朝倉健太

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
朝倉 健太
中日ドラゴンズ #14
CD-Kenta-Asakura.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 岐阜県岐阜市
生年月日 1981年6月11日(33歳)
身長
体重
186 cm
94 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1999年 ドラフト1位
初出場 2000年8月10日
年俸 1,800万円(2014年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

朝倉 健太(あさくら けんた、1981年6月11日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手投手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

1999年東邦高校で、3年生時の甲子園に投手一塁手として連続出場。共に初戦敗退だったが、夏の大会では後にチームメイトとなる福沢卓宏と投げ合い、大会最速の149km/hの速球を記録し、ドラフト上位候補として注目を浴びる。1999年のドラフトでは河内貴哉(現・広島東洋カープ)の外れ1位として、地元の中日ドラゴンズに1位指名されて入団した。

プロ入り後[編集]

プロ入り当初はコントロールに難があった。ルーキーイヤーの2000年は、9試合に登板するも防御率14.02、翌2001年は1勝も挙げられることが出来ず5敗を喫した。

2002年、フォームを改造、踏み込む足(左足)をすり足ぎみに出すことにより制球が安定。そのまま先発ローテーションに定着し、11勝11敗の成績を残す。

2003年は、更なる飛躍が期待され、初本塁打も記録するが、右肘剥離骨折により戦線離脱(開幕前から既に投げられるような状態ではなかったが、二軍落ちが嫌だったため言い出さなかったとのこと)。

2004年、背番号を41から18に変更し復活を期して臨む。開幕直前に右肩痛を起こしたが、5月26日ヤクルトスワローズ戦で復活勝利を果たす。しかし、先発ローテーションに食い込むには至らなかった。日本シリーズのメンバーには入り、先発ではなかったが登板も果たしている。

2005年は、主に先発を任され、一軍と二軍を往復する不安定さは相変わらずであったものの、中盤から後半にかけては好投を見せた。個人批判をあまりしないことで有名な監督の[独自研究?]落合博満も、この頃の朝倉に対しては厳しく言及することが多かった。

2006年、2月に行われたWBC壮行試合では12球団選抜に選ばれ、WBC出場組のイチローを内野ゴロに打ち取った。開幕時は石井裕也(現・北海道日本ハムファイターズ)と共にロングリリーフでの起用となったものの、5月に先発で起用されてから好投し、勝利を重ねる。ピンチを招いても新球シュートを駆使し内野ゴロ併殺で切り抜ける場面がよく見られ、同時に制球面も改善された。7月4日の読売ジャイアンツ戦では2002年以来4年ぶりの完封勝利を記録、監督推薦でオールスターゲームにも出場した。8月16日には2002年以来4年ぶり、自身2度目となる2桁勝利を達成。その後も勝利数を伸ばし、10月8日の対横浜ベイスターズ戦において自己新記録となる12勝目、14日には得意のヤクルト戦で13勝目を挙げる。落合も「朝倉は去年までとは全然違う」と語るなど、ようやく首脳陣の信頼を得て、ローテーション投手として飛躍を遂げた1年となった。日本シリーズでは第3戦に先発し、初回の立ち上がりに失点したものの2回以降立ち直り、終盤まで追加点を許さない好投を見せるが打線の援護なく敗戦投手となった。

2007年は、開幕から先発として起用される。前半は制球難で低迷したが、夏場に入って調子を上げ、7月と8月は7勝1敗の好成績。特に8月は4勝0敗、防御率1.10で自身初の月間MVPに輝いた。しかし、9月に入っての優勝争いの中で再び調子を落とし、12勝目以降は防御率8.38と打ち込まれる。12勝目の時点で防御率2.55と最優秀防御率が狙える位置にいたが、最終的には3.36まで数字を落としてしまった。それでも自身初となる2年連続2桁勝利を挙げた。なお、被本塁打9は規定投球回数以上を投げたセ・リーグ投手の中では最も少ない(セ・パ両リーグでも2位タイ)。 また、ナゴヤドームでは防御率2.11、6勝1敗と大活躍した一方、地方球場を除いたビジターでは2勝6敗、防御率5.12と内弁慶ぶりを発揮している。クライマックスシリーズ第2ステージ第1戦に先発が予定されていたが10月9日、練習後車で帰宅中に交差点でバイクとの人身事故を起こしてしまう。この結果先発回避、山井大介の肩痛などもあり、第1戦には第1ステージにリリーフ登板していた小笠原孝が急遽先発。チームは3連勝、日本シリーズ進出を決めたものの朝倉自身は厳重注意処分を受けた。10月30日の日本シリーズ第3戦では、先発投手として被安打9ながら7回1失点と日本ハム打線を抑えて見事日本シリーズ初勝利を挙げ、中日ドラゴンズ53年ぶりの日本一に大きく貢献。アジアシリーズでは第2戦に登板し、6回2失点の好投で中日の初勝利を飾り、チームもアジア一に輝いた。

