福盛和男
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | 宮崎県北諸県郡高崎町(現:都城市) |
| 生年月日 | 1976年8月4日(35歳) |
| 身長 体重 |
182cm 78kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1994年 ドラフト3位 |
| 初出場 | NPB / 1995年10月3日 MLB / 2008年3月31日 |
| 最終出場 | NPB / 2010年3月27日 MLB / 2008年4月24日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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福盛 和男(ふくもり かずお、1976年8月4日 - )は、宮崎県北諸県郡高崎町(現:都城市)出身の元プロ野球選手(投手)。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] プロ入り前
都城高等学校時代は甲子園に縁がなく、3年間すべて県大会決勝で敗退した。なお、3年生の時の対戦相手は延岡学園高校で、その時の主軸打者だったのが楽天でチームメイトとなった草野大輔である。
1994年のドラフトで横浜ベイスターズから3位指名を受けて入団。同期には多村仁(現福岡ソフトバンクホークス)、相川亮二(現東京ヤクルトスワローズ)がいる。
[編集] 横浜・近鉄時代
1997年7月3日、中日ドラゴンズ戦で初勝利。2001年には登録名を「和男」から「福盛 一夫」に変更。2003年に登録名を「和男」に戻した。余談ではあるがこの年にベースボール・マガジン社が発行したプロ野球選手名鑑では彼の顔写真の部分に同年に西武ライオンズに移籍した細見和史の写真が間違えて掲載されているミスがあった。(福盛がこの年のみ横浜で着けた背番号24を前年まで着けていたのが細見だったため差し替えミスと思われる。)オフには門倉健・宇高伸次との交換トレードで矢野英司と共に大阪近鉄バファローズに移籍。
2004年1月、フジテレビアナウンサー(当時)の福元英恵と結婚(2005年6月には長男が誕生している)。シーズン途中から抑え投手に指名されるが、不安定で完全には定着出来なかった。
その後、近鉄球団合併による選手分配ドラフトで新規参入の東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍。
[編集] 楽天時代
2005年、抑え投手を担当。同年4月13日福岡ソフトバンクホークス戦で球団史上初の公式戦セーブ記録。
2006年、不調の小山伸一郎に代わってシーズン途中から抑え投手を担当。前半は好調で26回無失点を記録し、オールスターに初出場。しかしシーズン後半に調子を落とし、セーブ失敗が続いたことから中継ぎに降格。徐々に調子は上向き、9月22日の西武戦にて8、9回を無失点に抑え1-0で勝利し、久しぶりにセーブを挙げた。その後2試合連続でセーブを成功させ復活。最終的に防御率2.17、21セーブと自身最高の成績を挙げた。同年オフ、シーズン中に扁桃腺炎に悩まされたことから扁桃腺除去手術を行った。
2007年、抑え投手として4・5月期のチームの好調を支えたが、6月に入り不安定な投球が続き交流戦ではリリーフ失敗が相次いだ。その後、遊離軟骨の除去手術とリハビリのため後半戦開始まもなくチームを離脱。この年「ベストファーザーin東北 スポーツ部門」受賞。
海外移籍も視野に入れ、アラン・ニーロを代理人として11月7日にFA権を行使。12月13日、テキサス・レンジャーズと2年300万ドルの契約に合意、翌日本拠地レンジャーズ・ボールパーク・イン・アーリントンで入団会見が行われた。
[編集] メジャー時代
2008年、3月31日のシアトル・マリナーズ戦でメジャーデビューを果たし、1/3回2安打2四球3失点。4月13日にマイナーへ降格。再びメジャーに昇格するものの1試合登板して再びマイナーへ降格。5月11日にメジャー契約を解除された。同年後半から腰痛に苦しみ、10月に椎間板ヘルニアの手術を受ける。
2009年、故障者リスト入りしたまま、マイナーでキャンプを迎える。 同年6月、福盛自身が日本でのプレーを希望して、レンジャーズ側も了承し解雇された。メジャー通算4試合0勝0敗、防御率20.25。
[編集] 楽天復帰から引退へ
6月19日、入団テストに合格し、2シーズンぶりに楽天へ復帰した[1]。楽天球団の慰留を断ってメジャーリーグに挑戦したことから、野村克也監督は福盛の獲得には消極的だったが、福盛が野村監督の宿泊するホテルに出向いて入団を直談判した。6月後半からの戦列復帰であったが、抑え投手として7勝10セーブの成績を挙げ、チームの2位躍進に貢献した。防御率2.18。援護率も6.68と高かった。10月21日のクライマックスシリーズ第2ステージ、日本ハムとの初戦、楽天が4点リードした9回裏に登板すると、ターメル・スレッジの逆転サヨナラ満塁ホームランも含めて1/3回5失点と打ち込まれ敗戦投手となった。尚、2010年から背番号は「62」から「11」に変更した。
