大塚晶則
レンジャーズ時代
|
|
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | 千葉県千葉市花見川区 |
| 生年月日 | 1972年1月13日(40歳) |
| 身長 体重 |
182cm 95kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1996年 ドラフト2位 |
| 初出場 | NPB / 1997年5月13日 MLB / 2004年4月6日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
|
|
| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| WBC | 2006年 |
|
この表について
|
|
大塚 晶則(おおつか あきのり、本名:大塚 晶文(読み同じ)、1972年1月13日 - )は、千葉県千葉市出身のプロ野球選手(投手)。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] プロ入り前
横芝敬愛高等学校では甲子園に出場することなく終わり、首都大学野球連盟所属の強豪校東海大学に入学し、硬式野球部で活躍する。卒業後は、社会人野球・日本通運硬式野球部に進む。
1996年のドラフト会議で近鉄バファローズから2位指名され入団。背番号は、野茂英雄のメジャー移籍後空き番号となっていた11を自ら希望して継承した。
[編集] プロ入り後
[編集] 近鉄時代
1年目の1997年から50試合以上に登板し、リリーフばかりの登板で100奪三振を超えるなど、主にセットアッパーとして活躍した。
2年目の1998年には赤堀元之に代わるクローザーとしてパ・リーグ新記録の35セーブを挙げて最優秀救援投手に輝く。
1999年には故障でシーズンの半分を棒に振るも、その後も不動のクローザーとして活躍。
2001年は、開幕戦からセーブを挙げるも3点差の場面を1点差まで詰め寄られ、その後も不安定な投球が続いて中継ぎに降格し、更に二軍に降格する屈辱を味わう。しかしシーズン後半には復調し、9月には自身2度目の月間MVPを受賞する活躍を見せ、シーズン終盤三つ巴という混戦をチームが抜け出すのに大きく貢献し、近鉄は12年ぶりのリーグ優勝を果たした。当時、自身のニックネームを公募するという企画があり、背番号11にちなみ「鉄人11号」という候補などあったが、意に合うものが無く企画を白紙にした。
2002年のシーズン終了後、ポスティングシステムでのメジャーリーグ移籍を目指して入札を募集したがメジャーからの入札はなかった。大塚はポスティングにかけられた時点で余剰戦力になったはずであると主張し、自由契約を希望する。その後、近鉄球団がポスティング手続きにおいて手違いをしていたことが明らかになり、その不信感もあって金銭トレードで中日ドラゴンズへ移籍。
[編集] 中日時代
2003年は、退団したエディ・ギャラードに代わって抑えを務めるなど主力選手として活躍した。また、シーズン途中に登録名を晶文から現在の晶則に変更(登録名を変えたのは、「晶文」では「あきのり」とあまり読んでもらえなかったため)。
シーズンオフに再びポスティングでの移籍を目指したところ、サンディエゴ・パドレスが30万ドルで落札し、2年契約で同球団に入団した。
[編集] メジャー時代
[編集] サンディエゴ・パドレス
2004年、4月6日のロサンゼルス・ドジャース戦でメジャーデビュー。最初は敗戦処理としてのスタートだったが、4月に初勝利と初セーブを挙げると以降はセットアッパーとして定着。6月11日のニューヨーク・ヤンキース戦では、8回と9回を投げて打者6人を完璧に抑え、松井秀喜とも対戦した。9月にはESPNの選出する「お買い得だったFA選手ベスト10」の6位にランクインした。最終的にリリーフ投手中リーグ3位の防御率1.75と同5位の奪三振率10.13、2位の被打率.199を記録し、リーグ最多の34ホールドを獲得した。
2005年はアウェイで0勝8敗、防御率6.92、WHIP2.08と打ち込まれ前年より成績を下げたが、ホームでは防御率1.23、WHIP0.95と好投しチーム7年ぶりの地区優勝に貢献した。
[編集] テキサス・レンジャーズ
2006年1月4日にクリス・ヤングとエイドリアン・ゴンザレスとのトレードによりアダム・イートンらと共にテキサス・レンジャーズへ移籍。3月にはワールド・ベースボール・クラシック日本代表に参加。クローザーとして5試合に登板し、日本代表の優勝に貢献した。特に決勝戦では8回裏1死で1点差に迫られた直後という厳しい場面からの登板となったが、わずか4球で2アウトを取り、1点差に追い詰められていた日本代表を救った。味方が4点を追加した後の9回を1失点で切り抜け、WBC初の胴上げ投手となった。
