畑山隆則

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畑山 隆則
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基本情報
本名 畑山 隆則
階級 ライト級
身長 172.5cm
リーチ 178cm
国籍 日本の旗 日本
誕生日 1975年7月28日(38歳)
出身地 青森県青森市
スタイル 右ボクサーファイター
プロボクシング戦績
総試合数 29
勝ち 24
KO勝ち 19
敗け 2
引き分け 3
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畑山 隆則(はたけやま たかのり、1975年7月28日 - )は、日本の元プロボクサー青森県青森市出身。青森山田高校卒業。青森大学経営学部在学中。

WBA世界スーパーフェザー級王者。元WBA世界ライト級王者。元OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王者。

現在は竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネス・ジムマネージャーテレビ東京ボクシング解説者、デイリースポーツボクシング評論家、そして太田プロダクション所属のタレント俳優

来歴[編集]

中学時代は野球部に所属しエースで4番として活躍し、将来はプロ野球選手になることを熱望していた。スポーツ推薦で青森山田高校に入学したが、先輩部員と対立し1ヶ月で退部。かねてより、同郷の元WBA世界フライ級王者レパード玉熊国際)の世界戦を見ていたこともありプロボクサーも志望する。そして辰吉丈一郎大阪帝拳)がWBC世界バンタム級王座を獲得した試合をテレビ観戦したのを機にプロボクサーになることを決意。高校を中退し単身で上京し、初めにヨネクラジムへ入門するが、大人数の選手や練習生を抱える環境に馴染めず、程なくして京浜川崎ボクシングジムに移籍する。同ジムにて韓国出身の柳和龍トレーナーと出会い、以後良きパートナーとして二人三脚でプロボクサー人生を送っていくこととなる。

1993年6月17日、東京にて福村和宏(京葉)を相手にプロデビュー戦を行い、初回KO勝ち。以後、4戦4勝(2KO)。

1993年12月18日、東京にて坂本和則角海老宝石)と対戦し、初回KO勝ちを収めて東日本スーパーフェザー級新人王となる。

1994年2月13日、大阪府立体育会館にて小谷繁グリーンツダ)と対戦し、3回KO勝ちを収めて全日本スーパーフェザー級新人王となり、試合後にはMVPを獲得。以後、8戦8勝(8KO)

1995年、前年まで元WBA世界スーパーフライ級王者鬼塚勝也協栄)のマネージャーを務めていたタレント片岡鶴太郎をマネージャーに迎え入れる。

1996年3月18日、東京にて崔重七(韓国)とOPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座決定戦を行い、2回KO勝ちを収めて王座の獲得に成功した。

1996年6月19日、神奈川県横浜市にてルディ・カビレスフィリピン)を迎えて初防衛戦を行い、判定勝ちを収めて初防衛に成功した。

1996年9月21日、神奈川県川崎市にてオッキー・バクリンインドネシア)を迎えて2度目の防衛戦を行い、9回KO勝ちを収めて2度目の防衛に成功した。その後、同年11月に所属する京浜川崎ボクシングジムの会長が不祥事で逮捕されたことにより、柳和龍トレーナーとともに横浜光ボクシングジムへ移籍する。

1997年2月17日、後楽園ホールにて尹東澈(韓国)を迎えて3度目の防衛戦を行い、4回TKO勝ちを収めて3度目の防衛に成功した。試合後に世界挑戦準備のため王座を返上した。

1997年10月5日、両国国技館にて世界初挑戦としてWBA世界スーパーフェザー級王者崔龍洙(韓国)に挑戦するも、1-1(116-114、114-116、114-114)のドローで王座の獲得に失敗した[文献 1]

1998年3月29日、両国国技館にて再起戦として18戦無敗の日本スーパーフェザー級王者コウジ有沢草加有沢)に挑戦し、9回TKO勝ちを収めて王座の獲得に成功した。お互いに無敗同士となったこの試合は「史上最大の日本タイトルマッチ」と称され、日本タイトルマッチとしては異例の全国ネット生中継(フジテレビで昼間に放送された)。その後、世界再挑戦準備に専念するため、日本王座は防衛することなく返上した。なお、この試合は日本タイトルマッチとしては9年ぶりの年間最高試合に選ばれた。

