イエス (バンド)

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イエス
Yes
イエス (インディアナポリス、1977年8月30日)
基本情報
出身地 イングランドの旗 イングランド ロンドン
ジャンル プログレッシヴ・ロック
シンフォニック・ロック
ハード・ロック
ポップ・ロック
アート・ロック
活動期間 1968年 - 1981年
1983年 - 現在
レーベル アトランティック・レコード
アトコ・レコード
アリスタ・レコード
ビクターエンタテインメント
サンクチュアリ・レコード
Eagle Records
共同作業者 アンダーソン・ブラッフォード・ウェイクマン・ハウ
エイジア
Cinema
XYZ
Circa:
バグルス
公式サイト YesWorld.com
メンバー
ジョン・デイヴィソン
スティーヴ・ハウ
ジェフ・ダウンズ
クリス・スクワイア
アラン・ホワイト
旧メンバー
ジョン・アンダーソン
ビル・ブルーフォード
トニー・ケイ
リック・ウェイクマン
トレヴァー・ラビン
ピーター・バンクス
パトリック・モラーツ
トレヴァー・ホーン
オリヴァー・ウェイクマン
イゴール・コロシェフ
ビリー・シャーウッド
ベノワ・ディヴィッド

{{{Influences}}}

イエス(Yes)は、イギリス出身のプログレッシヴ・ロックバンド。1969年にデビュー。代表作に「こわれもの - Fragile (1971年)」,「危機 - Close to the Edge (1972年)」、「ロンリー・ハート - 90125(1983年)」などがある。

活動[編集]

黎明期[編集]

ジョン・アンダーソンがウォリアーズ(Warriors)[1]というバンドから脱退し[2]、メイベル・グリアーズ・トイショップ(Mabel Greer's Toyshop)というバンドを結成したばかりのクリス・スクワイアクライヴ・ベイリーと合流したのが1967年の12月である[3]

閃光」に付属しているイエス人脈図によると、1968年1月から6月までは、アンダーソンはメイベル・グリアーズ・トイショップの一員として活動しており、6月からメンバー・チェンジの上、イエスというバンド名になったとされている[4]。(ただし、この人脈図の信頼性は低いとされている)

ビル・ブルーフォードによると、クリス・スクワイアが率いていたメイベル・グリアーズ・トイショップにジョン・アンダーソンが加わり、元・メイベル・グリアーズ・トイショップのギタリストだったピーター・バンクスを呼び戻し、メンバー募集の雑誌広告を見たブルーフォードがそれに合流したとのことである。そして、アンダーソン、スクワイア、バンクス、ブルーフォードの4人編成のメイベル・グリアーズ・トイショップによる初めてのライヴが、1968年6月7日、ロンドンに近いデプトフォードにあるレイチェル・マクミリアンズ・カレッジで行なわれている。その直後にブルーフォードが大学に進学する為にバンドを抜け、その時にバンクスの案でバンド名を改名した結果が「イエス」となったとのことである。イエスと名乗った時点でのメンバーは、アンダーソン(ボーカル)、スクワイア(ベース)、バンクス(ギター)、ボブ・ハガー(ドラム)の4人である[5]。その後、トニー・ケイ(キーボード)が加わり、ドラムはハガーに代わってトニー・オーレイリーが一時的に加わったものの、結局、ブルーフォードが復帰している。

同年8月にはプロを目指すバンドの登竜門として認知されていたマーキー・クラブ (Marquee Club)に毎週水曜日の夜に出演する様になる。9月にはイギリス・ツアーをキャンセルしたスライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンの代役としてイギリスの各クラブに出演して好評をはくし、11月26日に行われたクリームのフェアウェル・コンサートでは前座を担当した。この頃からメロディー・メーカー (Melody Maker) を初め各音楽マスコミでの露出も多くなり、翌1969年2月にはアメリカのアトランティック・レコードと契約した[6]

創設期[編集]

  • クリス・スクワイア (ベース)
  • ジョン・アンダーソン (ボーカル)
  • ビル・ブルーフォード (ドラム)
  • ピーター・バンクス (ギター)
  • トニー・ケイ (キーボード)

イエス・ファースト・アルバム - Yes(1969年)」と「時間と言葉 - Time and a Word(1970年)」を制作した時期を指す。両者は映画音楽のフレーズを引用したり、カヴァー曲でインストゥルメンタル・パートを拡大して即興を取り入れたりするなどの実験的要素を導入している。しかし、この時点は、いわゆるプログレと言われるような音では無く、結成当初に目指していた(または影響を受けた)ビートルズザ・フーバーズクリームヴァニラ・ファッジなどのアート・ロックサイケデリック・ロックとして分類される[7]

時間と言葉」ではオーケストラと共演してシンフォニック・ロックを実現している[8]

1969年4月にジャニス・ジョプリンの前座を務めたのを初め、様々なコンサートのサポートやロック・フェスティバルの出演を続け、8月にはヨーロッパ各地でプロモーション・ツアーが行われた。1970年の2月にはロンドンでナイスとのジョイント・コンサートが開催され[9]、3月には初の単独コンサートがロンドンで開催された。

成長期[編集]

  • クリス・スクワイア
  • ジョン・アンダーソン
  • ビル・ブルーフォード
  • トニー・ケイ
  • スティーブ・ハウ (ギター) --- 新加入

サード・アルバム - The Yes Album(1971年)」の発売の時期を指す。ピーター・バンクスが脱退し、スティーヴ・ハウが加わった。

「サード・アルバム 」は、前2作での緩やかな変化とは明らかに違う急速な進歩が一聴して分かる[要出典]。全てがオリジナル曲、10分近い大作、組曲形式。変拍子や対位法も盛り込まれ[要出典]、プログレッシヴと呼ばれる要素が詰まっている。一方で初期のポップさは一貫して保たれており[要出典]過渡期的なアプローチがみられる[要出典]

また、前作「時間と言葉」でエンジニアとして関わり、後々までイエスのスタジオ・ワークおよびステージの音響でも重要な働きをすることになるエディ・オフォードが、バンドとの共同プロデューサーとして参加したことも、変化をもたらした大きな要素の一つと考えられる。[要出典]

