名城信男

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名城 信男
Tepparith Singwancha and Nashiro Nobuo DSCN3352-2 20120831.JPG
2012年、テーパリット戦の前日計量にて(左)
基本情報
本名 名城 信男
階級 スーパーフライ級
身長 164cm[1]
リーチ 166cm
国籍 日本の旗 日本
誕生日 1981年10月12日(33歳)
出身地 奈良県奈良市
スタイル 右ファイター
プロボクシング戦績
総試合数 26
勝ち 19
KO勝ち 13
敗け 6
引き分け 1
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名城 信男(なしろ のぶお、1981年10月12日 - )は、日本の元プロボクサー。現:近畿大学ボクシング部ヘッドコーチ。第16代・第18代WBA世界スーパーフライ級王者。現役時代は六島ボクシングジムに所属した。

経歴・人物[編集]

自身と家庭[編集]

奈良県奈良市出身。奈良県立奈良工業高等学校卒業、近畿大学中退。

父は料亭料理人の他、調理専門学校で講師や奈良県調理技能士会の会長代行や奈良沖縄県人会副会長を務め、弟の裕司は、極真館全日本ウエイト制空手道選手権中量級や中央アジア空手道選手権大会中量級で優勝し、K-1に出場するなどの実績を持つ空手家である。

2度目の世界王座獲得後の2009年に入籍。4月29日に京都で挙式を行った[2][3]2011年1月12日、第1子(長女)が誕生。

プロボクサーとして[編集]

2003年7月11日、プロデビュー(初回KO勝ち)。

2004年8月7日、プロ5戦目。2度の世界挑戦経験を有する現役世界ランカー本田秀伸グリーンツダ)と対戦。この試合は本田にとって3度目の世界挑戦に向けての前哨戦で、名城はいわゆる「噛ませ犬」とされたが、試合はその「噛ませ犬」名城が序盤から右ストレートを中心に手数を惜しまず攻め込み、ボディブローも決めて本田を圧倒。一方の本田も8回に意地の猛攻を見せるが、これを凌ぎ切る。試合は名城の10回判定勝ち。この勝利で名城は本田に代わって世界ランク入りし、無名のボクサーから一転、「近い将来の世界王者候補」として一躍脚光を浴びるようになる。

2005年4月3日、6戦目で日本王座初挑戦。同じ大阪市内のジム所属で合同練習もたびたび行っていた日本スーパーフライ級王者田中聖二金沢)に挑み、最終・10回TKO勝ち。王座獲得に成功する。しかし、田中は試合後の控え室で意識不明の重体となり会場近くの病院へ搬送されたが、12日後の4月15日に急性硬膜下血腫のため意識を取り戻すことなく死亡。名城自身も大きなショックを受け、1か月間自宅に引きこもる(後に、田中のジムメイトだったWBC世界スーパーフライ級王者徳山昌守の防衛戦の会場で田中の父親と対面。この席で「(死亡した)息子のことは気にせず、これからも頑張って」と励まされたそうである。また、下記防衛後鳥取市にある田中の墓前に赴き、勝利を報告するなどしている[4])。前王者の死からようやく立ち直った11月22日、初防衛戦。WBA世界スーパーフライ級2位(当時)プロスパー松浦国際)と対戦し、10回判定勝ち。この勝利でWBA世界ランキング1位となり、指名挑戦権を獲得。

2006年7月22日、8戦目にして世界初挑戦。指名挑戦者としてWBA世界スーパーフライ級王者マーティン・カスティーリョメキシコ)に挑む。迎えた10回、1分を回ったところで王者の左目尻から出血がありレフェリーストップ。この瞬間、辰吉丈一郎(元WBC世界バンタム級王者)と並ぶ当時の国内最短タイとなる8戦目での世界王座奪取を果たした(その後井岡一翔が7戦目、現在は井上尚弥が6戦目で更新。なお、JBC非公認であるが、新垣諭も8戦目でIBF世界バンタム級王座を獲得している)。12月2日にはエデュアルド・ガルシア(メキシコ)を12回判定に降し、初防衛に成功。

2007年5月3日、2度目の防衛戦。カスティーリョの前王者でもあるアレクサンデル・ムニョスベネズエラ)と対戦。前半は元王者を相手に互角以上の戦いを演じるが、徐々に押されはじめ、後半はダウン寸前のピンチに陥る。12ラウンドをフルに戦うも判定で完敗し、世界王座から陥落。10戦目にしてプロ初黒星を喫した。