レギュラーシーズンではクローザーを務めていたフランシスコ・コーデロの不調に伴い、クローザーに抜擢。メジャー屈指の投手有利の球場であったペトコ・パークをホームとしていた前年と変わり、メジャー屈指の打者有利の球場であるレンジャーズ・ボールパーク・イン・アーリントンをホームとすることとなったが、ホームでは防御率1.67、WHIP0.99と好投した。9月3日のクリーブランド・インディアンス戦では佐々木主浩以来日本人メジャーリーガー2人目となる30セーブを達成。その後は頭痛により19日から登板がなくシーズンを終了したが、最終的にリリーフ投手中リーグ7位の与四球率1.66と安定した制球力で2勝4敗32セーブ、リリーフ投手中リーグ8位の防御率2.11、同8位のWHIP1.07の成績を残した。
2007年はエリック・ガニエの加入により再びセットアッパーとして起用されることになった。6月20日のシカゴ・カブス戦ではサミー・ソーサがメジャーリーグ史上5人目となる通算600号本塁打を放ち、ブルペンで投球練習をしていた大塚がそれを捕球し、ソーサ本人に手渡した。その後も好投を続けていたが、7月9日に右肘を痛めDL入りし、そのままシーズンを終える。オフには球団側から契約延長の申し出がなくFAとなった。
[編集] レンジャーズ退団後
2008年1月9日にトミー・ジョン手術を行い、その後リハビリを続けていたが、2010年1月22日に3度目の肘の手術を行った[1] [2] 。
その後も現役復帰へ向けてリハビリを続け、2011年5月20日にはペトコ・パークで始球式に出席し、トレバー・ホフマンの発案により東日本大震災のチャリティーの一環としてホフマンと共にサイン会を行った[3]。6月にはサマーリーグに初参加するサムライオールジャパンの投手コーチに就任する予定だったが、投手兼コーチとして実戦復帰することとなった[4]。
[編集] プレースタイル
ボールの出どころの見えにくいフォームから最速96mph(約154.5km/h)の速球と縦のスライダー、フォークボール、チェンジアップを投げる[5]。特にスライダーはイチローから「球が消える」と評された他、ラモン・ヘルナンデスからは「他の球種が必要ないほどのスライダーだ」と評された[6]。
低めにキレのあるストレートを投げるコツとして「ボールを指先で潰すように投げる」と語っており、チームメイトにもそう教え、週刊ベースボールにも記載された[要出典]。
近鉄時代、調整のために出場した二軍戦(藤井寺球場)で、場外ホームランを打ったことがある。
[編集] 人物
横芝敬愛高等学校に在籍していた時に、八千代東高校と4回戦で対戦し、横芝敬愛が3-2で八千代東を下した。この試合後、八千代東のエースだった恩田寿之(のち、新日鐵君津・かずさマジック)が大塚に千羽鶴を手渡し、自らが果たせなかった甲子園行きを託した。しかし横芝敬愛は5回戦で八千代松陰高校に敗れ、甲子園行きはならなかった。大塚は後年、「これが僕の高校時代の一番の思い出です」と話している。(当時の新聞記事)
近鉄在籍時の背番号が11であったのは、大塚の尊敬する選手が野茂英雄であり野茂と同じ背番号を希望したため(大塚がメジャーリーガーとしてのキャリアをスタートした際の背番号16も、野茂がロサンゼルス・ドジャースでメジャーリーガーとしてのキャリアをスタートした際の背番号である)。WBC、レンジャーズでの背番号40は「四球ゼロ」及び「試合が締まる」を意味している。
近鉄OBで元近鉄監督でもある解説者の鈴木啓示が、大塚の決め球である縦スライダーをフォークボールと誤解していたため、大塚の中日ドラゴンズ在籍時に、BSの試合中継で「大塚はフォークがエエんです、フォークが」と発言したことがある。
近鉄時代の2000年頃の正月の伊勢神宮初詣用の近鉄特急のCMに出演。共演は後藤理沙。そのCMは関西・中京地区では割と流れたが、関東では当時放映されていた同社提供の”真珠の小箱”(MBS・TBS系)の時しかお目にかかれなかった。
中日に移籍後も近鉄時代の先輩である久保康生(現阪神タイガース投手コーチ)から譲り受けた(デサント製の)グラブを使用していた。
中日には1年しかいなかったにもかかわらず、現在に至るまで中日の選手たちとの交流は続いている。落合英二(現三星ライオンズ投手コーチ)とはメル友。日米野球で来日したときには「対戦したい選手は仲の良い井端」と言っていた。岡本真也(現東北楽天ゴールデンイーグルス)も大塚を師匠のように慕い、「2004年のリーグ優勝に大きく貢献できたのは大塚さんのおかげ」とも言っている。
前述のようなこともあり、中日からポスティング移籍をする際にはメジャー移籍か中日残留かで随分と迷いがあった。しかしその背中を押してくれたのが自分を一番必要としているはずの、当時新監督として中日に来た落合博満であり、「自分が一番後悔しないように道を選ばなくちゃいけないぞ」といわれ、メジャー移籍を決断したという。