1970年7月から、このメンバー編成によるコンサートが開始され、ヨーロッパ各地を含む数々のライヴを務めた。翌1971年3月からは全16回という初の本格的なイギリス・ツアーが開催された。さらに6月頃には初めてアメリカでコンサート・ツアーを行っている[10]

1971年7月31日のライヴ演奏を最後にトニー・ケイが脱退し、このメンバー編成は終結した。実際には、脱退ではなくて解雇だったことがDVD「9012ライブ」に収録されたドキュメンタリーでトニー・ケイ自身が語っている。

飛躍期[編集]

  • クリス・スクワイア
  • ジョン・アンダーソン
  • ビル・ブルーフォード
  • スティーヴ・ハウ
  • リック・ウェイクマン (キーボード) --- 新加入

ストローブスリック・ウェイクマンが加わった「こわれもの - Fragile(1971年)」、続く「危機 - Close to the Edge(1972年)」が、イエスの最初のピークと言われている。

「こわれもの」はいくつかのアンサンブルとメンバーのソロ小品で構成され、メンバー個々の多彩な音楽性と、それらの絡みあいが端的に示されている[要出典]。アート・ワークに初めてロジャー・ディーンが起用された作品でもある。

危機」は全3曲というトータル・コンセプト・アルバムで、曲作りの主導権はアンダーソン / ハウだが、他のメンバーも全員、作詞 / 曲 / アレンジに関与している。[要出典]また、ばらばらに録音された各楽章を一貫した物として繋ぎ合わせたエディ・オフォードのテープ編集技術も多大な貢献をしている。[要出典]

1971年9月にはリック・ウェイクマン加入後初のライブが開催され、同月には2回目のイギリスツアー、11月には2回目のアメリカ・ツアーが催された。1972年2月から3月にかけての3回目のツアーが催行された時、「サード・アルバム」と「こわれもの」がアメリカでゴールド・ディスクを獲得している。

だが、このツアーを終えた時点で、ビル・ブルーフォードは脱退し、キング・クリムゾンに移籍した。そのため、ジョン・レノンのプラスティック・オノ・バンドなどのセッションで活躍していたアラン・ホワイトが加入する。7月から始まった4回目のアメリカ・ツアーからアラン・ホワイトが加わっている。翌1973年にリリースされた3枚組ライヴ盤「イエスソングス - Yessongs」では、ドラムスのほとんどをアラン・ホワイトが担当したテイクで構成された。ただし、「遥かなる思い出〜ザ・フィッシュ」や、ドラム・ソロが含まれた「パーペチュアル・チェンジ」はビル・ブルーフォードのドラムスによる演奏が使用されている。

熟成期[編集]

  • クリス・スクワイア
  • ジョン・アンダーソン
  • スティーヴ・ハウ
  • リック・ウェイクマン
  • アラン・ホワイト (ドラム) --- 新加入

海洋地形学の物語 - Tales from Topographic Oceans(1973年)」をリリースした時期。

「海洋地形学の物語」は、1973年の初来日公演中に読んでいたヒンドゥー教僧侶の著書からインスパイアされたアンダーソンが、そのアイデアに賛同したハウと創り上げた叙情詩である。大作指向はエスカレートし、2枚組で全4曲という構成となった。

この作品のコンセプトや出来そのものに不満を感じたウェイクマンは、他メンバーとのライフ・スタイルの違い[11]からくるストレスや、自身のソロ活動の成功もあって、バンドを脱退してしまう。

転換期[編集]

  • クリス・スクワイア
  • ジョン・アンダーソン
  • スティーヴ・ハウ
  • アラン・ホワイト
  • パトリック・モラーツ (キーボード) --- 新加入

ウェイクマンの後任候補としてギリシャ人のヴァンゲリスの名前が挙っていたが、英国のユニオン(音楽家組合)の問題(当時、外国人の英国への参入を極度に制限していた)などで実現しなかった。この時のヴァンゲリスとの接触は、後にアンダーソンとのユニット「ジョン・アンド・ヴァンゲリス」へと発展することになる。結局、ウェイクマンの後任には、レフジーというバンドのスイス人キーボード奏者・パトリック・モラーツがスカウトされてイエスに参加することになる。そしてアルバム「リレイヤー - Relayer(1974年)」が制作された。

「リレイヤー」は、「戦争と平和」(トルストイの著書とは無関係)という現実的なテーマを採り[要出典]アルバム構成も「危機」のスタイルに戻して[要出典]非常にテンションの高い演奏を繰り広げている。[要出典]パトリック・モラーツはフュージョンの要素を多く持ち込んでいる。

この時期は1976年まで続く精力的な公演を行い、メンバー全員のソロ・アルバム発表、ベスト・アルバム「イエスタデイズ - Yesterdays(1975年)」発表も行っている。

変革期[編集]

  • クリス・スクワイア
  • ジョン・アンダーソン
  • スティーヴ・ハウ
  • アラン・ホワイト
  • リック・ウェイクマン --- 復帰

究極トーマトをリリースした時期。

パンクニュー・ウェイヴが台頭した1970年代後半は、プログレッシヴ・ロックにおいても変化が生まれていた。ジャケット・アートを幻想絵画ロジャー・ディーンから、シュールフォトコラージュヒプノシスへ切り替え、プロデュースをエディ・オフォードから離れてセルフ・プロデュースのみで行うようになった。

究極 - Going for the One(1977年)」は、イエスのスタイルでもタイトでストレートなロックは出来ると証明するかのような部分、本来のイエスらしさを良い形で凝縮した部分がバランスよく配置されている。[要出典]アンダーソンがイエスの最高傑作と言う「悟りの境地 (Awaken)」、トップ10ヒットとなった「不思議なお話を (Wonderous Stories)」などが収録されている。

当初は「リレイヤー」のラインナップでスイスで始められたアルバム制作のリハーサルだが、音楽性の相違や諸々の問題が表面化してモラーツが脱退、旧友のウェイクマンがセッション・マンとして招かれた。このセッションでの感触から、ウェイクマンは結局正式メンバーとして復帰し、レコーディングもそのままスイスで遂行された。教会のパイプ・オルガンのウェイクマンと、スタジオのメンバー達とを電話回線で同期してレコーディングをするという試みも行われた。

