- 初本塁打・初打点:2008年3月29日、対東北楽天ゴールデンイーグルス1回戦(クリネックススタジアム宮城)、1回表2死に田中将大から右越先制2ラン
- 初盗塁:2009年5月16日、対オリックス・バファローズ10回戦(京セラドーム大阪)、6回表に二盗(投手:小松聖、捕手:鈴木郁洋)
[編集] 背番号
- 10 (2008年 - 2009年、2012年 - )
- 3 (2010年 - 2011年)
[編集] 登場曲
[編集] 応援歌
- 横浜時代に使用していた応援歌は、かつて在籍していたデーブ・ドスターの応援歌を流用(メロディのみ。歌詞は新たに作成)したものであるが、この曲はドスターの在籍時には一度も球場で使用されたことがなかった。
- 2010年の交流戦のみ、横浜時代の応援歌と日本ハム時代の応援歌が交互に演奏されていた(かけ声は横浜時代の「GO!GO! スレッジ」)。
[編集] 脚注
- ^ 特に千葉ロッテマリーンズ、福岡ソフトバンクホークスの守備が顕著で、遊撃手の西岡剛、川崎宗則が二塁ベースよりも右の位置で守ることさえある。
- ^ 2010年8月9日にNPBが現役選手と監督を対象に行った「最高の試合」「名勝負・名場面」アンケートの「名勝負・名場面」部門で第1位に選ばれている。
- ^ 残留希望かなわず…スレッジ、古巣に“挑戦状”
- ^ 横浜:スレッジが”有終の美”となる右前安打/巨人戦から
- ^ “2012年度選手契約について”. 横浜ベイスターズ (2011年12月1日). 2011年12月1日閲覧。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 選手の通算成績と情報 ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
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