1998年9月5日、両国国技館にて2度目の世界挑戦として前回引き分けた崔龍洙に再び挑戦し、2-0(116-113が2者、114-114)の判定勝ちを収めて2度目の挑戦で無敗のまま世界王座の獲得に成功した[文献 2]

1999年2月13日、有明コロシアムにてサウル・デュランメキシコ)を迎えて初防衛戦。2回にダウンを奪われるも、挑戦者が2度の減点を取られたこともあり、1-1(114-111、113-116、113-113)のドローで規定により初防衛に成功した[文献 3]

1999年6月27日、有明コロシアムにて同級1位の指名挑戦者ラクバ・シンモンゴル)を迎えて2度目の防衛戦を行うも、5回TKO負けを喫し王座から陥落するとともにプロ初黒星を喫した[文献 4]。試合後の同年7月に現役引退を表明し、その後は鶴太郎マネージャーの紹介で芸能界入りし、テレビでのタレント活動を開始。

2000年、引退を撤回しメキシコ系アメリカ人でもあるルディ・エルナンデスを新トレーナーに迎え入れ、プロボクサーとして復帰することを発表する。

2000年6月11日、階級をライト級に上げて復帰初戦で世界挑戦することが発表され、有明コロシアムにてWBA世界ライト級王者ヒルベルト・セラノベネズエラ)に挑戦。約1年のブランクを感じさせない動きで王者を翻弄し、合計5度のダウンを奪った末の8回KO勝ちを収めて王座の獲得に成功し、2階級制覇を達成した[文献 5]。試合後のリング上で「次(初防衛戦)は坂本選手とやります」と宣言した。

2000年10月11日、横浜アリーナにて元OPBF東洋太平洋ライト級王者坂本博之(角海老宝石)を迎えて初防衛戦を行い、10回TKO勝ちを収めて初防衛に成功した[文献 6]。同年12月草加市スポーツ健康都市記念体育館での草加有沢興行でスパーリングを行った(コウジ有沢の双子の兄・カズ有沢の引退セレモニー)。

2001年2月17日、両国国技館にて全階級を通じての日本王座最多防衛回数となる22度の防衛を果たした元日本ライト級王者リック吉村(石川)を迎えて2度目の防衛戦を行い、挑戦者が減点を取られたこともあり、1-1(116-111、112-115、114-114)のドローで規定により2度目の防衛に成功した[文献 7]

2001年7月1日、さいたまスーパーアリーナにて同級1位の指名挑戦者で元WBA世界ライト級王者ジュリアン・ロルシーフランス)を迎えて3度目の防衛戦を行うも、0-3(110-118、112-117、111-117)の判定負けを喫し王座から陥落した[文献 8]。この試合を最後に2002年1月、正式に引退した。

戦績[編集]