トーマト - Tormato(1978年)」は、楽曲のコンパクト化をより推し進め、歌詞のテーマも身近で手軽なものを多く取り上げた作品となった。[要出典]しかし、前回はうまくいったセルフ・プロデュースが今回は裏目に出て[要出典]アレンジやミキシングでメンバー同士が相当に揉めたと言われている。[要出典]

1978年はイエス結成10周年でもあり、回転する円形ステージのライヴもこの頃に開始されている。

衰退期[編集]

  • クリス・スクワイア
  • スティーヴ・ハウ
  • アラン・ホワイト
  • トレヴァー・ホーン (ボーカル) --- 新加入
  • ジェフ・ダウンズ (キーボード) --- 新加入

ツアー終了後にパリで始めた新作のリハーサルが頓挫してしまい、結果として中心人物のアンダーソンとウェイクマンが脱退し、ボーカルとキーボードを失ったイエスは、同じマネージメントに所属していたエレクトロ・ポップ・デュオ、バグルスをまるごと吸収した。この時のバグルスは、デビュー作「ラジオ・スターの悲劇 - The Age of Plastic(1979年)」を大ヒットさせて間もない頃であった。

ニュー・ウェイヴ的アプローチへの歩み寄りを図った[要出典]アルバム「ドラマ - Drama(1980年)」だったが、発表当時から長年の間、イエスの象徴と言えるアンダーソンや人気者であるウェイクマンの不在が冷遇を招いた[要出典]

アメリカでは好評を博した[要出典]新ラインナップでのツアーも、ヨーロッパに戻ってくると、上記と同じ理由で評価も観客動員も良い結果を残せなかったと伝えられている。[要出典]こうして、このメンバー編成でのツアーを終えたイエスは活動を停止した。

停滞期(解散時)[編集]

1980年から1983年にかけての、具体的な活動が無かった時期を指す。なお、便宜上は「解散」という言葉を使っているが、アラン・ホワイトはそれを否定しており、メンバーが集まらなかったので活動を停止していただけ、と主張している。

ハウによると、スクワイアとホワイトの二人はジミー・ペイジとセッションを始め(XYZ = ex Yes Zeppelin : 元イエスと元レッド・ツェッペリンの意)、ホーンはそのバンドをプロデュースしたいと言って二人に同行し、最終的にイエスに残ったのは彼とダウンズだけだったのだという。ハウはイエスの再編も考えたが、当時のマネージャー、ブライアン・レーンの助言もあってイエスを諦め、新バンド、エイジア結成へシフトしたとされる。スクワイア、ホワイトの見方はこれとは全く逆で、ハウは自分達を置いてエイジアに行ってしまった、という意味あいの発言をしている。[12]

なお、アンダーソン脱退時のバグルス吸収、エイジアの結成、トレヴァー・ラビンの紹介など、この時期のイエスの動向を大きく左右したのはブライアン・レーンであった。

なお、最後のメンバー達の解散後の動きは、以下の様なものである。

トレヴァー・ホーンはバグルスの2作目「モダン・レコーディングの冒険 - Adventures in Modern Recording(1981年)」に着手した。この作品にはクリス・スクワイアがサウンド・エフェクトなるクレジットで1曲にゲスト参加している(実際にはイエスのライヴでの歓声を録音したテープを使用したのみで、スクワイア自身も自分の名前がクレジットされている事実をしばらく知らなかった)。また「ドラマ」に提供した「レンズの中へ」を、バグルス版にリ・アレンジした「アイ・アム・ア・カメラ」も収録されている[13]

クリス・スクワイア / アラン・ホワイトは、2人の名義でクリスマス・ソングのシングル盤「ラン・ウィズ・ザ・フォックス(1981年)」をリリースしている。スクワイアがリード・ヴォーカルを担当している同曲はピート・シンフィールドとの共作である。

新プロジェクトをいち早く商業的に成功させていたのはスティーヴ・ハウとジェフ・ダウンズのエイジアである。ジョン・ウェットン(元キング・クリムゾンU.K.他)、カール・パーマー(元エマーソン・レイク・アンド・パーマー)という陣容でブライアン・レーンのマネージメントの元に結成され、デビュー作『詠時感〜時へのロマン』(1982年)が、かつてのイエスの成功を遥かに上回る「全米8週連続1位、全世界で1500万枚」を売り上げる空前のヒットとなった。

再結成[編集]

  • クリス・スクワイア
  • アラン・ホワイト
  • トレヴァー・ラビン (ギター、ボーカル、キーボード) --- 新加入
  • トニー・ケイ --- 復帰
  • ジョン・アンダーソン --- 復帰

ジミー・ペイジとのXYZが暗礁に乗り上げたスクワイアとホワイトは、「シネマ」と仮称された新しいバンドを結成するためのメンバーとして、南アフリカ出身のマルチ・プレイヤー、トレヴァー・ラビンと合流した。ここに至るまでに、ラビンはデモ・テープを様々なレコード会社に送りつけており、一時エイジアに参加する可能性もあったという。

さらにスクワイアはオリジナル・メンバーのケイをシネマに参加させたが、ラビンがキーボード類にも明るかったことや、プロデュースに回ったホーンがサンプラーなどの最新技術をふんだんに取り入れていたこと、更には自身のスタイルとバンドの音楽性との阻隔もあって不満を抱き、一時は脱退してしまう(解雇とも言われている)。

スクワイア、ホワイト、ラビン、ケイの4人でのシネマとしてのデモ・テープが作成され、スクワイアがそれを偶然とパーティで同席したアンダーソンに聞かせたのをきっかけとして、アンダーソンがシネマに参加することになり、シネマがイエスに改名し、イエスの再結成となった。そして、ケイに代わってキーボードにチャールズ・オリンズ(スクワイアの当時の妻のバンド、エスクワイアのメンバー)をゲストに迎え、イエスは新作アルバム「ロンリー・ハート - 90125(1983年)」を完成させている。途中まで別のバンド「シネマ」の作品として制作されたため、ラビンがリード・ヴォーカルを取るパートも多い。