その後、6月に交通事故に遭い、頸椎を負傷(愛車も大破し、廃車となった)したが、11月26日に再起戦を行い、3回TKO勝ち。

2008年9月15日、世界王座返り咲きを懸け、WBA世界スーパーフライ級王座決定戦に出場(ムニョスが5月17日にWBC王者クリスチャン・ミハレス(メキシコ)とWBA・WBC王座統一戦を行い、0-3の判定負けで王座から陥落。王座統一を果たしたミハレスがWBA世界同級スーパー王者となった為、正規王座が空位となった)。河野公平ワタナベ)との日本人対決を12回判定(2-1の僅差)で制し、1年4か月ぶりの世界王座返り咲きを果たした。

2009年4月11日の初防衛戦では河野のジムメイトでもある冨山浩之介と対戦。初回と6回にダウンを奪われる苦戦を強いられたが、8回逆転TKO勝ちを収め、防衛成功[5]。セミでは孫抄弄 vs 多田悦子のWBA女子世界ミニマム級タイトルマッチが行われ、国内初の男女ダブル世界戦となった。

9月30日の2度目の防衛戦ではランキング1位ウーゴ・カサレスメキシコ)と指名試合を行い、ここでも苦戦を強いられたが、フルラウンドの死闘の末、三者三様の引き分けで辛くも防衛に成功。

2010年5月8日、大阪府立体育会館で3度目の防衛戦。前回防衛戦で対戦したカサレスと再戦。前回同様フルラウンドを戦い抜いたが、0-3(111-117が2人、113-115)の判定負けを喫し2度目の世界王座陥落となった。

2010年10月11日、大阪市住吉区民センターでイワン・キー(インドネシア)とノンタイトル10回戦を行い、2回に2度のダウンを奪った末の3回KO勝ち。鮮やかな形で再起を果たした。

2011年2月5日、大阪府立体育会館でWBC世界スーパーフライ級王者トマス・ロハス(メキシコ)に挑戦。インファイトを挑む名城に対し、王者はアウトボクシングで対抗。8回には偶然のバッティングで王者が負傷し、規定により名城から1点減点。それでもフルラウンドを戦い抜いたが、最終的には0-3(111-116、113-116、113-114)の判定で敗れ、世界王座返り咲きはならなかった。

2011年7月30日、大阪・住吉区民センターでWBO世界フライ級9位でフィリピンGABスーパーフライ級王者のレイ・ペレスを相手にノンタイトル10回戦を行い、3-0の判定勝ちを収めた。

2011年11月4日、タイバンコクにて、ロハスを破って王座を獲得したWBC世界スーパーフライ級王者スリヤン・ソー・ルンヴィサイ(タイ)に挑戦。22歳の王者相手に懸命にパンチを繰り出すも、0-3(113-116、113-115、109-119)の判定で敗れて王座獲得は成らなかった[6]

2012年9月1日、大阪市住吉区の住吉スポーツセンターにおいて3度目の王座獲得を目指し、WBA世界スーパーフライ級王者テーパリット・ゴーキャットジム(タイ)に挑戦。終盤は王者を押し込む部分もあったが、0-2(114-114、114-115、113-115)の僅差判定負けを喫して王座返り咲きに失敗した。試合後に現役引退を表明していたが、2012年11月19日に引退を撤回し現役続行を表明した[7][8][9]

2013年4月7日、大阪・住吉区民センターにてWBC世界バンタム級12位のヨドチャンチャイ・ナコンルアンプロモーション(タイ)とバンタム級10回戦を行い、6回3分9秒KO勝ちし再起戦を飾った[10]

2013年9月3日、当初は同年8月23日にバンコクにあるサイアム・パーク・シティで予定され[11]、元WBA世界フライ級王者デンカオセーン・カオウィチット(タイ)の体調不良を理由に延期となっていた[12]WBA世界スーパーフライ級暫定王座決定戦をナコーンラーチャシーマー県にあるスラナリー工科大学で行い、1-2(115.5-113、113.5-116、114-116.5)の判定負けを喫し暫定ながらも3年4ヵ月ぶりの王座返り咲きに失敗した[13][14][15]

現役引退後[編集]

2014年4月3日、近畿大学にて記者会見を行い、名城が4月1日付で近畿大学ボクシング部ヘッドコーチに就任し、それに伴い自身が現役を引退したことを発表した[16][17]。ヘッドコーチ就任にあたって名城は「昨年9月のタイでの試合で敗れて悩んでいたところ、赤井英和総監督からボクシング部指導の話をもらい、即決した。(2020年の)東京オリンピックを見据えて指導していきたい」と語っている[18]

