ピーター・ガブリエル
| ピーター・ガブリエル Peter Gabriel |
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|---|---|
| 基本情報 | |
| 出生名 | Peter Brian Gabriel |
| 出生 | 1950年2月13日(61歳) |
| 出身地 | |
| ジャンル | ロック プログレッシブ・ロック |
| 職業 | シンガーソングライター |
| 担当楽器 | 歌、キーボード、ピアノ、フルート |
| 活動期間 | 1960年代中期 - |
| レーベル | カリスマ・レコード ヴァージン・レコード リアル・ワールド・レコーズ アトランティック・レコード ゲフィン・レコード |
| 共同作業者 | ジェネシス ロバート・フリップ トニー・レヴィン ケイト・ブッシュ ユッスー・ンドゥール |
| 公式サイト | PeterGabriel.com |
ピーター・ブライアン・ガブリエル(Peter Brian Gabriel, 1950年2月13日 - )は、イギリス生まれのミュージシャン。
目次 |
[編集] 人物
1970年代にはロックバンドジェネシスのボーカリストとしてライヴに劇場的効果を導入し、奇抜なファッション(衣装)でのパフォーマンスで一躍有名となる。ソロ活動を初めてからはワールドミュージックの普及に尽くすとともに、自らの音楽にも大胆に取り入れてきた。また、技術革新を生かした創作活動にも積極的に取り組んでいる。
かなりの寡作家としても知られており、1990年代以降はアルバム発表のインターバルが長くなっている。サウンド・トラック等の企画盤の制作依頼や、様々なイベント参加もその要因である。一方、ジェネシス再結成の噂は幾度となく取り沙汰されてきたが、2006年に発表された再結成ツアーには不参加となった。
日本における音源リリースの名義表記は(ジェネシス時代から)一貫して本項表題の「ピーター・ガブリエル」で、日本独自の「ピーガブ」という省略呼称を使うファンも存在するほど浸透しているが、ピーター・バラカンはかつてコラムを連載していた『FM Fan』誌上で「原音はガブリエルではなくゲイブリエルのほうが近いのだから、表記もそうするべき」と提言。同誌はそれ以降、休刊まで表記を「ゲイブリエル」で統一した。また、これ以降、他の音楽雑誌で特集が組まれる際も「ピーター・ゲイブリエル」と表記されるケースが増えた。
[編集] 来歴
[編集] 幼少期からデビューまで
イングランド・サリー州のウォーキング近郊のチョバムで、発明好きの電気技師の父の元に生まれた。サリーに農場を持ち比較的裕福であったガブリエル家は、ガブリエルをパブリック・スクールに入れ寄宿舎生活を送らせたが、そこでの旧式で厳格な生活様式はガブリエルにとって意に染まないものであったようである。
ドラムを叩くことに精神的活路を見出した彼は、The Spoken World、 David Thomas Band、 The Garden Wallといったバンドを経て、1967年にパブリック・スクールの仲間であるアンソニー・フィリップス、マイク・ラザフォード、トニー・バンクス、クリス・スチュワート等と共にロック・バンド、ジェネシス(Genesis)を結成する。ガブリエルは、後にフィル・コリンズやスティーヴ・ハケット等が在籍することになるバンドのヴォーカリストとして中心的な役割を果たした。
[編集] ジェネシス在籍時
1969年に10代にしてプロデビューを果たしたジェネシスは、2作目のアルバム『侵入』(1970年)以降、当時隆盛期を迎えつつあったプログレッシヴ・ロックの有力バンドの一つとしてヨーロッパ諸国で名声を得ていった。
ガブリエルがジェネシスの音楽を視覚化するためにアルバム『フォックストロット』(1972年)の楽曲から取り入れ始めたというライヴでの奇抜な衣装やメイク、そして演劇性を取り入れたステージングは大きな注目を集めた。ジェネシスのフロントマンとしてバンドの主導権を握っていくが、あまりに強烈な個性のため、他のメンバーはあまり快くは思っていなかった。1974年のアルバム『眩惑のブロードウェイ』に至っては、ガブリエルが全面的に主導権を握り、ストーリー性の高い難解なアルバムを作り出している。