このアルバムからシングル・カットされた「Owner Of A Lonely Heart」はアメリカをはじめ多くの国で1位を獲得し、イエスは再結成によって最大の成功を手にした。ケイの脱退(解雇)によって、キーボード・プレイヤーが不在状態であったために、一時、エディー・ジョブソンが召集されている(シングル「ロンリー・ハート - Owner of a Lonely Heart」のプロモーション・ビデオでジョブソンの姿を確認できる)。しかし、マネージメント側が「これはあのイエスの再結成なのだ」という印象を与えるために、ケイをバンドに復帰させるに至り、これを嫌ったジョブソンは脱退をしている。ジョブソン曰く、「イエスにキーボード・プレイヤーは2人いらない」。この後に行なわれたワールド・ツアーでは、サポート・キーボードとして、ステージの袖で Casey Young というキーボード奏者が演奏を行なっていたが、バンドおよびマネージメント側はこれを公にはしていない。

ロンリー・ハートから3年強のブランクを経て、イエスは「ビッグ・ジェネレイター - Big Generator(1987年)」をリリースした。レコーディングは難航し、イタリアアメリカなどのスタジオを転々としてようやく完成したアルバムであるが、制作途中でホーンはプロデュースを降り、ラビンがその後を担った。このアルバムはクオリティは決して低くないものの、[要出典]セールスは振るわなかった。

この時期にバンドが本拠地を置いていたのはロサンゼルスである。発表作品は2枚のみであり実質活動期間も長くはないが、イエスとしては珍しく5年もの間メンバー・チェンジが発生しなかった。

ABWH (イエス二分裂時代)[編集]

1988年ビッグ・ジェネレイター・ツアーが終了した時点でジョン・アンダーソンは再びバンドを脱退する。そして彼はスティーヴ・ハウ、ビル・ブルーフォードリック・ウェイクマンとともに「アンダーソン・ブルーフォード・ウェイクマン・ハウ(以下ABWH)」を結成するに至る。アンダーソンがこうした活動に出た裏には、トレヴァー・ラビンが主導するバンドに不満を抱いていたということがあるとされる。アンダーソンの新しい活動は「イエス」という名称を巡り、この後ついに訴訟沙汰にまでなっている。

ABWH

  • ジョン・アンダーソン
  • ビル・ブルーフォード
  • リック・ウェイクマン
  • スティーヴ・ハウ

ブルーフォードがベーシストにトニー・レヴィンを連れてきて、スタジオ録音に全面参加している。その他には、、マット・クリフォード(key) 、ミルトン・マクドナルト(g) といったサポートメンバーが参加し、加えて、アンダーソンはヴァンゲリスと、ハウはジェフ・ダウンズ、マックス・ベーコンと(エイジア、GTR時代に)共作したマテリアルを持ち寄り新曲として仕上げている。こうして完成したアルバム「閃光 - Anderson Bruford Wakeman Howe(1989年)」は、大きな話題を呼び、ツアー・タイトルを「イエス・ミュージックの夜 - An Evening of Yes Music Plus」と銘打ち、'70年代のイエスの楽曲を数多く演奏した。

ABWHのライヴ作品「イエス・ミュージックの夜」は、CD / 映像ともに、体調を崩したレヴィンの代役として、ビル・ブルーフォードのソロ時代の仲間であるジェフ・バーリンが参加した時のものが使われている。また、マット・クリフォードはライヴには参加せず(同時期にローリング・ストーンズのツアーに参加していたため)、代わりにジュリアン・コルベックがツアーに参加した。

一方、本家イエスの方はサポートとしてワールド・トレイドビリー・シャーウッドを加えて新たな活動を模索していた。ただ、その成果は4枚組ボックス「イエス・イヤーズ - Yesyears(1991年)に収録された「ラヴ・コンクァーズ・オール - Love Conquers All」1曲のみで、シャーウッドは1997年の「オープン・ユア・アイズ - Open Your Eyes」で正式参加するまで、自身のバンドとイエスのサポートを並行させた。 この時期の本家イエスは、ファンの間ではそれ以前の本来のイエスやABWHと区別するために、「西海岸イエス(YesWest)」または「90125イエス」と呼ばれている。なお、本記事において以降登場する表記「9012バンド」は、ジョン・アンダーソンが当時のインタビューで用いていた本家側の蔑称である。

西海岸イエス (9012バンド)

  • クリス・スクワイア
  • トニー・ケイ
  • アラン・ホワイト
  • トレヴァー・ラビン

統合〜収束(イエス統一)[編集]

  • クリス・スクワイア
  • トニー・ケイ
  • アラン・ホワイト
  • トレヴァー・ラビン
  • ジョン・アンダーソン --- 復帰
  • ビル・ブルーフォード --- 復帰
  • リック・ウェイクマン --- 復帰
  • スティーヴ・ハウ --- 復帰

アルバム / シングルのヒットと、ツアーの好評を受けて、ABWHはセカンド・アルバム「ダイアログ - Dialogue(未発表)」のレコーディングに入った。しかし、楽曲の数が不足していたため、ジョン・アンダーソンはトレヴァー・ラビンに楽曲の提供を依頼。ラビンもこの依頼に応えて楽曲を提供することになった[14]。この流れでスクワイアがコーラスとしてABWHの曲に参加。結局、二つのバンドは合流してイエスとなる。そして、ほぼ録音が完了していたABWHの「ダイアログ」にスクワイアとラビンらのイエスの新作4曲を加えて再編集して、アルバム「結晶 - Union(1991年)」が発表された。このアルバムは、正式メンバー8名+トニー・レヴィン、ビリー・シャーウッドら多数のサポート・メンバーによって制作されたものである。

このアルバムに伴うツアーはジュール・ベルヌの小説「80日間世界一周」をモチーフにして「Round the World in 80 Days」と名づけられ、8人の正式メンバーで敢行され、世界各地で大いに盛り上がった。なお、ツアーの最終地である日本での来日公演直前にビル・ブルーフォード脱退という報道がなされ、宣伝写真から彼の姿が消えたこともあったが、アンダーソンが「あと2週間くらい付き合えよ」と説得し、8人でツアーを終えた。

再離散[編集]

  • ジョン・アンダーソン
  • クリス・スクワイア
  • トニー・ケイ
  • アラン・ホワイト
  • トレヴァー・ラビン

ツアーが終了するとブルーフォードとハウが脱退する。その結果、9012バンドとウェイクマンという6人編成となり、次作に向けてミーティングを行うものの、ウェイクマンが自身のソロ活動との両立が難しいと判断して脱退してしまう。その結果、イエスの編成は9012バンドの5人のメンバーに戻り、アルバム「トーク - Talk(1994年)」を制作・発表している。