2004年に、同僚のトレバー・ホフマン投手・ジェイク・ピービー投手とともにパドレスの球団CMに出演。ホフマンとピービーから自身の入場テーマ曲を決めてはどうかと勧められた大塚が、和服を着た女性の三味線演奏をバックにモーニング娘。の「LOVEマシーン」を歌うというコミカルな内容であった。また、サンディエゴの害虫駆除会社のCMにも出演し、この時は食事中に害虫を見つけた大塚が「なんじゃこりゃ!?」と驚いた後にバットでその害虫を叩く(勢い余ってテーブルごと破壊する)というものであった。
抑えたときの口癖である「ヨッシャー!」がチームメイトに流行し、その後、実況アナウンサーまでもが「ヨッシャー!」を使用するようになり、ペトコ・パークでは大塚が最後の打者を打ち取るとバックスクリーンの大型ビジョンに「YOSSHAA!」と表示された。
日本代表としてWBC第1回大会への出場が決まったため、アメリカ国内で放送されているESPNのWBC関連のコマーシャルに日本代表として出演した(台詞は全く無し)。決勝のキューバ戦では最後の打者を三振に取り、元近鉄監督佐々木恭介ばりに「ヨッシャー!」と予定通りにガッツポーズを見せた。
当時のパドレスのクローザーだったトレバー・ホフマンとは親交が深く、チームの同僚であったときにはシーズン中に病院や孤児院への慰問を共同で行うなどもしていた。テキサス・レンジャーズ移籍後は、登板の際に流す入場曲はホフマンのトレードマークとも言えるAC/DCの『ヘルズ・ベルズ』を使用していた(ホフマンに2006 ワールド・ベースボール・クラシックの際に連絡を入れて決勝のみの使用を当初は許可してもらったが、その後さらに話をしてレギュラーシーズン中の使用を快諾してもらったそうである)。また、決勝戦はパドレスの本拠地であるペトコパークで行われたため、観戦していたパドレスファンは曲を聴いて大いに盛り上がった。
2005年8月に開設したブログでは、通常1S、2S……と表記するセーブ数の記録を1Y、2Y……(Yは「ヨッシャー!」の略)と表している。
野球のワールドカップ(現実世界のワールド・ベースボール・クラシックに相当)などを舞台にした、NHKのテレビアニメ『メジャー』第5シリーズから長谷川滋利に代わって野球監修を務めていたが、第6シーズンより斎藤隆に交代している。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1997 | 近鉄 | 52 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 5 | 7 | -- | .444 | 333 | 82.2 | 44 | 2 | 46 | 5 | 1 | 127 | 5 | 1 | 22 | 19 | 2.07 | 1.09 |
| 1998 | 49 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 35 | -- | .600 | 235 | 55.1 | 43 | 5 | 25 | 4 | 3 | 74 | 5 | 2 | 19 | 13 | 2.11 | 1.23 | |
| 1999 | 25 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 6 | -- | .200 | 125 | 29.2 | 24 | 1 | 10 | 2 | 2 | 32 | 0 | 0 | 12 | 9 | 2.73 | 1.15 | |
| 2000 | 39 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 24 | -- | .250 | 166 | 41.2 | 31 | 3 | 13 | 1 | 0 | 49 | 4 | 0 | 11 | 11 | 2.38 | 1.06 | |
| 2001 | 48 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 26 | -- | .286 | 228 | 56.0 | 42 | 7 | 15 | 2 | 0 | 82 | 5 | 1 | 25 | 25 | 4.02 | 1.02 | |
| 2002 | 41 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 22 | -- | .667 | 153 | 42.1 | 22 | 4 | 3 | 0 | 0 | 54 | 1 | 0 | 7 | 6 | 1.28 | 0.59 | |
| 2003 | 中日 | 51 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 17 | -- | .250 | 164 | 43.0 | 31 | 4 | 5 | 0 | 1 | 56 | 0 | 1 | 10 | 10 | 2.09 | 0.84 |