戦績[編集]

  • アマチュアボクシング:57戦38勝(20KO・RSC)19敗
  • プロボクシング:26戦19勝(13KO)6敗1分
日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 2003年7月11日 1R 0:32 KO 一ノ宮茂樹 日本の旗 日本 プロデビュー戦/一ノ宮は元中日本新人王
2 2003年9月28日 2R 2:05 KO 木ノ下国広 日本の旗 日本
3 2003年12月21日 1R 2:35 TKO 関口武志 日本の旗 日本
4 2004年3月13日 8R 判定3-0 竹田津孝 日本の旗 日本 竹田津は元日本ランカー
5 2004年8月7日 10R 判定3-0 本田秀伸 日本の旗 日本 本田は当時現役世界ランカー
6 2005年4月3日 10R 0:57 TKO 田中聖二 日本の旗 日本 日本スーパーフライ級タイトルマッチ
7 2005年11月22日 10R 判定 プロスパー松浦 日本の旗 日本 WBA世界スーパーフライ級挑戦者決定戦/日本王座防衛1
8 2006年7月22日 10R 1:02 TKO マーティン・カスティーリョ メキシコの旗 メキシコ WBA世界スーパーフライ級タイトルマッチ
9 2006年12月2日 12R 判定3-0 エデュアルド・ガルシア メキシコの旗 メキシコ WBA防衛1
10 2007年5月3日 12R 判定0-3 アレクサンデル・ムニョス ベネズエラの旗 ベネズエラ WBA王座陥落
11 2007年11月26日 3R 2:30 TKO ペットクローンパイ・ソータンティップ タイ王国の旗 タイ
12 2008年3月23日 3R 2:24 KO サーイルン・ジンワンチャー タイ王国の旗 タイ
13 2008年9月15日 12R 判定2-1 河野公平 日本の旗 日本 WBA世界スーパーフライ級王座決定戦
14 2009年4月11日 8R 1:22 TKO 冨山浩之介 日本の旗 日本 WBA防衛1
15 2009年9月30日 12R 判定1-1 ウーゴ・カサレス メキシコの旗 メキシコ WBA防衛2
16 2010年5月8日 12R 判定0-3 ウーゴ・カサレス メキシコの旗 メキシコ WBA王座陥落
17 2010年10月11日 3R 1:42 KO イワン・キー インドネシアの旗 インドネシア
18 2011年2月5日 12R 判定0-3 トマス・ロハス メキシコの旗 メキシコ WBC世界スーパーフライ級タイトルマッチ
19 2011年7月30日 10R 判定3-0 レイ・ペレス フィリピンの旗 フィリピン
20 2011年11月4日 12R 判定0-3 スリヤン・ソー・ルンヴィサイ タイ王国の旗 タイ WBC世界スーパーフライ級タイトルマッチ
21 2011年12月31日 2R 2:36 KO ノラシン・パタナカーンジム タイ王国の旗 タイ
22 2012年3月31日 6R 0:37 KO ペットグラビー・シットサイトーン タイ王国の旗 タイ
23 2012年6月10日 1R 1:50 KO クンポンレックス・ウォーウィッタヤ タイ王国の旗 タイ
24 2012年9月1日 12R 判定0-2 テーパリット・ゴーキャットジム タイ王国の旗 タイ WBA世界スーパーフライ級タイトルマッチ
25 2013年4月7日 6R 3:09 KO ヨドチャンチャイ・ナコンルアンプロモーション タイ王国の旗 タイ
26 2013年9月3日 12R 判定1-2 デンカオセーン・カオウィチット タイ王国の旗 タイ WBA世界スーパーフライ級暫定王座決定戦

備考[編集]

