デンカオセーン・カオウィチット
| 基本情報 | |
|---|---|
| 本名 |
Sutep Wangmuk สุเทพ หวังมุก |
| 通称 | ヴェーハマ(แวฮามะ)またはマ(มะ) |
| 階級 | フライ級 |
| 身長 | 161cm |
| リーチ | 170cm |
| 国籍 | |
| 誕生日 | 1976年8月23日(35歳) |
| 出身地 | タイ・スラートターニー |
| スタイル | オーソドックス |
| プロボクシング戦績 | |
| 総試合数 | 55 |
| 勝ち | 51 |
| KO勝ち | 21 |
| 敗け | 3 |
| 引き分け | 1 |
デンカオセーン・カオウィチット(泰: เด่นเก้าแสน เก้าวิชิต、英: Denkaosan Kaovichit、男性、1976年8月23日 - )は、タイのプロボクサー。元WBA世界フライ級王者。デンカオセーン・クラティンデーンジム、デンカオセーン・シンワンチャーとも[1]。本名はステープ・ワンムック(Sutep Wangmuk)。タイ南部出身のムスリムである。
目次 |
[編集] 来歴
1996年11月28日、プロデビュー。そのデビュー戦でPABAフライ級王座決定戦に出場。メルビン・マグラモ(フィリピン)と対戦し、12回判定勝ち。王座獲得に成功。この王座は2002年8月に返上するまで18度の防衛に成功した。
2002年10月13日、世界初挑戦。WBA世界フライ級王座エリック・モレル(プエルトリコ)に挑んだが、11回TKO負け。プロ初黒星を喫した。
2003年11月25日、PABAフライ級暫定王座決定戦出場。ジャック・メルディザール(フィリピン)と対戦し、3回TKO勝ち。1年3か月ぶりのPABA王座返り咲きを果たした。初防衛後の2004年4月、正規王者ロリー・ルナス(フィリピン)の王座返上に伴い、正規王者昇格。その後、暫定王座獲得からの防衛回数を16まで伸ばす。
2007年11月4日、5年ぶりの世界再挑戦。さいたまでWBA世界フライ級王者坂田健史(日本=協栄ジム)に挑むが、ホールディングによる減点もあり、三者三様の12回判定引き分け。またしても世界王座に手が届かなかった。
2008年3月21日、ABCOフライ級王座決定戦出場。レイ・オライス(フィリピン)と対戦し、3回KO勝ち。王座獲得に成功。
2008年10月17日、PABAフライ級暫定王座決定戦出場。デニス・ファンティリャノ(フィリピン)と対戦し、2回KO勝ち。三たび同級王者となった。
2008年12月31日、3度目の世界挑戦。広島でWBA世界フライ級王者坂田健史と再戦。序盤から攻勢を仕掛け、迎えた2回、残り20秒を切ったところで右フックが王者の左首筋にヒット。たまらずダウンした王者は立ち上がることができず、そのまま10カウント。デンカオセーンのKO勝ちとなり、48戦目にして悲願の世界王座奪取を果たした。
2009年2月13日、デンカオセーンに2人存在するマネージャーの一方であるナリット・シンワンチャーを介しての交渉により亀田興毅(日本=亀田ジム)が対戦契約を主張したが、契約書として提示された書類には署名の不備などが認められた。翌14日にはデンカオセーンがより信頼するマネージャーで、所属するギャラクシージムの会長を務めるニワット・ラオスワンナワットを介して交渉を進めた升田貴久(日本=三迫ジム)が契約合意を発表予定であったが、当初4月末頃に予定されていた初防衛戦は陣営内部の対立により白紙になった。交渉をまとめるため12日に来日していたニワットとデンカオセーンは2月14日に緊急会見を行い、二重の交渉がいずれも契約成立には至らなかったことを説明した。
2009年5月26日、初防衛戦。紆余曲折の末、母国で久高寛之(日本=仲里ATSUMI所属)と対戦。減量等の調整が不十分な様子で本来の老獪なボディワークが悪い方向へ向かい、ラビットパンチ、クリンチ、ホールディングなどの連続で試合を展開。2度の反則減点を受けたが、それでも2-1の12回判定勝ち。王座防衛に成功した。
2009年10月6日、2度目の防衛戦。大阪で亀田大毅(日本=亀田ジム)と2度目の防衛戦を行った。試合は序盤からデンカオセーンが亀田大のボディを執拗に狙い打ち、ポイントをリード。戦前の評価ではスタミナに不安があるとされていたが、終盤に入っても的確なジャブと巧みなインサイドワークを駆使する試合巧者ぶりを発揮し、12回を戦い抜く。判定の結果は2-0でデンカオセーンが勝利、2度目の防衛を果たした。
2010年2月7日、3度目の防衛戦。神戸で亀田大毅と再戦したが、2度の減点もあり、0-3の12回判定負け。世界王座陥落となった。
2010年4月19日、PABAフライ級王者レイ・ミグレノ(フィリピン)に挑戦。10回負傷判定勝ちを収め、同王座4度目の獲得。6月15日には初防衛に成功。
2010年10月2日、世界王座返り咲きを懸け、敵地パナマシティでWBA世界フライ級暫定王者ルイス・コンセプシオン(パナマ)に挑戦したが、初回に3度のダウンを奪われKO負け。世界王座返り咲きはならなかった。
2011年1月24日、タイのサムットソンクラームでPABAスーパーフライ級王座決定戦に出場し、インドネシアのユディ・アリマーを9R KOで下し、同王座を獲得。
[編集] 獲得タイトル
- 第2代PABAフライ級王座(18度防衛後、返上)
- PABAフライ級暫定王座(1度防衛)
- 第7代PABAフライ級王座(15度防衛後、返上)
- 第6代ABCOフライ級王座(獲得返上)
- (第11代)PABAフライ級暫定王座(2期目。獲得返上)
- 第70代WBA世界フライ級王座(2度防衛)
- 第17代PABAフライ級暫定王座(3期目。1度防衛)
[編集] 脚注
- ^ 2007年11月4日の試合はデンカオセーン・カオウィチットの名で行われた。また2008年12月31日の試合はเด่นเก้าแสน สิงห์วังชา/Denkaosan Singwancha(デンカオセーン・シンワンチャー)、2009年5月26日の試合はเด่นเก้าแสน กระทิงแดงยิม/Denkaosan Kratingdaenggym(デンカオセーン・クラティンデーンジム)の名で行われた。WBA公式記録上はDenkaosan Kaovichit(デンカオセーン・カオウィチット)の選手名が一貫して使われている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
| 空位 前タイトル保持者 アレクサンドル・マムトフ |
第2代PABAフライ級王者 1996年11月28日 - 2002年8月(返上) |
空位 次タイトル獲得者 アーチー・ビラモア |
| 空位 前タイトル保持者 ロリー・ルナス |
第7代PABAフライ級王者 暫定:2003年11月25日 - 2004年4月16日 |
空位 次タイトル獲得者 ラタナポン・ソーウォラピン |
| 空位 前タイトル保持者 ワンディー・シンワンチャー |
第6代ABCOフライ級王者 2008年3月21日 - 2008年4月(返上) |
空位 次タイトル獲得者 ワンディー・シンワンチャー |
| 前王者 坂田健史 |
第70代WBA世界フライ級王者 2008年12月31日 - 2010年2月7日 |
次王者 亀田大毅 |