内山高志

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内山 高志
基本情報
本名 内山 高志
通称 ノックアウト・ダイナマイト
階級 スーパーフェザー級
身長 172.3cm[1]
リーチ 180.5cm[1]
国籍 日本の旗 日本
誕生日 1979年11月10日(32歳)
出身地 埼玉県
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 18
勝ち 18
KO勝ち 15
敗け 0

内山 高志(うちやま たかし、男性、1979年11月10日 - )は、日本プロボクサー。第39代WBA世界スーパーフェザー級王者。その戦いぶりから「ノックアウトダイナマイト」の異名を持つ。そのほかの獲得タイトルは、第35代OPBF東洋太平洋同級王者、アマチュア4冠王など。ワタナベボクシングジム所属。

目次

[編集] 来歴

[編集] アマチュア

長崎県で生まれ、幼少期に埼玉県春日部市に転居。小学校時代は内牧少年野球クラブで野球に親しみ、春日部市立春日部中学校時代にはサッカー部に所属。辰吉丈一郎川島郭志などの影響を受け、ボクシングの強豪である花咲徳栄高校に進学し、ボクシングに転向した。高校3年時の1997年に初の全国大会出場となる高校総体バンタム級で出場しベスト8入り。同年のなみはや国体少年の部バンタム級では榎洋之らを倒し準優勝した。

高校卒業後はボクシングの名門である拓殖大学に進学。しかし、補欠にも選ばれず同級生の荷物運びという厳しい扱いを受ける。この屈辱をばねにしてバネに努力を重ね、階級もライト級に上げた。大学4年時の2001年には新世紀・みやぎ国体で、当時アマチュア最強とされた飯田育夫(日本大学)を追いつめたものの判定で敗れた。同年の全日本アマチュアボクシング選手権大会では飯田を破り優勝。なお、大学の同期である相澤国之とは親友。

大学卒業後、高知県の久保建設に事務員として勤務しながら2002年よさこい高知国体で優勝し、全日本選手権を連覇。同年に行われたタイ王国主催のキングスカップでは、優勝したアトランタオリンピック金メダリストのソムラック・カムシンに敗れ、銅メダルを獲得[2]。同年度のアマチュア部門努力賞を受賞。東京都の青和観光株式会社に転職した2003年には全日本選手権3連覇を果たし、国体も含めアマチュア4冠を達成。同年の世界選手権大会ではベスト16入りし、同年度のアマチュア部門年間優秀選手賞を受賞[2]

2004年のアテネオリンピック出場を目標として日本国内予選を勝ち抜いたが、同年5月11日にカラチパキスタン)で開催されたアジア地区最終予選で敗退。本選出場を逃し引退を決意するが、同年の彩の国まごころ国体が出身地の埼玉県で開催されたこともあり、体調が万全でないまま出場したが決勝で細野悟に敗れた。国体後は再び引退の意思を固めてプロのジムやK-1などからの誘いも断ったが、ビータイトプロモーションの瀬端幸男の説得で引退を撤回し、ワタナベボクシングジムからプロへ転向することを決めた。

[編集] プロ

アマチュアでの実績があったためB級ライセンス試験を受験し合格。

2005年

7月16日、6回戦でデビューして1RKO勝利を収め、その後7連勝する。

2007年

9月8日、小堀佑介の王座返上に伴い空位となったOPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座決定戦ナデル・フセインと対戦し、8RTKO勝利で王座を獲得した[3]

2008年

2月2日、山﨑晃との初防衛戦で10RTKO勝利し、同年6月12日には阪東ヒーローに12R判定勝利、11月1日には文炳柱に4RTKO勝利で王座を防衛した。

2009年

5月2日、4度目の防衛戦でWBC世界スーパーフェザー級6位としてWBC同級5位のトーン・ポー・チョークチャイと対戦。5Rにノックダウンを奪ってTKO勝利。同年10月3日にはアーロン・メルガレホに7RTKO勝利で5度目の防衛に成功[4]。この2試合はともに高く評価され、東日本ボクシング協会月間最優秀選手賞をそれぞれ受賞[5][6]。12月に世界挑戦のため同王座を返上した。

2010年

1月11日、東京ビッグサイトにてWBA世界スーパーフェザー級王者ファン・カルロス・サルガドの初防衛戦の相手として挑戦。序盤から的確にパンチを集めて試合を優勢に進め、最終12R終了寸前に2度のダウンを奪ってTKO勝利。第39代WBA世界スーパーフェザー級王者となった[7]

