栗原恵

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栗原 恵
Megumi Kurihara
日立リヴァーレ  No.11
Volleyball (indoor) pictogram.svg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1984年7月31日(30歳)
出身地 広島県佐伯郡能美町(現江田島市
ラテン文字 Megumi Kurihara
身長 187cm
体重 68kg
血液型 B型
選手情報
所属 日立リヴァーレ
愛称 コウ、メグ
ポジション WS
指高 241cm
利き手
スパイク 305cm
ブロック 285cm
 
獲得メダル
世界選手権
2010 女子バレーボール
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栗原 恵(くりはら めぐみ、女性、1984年7月31日 - )は、日本のプロバレーボール選手[1]Vプレミアリーグ日立リヴァーレ所属。マネジメントはLDH。ニックネームはコウプリンセス・メグ

来歴

広島県佐伯郡能美町(現江田島市)出身。家族は両親と兄の4人家族で、小学校4年生から父がコーチをしていた鹿川フラワーズでバレーボールを始める。

中学1年時には身長が176cmをこえ、2年時の1998年6月、バレーが上手くなりたいという気持ちから兵庫県姫路市大津中学校にバレー留学をする。大津中の2年後輩に陸上長距離で北京オリンピックに出場した竹澤健介がいる。

高校は山口県防府市三田尻女子高校(現・誠英高校)に進学し、1年生時にインターハイ国体春高バレー優勝の高校3冠を経験する。

2001年に全日本代表初選出。高校3年生になった2002年、日米対抗に出場し代表デビューを果たす。2003年、Vリーグ(プレミアリーグ)のNECレッドロケッツに入団。同年5月の黒鷲旗大会では若鷲賞を受賞した。同年11月のワールドカップでは、大山加奈と共に『メグカナ』と呼ばれ、19才コンビとして全国的人気を博す。翌2004年のアテネオリンピックに出場し5位入賞を果たした。

2004年10月、NECレッドロケッツを退団。「NECのバレースタイルと、自分のスタイルが合わない」というのが主な理由であった。その後イタリアセリエAへ移籍の噂もあったが、2004年11月、パイオニアレッドウィングスに入団した。

2004-05年第11回Vリーグは、『シーズン開幕後に移籍した選手はリーグ戦の参加を認めない』という大会規定から出場できなかった。2005年5月開催の黒鷲旗大会で公式戦出場し、チーム優勝に貢献。大会後、当時監督だったアリー・セリンジャーとの対立により一時期チームから離れていたが、8月中旬にはチームに戻り、2005-06年第12回Vリーグは開幕戦から出場。パイオニア2季ぶりの優勝に大きく貢献し、最高殊勲選手・サーブ賞・ベスト6賞を獲得した。

2006年に2年ぶりに全日本代表に選出されたが、合宿中に左足有痛性分裂種子骨障害と診断され離脱、約半年間のリハビリ生活を送った。2006-07Vプレミアリーグで復帰し、同シーズンと第56回黒鷲旗大会で3位となった。

2007年全日本に復帰し、同年ワールドグランプリでは全9試合に出場し、ベストスコアラー部門で125点の9位の成績を収めた。同年9月のアジア選手権で5年ぶりに中国を破るなどして、24年ぶりの優勝に大きく貢献した。11月開催のワールドカップでは全出場選手トップのスパイク打数を記録するなど、日本の中核として活躍した。

2008年、2大会連続の五輪出場を決め、ワールドグランプリの決勝ラウンドでベストスコアラー賞を受賞した。北京オリンピックにおいて、全日本代表のエースとして5位入賞に貢献した。同年12月、スポーツ用品メーカーのデサントと2年間のアドバイザリー契約を結び、トレーニングウェアなどの提供を受けることになった[2]

2009年、眞鍋政義新体制による全日本(愛称“火の鳥NIPPON”)の副主将に抜擢される[3]。秋のグラチャンの時に左半月板を断裂、その後治療をしながらVリーグの試合に出場していたが悪化。

2010年、3月中旬に半月板の手術を行った。半年に及ぶリハビリを乗り越え、同年10月の世界選手権に出場し銅メダルを獲得した。この大会から本格的にライトで起用され、開幕戦のポーランド戦など流れを引き寄せる活躍を見せた。

2011年、1月上旬より左膝の違和感を覚え、2月下旬に東京都内にて左膝軟骨損傷を手術。同年6月、治療に専念するためパイオニアを退団[4][5][6]。その後日本を離れ、同年9月3日にロシアスーパーリーグディナモ・カザンに移籍したと発表した[7][8]。同年11月のワールドカップは、故障している左膝の回復状態を考慮し最終登録メンバーから外れた[9]

2012年3月、ディナモ・カザンを退団[10]。同年6月のワールドグランプリにて2年ぶりに代表メンバーとして復帰したが、順調な回復ぶりをアピールできずロンドンオリンピック代表メンバーからは外れ、3大会連続出場はならなかった[11]

同年7月11日、岡山シーガルズへの移籍が決定した[12][13][14]