[編集] ソロ・キャリア
1975年、音楽性及びプライベートな理由(結婚や出産など)でグループを脱退し、音楽活動を一時休止。その後、1977年にソロ・アーティストとして活動を再開した。ソロ・アルバムはロバート・フリップやトニー・レヴィン、ケイト・ブッシュ等の参加もあり、作品を重ねるごとにジェネシス色を払拭していった。
『III』(1980年)や『IV』(1982年)といったアルバムでは、当時の最新シンセサイザーや民族音楽の導入によって独自の音楽世界を構築し、ジェネシス脱退以来の名盤と評価された。特に南アフリカ共和国の民族運動家、スティーヴ・ビコのことを歌った『III』収録の「ビコ」は、彼の代表曲のひとつになった。
1970年代から1980年代前半までは、知る人ぞ知るというマニアックな人気を持つカルト的なミュージシャンであったが、ポップスの要素を取り入れた1986年のアルバム『So』は世界的ヒットを記録。シングル・カットされた「スレッジハンマー」は、緻密な作りのプロモーション・ビデオがMTV等で話題を呼んだことも相まって、かつて在籍していたジェネシスの「インヴィジブル・タッチ」を1位から引き摺り下ろして、1986年7月26日付のビルボード・シングルチャートで全米No.1に輝いた。ピーターにとって、これが最初の全米No.1となった。
1992年、6年振りのオリジナル・アルバム『Us』を発表。『Us』発表後に行われた1993年の「シークレット・ワールド・ツアー」では、劇作家・俳優・映画監督のロベール・ルパージュを演出に起用し、テクノロジーと演劇性が融合した完成度の高いステージを披露し、高い評価を得た。
『Us』から更に10年が経過した2002年に久々の新作『Up』を発表。2006年のトリノオリンピックの開会式では、オノ・ヨーコのスピーチを引き継いでジョン・レノンの『イマジン』を披露した。
2010年には8年ぶりのスタジオ・アルバムとなるカバー・アルバム『スクラッチ・マイ・バック』をリリースしている。2011年には自身の楽曲にオーケストラ・アレンジを施したセルフカバー集『ニュー・ブラッド』をリリース。
[編集] 多方面への活動展開
ワールド・ミュージックに傾倒していることでも知られ、1982年以来、『ウォーマッド』(WOMAD, World of Music, Arts and Dance)フェスティバルを主宰し、ワールドミュージックの普及に貢献している。現在では、世界最大規模のワールドミュージック・フェスティバルとして知られている。
さらにウィルトシャー州ボックスにリアル・ワールド・スタジオを建設すると共に、1988年にはワールドミュージックのレーベル、リアル・ワールド・レコーズを立ち上げている。これらの活動によって、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン、ユッスー・ンドゥール等のアジアやアフリカの多くのミュージシャンをヨーロッパ世界に紹介するのに大きな役割を果たした。
また、音楽の他にもメディアアートなど最新の技術を取り入れた創作活動に興味を持っていたガブリエルは、プロモーション・ビデオ製作にも積極的で、そこに曲の宣伝目的以上の芸術的価値を見出していた。とりわけコマ取りのアニメーションを多用して作られた前述の「スレッジハンマー」(スティーヴン・ジョンソン監督)のプロモーション・ビデオは大きな評判を呼び、1987年のMTVミュージック・ビデオ・アワーズのベストビデオに選ばれている。同じ年には、メディアアートの世界的祭典であるアルス・エレクトロニカにおいてコンピュータ・ミュージック部門で最初のゴールデン・ニカ賞(グランプリ)を受賞している。
1993年にはCD-ROMとして公開されたマルチメディア作品『エクスプローラ1』を、1996年には『イヴ』を発表した。その他にも、いち早くオンデマンドの音楽配信会社「OD2」の設立に加わったり、iTunesでプレイリストを自動作成するためのアプリケーション「The Filter」の開発に携わるなど、新しい技術にも率先して関り続けている。
