ビル・ブルーフォード

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ビル・ブルーフォード
Bill Bruford
(2004年)}
(2004年)
基本情報
出生名 William Scott Bruford
出生 1949年5月17日(65歳)
出身地 イングランドの旗 イングランド ケント州セブンオークス
ジャンル プログレッシブ・ロック
ジャズ・ロック
職業 ドラマーパーカッショニスト
活動期間 1968年 - 2009年
共同作業者 キング・クリムゾン
イエス
ジェネシス ほか
公式サイト BILLBRUFORD.com
この記事の項目名には以下のような表記揺れがあります。
  • ビル・ブラッフォード
  • ビル・ブラフォード
  • ビル・ブルフォード
  • ビル・ブルーフォード

ビル・ブルーフォードBill Bruford、本名:William Scott Bruford1949年5月17日 - )は、イギリスケント州セブンオークス出身のドラマーパーカッショニストプログレッシヴ・ロックジャズ・ロック界を代表するドラマーの一人であるばかりか、英プログレッシブ・ロックの歴史を体現した人物である、といっても過言ではない。在籍したバンドはキング・クリムゾンイエス、UK、(ライヴ・サポートのみだが)ジェネシス、ナショナル・ヘルスなど大物、或いは重要バンドばかりである。

表記問題[編集]

日本では長い期間「ブラッフォード」(もしくはブフォード、ブフォード、ブルッフォード)と表記されてきたが、「ビル・ブルーフォード」がより原音に近い表記である[1]。本人が表記の修正を以前から強く希望してきたものの、長らく「ストレンジデイズ」のような専門誌以外、主要メディアは応じていなかった。しかし、自伝Bill Bruford The Autobiographyの日本語版において、本人公認の「ブルーフォード」表記が採用されたため、本記事における記載はこれに準ずる。

略歴[編集]

ジャズ好きの姉の影響で、幼少の頃からジャズに興味を持ち、子供の頃はLPレコードのジャケットをスネア・ドラムの代わりにしてブラシで叩いて、ジャズのレコードの演奏にリズムを合わせて遊んでいた。

15歳の時にバンドを組んでライヴ活動を開始しているが、その当時はドラマーではなく、ベースを担当していた。[2]

プロのドラマーとしての活動はイギリスのバンド、サヴォイ・ブラウンのツアーで始まる。しかし、バンドはすぐに解体し、ギャラも支払われることもなく(だから、彼自身はこれをプロのキャリアとしては認めていない)終わっている。 その後、音楽誌「メロディ・メーカー」のメンバー募集の広告を出していたジョン・アンダーソンクリス・スクワイアと連絡を取り、イエスに迎えられることとなった。彼によると、イエスをジャズ・バンドだと思って加入したそうである。一度はイエスを抜けて大学に通うが、イエスに復帰し、デビュー・アルバム『イエス・ファースト・アルバム(Yes)』(1969年)を録音し、多くのライヴ活動をイギリス各地で行なっている。 その後のイエスのアルバム『時間と言葉(Time And A Word)』(1970年)、『イエス・サード・アルバム(The Yes Album)』(1971年)、『こわれもの(Fragile)』(1972年)、『危機(Close To The Edge)』(1972年)でドラマーを務めた。この時期はイエスにとって、いわゆる「黄金時代」とされている時期であり、その中でビル・ブルーフォードはポリリズムを駆使した彼独特のプレイスタイルを存分に聴かせている。『危機』の発表後にイエスを脱退し、キング・クリムゾンに加入。スタジオアルバムでは『太陽と戦慄(Larks' Tongues In Aspic)』(1973年)、『暗黒の世界(Starless And Bible Black)』(1974年)、『レッド(Red)』(1974年)に参加した。こちらではイエスの構築美とは対照的に激しい即興演奏の妙味を聴かせている。

キング・クリムゾン解散後は、カンタベリージャズロックの代表ナショナル・ヘルスゴング、そしてフィル・コリンズの要請でジェネシスのツアーメンバーなどのセッション活動を経て、初のソロアルバムを発表。ベースにはナショナル・ヘルスの同僚だったニール・マーレイが当初参加していたが、イメージに合わないとの理由からパトリック・モラーツの紹介でジェフ・バーリンを招聘した(自伝より)。その後、クリムゾンの同僚、ジョン・ウェットンとともに1978年にスーパー・バンドといわれたU.K.を結成。アルバム1枚でU.K.を脱退し、翌1979年にソロアルバム製作時のメンバーだった元ニュー・トニー・ウィリアムス・ライフタイム、ソフトマシーンのギタリスト、アラン・ホールズワースや元ナショナル・ヘルスデイブ・スチュワートとともに自身のバンドであるブルーフォードを結成した。しかし、アルバム『One of a Kind』発表後のツアーを終えるとホールズワースは脱退し、新たなギタリスト、ジョン・クラークが加入して、1枚のスタジオ録音アルバムとライブ・アルバムを発表するものの、バンドは経済的に行き詰まり1980年に活動を停止した。

1981年に、再結成されたキング・クリムゾンに参加。最先端のエレクトリック・ドラム「シモンズ」を使ったポリリズムが話題となった。再結成キング・クリムゾンが3枚のアルバムを発表後に再び活動停止状態となると、ジャズ・ロックの分野での活動にシフト。元イエスのパトリック・モラーツとのデュオは話題となり 渡辺貞夫がプロデュースのジャズイベントで来日公演をした。

