別府史之
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| 個人情報 | ||||
| 本名 | 別府史之 べっぷ ふみゆき |
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| 愛称 | フミ Fumy | |||
| 生年月日 | 1983年4月10日(28歳) | |||
| 国籍 | ||||
| 身長 | 181cm | |||
| 体重 | 70kg | |||
| チーム情報 | ||||
| 所属 | グリーンエッジ | |||
| 分野 | ロードレース | |||
| 役割 | 選手 | |||
| 特徴 | ルーラー オールラウンダー スプリンター |
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| アマ所属チーム | ||||
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1999–2001
2001–2002 2003–2004 |
神奈川県立藤沢北高等学校 ブリヂストン・アンカー VC・ラ・ポム |
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| プロ所属チーム | ||||
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2005–2007
2008–2009 2010–2011 2012– |
ディスカバリーチャンネル スキル・シマノ チーム・レディオシャック グリーンエッジ |
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| 主要レース勝利 | ||||
| ツール・ド・フランス第21ステージ・敢闘賞 2009 ジロ・デ・イタリア第10ステージ・区間フーガ賞 2011 ルート・デュ・スュド・山岳賞 2009 アジア選手権・個人ロード 2008 |
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| 最終更新日 2012年2月1日 |
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別府 史之(べっぷ ふみゆき、1983年4月10日 - )は、神奈川県茅ヶ崎市出身の自転車プロロードレース選手。長兄に自転車ジャーナリストの別府始、次兄に元ロードレース選手であり、現愛三工業レーシングチーム監督の別府匠。史之と匠のマネージメントは始が行っている[1]。
日本人初のツール・ド・フランス完走者の一人(同年、新城幸也も完走。ただし、総合順位は別府史之のほうが上)であり、日本人史上、ツール・ド・フランスを最も上位で完走した選手の一人(2009年に別府が112位、2010年に新城幸也が同じく112位で完走を果たしている)である。また日本人初で唯一の全モニュメント完走者である。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] デビュー
小学校2年生の時、当時現役競輪選手であった渡辺努の指導を受けマウンテンバイクの大会などに出場し始める。小学校4年生の時にロードレース初優勝を飾る。その後茅ヶ崎市立松林中学校を経て、ヨーロッパへの留学を希望するも神奈川県立藤沢北高等学校(現・神奈川県立藤沢総合高等学校)へ進学。
卒業後、日本のチームブリヂストン・アンカーに所属。海外経験を積むために渡欧しフランスのトップアマチームであるヴェロクラブ・ラポム・マルセイユに派遣される。
[編集] ディスカバリーチャンネル時代
パリ~ルーベ・エスポワールやジロ・デッラ・ヴァッレ・ダ・アオスタでの活躍により、2005年にはランス・アームストロングも所属したチームディスカバリーチャンネルへと2年契約で移籍した(その後、さらに契約を1年更新し2007年も同チームに所属)。
2006年の世界選手権では見せ場を作ることはできなかったが124位で完走を果たした(野寺秀徳・福島晋一は共にリタイア)ほか、チューリッヒ選手権で序盤に逃げを決め、2007年のツール・ド・ロマンディでは第3ステージで2位となり日本人として初めてUCIプロツアーのポイントを獲得した。
[編集] スキル・シマノ移籍
2007年シーズン限りでチームディスカバリーチャンネルが解散したため、2008年度からはプロフェッショナルコンチネンタルチームのスキル・シマノに移籍。
2008年、奈良で開催されたアジア選手権・個人ロードレースで優勝。同年6月13日、北京オリンピックロードレース日本代表選手に選出された。