このアルバムのツアーを最後に、ラビンはイエスを脱退。映画音楽の世界に転身する。また、トニー・ケイも脱退し、音楽活動から引退して側面からイエスをサポートしていくと表明した(この時点からしばらくの活動休止後、Circa、YOSO のメンバーとして復帰している)。

世紀末の混迷期[編集]

ラビンとケイの脱退を受け、ハウとウェイクマンが復帰。イエスのオフィーシャル・サイト YesWorld は「YesKnow」のタイトルで、アンダーソン、スクワイア、ホワイト、ハウ、ウェイクマンでのイエスの復活を発表し、1996年3月にカリフォルニア州のサン・ルイス・オビスポの劇場にて、このラインナップで復活ライブ(3度の公演)を行なった。

  • ジョン・アンダーソン
  • クリス・スクワイア
  • スティーヴ・ハウ --- 復帰
  • リック・ウェイクマン --- 復帰
  • アラン・ホワイト

そのようにして発表されたアルバム「キーズ・トゥ・アセンション - Keys to Ascension(1996年)」、「キーズ・トゥ・アセンション2 - Keys to Ascension 2(1997年)」は、サン・ルイス・オビスポでのライヴとスタジオ録音の新曲を混在させたプロジェクトであった。アルバム発表の後にはツアーが予定されていたが、マネージメントの変更を検討していたためスケジュールがなかなか決まらず、ウェイクマンがスケジュールを知ったのは、既に彼自身のソロ・ライブ・ツアーのスケジュールがブッキングされた後であった。こうしたトラブルからウェイクマンは4度目の脱退をした。1997年5月にはウェイクマン脱退が正式に発表され、予定されていたツアーはキャンセルとなった。

後任のキーボード・プレイヤーを探していたイエスは、ジョン・アンダーソンが連れてきたロシア出身のイゴール・コロシェフをツアー用のメンバーとして加入させる。また、1997年10月から組まれていたツアーに合わせ、クリス・スクワイアのソロ・プロジェクト「クリス・スクワイア・エクスペリメント」の曲が、急遽、イエスとしての作品に昇格してアルバムを制作する事となり、正式メンバーとなったビリー・シャーウッドが最終ミックスダウンを行った「オープン・ユア・アイズ - Open your eyes(1997年)」を完成させた。

  • ジョン・アンダーソン
  • クリス・スクワイア
  • スティーヴ・ハウ
  • アラン・ホワイト
  • ビリー・シャーウッド(ギター、キーボード、ボーカル) --- 新加入
  • イゴール・コロシェフ(キーボード) --- 新加入

1999年、バンドは名プロデューサーとして知られたブルース・フェアバーンを迎えてアルバム「ラダー - The Ladder(1999年)」を発表する。このアルバムではコロシェフは正式メンバーに昇格している。その後ビリー・シャーウッドが自分の活動に専念するため、イゴール・コロシェフが満期終了した契約の更改をせず[15]脱退。

21世紀のイエス[編集]

専任キーボード奏者の不在を逆に好機と捉えたイエスは、[要出典]以前から暖めていた企画であるオーケストラとの競演を柱とした作品「マグニフィケイション - Magnification(2001年)」を発表する。更には欧米でオーケストラとの共演ライヴを実現した。ライヴではキーボードにトム・ブリズリンが参加している。[16]

  • ジョン・アンダーソン
  • クリス・スクワイア
  • スティーヴ・ハウ
  • アラン・ホワイト

マグニフィケイション・ツアーを終えたイエスは、ウェイクマンの復帰(4回目)を発表した(真偽は不明だが一説によると、曲作りには参加しないツアーのみの契約であるといわれている)。その後イエスは、2002年のクラシック・ツアー、2003年のフルサークル・ツアー、2004年の35周年記念ツアーと大規模なツアーを行ったものの、スタジオ・レコーディングの新作を出していない。

  • ジョン・アンダーソン
  • クリス・スクワイア
  • スティーヴ・ハウ
  • リック・ウェイクマン --- 復帰
  • アラン・ホワイト

2004年11月11日、ロンドンのウェンブリー・アリーナで開催されたトレヴァー・ホーンの25周年記念ライブに、ジョン・アンダーソン、トニー・ケイ、ホーン自身を除く「ドラマ」と「90125」の混成メンバーでイエスとして参加(ヴォーカルはラビンが兼任)。ホーン自身はバグルスとしてダウンズ、ホワイトと共演している。

  • クリス・スクワイア
  • スティーヴ・ハウ
  • アラン・ホワイト
  • トレヴァー・ラビン --- スポット復帰
  • ジェフ・ダウンズ --- スポット復帰

2005年「今年はツアーをやりたくない」というアンダーソンの意向を受けて、イエスはグループとしての活動を停止し、メンバーはソロ活動に入った。また、リック・ウェイクマンが、公式に次のイエスの活動には参加しないことを表明した。

2008年、ジョン・アンダーソン、スティーヴ・ハウ、クリス・スクワイア、アラン・ホワイト、オリヴァー・ウェイクマン(リック・ウェイクマンの長男。心臓病を抱えたリック・ウェイクマンは医師の助言により参加せず、代わりに息子を推薦したとのことである)というラインナップでバンド結成40周年をふまえた世界ツアーを行うことが公式サイトにて発表された。だが、ジョン・アンダーソンの病気によりキャンセルとなった。

  • クリス・スクワイア
  • スティーヴ・ハウ
  • アラン・ホワイト
  • オリヴァー・ウェイクマン (キーボード) --- 新加入
  • ベノワ・ディヴィッド (ボーカル) --- 新加入

アンダーソンの回復を待たず、同年9月、カナダ人シンガーのベノワ・ディヴィッドをアンダーソンの代理として起用、11月から12月にかけて、北米で「イン・ザ・プレゼント・ツアー」を敢行。その後にアンダーソンの病状は回復するものの、イエスへの復帰が認められず、イエスは2011年までベノワ・ディヴィッドとオリヴァー・ウェイクマンを加えたラインナップでライヴ活動を続けた。

その間、アンダーソンはソロ・ライヴで欧米を巡業し、2010年にはイギリスでリック・ウェイクマンとの共演の「プロジェクト360」としてのライヴも行ない、連名のアルバムも発表している。