| 2004 | SD | 73 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 2 | 2 | 34 | .778 | 312 | 77.1 | 56 | 6 | 26 | 6 | 0 | 87 | 0 | 0 | 16 | 15 | 1.75 | 1.06 |
| 2005 | 66 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 8 | 1 | 22 | .200 | 276 | 62.2 | 55 | 3 | 34 | 8 | 2 | 60 | 1 | 0 | 28 | 25 | 3.59 | 1.42 | |
| 2006 | TEX | 63 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 | 32 | 7 | .333 | 232 | 59.2 | 53 | 3 | 11 | 0 | 0 | 47 | 3 | 0 | 17 | 14 | 2.11 | 1.07 |
| 2007 | 34 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 4 | 11 | .667 | 131 | 32.1 | 26 | 0 | 9 | 1 | 0 | 23 | 0 | 0 | 10 | 9 | 2.51 | 1.08 | |
| NPB:7年 | 305 | 0 | 0 | 0 | 0 | 14 | 23 | 137 | -- | .378 | 1404 | 350.2 | 237 | 26 | 117 | 14 | 7 | 474 | 20 | 5 | 106 | 93 | 2.39 | 1.01 | |
| MLB:4年 | 236 | 0 | 0 | 0 | 0 | 13 | 15 | 39 | 74 | .464 | 951 | 232.0 | 190 | 12 | 80 | 15 | 2 | 217 | 4 | 0 | 71 | 63 | 2.44 | 1.16 | |
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] タイトル
- NPB
- 最優秀救援投手:1回 (1998年)
[編集] 表彰
- NPB
- 月間MVP:2回 (1998年6月、2001年9月)
- ファイアマン賞:1回 (1998年)
- IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞:1回 (1998年)
[編集] 記録
- NPB
- 初登板:1997年5月13日、対福岡ダイエーホークス7回戦(ナゴヤドーム)、6回表に2番手で救援登板、2回無失点
- 初奪三振:同上、6回表に若井基安から
- 初勝利:1997年5月21日、対千葉ロッテマリーンズ7回戦(千葉マリンスタジアム)、6回裏2死に2番手で救援登板、1回1/3を無失点
- 初セーブ:1997年5月24日、対福岡ダイエーホークス11回戦(福岡ドーム)、9回裏1死に2番手で救援登板・完了、2/3回無失点
- 100セーブ:2002年7月17日、対オリックス・ブルーウェーブ14回戦(大阪ドーム) ※史上14人目
- オールスターゲーム出場:1回 (1998年)
[編集] 背番号
- 11 (1997年 - 2002年)
- 64 (2003年)
- 16 (2004年 - 2005年)
- 40 (2006年 - 2007年)
[編集] 登録名
- 大塚 晶文(おおつか あきのり)(1997年 - 2003年6月17日)
- 大塚 晶則(おおつか あきのり)(2003年6月18日 - )
[編集] 関連情報
[編集] 著書
約束のマウンド(双葉社、2007年4月刊)
[編集] 脚注
- ^ “「どこでもいい」現役続行へ大塚が右ひじ手術決意(野球)”. スポーツニッポン (2010年1月20日). 2010年1月20日閲覧。
- ^ “ジェイミー・モイヤーと大塚晶則。復活にかけるベテラン投手のド根性!”. Number Web (2011年1月12日). 2011年2月27日閲覧。
- ^ 大塚が始球式、義援金集めにも一役日刊スポーツ、2011年5月21日。
- ^ 大塚4年ぶり実戦に復帰へ日刊スポーツ、2011年6月2日。
- ^ 友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2005』 廣済堂出版、2005年、404頁。ISBN 4-331-51093-X。
- ^ 大塚晶則の2年目『月刊スラッガー』2005年11月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-11、58-59頁。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
|
||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||
|
|||||