2009年、当初の目標であった春のクラシックでは目立った結果を残せなかったものの、6月18日から21日までピレネー山脈を舞台に行われたルート・デュ・スュド(Route du Sud。UCIヨーロッパツアー2.1)では初日に3人の逃げに乗ってステージ2位を獲得。山岳ポイントでも首位に立った。別府は第3ステージでも逃げに乗って山岳ポイントを積み重ね、最終日の第4ステージでも山岳ポイント首位を守りきって、見事に山岳賞を勝ち取った[2]。
その後6月29日に、同年のツール・ド・フランスの出場メンバーに選出されたことが発表された。同レースには新城幸也も別チームで出場することが既に決定していた。
[編集] ツール・ド・フランス出場
2009年のツール・ド・フランスでは第2ステージでスキル・シマノのトレインを終盤に引く役割を果たしてタイム差なしの35位、第3ステージでは8位、終盤の第19ステージではアシストがいないにもかかわらずゴールスプリントに加わり7位に入る。また最終の第21ステージではシャンゼリゼ大通りでアタックを決めて逃げ集団を生み出し、そのまま終盤まで積極的に先頭を引くという見せ場を作り、ステージ敢闘賞を獲得した。
最終的に別府は総合112位、総合優勝したアルベルト・コンタドールからは2時間55分21秒遅れの88時間43分56秒で全ステージを完走し、日本人初のツール・ド・フランス完走者の一人となった。
9月に行われた世界選手権では57位となり、日本人3人の中で唯一の完走を果たした[3]。
[編集] レディオシャック移籍問題
2009年11月24日、ランス・アームストロングを中心に結成し、2010年からUCIプロツアーに参入する新規チーム「チーム・レディオシャック」に移籍することが同チームのプレスリリースにより発表された。ところが先に発表されたスキル・シマノのラインナップに既に別府の名前が存在しており、別府とスキル・シマノは契約の有効性をめぐって対立[4]。2010年シーズンがスタートしてからも別府はスキル・シマノ、レディオシャックいずれのキャンプにも参加できない状況が続いていた[5]。この間、別府とスキル・シマノの弁護士の間で話し合いが続けられていたが、2月3日にスキル・シマノとの契約が解消され、翌2月4日にレディオシャックと正式契約に至った[1]。これにより、別府は2010年において日本人唯一のプロツアーチーム契約選手となった。
[編集] レディオシャック移籍完了後
2月6日のチームのトレーニングキャンプからチームに合流。ミラノ〜サンレモに、ランス・アームストロングのリザーブとして出場。この出場によってモニュメント(=5大クラシックレース)の全てに出場したことになる。結果は10分遅れの113位。ヘント~ウェヴェルヘムには3年連続4度目の出場となったが、序盤でクラッシュに巻き込まれ途中リタイア。パリ〜ルーベでは、落車などの多くのトラブルに遭いながらも、ルーベの競技場までたどり着くがタイムアウトで順位は付かなかった。
ブエルタ・ア・エスパーニャへの出場が予定されていたが、チームが招待されずこの年グランツール出場は果たせなかった。シャトールー・クラシック・ド・ランドルでは、エースとして走り、有力スプリンターに混じり4位に入った。世界選手権ロードレースでは、最終周回までメイン集団に位置し、9位に入った新城幸也のアシストをしながら自らも30位でゴールした。
[編集] 2011年
UCIワールドツアーのティレーノ〜アドリアティコに初出場。同大会期間中に東日本大震災が発生。第4ステージスタート前、参加選手全員の前に立ち黙禱している。個人的にはTwibbonを使い「ひとりじゃない」というメッセージをTwitter、Facebookで選手、関係者、ファンの多くの人と共有し、震災で被害を受けた人々に思いを伝えている。
その後、北のクラシック3連戦(ヘント~ウェヴェルヘム、ロンド・ファン・フラーンデレン、パリ〜ルーベ)全てで出場完走を果たす。ロンド・ファン・フラーンデレン、パリ〜ルーベでは日本人初の完走となり、モニュメントのすべてで完走を果たしたことになった。
ツール・ド・ロマンディの最終日第5ステージでは集団ゴールスプリントで区間6位に入ったが、UCIポイント圏内区間5位に惜しくも届かず2007年以来のポイント獲得にはならなかった。
2009年のツール・ド・フランス以来、2度目のグランツールとなるジロ・デ・イタリアに出場。第1ステージのチームタイムトライアルでチームは2位、個人としては8位となる。第10ステージでは3人で148キロメートルを逃げる見せ場を作りフーガ賞(逃げ賞)を獲得。最終的には2時間25分6秒遅れの67位で全21ステージの完走を果たした。
