宮澤崇史

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宮澤崇史
Takashi Miyazawa
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Takashi miyazawa.jpg
個人情報
本名 宮澤 崇史
みやざわ たかし
生年月日 1978年2月27日(34歳)
国籍 日本の旗 日本
身長 165cm
体重 60kg
チーム情報
所属 チーム・サクソバンク
分野 ロードレース
特徴 スプリンター
プロ所属チーム
2003
2005
2006
2007–2008
2009
2009
2010
2011
2012
ブリヂストン・アンカー(日本)
ブリヂストン・アンカー(日本)
Team Vang(日本)
梅丹本舗・GDR(日本)
アミーカチップス・クナフウ(イタリア)
EQA-梅丹本舗-グラファイトデザイン
チームNIPPO
ファルネーゼ・ヴィーニ
チーム・サクソバンク
主要レース勝利
アジア選手権・個人ロード 2007
ツール・ド・北海道 2008-2009
ツール・ド・おきなわ 2006-2007
ツール・ド・台湾 2010 第3・4ステージ優勝
日本の旗 日本選手権・個人ロード 2010
最終更新日
2012年1月31日

宮澤 崇史(みやざわ たかし、1978年2月27日- )は、長野市出身の自転車競技ロードレース)選手。長野県長野工業高等学校出身。

目次

[編集] 経歴

1995年、長野工高時代にシクロクロス世界選手権(ジュニア)に出場(22位)。高校卒業後、アコム・ラバネロ、イタリアのFOR・3、MOBILILISONE MAPEIの各チームを経て、1998年、日本鋪道(現NIPPO)に入社。

1997年ツール・ド・おきなわの市民200キロレースを優勝。1998年には全日本実業団選手権・いわき大会でも優勝を経験するも、1999年2000年競輪学校受験のため一時競技生活から離れる。

2001年、日本鋪道に復帰。翌2002年フランスのVC・BEAUVAISを経て、ブリヂストンアンカーに加入。

2004年、ブリヂストンを離れ、個人登録選手としてフランスで活動。同年、国民体育大会の個人ロードレース・成年の部優勝。

2005年、ブリヂストンアンカーに復帰。

2006年、日本初のロードレース独立プロチームであるエキップアサダの最初のチーム名となる、Team Vang(チームバン)の一員に加わる。同年、タイのロードレース、ツアー・オブ・シャムの第4ステージで勝利。またUCIアジアツアーのHCクラスのステージレースである、ツール・ド・ランカウイの第1ステージで3位となり、アジアンリーダージャージを4日間着用。さらにツール・ド・北海道の第2ステージを制し、1日総合首位に立つ。そしてジャパンカップサイクルロードレースでは7位に入った他、ツール・ド・おきなわのチャンピオンレースを優勝。

2007年、チーム名はNIPPO梅丹エキップアサダへと変わったが、ツアー・オブ・シャムではポイント賞を獲得。ツアー・オブ・ジャパンでは第1(大阪)ステージを制した他、タイで行われたアジア自転車選手権・個人ロードで優勝し、UCIアジアツアーの個人総合で3位に入った。また、同年のツール・ド・おきなわでは連覇を達成した。

2008年奈良で開催されたアジア選手権・個人ロードレース3位。同年6月13日、別府史之と共に北京オリンピック男子ロードレース日本代表選手に選出された。結果は金メダルのサムエル・サンチェスから31分35秒遅れの86位で完走。同年のツール・ド・北海道では個人総合優勝。

2009年アミーカチップス・クナウフ(イタリア)に移籍。しかし、チームの財政難により選手登録が遅れ、その年の初出場レースが5月のツアー・オブ・ジャパンとなる。さらに、6月にはチームが機能停止状態に陥った。これによりアミーカチップス・クナウフから離脱。7月3日にエキップアサダ(2009年のチーム名はEQA-梅丹本舗-グラファイトデザイン)に復帰[1]した。9月にはツール・ド・北海道で第1、第5ステージに勝利し、個人総合優勝。2008年に続く連覇を達成した。

2010年、エキップアサダが資金難・人材難によるUCI登録を断念した為、 菊地誠晃増田成幸中島康晴とともチームNIPPOに移籍する。3月には日本ナショナルチームとしてツール・ド・台湾に参戦。大学生中心のチームの中で唯一のベテラン選手だったが第3、第4ステージで勝利し、ポイント賞を獲得した。アジア選手権・個人ロード2位。2010年全日本選手権ロードレース優勝。

2011年ファルネーゼ・ヴィーニ - ネーリ・ソットーリに移籍。

2012年チーム・サクソバンクへ移籍。[2]

[編集] 人物

2001年の秋に母親が病に倒れる。その際、母に肝臓の一部を生体移植で提供している[3]

[編集] 脚注

  1. ^ 宮澤崇史が「エキップアサダ」に復帰
  2. ^ Bravo(自身のWeblog)2011年10月21日の記事
  3. ^ 母を助け僕は走る 肝臓提供超え

[編集] 外部リンク


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