さらに、人権活動にも積極的に携わっており、1980年代にはアムネスティ・インターナショナル支援のいくつかのコンサートに率先して参加したほか、1992年にはビデオと通信メディアを利用して人権侵害を監視しようというWITNESSプロジェクトをリーボック人権基金と共に設立している。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] ジェネシス在籍時
- 1969年 『創世記』 (全米170位)
- 1970年 『侵入』 (全英98位)
- 1971年 『怪奇骨董音楽箱』 (全英39位)
- 1972年 『フォックストロット』 (全英12位)
- 1973年 『ライブ』 (全英9位・全米105位)
- 1973年 『月影の騎士』 (全英3位・全米70位)
- 1974年 『眩惑のブロードウェイ』 (全英10位・全米41位)
[編集] ソロ・アルバム
- 1977年 『ピーターガブリエル』 (全英7位・全米38位)
- 1978年 『ピーターガブリエル II』 (全英10位・全米45位)
- 1980年 『ピーターガブリエル III』 (全英1位・全米22位)
- 1982年 『ピーターガブリエル IV』 (全英6位・全米28位)
- 1986年 『So』 (全英1位・全米2位)
- 1992年 『Us』 (全英・全米2位)
- 2002年 『Up』 (全英11位・全米9位)
- 2010年 『スクラッチ・マイ・バック』 (全英12位・全米26位)
- 2011年 『ニュー・ブラッド』 (全英22位・全米30位)
なお、1977年から1982年までの4枚のアルバムのヨーロッパでの正式なタイトルはすべて『Peter Gabriel』であり、しばしば混乱の元となった。このため、ジャケットのデザインから『I』は『Car』、『II』は『Scratch』、『III』は『Melt』の愛称を付されて呼ばれた。また、アメリカでは『IV』のみ『Security』というタイトルが正式に付けられている。これらの他に『III』と『IV』のドイツ語バージョンがリリースされている。
[編集] ライブ・アルバム
- 1983年 『プレイズ・ライブ』 (全英8位・全米44位)
- 1994年 『シークレット・ワールド・ライブ』 (全英10位・全米23位)
[編集] ベスト・アルバム
- 1990年 『シェイキング・ザ・トゥリー』 (全英11位・全米48位)
- 2003年 『ヒット』 (全英29位・全米100位)
[編集] サウンド・トラック
- 1984年 『バーディー』 (全英51位・全米162位)
- アラン・パーカー監督の同名映画のサントラ。これまでの発表曲のインストゥルメンタル・バージョンが別名で収録されている。
- 1989年 『パッション』 (全英29位・全米60位)
- マーティン・スコセッシ監督の映画『最後の誘惑』(1988年))のサントラとして製作されたが、映画の公開後も製作は続けられ、リリースされたのは実に公開から10ヶ月後だった。民俗音楽を大胆に取り入れ、リアル・ワールド・レーベルの第1作となった。第2作目として、その元となった各地の民俗音楽のコンピレーションアルバム『パッション・ソーシーズ』が同時にリリースされている。
- 2000年 『OVO』 (全英24位)
- 2002年 『裸足の1500マイル』
- フィリップ・ノイス監督の映画『裸足の1500マイル』のサントラ。
この他に、数十の映画音楽に参加している。1995年『ストレンジ・デイズ/1999年12月31日』(ディープ・フォレストと共作したテーマ曲「While the Earth Sleeps」は、傑作として有名になった。
[編集] 映像作品
- 1987年 『Cv』
- 1990年 『PoV』
- 1994年 『シークレット・ワールド・ライヴ』
- 2003年 『グローイング・アップ・ライヴ』
- 2004年 『プレイ・ザ・ビデオ』
- 2005年 『ア・ファミリー・ポートレイト』
- 2005年 『スティル・グローイング・アップ - ライヴ & アンラップト』
[編集] マルチメディア作品
- 1993年 『エクスプローラ1』
- 1996年 『イヴ』
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
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