2014年6月、岡山シーガルズを退団し[15]、同年9月に日立リヴァーレへの移籍が発表された[16][17]

人物・エピソード

  • 家族の身長は父親が182cm、母が160cm、兄は183cmで、栗原が一番背が高い[18]
  • 愛犬はパグ種のオスで名前はプーマ。合宿や遠征続きの栗原は実家に預かってもらっている[19]
  • 三田尻女子高で最初にやった練習が「笑う練習」。チームの仲間がいいプレーをしたら喜びを分かち合うという練習の一環で、栗原は寮の洗面所の鏡で練習したという[20]
  • ニックネームのコウは、高橋みゆきに『最高を目指せ』という意味から命名された[21]
  • ルックスの良さから人気が高く[22]、2004年アテネ五輪前に、プリンセス・メグという愛称が定着。
  • 2008年、東京都・警視庁の防犯ポスターモデルに協力。
  • 第5回「The Beauty Week Award」に、女優檀れい、タレント南明奈とともに選ばれ[1]、2008年9月3日の授賞式において、4年前から美容師の兄にカラーとカットをしてもらっていると語った。

球歴・受賞歴

  • 所属チーム履歴
能美町立鹿川小(鹿川フラワーズ)→能美町立能美中→姫路市立大津中三田尻女子高等学校(現・誠英高等学校)NECレッドロケッツ(2003 - 2004年)→パイオニアレッドウィングス(2004 - 2011年)→ロシアの旗 ディナモ・カザン(2011 - 2012年)→ 岡山シーガルズ(2012-2014年)→ 日立リヴァーレ(2014年-)
  • 受賞歴
    • 2003年 -  第52回黒鷲旗男女選抜バレーボール大会 若鷲賞
    • 2005年 -  第54回黒鷲旗男女選抜バレーボール大会 ベスト6賞
    • 2006年 - 第12回Vリーグ 最高殊勲選手賞、サーブ賞、ベスト6
    • 2007年 - 2006/07プレミアリーグ サーブ賞、Vリーグ日本記録賞(サーブ部門)
    • 2007年 - 第56回黒鷲旗男女選抜バレーボール大会 ベスト6賞
    • 2008年 - ワールドグランプリ2008 ベストスコアラー賞、ベストサーバー賞
    • 2008年 -  第14回プリンセスカップ MVP、ベストスパイカー賞
    • 2009年 - 2008/09プレミアリーグ サーブ賞

著書

CM

脚注

  1. ^ 日本トップリーグ連携機構. “GM対談 in OKAYAMA <第2回>”. 2013年11月25日閲覧。
  2. ^ 2013年現在も、デサントとの結びつきがある。 (「栗原 恵」コラボバッグが当たる!デサント ダブルキャンペーン!
  3. ^ 2011年9月現在も、副主将。 (JVA 2011年09月29日
  4. ^ パイオニアレッドウィングス公式サイト 退団選手のお知らせ
  5. ^ 読売新聞 「栗原選手が退団」
  6. ^ NHKニュースweb 「栗原恵選手がパイオニア退団」
  7. ^ 栗原、ロシア強豪クラブへ移籍! サンケイスポーツ 2011年9月5日閲覧
  8. ^ Казанское «Динамо» подписало японку ディナモ・カザン オフィシャルサイト プレスリリース 2011年9月3日
  9. ^ バレー女子W杯、4日開幕=日本、イタリア戦へ調整”. 時事通信 (2011年11月3日). 2011年11月14日閲覧。
  10. ^ SANSPO.COM. “栗原恵、リーグ終了前に帰国/バレー”. 2012年3月11日閲覧。
  11. ^ 日本バレーボール協会. “女子日本代表選手12名決定! 第30回オリンピック競技大会(2012/ロンドン)”. 2012年6月26日閲覧。
  12. ^ 岡山シーガルズ. “栗原恵選手の入団について”. 2012年7月12日閲覧。
  13. ^ 山陽新聞WebNews. “元五輪代表栗原の入団決まる”. 2012年7月11日閲覧。
  14. ^ 山陽新聞WebNews. “栗原がシーガルズ入団会見 ユニホーム姿を初披露”. 2012年7月15日閲覧。
  15. ^ 岡山シーガルズ. “退団選手のお知らせ”. 2014年6月25日閲覧。
  16. ^ LDH. “ファンの皆様へ”. 2014年9月2日閲覧。
  17. ^ 日立リヴァーレ. “栗原恵選手の入団のお知らせ”. 2014年9月2日閲覧。
  18. ^ 自著「めぐみ MEGUMI」35ページ
  19. ^ 自著「めぐみ MEGUMI」26ページ
  20. ^ 自著「めぐみ MEGUMI」70ページ
  21. ^ 栗原のコートネームがメグではなくコウであったのは、全日本の1年先輩に河村めぐみがいたというのも理由のひとつとして挙げられる。
  22. ^ 「メグカナ世代20歳の脈動」 - 『月刊バレーボール』2005年2月号。

関連項目

外部リンク