2010年、ベノワ・ディヴィッドとオリヴァー・ウェイクマンを正式なメンバーとして次作のレコーディングを行なうことがアナウンスされた。プロデューサーにはトレヴァー・ホーンが参加すると発表された。

2011年、キーボードにジェフ・ダウンズ、プロデューサーにトレヴァー・ホーンを迎えて製作されたアルバム「フライ・フロム・ヒア - Fly From Here」を発表。オリヴァー・ウェイクマンについては脱退なのか、解雇なのかアナウンスされていない。アルバムのタイトル曲である「フライ・フロム・ヒア」は1980年のアルバム「ドラマ」の時に作られていた曲の再利用である。(当時のイエスのライヴにて披露されていたほか、バグルスとしてレコーディングもされていた)

  • クリス・スクワイア
  • スティーヴ・ハウ
  • アラン・ホワイト
  • ジェフ・ダウンズ --- 復帰
  • ベノワ・ディヴィッド

同年7~8月、スティクスを前座として北米ツアーを、11月~12月には単独でヨーロッパ・ツアーを行い、そのツアーでのライヴ録音盤「イン・ザ・プレゼント〜ライヴ・フロム・リヨン - In The Present Live From Lyon」が発表された。

  • クリス・スクワイア
  • スティーヴ・ハウ
  • アラン・ホワイト
  • ジェフ・ダウンズ
  • ジョン・デイヴィソン (ボーカル) --- 新加入

2012年2月、オーストラリア・ツアーを前にベノワ・ディヴィッドが病気のため正式に脱退[17]。後任ボーカルとしてジョン・デイヴィソンが参加。4月には10年ぶりの来日公演を果たした。

2013年3月1日より北米で「スリー・アルバム・ツアー」を開始。この企画は「サード・アルバム」、「危機」、「究極」の3つのアルバムの全曲を、それぞれのアルバム収録の曲順に演奏する内容である。ただし、アルバムの順は公演ごとに違っていた。また、会場の使用時間の制限などの理由により、2つのアルバムの演奏のみになった公演もある。 その後、同じ内容での南米ツアーも行なわれた。

2013年3月7日、元・メンバーのピーター・バンクスが死去。

2013年3月末には、プログレッシュヴ・ロックのバンドの演奏を船上で聞く企画「クルーズ・トゥ・ジ・エッジ (Cruise to the Edge)」(イエスのアルバム「危機」の原題 "Close to the Edge" のもじり)に参加した。

2013年秋から次のスタジオ・アルバムの録音が開始されることがアナウンスされた。

メンバー[編集]

ボーカル ギター キーボード ベース ドラムス
1968–1970 ジョン・アンダーソン ピーター・バンクス トニー・ケイ クリス・スクワイア ビル・ブルーフォード
1970–1971 スティーヴ・ハウ
1971–1972 リック・ウェイクマン
1972–1974 アラン・ホワイト
1974–1976 パトリック・モラーツ
1976–1980 リック・ウェイクマン
1980–1981 トレヴァー・ホーン ジェフリー・ダウンズ
1981–1983 事実上の解散中
1983–1989 ジョン・アンダーソン トレヴァー・ラビン トニー・ケイ
トレヴァー・ラビン (スタジオのみ)
クリス・スクワイア アラン・ホワイト
1990–1992 トレヴァー・ラビン
スティーヴ・ハウ
トニー・ケイ
リック・ウェイクマン
アラン・ホワイト
ビル・ブルーフォード
1993–1994 トレヴァー・ラビン トニー・ケイ
トレヴァー・ラビン
アラン・ホワイト
1995–1997 スティーヴ・ハウ リック・ウェイクマン
1997 スティーヴ・ハウ
ビリー・シャーウッド
ビリー・シャーウッド (スタジオのみ)
1997–2000 イゴール・コロシェフ
2000 スティーヴ・ハウ
2001–2002 トム・ブリズリン (ツアーのみ)
2002–2004 リック・ウェイクマン
2004 トレヴァー・ラビン トレヴァー・ラビン
スティーヴ・ハウ
ジェフリー・ダウンズ
2004–2008 活動停止
2008–2010 ベノワ・ディヴィッド スティーヴ・ハウ オリヴァー・ウェイクマン クリス・スクワイア アラン・ホワイト
2011-2012 ジェフリー・ダウンズ
2012-現在 ジョン・デイヴィソン

ディスコグラフィ[編集]

スタジオ・アルバム[編集]

発表年 タイトル (邦題) タイトル (原題) 最高順位(UK) 最高順位(US)
1969年 イエス・ファースト・アルバム Yes - -
1970年 時間と言葉 Time And Word 45 -
1971年 イエス・サード・アルバム The Yes Album 7 40
1971年 こわれもの Fragile 7 4
1972年 危機 Close To The Edge 4 3
1973年 海洋地形学の物語 Tales From Topographic Oceans 1 6
1974年 リレイヤー Relayer 4 5
1977年 究極 Going For The One 1 8
1978年 トーマト Tormato 8 10
1980年 ドラマ Drama 2 18
1983年 ロンリー・ハート 90125 16 5
1987年 ビッグ・ジェネレイター Big Generator 17 15
1991年 結晶 Union 7 15
1994年 トーク Talk 20 33
1996年 キーズ・トゥ・アセンション Keys To Ascention 48 99
1997年 キーズ・トゥ・アセンション2 Keys To Ascention 2 62 -
1997年 オープン・ユア・アイズ Open Your Eyes - 151
1999年 ラダー The Ladder 36 99
2001年 マグニフィケイション Magnification 71 186
2011年 フライ・フロム・ヒア Fly from Here 30 36

ライヴ・アルバム[編集]

発表年 タイトル(邦題) タイトル(原題) 最高順位(UK) 最高順位(US)
1973年 イエスソングス Yessongs 7 12
1980年 イエスショウズ Yesshows 22 43
1985年 9012ライブ 9012 Live : The Solos 44 81
1993年 イエス・ミュージックの夜 An Evening Of Yes Music Plus - -
1997年 BBCセッション1969-1970 サムシングズ・カミング Yes BBC Sessions 1969-1970 Something's Coming - -
2000年 ハウス・オブ・イエス House Of Yes 36 99
2005年 ライヴ・イヤーズ The Word Is Live - -
2011年 ユニオン・ツアー1991 Union Live - -
2011年 イン・ザ・プレゼント〜ライヴ・フロム・リヨン In The Present - Live From Lyon - -