2010年、開幕時は不調で2戦連続で救援に失敗し、3月28日に右ひじ違和感のため登録抹消となった[2]。5月に右ひじの手術を受けたが経過が思わしくなく、9月には球団から引退が発表された[3]。引退後はプロ野球の世界から身を引き、都内で会社を経営する叔父のもとで経営者の道を歩むという[4]。
2011年にはマスターズ甲子園2011に都城高校OBチームで出場した。県予選決勝では本塁打を放つ活躍もみせた[5]。
[編集] プレイスタイル
球種はストレート、スライダー、シュート、フォーク、ナックルカーブ。
元来クローザーという役目をする投手ではなく、横浜時代は先発投手の三浦大輔、野村弘樹、斎藤隆、川村丈夫、戸叶尚らと共に先発ローテーションの一角を形成し(いわゆるローテの5、6番手)、1998年前後のAクラス入りに多少なりとも貢献をする。(尚、チームが日本一になった1998年は3試合しか登板していない)しかし2000年当たりからは中継ぎが多く、やがて近鉄に移籍後からはチーム事情から抑えとなり、楽天ではクローザーを務めた。
直球の球速は140km/h(最速149km/h)半ばから後半。ストレートに迫る球速の高速シュートと変化量の大きいフォークを主力とし、日本人投手としては非常に珍しいナックルカーブも使用する。ボールはやや荒れ気味で暴投も多めの荒っぽいピッチングスタイルの投手である。好調時のフォークは大変な威力を誇るがコントロールはどちらかと言えば甘く、波の激しさもあって完璧に抑えるタイプではない。
ブログ「常に強気」は前向きで楽しい話題だけでなく、ジョークセンスも光っていることから人気が高い。事実、楽天広場blogのスポーツカテゴリではアクセス数トップの座をキープしており、更新されてから1日でコメントが100件を超えるほどである。また、福盛本人が手術を受けた時には、術後報告として妻の英恵が書き込んだことや、息子がたびたび写真で登場するなど家族も協力してファンとの交流を深めていこうとする様子もみられる。
一方、絶不調の時(2006年9月5日更新の話題)には、「精神的に不安定」「周りが見えていない」「どうしたら野球を楽しめるのか」、「こんな事を書くのはプロ野球選手として失格」など深刻なことを書く一面もある。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1995 | 横浜 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 23 | 5.0 | 5 | 0 | 3 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 1.60 |
| 1996 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 4 | 1.0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 2.00 | |
| 1997 | 25 | 10 | 0 | 0 | 0 | 4 | 4 | 0 | -- | .500 | 296 | 71.1 | 58 | 7 | 28 | 0 | 4 | 42 | 2 | 1 | 26 | 23 | 2.90 | 1.21 | |
| 1998 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | -- | .333 | 82 | 18.2 | 20 | 1 | 6 | 0 | 1 | 13 | 3 | 0 | 8 | 6 | 2.89 | 1.39 | |
| 1999 | 30 | 19 | 1 | 0 | 1 | 9 | 9 | 0 | -- | .500 | 576 | 132.2 | 151 | 15 | 45 | 2 | 3 | 96 | 8 | 0 | 65 | 63 | 4.27 | 1.48 | |
| 2000 | 40 | 8 | 0 | 0 | 0 | 6 | 6 | 10 | -- | .500 | 380 | 88.0 | 92 | 7 | 27 | 1 | 2 | 49 | 9 | 1 | 40 | 35 | 3.58 | 1.35 | |
| 2001 | 5 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | -- | .333 | 120 | 31.0 | 20 | 5 | 10 | 0 | 0 | 23 | 0 | 0 | 12 | 12 | 3.48 | 0.97 | |
| 2002 | 33 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 2 | -- | .400 | 211 | 48.2 | 45 | 2 | 15 | 1 | 3 | 47 | 1 | 0 | 21 | 16 | 2.96 | 1.23 | |
| 2003 | 62 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 1 | -- | .250 | 255 | 60.0 | 55 | 6 | 17 | 2 | 4 | 34 | 3 | 0 | 32 | 30 | 4.50 | 1.20 | |