  • プロボクシング:29戦24勝(19KO)2敗3分
日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 1993年6月17日 1R KO 福村和宏(京葉) 日本の旗 日本 プロデビュー戦/1993年東日本スーパーフェザー級新人王トーナメント予選
2 1993年8月4日 1R KO 川田斉志(国際) 日本の旗 日本
3 1993年9月2日 4R TKO 坂寄友昭(宇都宮) 日本の旗 日本
4 1993年10月4日 4R 判定 上田真也(ヨネクラ) 日本の旗 日本
5 1993年11月4日 4R 判定 市川健二(ワタナベ) 日本の旗 日本
6 1993年12月19日 1R KO 坂本和則(角海老宝石) 日本の旗 日本 1993年東日本スーパーフェザー級新人王トーナメント決勝戦
7 1994年2月13日 3R KO 小谷繁(グリーンツダ) 日本の旗 日本 1993年全日本スーパーフェザー級新人王決定戦/MVP
8 1994年6月20日 3R KO 楊熙哲 韓国の旗 韓国
9 1994年9月19日 4R TKO 堀口昌彰(ピストン堀口) 日本の旗 日本
10 1994年11月21日 3R KO 表炫雨 韓国の旗 韓国
11 1995年2月20日 3R TKO 文炳洙 韓国の旗 韓国
12 1995年5月15日 2R KO ジュン・マタナガス フィリピンの旗 フィリピン
13 1995年7月17日 2R 0:15 KO 朴宰佑 韓国の旗 韓国
14 1995年10月16日 6R TKO フラッシュ・ペナ フィリピンの旗 フィリピン
15 1995年12月12日 4R KO バート・ナバレス フィリピンの旗 フィリピン
16 1996年3月18日 2R TKO 崔重七 韓国の旗 韓国 OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座決定戦
17 1996年6月19日 12R 判定 ルディ・カビレス フィリピンの旗 フィリピン OPBF王座防衛1
18 1996年9月21日 9R KO オッキー・バクリン インドネシアの旗 インドネシア OPBF王座防衛2
19 1996年2月17日 4R TKO 尹東澈 韓国の旗 韓国 OPBF王座防衛3
20 1997年5月19日 10R 判定 ホルヘ・ルイス・ロペス メキシコの旗 メキシコ
21 1997年10月5日 12R 判定1-1 崔龍洙 韓国の旗 韓国 WBA世界スーパーフェザー級タイトルマッチ
22 1998年3月29日 9R TKO コウジ有沢(草加有沢) 日本の旗 日本 日本スーパーフェザー級タイトルマッチ
23 1998年9月5日 12R 判定2-0 崔龍洙 韓国の旗 韓国 WBA世界スーパーフェザー級タイトルマッチ
24 1999年2月13日 12R 判定1-1 サウル・デュラン メキシコの旗 メキシコ WBA防衛1
25 1999年6月27日 5R 1:46 TKO ラクバ・シン モンゴルの旗 モンゴル WBA王座陥落
26 2000年6月11日 8R 2:30 TKO ヒルベルト・セラノ ベネズエラの旗 ベネズエラ WBA世界ライト級タイトルマッチ
27 2000年10月11日 10R 0:18 TKO 坂本博之(角海老宝石) 日本の旗 日本 WBA防衛1
28 2001年2月17日 12R 判定1-1 リック吉村(石川) アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBA防衛2
29 2001年7月1日 12R 判定0-3 ジュリアン・ロルシー フランスの旗 フランス WBA王座陥落

獲得タイトル[編集]

  • 東日本スーパーフェザー級新人王
  • 全日本スーパーフェザー級新人王
  • 第28代OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王座(防衛3=返上)
  • 第34代日本スーパーフェザー級王座(防衛0=返上)
  • 第30代WBA世界スーパーフェザー級王座(防衛1)
  • 第39代WBA世界ライト級王座(防衛2)

エピソード、引退後[編集]

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

参考文献[編集]

  • ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年
  1. ^ 232頁下段
  2. ^ 233頁上段
  3. ^ 233頁下段
  4. ^ 234頁上段
  5. ^ 247頁上段
  6. ^ 247頁下段
  7. ^ 248頁上段
  8. ^ 248頁下段

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

空位
前タイトル保持者
三谷大和
第28代OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王者

1996年3月18日 - 1997年7月7日(返上)

空位
次タイトル獲得者
三谷大和
前王者
コウジ有沢
第34代日本スーパーフェザー級王者

1998年3月29日 - 1998年5月18日(返上)

空位
次タイトル獲得者
杉田竜平
前王者
崔龍洙
第30代WBA世界スーパーフェザー級王者

1998年9月5日 - 1999年6月27日

次王者
ラクバ・シン
前王者
ヒルベルト・セラノ
第39代WBA世界ライト級王者

2000年6月11日 - 2001年7月1日

次王者
ジュリアン・ロルシー