コンピレーション[編集]

発表年 タイトル(邦題) タイトル(原題) 最高順位(UK) 最高順位(US)
1975年 イエスタデイズ Yesterdays 27 17
1981年 クラシック・イエス Classic Yes - 142
1991年 イエス・イヤーズ Yesyears - -
1992年 イエス・ストーリー Yesstory - -
1993年 ベリー・ベスト・オブ・イエス The Very Best Of Yes - -
2002年 ヒストリー・ボックス In A Word - -
2003年 アルティメイト・イエス The Ultimate Yes 10 131
2004年 (Re)Union (Re)Union - -

その他[編集]

ビデオソフト[編集]

  • ベスト・オブ・ミュージック・ラーデン・ライヴ (1969/1971年のテレビ出演ビデオ)
  • イエスソングス (1972年のライブ)
  • イエス/ライブ 1975 - (1975年のライブ・当初は1タイトル。その後Vol.1とVol.2に分割)
  • ライブ・イン・フィラデルフィア (1979年のライブ)
  • 9012ライブ (1984年9月のライブ)
  • イエス・ミュージックの夜 (ABWH名義・1989年のライブ)
  • イン・ザ・ビッグ・ドリーム (ABWH名義・インタビューとビデオ・クリップとライブ)
  • イエスショウズ91 (1991年8月8日のライブ)
  • イエスイヤーズ (1991年発売のドキュメントビデオ)
  • (1991年発売のビデオ・クリップとインタビュー)
  • キーズ・トゥ・アセンション Vol.1 / Vol.2 (1996年のライブ)
  • ハウス・オブ・イエス (1999年10月のライブ)
  • シンフォニック・ライブ (2001年11月のライブ)
  • Yes Acoustic (2004年1月20日のライブ)
  • イエススピーク (2004年発売の35周年記念ドキュメントビデオ)
  • Live at Montreux 2003 (2003年7月14日のライヴ)
  • Rock of the 70's (1970年9月にベルギーでテレビ放送された30分番組のビデオ・ソフト化)
  • The Lost Broadcasts (1969年~1970年のドイツのテレビ番組「ビート・クラブ」出演時の映像とそのアウトテイク)
  • Classic Artists (インタビューでイエスの歴史を振り返るドキュメンタリー)

ソフトの発売時期によって、テープ/LD/DVD等、収録メディアに差異がある。

来日公演[編集]

  • Close to the Edge Tour (1973)
    • 3/8 東京・東京厚生年金会館
    • 3/9 東京・渋谷公会堂
    • 3/10 東京・神田共立講堂
    • 3/11 名古屋・名古屋市公会堂
    • 3/12 大阪・厚生年金会館
    • 3/14 京都・京都会館
  • Big Generator Tour (1988) ※トレヴァー・ラビン加入後の初公演
    • 4/4,4/5,4/7 東京・国立代々木競技場
    • 4/9 横浜・横浜文化体育館
    • 4/10 名古屋・名古屋国際会議場
    • 4/12,4/13 大阪・大阪府立体育会館
  • Anderson Bruford Wakeman Howe Tour 1990
    • 3/1,3/2,3/4,3/8 東京・NHKホール
    • 3/5 大阪・フェスティバルホール
    • 3/7 横浜・横浜文化体育館
  • Union Tour 1991-1992(来日は1992)
    • 2/29,3/5 東京・国立代々木競技場
    • 3/2 大阪・大阪城ホール
    • 3/3 名古屋・名古屋国際会議場
    • 3/4 横浜・横浜文化体育館
  • Talk Tour 1994
    • 9/29 大阪・大阪城ホール
    • 9/30 香川・高松県立高松文化ホール
    • 10/1 福岡/小倉北区・厚生年金ホール
    • 10/4,10/5 東京・日本武道館
    • 10/6 仙台・サンプラザホール
    • 10/10 名古屋・レインボーホール  
    • 10/11 広島・厚生年金ホール
  • Open Your Eyes and Thirtieth Anniversary Tour 1997-1998(来日は1998)
    • 10/8 ,10/9 東京・渋谷公会堂
    • 10/11 埼玉・川口LILIAメインホール
    • 10/13 名古屋・名古屋市公会堂
    • 10/14 大阪・厚生年金会館
  • Full Circle Tour 2002-2003(2003)
    • 9/12 大阪・厚生年金会館
    • 9/14,9/15 東京・国際フォーラムホール
    • 9/16 横浜・神奈川県民ホール
  • Rite of Spring and Fly From Here Tours 2011-2012(2012)
    • 4/17 東京・日本青年館
    • 4/18,4/19 東京・渋谷公会堂
    • 4/21 兵庫・尼崎市総合文化センター


関連アーティスト/バンド[編集]