2008年、開幕から先発として起用されるが、5月30日、不調により登録抹消。6月22日に1軍復帰し、7月3日の阪神戦で5回1失点と好投するが、7月6日に再び戦線離脱。右腕の血行障害であることが判明した。その後リハビリを経てフェニックスリーグで実戦に復帰、好投によりクライマックスシリーズ第2ステージ第2戦の先発に抜擢されるが、小笠原道大の2打席連続本塁打などで2回6失点とKOされ、チームも敗れた。第3戦では12回裏に登板し1回無失点でシーズンを終えている。

2009年、開幕から先発として主に小山桂司とのコンビで戦列に復帰する。後半で調子を落としたため9月18日に登録抹消されるが、再登録後となる9月29日の巨人戦でシーズン10勝目を挙げる。防御率は4.04とやや高めで完投も0だったが、選手生命を危ぶまれた血行障害を克服し、2年ぶりとなる規定投球回数到達と二桁勝利を達成した。

2010年、開幕は出遅れるも、得意とするヤクルト戦を中心に3勝を挙げるが、負け数は倍の6敗に終わり、8月以降は出番が無かった。オフには優勝旅行への同行を許可されるも成績不振から自ら辞退する。

2011年、開幕一軍入りし、ナゴヤドームの開幕戦[2]である4月15日の阪神戦で先発するも、KO降板して即登録抹消。8月6日の横浜戦で復帰するが、ここでもKOされてしまい、7イニング7失点2本塁打という成績となり、2001年以来となる無勝利に終わった。後に怪我が判明し8月に右肘を手術、リハビリに専念した。

2012年、開幕は二軍スタート。5月末に一軍昇格し、主に敗戦処理要員としてリリーフを務めていたが、最終的には16試合の登板で防御率7.59と結果を残すことが出来なかった。6月11日に国内FA権を取得した。

2013年、昨年に続き開幕は二軍スタート。5月6日に一軍登録され、5月12日広島東洋カープ戦にて2年ぶりの先発を果たすも、4回5失点(自責点4)とノックアウトされる。その後、先発1試合、救援1試合に登板するも結果を残せず、5月21日に2軍落ちし、そのままシーズン終了となる。 シーズンオフの契約更改では、野球協約の減額制限を超える60%減となる2700万円ダウンの1800万円でサインした[3]

2014年、4月28に行われたヤクルト戦で1403日振りに勝利投手となり、ヒーローインタビューで目を潤ませていた。

選手としての特徴[編集]

かつては、最速152km/hのストレートスライダーフォーク三振を奪っていくタイプであった。シュート習得後は球速も平均140km/h台中盤と抑え気味だが、高速シュート・やや落ちるツーシーム気味のシュート・スライダー・フォークなどの持ち球をバランス良く効果的に使い、内野ゴロの多さによる球数の少なさや併殺の多さが持ち味である。 地方球場に強く、2009年までの58勝のうち11勝を地方球場で挙げている。また、出身地の岐阜の長良川球場、父方の祖父母が住む福井の福井県営球場でも勝利を挙げている。その代わりにナゴヤドームが苦手と話している(暑い、風が吹かない、マウンドが固いなど)。