所属チームのレディオシャックが、2011年9月5日にレオパード・トレックと合併しチーム解体することを発表したため移籍先を探していたが、10月5日に新チーム、グリーンエッジと2年契約したことを発表された[6]。
[編集] 2012年
[編集] 脚質
全日本選手権ロード&TTの勝利の成績が物語るように、ルーラー型の選手で、現在は主に平地アシストのポジションだが、ツール・ド・フランス2009第19ステージのスプリントに絡んでの7位や、山岳は専門ではないがルート・ド・スュドでの山岳賞獲得などもある。ルーラーでありながら山岳に割と強いのは、他のルーラー型選手に比べ15kg近く軽い体重がアドバンテージになっているためである。
グリーンエッジに移籍してからは特にスプリント系のトレーニングを行い、トレーニングでは最強スプリンターのロビー・マキュアンにスプリントで勝利した。
どちらかというとパンチャーやオールラウンダー寄りの選手といえる。別府が『情熱大陸』で特集された際、練習を見たランス・アームストロングは、「山岳とスプリントを両立できる優秀な選手」と高く評価されている。
[編集] 主な戦績
- 2000年
- 全日本選手権個人タイムトライアル ジュニア男子優勝
- 世界選手権(フランス、プルエー)ジュニアTT、ジュニアロード出場
- 2001年
- ジュニア全日本選手権ロード 優勝
- アジア・ジュニア選手権ロード 優勝
- 世界選手権(ポルトガル、リスボン)ジュニアロード出場
- 2002年
- パリ〜ルーベ・エスポワール 28位
- 世界選手権(ベルギー、ゾルダー)U23ロード43位
- 2003年
- パリ〜ルーベ・エスポワール 13位
- 全日本アマチュア選手権 U23ロード優勝
- アオスタ一周en:Giro della Valle d'Aosta (UCI 2.6) 第1ステージ優勝(チームTT)、第4ステージ4位
- 世界選手権(カナダ、ハミルトン)U23ロード24位
- 2004年
- Ronde de l'Isard d'Ariège 山岳賞
- フランスDN1チームタイムトライアル選手権 優勝
- アオスタ一周 (UCI 2.6) 第1ステージ優勝
- 世界選手権(イタリア、ヴェローナ)U23ロード29位
- 2005年
- 世界選手権(スペイン、マドリード)エリート男子個人タイムトライアル 29位
- シルキュイ・ド・ラ・サルト 新人賞3位。
- 2006年
全日本選手権個人タイムトライアル エリート男子優勝
全日本選手権ロードレース 優勝- 世界選手権(オーストリア、ザルツブルク) エリート男子ロード 124位
- ジロ・ディ・ロンバルディア 72位 ※モニュメント
- 2007年
- ツール・ド・ロマンディ 第3ステージ 2位
- 2008年
- アジア選手権 個人ロードレース優勝
- 北京オリンピック
- 個人ロードレース 途中棄権
- 個人タイムトライアル 39位
- ヘント〜ウェヴェルヘム 39位
- リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ 123位 ※モニュメント
- ヴァッテンフォール・サイクラシックス 16位
- 2009年
- ツール・ド・フランス
- ルート・デュ・スュド 山岳賞
- 世界選手権(スイス、メンドリージオ) エリート男子ロード 57位
- 2010年
- ミラノ〜サンレモ 113位 ※モニュメント
- シャトールー・クラシック・ド・ランドル 4位
- 世界選手権(オーストラリア、メルボルン~ジーロング) エリート男子ロード 30位
- 2011年
- ヘント~ウェヴェルヘム 117位
- ロンド・ファン・フラーンデレン 120位 ※モニュメント
- パリ〜ルーベ 71位 ※モニュメント
- ジロ・デ・イタリア
- 総合67位
- 第1ステージチームタイムトライアル チーム2位・個人8位
- 第10ステージ フーガ賞(逃げ賞)
全日本選手権個人タイムトライアル エリート男子優勝
全日本選手権ロードレース 優勝- GP西フランス・プルエー 8位
[編集] 注
- ^ 所属事務所公式ウェブサイト
- ^ ルート・ド・スッド 山岳賞獲得
- ^ レース結果
- ^ 別府史之、ついにレディオシャックへ! スキル・シマノが契約解除を許可
- ^ 別府、2010年の所属チームは未定か
- ^ Japanese champion joins GreenEDGE
[編集] 外部リンク
- 別府史之オフィシャルサイト「Life is Live!」
- 別府史之 (Fumybeppu) - Twitter
- facebook 別府史之 - facebookページ
- チームの紹介ページ
- 別府史之×今中大介 対談
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