  • 奈良工業高校でボクシングを始め、ロサンゼルスオリンピック日本代表の高見公明から指導を受けた。
  • 非常に謙虚な人物で、辰吉丈一郎から「謙虚な世界チャンピオンはおらへんぞ」と注意されたことがある。
  • 京阪神地区の試合会場では、世界王者となった以後もリングサイドで所属ジムの同僚・後輩を応援する姿が頻繁に目撃されている。
  • 趣味はビリヤード
  • ココリコ遠藤章造司会のテレビ番組「BRAVO!」では「世界王者になって、どんなクルマに乗りたいですか」との問いに「燃費のエエやつ」と応え、遠藤を苦笑させた。遠藤は高級外車かスポーツカーの名前が出てくるものと予想していた模様。しかしこの番組中の遠藤の言動には、現在のボクシング界が置かれている経済的現実を理解していない面が見られる。「世界王者って、ロールス・ロイスとか乗って移動するイメージですよ」と語って、名城を苦笑させている。
  • 2007年2月22日には「奇跡体験!アンビリバボー」の感動のアンビリバボーとして転機となった本田秀伸との対戦から田中聖二との日本タイトル、そして世界王座奪取までの模様が紹介された。スタジオ中を感動に巻き込んだ中で格闘技通の関根勤は「世界チャンピオンには様々な物語があるものだ」と感心していた。
  • 2007年10月11日、内藤大助亀田大毅WBC世界フライ級タイトルマッチ観戦に訪れた際、「(反則行為に手を染めた亀田大毅は)最低の負け方」と亀田家を厳しく批判した。
  • 株式会社スーパーエージェントとマネジメント契約。
  • デビュー5戦で、歴戦の技巧派ボクサー本田秀伸を下し世界ランキング入りを果たしたが、その知名度は一般には低く、亀田興毅の話題性の影に隠れていた。そんな中、スパーリングではあるが公開の場で2人の直接対決が実現する。この際、名城側は「スパーリングとはいえ、お互い一切の手加減はしない」という条件を出したという。スパー終了後、亀田からの「余裕やった。」などという発言がマスコミ各紙で報じられたことがある。このような経緯から、WBC世界フライ級王者の内藤大助に亀田大毅が挑戦する際に内藤のスパーリングパートナー(仮想亀田大毅という設定)を務めた。

獲得タイトル[編集]

受賞歴

脚注[編集]

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  1. ^ 名城信男 プロフィール 名城信男オフィシャルWEBサイト 2010年3月1日閲覧
  2. ^ 名城ハネムーンは「勝っていく」京都で挙式・披露宴 スポニチ Sponichi Annex 大阪 2010年3月1日閲覧
  3. ^ 王者名城が智子さんと挙式、250人が祝福 nikkansports.com 2010年3月1日閲覧
  4. ^ 王者復活、影に亡きライバル-WBAスーパーフライ級・名城信男 日経ネット関西版 2008年12月12日閲覧
  5. ^ 名城大逆転V1! 1、6回ダウン! それでも倒した8回TKO…WBA世界スーパーフライ級世界戦 スポーツ報知 2009年4月12日
  6. ^ 名城は判定負け 王座奪取ならず スポーツニッポン 2011年11月4日
  7. ^ 名城 判定で敗れ引退表明 2度目の返り咲き成らず スポニチアネックス 2012年9月1日
  8. ^ 名城「仕方ない」判定で敗れ引退…WBA世界Sフライ級戦 スポーツ報知 2012年9月2日
  9. ^ 名城が引退撤回 産経新聞 2012年11月19日
  10. ^ 名城、再起戦でKO勝ち=WBA・Sフライ級元王者-ボクシング 時事通信 2013年4月7日
  11. ^ 名城がテーパリットとWBA暫定戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2013年6月19日
  12. ^ 名城の暫定王座戦は延期=相手の体調不良で-WBA・Sフライ級 時事通信 2013年8月7日
  13. ^ 名城タイでデンカオセーンに判定負け デイリースポーツ 2013年9月3日
  14. ^ 【BOX】名城、デンカオセーンに判定負け スポーツ報知 2013年9月3日
  15. ^ 名城、デンカオセーンに判定負け Boxing News(ボクシングニュース) 2013年9月3日
  16. ^ 近畿大学体育会ボクシング部 新ヘッドコーチ就任について 近畿大学プレスリリース 2014年4月3日付
  17. ^ WBAスーパーフライ級元王者・名城が引退、近大コーチに就任 スポーツニッポン 2014年4月3日閲覧
  18. ^ 名城が現役引退、近大ヘッドコーチに 日刊スポーツ 2014年4月3日閲覧
  19. ^ 長谷川が2年連続MVP 最高試合は西岡×ゴンサレス戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年1月6日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

前王者
田中聖二
第30代日本スーパーフライ級王者

2005年4月3日 - 2005年12月7日(返上)

空位
次タイトル獲得者
菊井徹平
前王者
マーティン・カスティーリョ
第16代WBA世界スーパーフライ級王者

2006年7月22日 - 2007年5月3日

次王者
アレクサンデル・ムニョス
空位
前タイトル保持者
アレクサンデル・ムニョス
第18代WBA世界スーパーフライ級王者

2008年9月15日 - 2010年5月8日

次王者
ウーゴ・カサレス