1986年に自身のジャズ・バンドであるアースワークスを結成。当時の最先端楽器だったエレクトリック・ドラムをジャズでも自在に操る奏者としても名を馳せた。

これと並行して1989年には実質的なイエスの再結成バンドであるアンダーソン・ブルーフォード・ウェイクマン・ハウに参加し、1991年には再々結成したイエスのツアーに参加したが、短期間で再び脱退。

1994年にはダブルトリオとして再編成されたキング・クリムゾンに参加した。アコースティックドラムへの回帰を志向するブルーフォードに対し、パット・マステロットと同様にローランド製のエレクトリックドラム「V-Drums」の使用を求めるロバート・フリップとの見解の相違から、1997年にキング・クリムゾンを脱退。以降、アースワークスや、ブルーフォード・レヴィン・アッパー・エクストリミティーズなど自身が中心となるプロジェクトで活動していくようになる。

自身のプロジェクトでもプログレ系ミュージシャンを多数起用しており、彼抜きにプログレは語れないといえるほどの存在感を示したが、クリムゾン脱退以降はロックミュージックからは距離を置いた活動に重きを置いており、自身が中心となるコンテンポラリージャズのバンド「Bill Bruford's Earthworks」(1980年代に活動した同名のバンドとはメンバー構成が異なる)のリーダーとしても精力的に活動している。また、渡辺香津美の『Spice of Life』と続編の『Spice of Life TOO』のレコーディング及びツアーに、ジェフ・バーリンと共に参加(続編のツアー時はバーリンに代わってバニー・ブルネルが参加)するなど、ジャズ・フュージョン分野での活動も行っている。

意外なところでは久石譲のアルバム『地上の楽園』、井上鑑のアルバム『TOKYO INSTALLATION』及び、井上がサウンドプロデュースを担当した杏里の『TROUBLE IN PARADISE』などのアルバムにも参加している。

2009年、還暦を過ぎたことから「ライブ活動からの引退」を宣言し、現在は表立った活動をしていない。彼自身の言によると、ローディーやマネージャーを雇わず、ツアーに伴う航空機のチケット手配に至るまですべての仕事を自分一人で行う主義のため、負担が大きく演奏活動は60歳までと考えていたという。

2012年、自伝書の日本語版の発売のプロモーションで来日。

イエス加入時期[編集]

2009年に発表されたビルの自伝The Autobiographyにおいて、メロディ・メーカーの広告でジョンとクリスに出会い、1968年7月から9月いつも一緒にいたと記述されている。ロンドンのザ・ラッキー・ホースシューというコーヒー・バーの地下室でイエスとリハーサルを行った後、いくつかの小さなライブで成果を出しつつあったが、10月にリーズ大学の学籍をどうするか悩み、学業を選んでいったん脱退した。ビルの抜けた後にイエスは別のドラマー Tony O'Reilly を入れて活動したが、あまりに酷い演奏だったため、ロイヤル・アルバート・ホールで行われるクリームの解散コンサートの前座での演奏にビルを招聘。これがきっかけとなりイエスに加入した。

2011年6月に彼のオフィーシャル・サイトに掲載された彼自身からの情報によると、イエスはその前身バンドとされているメイベル・グリアーズ・トイショップが改名して「イエス」になったのであり、メイベル・グリアーズ・トイショップのドラマーであったボブ・ハガー(Bob Hagger)が当初はイエスのドラマーであったとされている。(ジョン・アンダーソン、クリス・スクワイア、ピーター・バンクス、ボブ・ハガーの4人が並んで寝そべっている写真も公開されている)

機材[編集]

参加するバンドやプロジェクトによって、使用するドラムセットのセッティングが大きく異なる。自身のバンドでもブルーフォード時代にはシェルがなく、音階が明確なレモ社製の「ロートタム」を多用していたが、初代アースワークスではエレクトリックドラム「シモンズ」に転換。再結成したアースワークスでは通常のドラムながら、ハイハットシンバルスネアドラムの前方(バスドラムの上)に、タムをスネアドラムと同じ高さにして左右対称に配置する独特のセッティングを行っている。なお、硬質ゴムのパッドは関節への負担が大きいことから90年代後半からシモンズはほとんど使用せず、メッシュヘッドを使用する近年のエレクトリックドラムも「アコースティックドラムのほうが細かいニュアンスを表現できる」との理由から使用していない。 1989年~1990年のアンダーソン・ブルーフォード・ウェイクマン・ハウのツアーではシモンズを多様していたが、バス・ドラムに関しては、最終公演地の日本ではアコースティックドラム使用に替えられたドラムセットにされていた。

彼のドラムで最も特徴のある音は、高いピッチにチューニングされているスネアドラムである。これは、イエスのメンバーとしてライブを行っていた時期、まだPAの存在しなかった頃で、ちゃんとリズムの刻みが観客に聴こえるように自分で考えて工夫した結果、とインタビューで述べている。また、自身がパワーのあるプレイヤーではないため、リムショットを多用したと自身のドラムクリニックビデオでも説明している。

再結成キング・クリムゾンに加入した頃から、エレクトリック・ドラムの「シモンズ」を愛用している。彼の場合はシモンズのセットと従来のアコースティック・ドラムのセットとの混在した独自のセットを使用している。シモンズを導入したのは彼が最も早期で、その後も最も長い期間使用してきたことから、彼は「シモンズの最初で最後の使用者」と呼ばれている。(1981年から1998年まで使用)

脚注[編集]

  1. ^ ABWHや自身のバンドのライブ盤の冒頭で正しい発音を聴くことが出来る。
  2. ^ 本人のFacebookに写真も掲載されている。メンバーは、彼の他に、Stu Murray, Nick Bigsby, Dave Molyneux, Mike Miller である。

外部リンク[編集]