5月17日、地元である埼玉県のさいたまスーパーアリーナ・コミュニティアリーナにてWBA世界12位のアンヘル・グラナドスを迎えて初防衛戦を行った。身長185cmとスーパーフェザー級では異例の長身であるグラナドスを相手に序盤から的確にパンチをヒットさせ、6Rに右フックでダウンを奪いTKO勝利で初防衛に成功した[8]

9月20日、さいたまスーパーアリーナ・コミュニティアリーナにてWBA世界5位のロイ・ムクリスインドネシアの旗 インドネシア)を迎えての2度目の防衛戦。序盤から相手のボディーに効果的にパンチを浴びせて主導権を握る。迎えた5R、残り1分を切ったところで右ストレートをクリーンヒットさせたのを皮切りに、挑戦者をロープに詰めて一気に連打を浴びせ、ダウンを奪うと相手はそのまま立ち上がれず。結局、レフェリーはカウントを途中で停止し、試合をストップ。2分27秒TKOで王座防衛に成功した[9]。世界王座獲得から3戦続けてのKO勝利は、日本の世界王者としては初めて。ムクリスは試合後も起き上がることができず、担架に乗せられ会場近くの病院へ直行。左ほお骨骨折で入院を余儀なくされた。

2011年

1月14日、東京・文京区のJBC事務局にて前年11月にニカラグアで行われたWBA総会で受賞が決定したアジア優秀選手賞の記念品贈呈式が行われ、記念のプレートが贈呈された。[10]

1月31日、3度目の防衛戦。東京有明コロシアムで4位の三浦隆司横浜光)と対戦した。当初、この試合は1月10日に暫定王者ホルヘ・ソリスメキシコの旗 メキシコ)との王座統一戦となる予定であったが、ソリスが気管支肺炎を患ったため試合を辞退。それに伴い、三浦との日本人対決に変更となった。試合は3回に偶然のバッティングで右目上をカットし、さらに挑戦者の左ストレートでダウンを奪われたものの、その後は左ジャブを的確に当て続け、挑戦者の右目を腫れ上がらせる。そして、8回終了後のインターバルで挑戦者側が右目の視界を失ったことを理由に棄権し、TKOで防衛成功。これで世界王座奪取から4連続(世界王座奪取前から数えると7連続)のKO勝ちとなった。試合終了後、内山は左ジャブを多用した理由として「試合中に右手を骨折していた」ことを明かした[11](診断の結果、骨折ではなく右手甲の手根骨と中手骨の脱臼であった)。また内山は3度目の防衛戦前の練習でも右拳を痛めていた為、試合後に右拳の手術を受けさせ、暫く防衛戦を組まなかった。

12月31日、前回の防衛戦から11ヶ月間を置いての4度目の王座防衛戦は、同い年でWBA同級暫定王者のホルヘ・ソリスメキシコ)を横浜文化体育館に迎え撃っての一戦となった。試合は5Rにソリスをぐらつかせるなど冷静に自分のペースを作って試合を運び、11R開始直後に左フック一発でダウンを奪い、直後にレフェリーが試合を止めて内山の4連続王座防衛となった[12]。奪取戦を含めた世界戦5連続KO勝ち、および世界タイトル統一戦KO勝ちは日本人選手では初となった。

[編集] 戦績

  • アマチュアボクシング:113戦91勝 (59KO・RSC) 22敗
  • プロボクシング:18戦18勝 (15KO) 無敗
日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 2005年7月16日 1R 0:35 KO チャンデッド・シスラムカムヘン タイの旗 タイ プロデビュー戦
2 2005年9月29日 1R 2:57 KO 上野克義 (ウエストジャパン) 日本の旗 日本
3 2005年11月19日 1R 2:39 TKO 朴萬得 韓国の旗 韓国
4 2006年9月13日 8R 判定3-0 遠藤智也 (ドリーム) 日本の旗 日本
5 2006年12月9日 3R 1:45 KO モセス・セラン インドネシアの旗 インドネシア
6 2007年2月10日 10R 判定3-0 ムアンファーレック・ギャットウィチアン タイの旗 タイ
7 2007年6月2日 3R 2:01 KO 白承元 韓国の旗 韓国
8 2007年9月8日 8R 1:32 KO ナデル・フセイン オーストラリアの旗 オーストラリア OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座決定戦
9 2008年2月2日 10R 1:37 TKO 山﨑晃 (六島) 日本の旗 日本 OPBF防衛1
10 2008年6月12日 12R 判定3-0 阪東ヒーロー (ファミリーフォーラム) 日本の旗 日本 OPBF防衛2
11 2008年11月1日 4R 1:55 TKO 文炳圭 韓国の旗 韓国 OPBF防衛3
12 2009年5月2日 5R 1:05 TKO トーン・ポー・チョークチャイ タイの旗 タイ OPBF防衛4
13 2009年10月3日 7R 1:01 TKO アーロン・メルガレホ フィリピンの旗 フィリピン OPBF防衛5
14 2010年1月11日 12R 2:48 TKO ファン・カルロス・サルガド メキシコの旗 メキシコ WBA世界スーパーフェザー級タイトルマッチ
15 2010年5月17日 6R 1:42 TKO アンヘル・グラナドス ベネズエラの旗 ベネズエラ WBA防衛1
16 2010年9月20日 5R 2:27 TKO ロイ・ムクリス インドネシアの旗 インドネシア WBA防衛2
17 2011年1月31日 8R 終了 TKO 三浦隆司(横浜光) 日本の旗 日本 WBA防衛3
18 2011年12月31日 11R 0:29 TKO ホルヘ・ソリス メキシコの旗 メキシコ WBA防衛4 (王座統一戦)