| 2004 | 近鉄 | 43 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 10 | -- | .286 | 218 | 48.2 | 53 | 5 | 24 | 4 | 3 | 27 | 0 | 0 | 29 | 28 | 5.18 | 1.58 |
| 2005 | 楽天 | 49 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 11 | 3 | .571 | 286 | 63.0 | 75 | 5 | 24 | 7 | 2 | 36 | 4 | 0 | 26 | 25 | 3.57 | 1.57 |
| 2006 | 50 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 21 | 10 | .000 | 253 | 58.0 | 50 | 2 | 27 | 4 | 3 | 55 | 7 | 0 | 18 | 14 | 2.17 | 1.33 | |
| 2007 | 34 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 2 | 17 | 0 | .667 | 167 | 36.0 | 44 | 1 | 17 | 2 | 2 | 33 | 1 | 0 | 20 | 19 | 4.75 | 1.69 | |
| 2008 | TEX | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 26 | 4.0 | 11 | 2 | 4 | 1 | 0 | 1 | 2 | 0 | 9 | 9 | 20.25 | 3.75 |
| 2009 | 楽天 | 35 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 1 | 10 | 4 | .875 | 187 | 45.1 | 42 | 2 | 13 | 2 | 1 | 34 | 3 | 0 | 11 | 11 | 2.18 | 1.21 |
| 2010 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | .000 | 10 | 1.0 | 6 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 5 | 5 | 45.00 | 4.00 | |
| NPB:15年 | 414 | 48 | 1 | 0 | 1 | 41 | 45 | 82 | 17 | .477 | 3068 | 708.1 | 718 | 59 | 257 | 25 | 28 | 495 | 41 | 2 | 313 | 287 | 3.65 | 1.38 | |
| MLB:1年 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 26 | 4.0 | 11 | 2 | 4 | 1 | 0 | 1 | 2 | 0 | 9 | 9 | 20.25 | 3.75 | |
[編集] 記録
- 初記録
- 初登板:1995年10月3日、対ヤクルトスワローズ25回戦(横浜スタジアム)、4回表に救援登板
- 初奪三振:同上、4回表にトーマス・オマリーから
- 初先発:1995年10月7日、対中日ドラゴンズ26回戦(ナゴヤ球場)、3回無失点
- 初勝利・初先発勝利:1997年7月3日、対中日ドラゴンズ14回戦(ナゴヤドーム)、6回無失点
- 初完投勝利:1999年5月2日、対ヤクルトスワローズ6回戦(明治神宮野球場)、9回2失点
- 初セーブ:2000年4月23日、対中日ドラゴンズ5回戦(ナゴヤドーム)
- 初ホールド:2005年4月8日、対オリックス・バファローズ1回戦(大阪ドーム)
- その他の記録
- オールスターゲーム出場2回(2006年、2007年)
[編集] 背番号
- 34 (1995年 - 2000年)
- 37 (2001年 - 2002年)
- 24 (2003年)
- 15 (2004年 - 2007年)
- 14 (2008年)
- 62 (2009年)
- 11 (2010年)
[編集] 登場曲
- マイアミ・バイスメインテーマ(2007年)
- 『ヒーロー』 FUNKY MONKEY BABYS(2010年 -)
[編集] 脚注
- ^ 福盛和男選手との契約合意について、東北楽天ゴールデンイーグルス、2009年06月19日。
- ^ 福盛を登録抹消 楽天、47NEWS、河北新報、2010年03月29日。
- ^ 福盛引退を発表=プロ野球・楽天、時事ドットコム、2010年09月24日。
- ^ 楽天 引退右腕の新たな夢 叔父の会社「一部上場させたい」、スポニチ、2010年12月15日。
- ^ マスターズ甲子園2011ガイドブック
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 常に強気!福盛和男ブログ
- 選手の通算成績と情報 MLB、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
- 個人年度別成績 【福盛和男 (東北楽天ゴールデンイーグルス)】 - 日本野球機構オフィシャルサイト
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