  • GTR (エイジアの後、スティーヴ・ハウが結成に参加、ジェフ・ダウンズがプロデューサー担当)
  • U.K. (ビル・ブルーフォードが結成に参加/キーボードのエディ・ジョブソンが短期間のみイエス参加)
  • ブルーフォード (ビル・ブルーフォードが結成/ベースのジェフ・バーリンがABWHをサポート)
  • XYZ、シネマ(80'sイエスの前身)
  • アンダーソン・ブルーフォード・ウェイクマン・ハウ (イエスの別動バンド)
  • ヴァンゲリス(ジョン・アンダーソンが「天国と地獄」にゲスト参加)
  • エイジア (スティーヴ・ハウとジェフ・ダウンズが結成に参加、ビリー・シャーウッドが「サイレント・ネイション」で参加)
  • キング・クリムゾン (ジョン・アンダーソンが「リザード」にゲスト参加/ビル・ブルーフォードが移籍/ベースのトニー・レヴィンがABWHをサポート)
  • グラス・ハマー (ジョン・アンダーソンが2007年のアルバム「Culture Of Ascent」にゲスト参加。またリード・ボーカルのジョン・デイヴィソンが2012年よりイエスに参加)
  • ジョン・アンド・ヴァンゲリス(1979年以降のジョン・アンダーソン参加ユニット)
  • スターキャッスル (オリヴァー・ウェイクマンが2007年の再結成時に参加)
  • ストローブス (リック・ウェイクマンの移籍元)
  • デヴィッド・ボウイ (大学時代のリック・ウェイクマンがセッション参加)
  • バグルス (トレヴァー・ホーンとジェフ・ダウンズの移籍元)
  • バジャー - Badger (トニー・ケイが最初に脱退した直後に結成したバンド)
  • プラスティック・オノ・バンド (セッション・マン時代のアラン・ホワイトがツアーに参加)
  • フラッシュ (脱退後のピーター・バンクスが結成したバンド。トニー・ケイもゲスト参加)
  • T・レックス (大学時代のリック・ウェイクマンがセッション参加)
  • ムーディー・ブルース (脱退後のパトリック・モラーツが一時在籍)
  • ラビット (トレヴァー・ラビンが地元の南アフリカで在籍)
  • レフュジー (パトリック・モラーツの移籍元)
  • ワールド・トレイド (ビリー・シャーウッドが元在籍)
  • 喜多郎 (『十五少女漂流記』のサウンドトラックに、ジョン・アンダーソンがゲスト参加)
  • サーカ(ビリー・シャーウッド、トニー・ケイ、アラン・ホワイトら、イエスとその周辺人物が結成)
  • ミステリー - Mystery(ベノワ・ディヴィッドが在籍しているバンド。彼の地元カナダで活動している)
  • Close to the Edge(ベノワ・ディヴィッドが参加していたイエスのコピーバンド[18]。)
  • YOSO(ビリー・シャーウッド、トニー・ケイとトトの関係者によるバンド。バンド名は Yes + TOTO から)
  • スーパートランプ(アルバム「トーク」に参加したロジャー・ホジソンが在籍していた)
  • クイーン(アルバム「イニュエンドウ」にスティーヴ・ハウが参加。)

参考書籍[編集]

  • ティム・モーズ著「イエス・ストーリー 〜 形而上学の物語(原題:YesStories)」
  • クリス・ウェルチ著「ザ・ストーリー・オブ・イエス (原題:Close to the Edge〜The Story of Yes)」
  • 監修:片山 伸「イエス・ファイル」
  • 「ストレンジ・デイズ」2005年8月号
  • 黒田史朗著「イエス」(音楽之友社刊)

脚注[編集]

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  1. ^ 米のバンドであるThe Warriorsとは別のバンド
  2. ^ ウォリアーズには後にキング・クリムゾンにドラマーとして加入するイアン・ウォーレスも在籍していた。
  3. ^ 黒田史朗著「イエス」より。以降、特に表記が無い限り、時期や場所の記述は参考書籍に列記された資料やアルバムのライナーノーツなどに基づいている。
  4. ^ ただし、この人脈図は、ビル・ブルーフォードの参加時期など、インタビューにおける本人のコメントと整合していない記述もあり、資料価値としての疑問を呈する意見もある。
  5. ^ ビル・ブルーフォードの公式サイトで彼自身が名言しており、「イエス」に改名した時点の4人が並んで寝そべっている写真も公開されている。
  6. ^ アメリカのアトランティック・レコードと直接契約を交わした最初のイギリスのバンドがイエスである。
  7. ^ スクワイアとバンクスがファンだと公言していたザ・フーの影響が現れているという意見もある。更にブルーフォード、ケイ、バンクスが傾倒していたジャズの要素も少なくない。また、アンダーソンが気に入っていたコーラス・グループのフィフス・ディメンション、スクワイアが少年時代に参加していた聖歌隊、そして2人が共にファンだったというサイモン&ガーファンクルという嗜好で意見が合致した「強力なコーラス・ワーク」は、結成当初から現在に至るまで一貫してイエスのサウンドに取り入れられている。
  8. ^ 当時、ムーディー・ブルースナイスディープ・パープルといったバンドが同様の企画を実行しており、一種の流行として捉えられている。
  9. ^ 2回分の公演のチケットが即日完売となり、追加/再追加公演が行われた記録が残されている。
  10. ^ ただし、大部分が他のバンドの前座だったため、詳細は伝わっていない。
  11. ^ 主に食生活。ウェイクマン以外の4人が菜食主義であった事が大きかった。
  12. ^ XYZのセッションがかなり具体的なものであったことは、当時の音楽マスコミも重ねて伝えており、ジョン・ボーナムを失ったばかりのレッド・ツェッペリンが、その活動を続けるため、キーボードもこなすベーシストのジョン・ポール・ジョーンズをキーボード専任にシフトし、開いたリズム・セクションを埋めるため、クリス・スクワイアとアラン・ホワイトを加入させる、という噂まで飛び出した。事実、そういう形のセッションも実験的に行われたと伝えられているが、結局はXYZもスクワイアとホワイトの移籍も実現せず、二人はシネマ (Cinema) の結成に向けて活動を開始する。また、XYZのスタジオでのリハーサルの録音テープ(4曲入り)が流出しており、その中からの2曲が後にイエスの曲として発表された作品の原曲となっている。
  13. ^ ホーンのソロ・プロジェクト色が強い作品だが、ジェフ・ダウンズもエイジアに参加するまでの短期間ながら、制作に携わっている。商業的成功は前作に全く及ばず、日本では当時リリースすらされなかったが、以後プロデューサーとして名声を得るホーンが、ミュージシャン/アーティストとしての活動に一区切りを付けた(アート・オブ・ノイズも実質的には彼のユニットとして見ることができるのだが、正式にメンバーとしてクレジットされるのは1999年作品「ドビュッシーの誘惑 - The Seduction of Claude Debussy」が初)作品という意味でも重要な1枚であると言える。
  14. ^ ちなみにこの経緯については、「ABWHは実際には曲作りに困っていなかったが、アンダーソンが抱いていた『よりイエスらしい自分たちがイエスと名乗れないフラストレーション』解消のためにラビンに接触した、というのが実情」と見る向きもある。
  15. ^ ジョン・アンダーソンによるコメント。この件については当時詳細なアナウンスがされず、ツアー中に二名の女性警備員へ暴行事件(実際にはキスを迫ったり、首筋を噛んだりといったセクハラ的行為)を起こしたことによる解雇であるとも噂された。
  16. ^ ブリズリンの姿は「シンフォニック・ライヴで確認が出来る。
  17. ^ [1]
  18. ^ 公式サイトによれば現在は参加していない模様

外部リンク[編集]