[編集] 獲得タイトル

[編集] アマチュア

  • キングスカップ(国際大会)銅メダル
  • 2003年AIBA世界ボクシング選手権ベスト16
  • 第71回全日本選手権大会ライト級優勝
  • 第72回全日本選手権ライト級優勝
  • 第57回よさこい高知国体成年の部ライト級優勝
  • 第73回全日本選手権ライト級優勝
受賞歴

[編集] プロ

  • 第35代OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座(防衛5→返上)
  • 第39代WBA世界スーパーフェザー級王座(防衛4)

[編集] 逸話

  • ゲームセンターのパンチングマシンで700kgを記録し、マシンを壊したことがある[13]
  • 青和観光勤務時代は優秀な営業マンであった。自身のプロ転向後も、初めて会う人に対しては、自分を知ってもらうために常に携帯している資料を見せる。試合後のあいさつ回りもきっちりと行うなど、ファンを増やすための大変な努力をしている。そのため、早い時期から自らの時間のすべてをボクシングに費やすことが可能となった。
  • 2009年11月には実弟の篤も松田ボクシングジムからプロデビューした[14]
  • キックボクサー日菜太とは練習仲間である。内山自身も2004年の国体後にK-1からオファーを貰ったが、当時はまだ内山に合った軽い階級が無かったことに加え、アテネオリンピック出場を逃したことで引退を考えていたため断っている。
  • 2010年10月1日に出身の埼玉県春日部市から「かすかべ親善大使」に委嘱された。同年11月5日には出身の埼玉県春日部市立内牧小学校から「ようこそ先輩!」集会に招かれ、624人の全校児童を前に練習の苦しさ、それを耐えた先にある楽しいことやうれしいこと、継続することの大事さを語った[15]

[編集] 出演

俳優として以下の作品に出演している。

[編集] 脚注

  1. ^ a b グラナドスやっぱり185センチ!-予備検診 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年5月14日
  2. ^ a b オフィシャルサイトより
  3. ^ 内山、フセイン倒し東洋奪取 ボクシング総合ポータル「Box-on!」 2007年9月8日
  4. ^ 内山も1位撃破-V5 ボクシングニュース「Box-on!」 2009年10月3日
  5. ^ 内山が5月度MVP! 東日本協会選定 ボクシングニュース「Box-on!」 2009年6月8日
  6. ^ 10月の月間MVPは内山がゲット ボクシングニュース「Box-on!」 2009年11月4日
  7. ^ 内山-サルガド詳報/ボクシング nikkansports.com 2010年1月12日
  8. ^ 内山、地元リングでKOV1 WBA世界S・フェザー級戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年5月18日
  9. ^ 内山 5回TKOで2度目の防衛 スポーツニッポン 2010年9月20日閲覧
  10. ^ 内山にWBAアジア優秀選手賞記念品贈呈 ボクシングニュース「Box-on!」 2011年1月14日閲覧
  11. ^ 骨折しながら内山TKO防衛! スポーツニッポン 2011年2月1日閲覧
  12. ^ 内山11回KO4度目の防衛 日刊スポーツ 2011年12月31日閲覧
  13. ^ ニッポン放送「南原清隆のスポーツドリーム」(3月27日放送)
  14. ^ 1位有冨TKO勝ち 刈谷市の2部興行結果 ボクシングニュース「Box-on!」 2009年11月22日
  15. ^ 山崎照朝 (2010年11月16日). “品格も優れた王者・内山” (日本語). 【コラム 撃戦記】. 中日スポーツ. 2010年11月16日閲覧。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

空位
前タイトル保持者
小堀佑介
第35代OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王者

2007年9月8日 - 2009年12月(返上)

空位
次タイトル獲得者
川村貢治
前王者
ファン・カルロス・サルガド
第39代WBA世界スーパーフェザー級王者

2010年1月11日 - 現在

次王者
N/A
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