広島戦に強い。過去には同僚の川上憲伸が広島戦に弱いこともあってか、広島戦になると川上と先発ローテーションを入れ替えて先発することもあった(詳細は川上の項を参照)。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2000 中日 9 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 95 17.1 36 5 7 0 2 9 1 0 32 27 14.02 2.48
2001 15 9 0 0 0 0 5 0 -- .000 236 49.2 60 4 34 1 1 31 4 1 33 30 5.44 1.89
2002 31 30 7 1 0 11 11 0 -- .500 843 200.1 193 10 63 7 4 149 7 1 71 58 2.61 1.28
2003 6 6 1 0 0 1 4 0 -- .200 153 29.2 48 5 16 1 0 23 0 1 31 26 7.89 2.16
2004 14 10 0 0 0 3 3 0 -- .500 238 53.0 64 7 21 0 2 38 7 0 27 24 4.08 1.60
2005 16 16 2 0 0 5 7 0 0 .417 439 98.1 123 4 40 1 2 65 4 0 49 43 3.94 1.66
2006 25 21 2 1 0 13 6 0 0 .684 636 154.2 155 12 33 2 3 107 6 0 51 48 2.79 1.22
2007 29 26 3 0 0 12 7 0 0 .632 717 171.2 173 9 50 4 4 105 5 0 67 64 3.36 1.30
2008 12 9 1 0 0 3 4 0 2 .429 255 56.1 67 5 20 0 1 30 2 0 27 21 3.36 1.54
2009 24 24 0 0 0 10 8 0 0 .556 655 151.1 159 14 45 2 9 83 7 0 78 68 4.04 1.35
2010 9 9 0 0 0 3 6 0 0 .333 195 41.1 56 8 13 0 2 31 0 0 29 26 5.66 1.67
2011 2 2 0 0 0 0 1 0 0 .000 34 7.0 10 2 4 0 0 4 0 0 8 7 9.00 2.00
2012 16 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 93 21.1 26 3 6 0 1 13 2 0 18 18 7.59 1.50
2013 3 2 0 0 0 0 1 0 0 .000 44 8.1 15 1 5 0 0 6 1 0 10 9 9.72 2.40
通算:14年 211 165 16 2 0 61 64 0 2 .488 4633 1060.1 1185 89 357 18 31 694 46 3 531 469 3.98 1.45
  • 2013年度シーズン終了時

表彰[編集]

記録[編集]

投手記録
  • 初登板:2000年8月10日、対広島東洋カープ19回戦(ナゴヤドーム)、4回表より2番手に救援登板、2回無失点
  • 初奪三振:2000年8月15日、対ヤクルトスワローズ18回戦(ナゴヤドーム)、6回表に高橋智から
  • 初先発:2000年9月20日、対横浜ベイスターズ25回戦(横浜スタジアム)、4回1/3を5失点で敗戦投手
  • 初勝利・初先発勝利:2002年4月6日、対広島東洋カープ2回戦(広島市民球場)、7回4失点
  • 初完投勝利:2002年5月4日、対ヤクルトスワローズ6回戦(明治神宮野球場)、9回4安打5奪三振2失点
  • 初完封勝利:2002年7月16日、対ヤクルトスワローズ14回戦(明治神宮野球場)、3安打4奪三振
  • 初ホールド:2008年5月17日、対横浜ベイスターズ7回戦(ナゴヤドーム)、7回表に2番手で救援登板、1回1/3を2失点
  • 初セーブ:2014年7月22日、対横浜DeNAベイスターズ12回戦(横浜スタジアム)、7回裏に3番手で救援登板、3回無失点
打撃記録
  • 初安打:2001年8月31日、対横浜ベイスターズ21回戦(ナゴヤドーム)、3回裏に小宮山悟から左前安打
  • 初打点:2002年9月7日、対ヤクルトスワローズ23回戦(明治神宮野球場)、2回表に鎌田祐哉から中堅へ適時二塁打
  • 初本塁打:2003年4月4日、対横浜ベイスターズ1回戦(ナゴヤドーム)、3回裏に吉見祐治から左越2ラン
その他の記録
  • 1000投球回数:2010年5月9日、対東京ヤクルトスワローズ9回戦(ナゴヤドーム)、1回表1死目に青木宣親を遊撃ゴロで達成 ※史上319人目

テーマ曲[編集]

背番号[編集]

  • 41 (2000年 - 2003年)
  • 18 (2004年 - 2005年)
  • 14 (2006年 - )

脚注[編集]

  1. ^ サンケイスポーツ 中日-2014年度契約更改
  2. ^ 東日本大震災の影響で開幕は4月12日のビジターの横浜戦となった為
  3. ^ 【中日】朝倉60%減も「納得です」

関連項目[編集]

外部リンク[編集]