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マウリシオ・ポチェッティーノ |
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| 名前 |
| ラテン文字 |
Mauricio Roberto Pochettino Trossero |
| 基本情報 |
| 国籍 |
アルゼンチン
スペイン |
| 生年月日 |
1973年3月2日(40歳) |
| 出身地 |
サンタフェ州 |
| 身長 |
182cm |
| 選手情報 |
| ポジション |
DF |
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| 代表歴 |
| 1998-2002 |
アルゼンチン |
20 (2) |
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| ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
マウリシオ・ロベルト・ポチェッティーノ・トロッセロ(Mauricio Roberto Pochettino Trossero, 1973年3月2日 - )は、アルゼンチン・サンタフェ州出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)であり、アルゼンチン代表であった。
経歴 [編集]
選手 [編集]
ニューウェルズ・オールドボーイズからデビューし、1994年にはスペイン・プリメーラ・ディビシオン(1部)に昇格したばかりのRCDエスパニョールに移籍した。6シーズン班の間クラブに不可欠な選手であり、1999-2000シーズンにはコパ・デル・レイ優勝を果たした。2001年1月、フランス・リーグ・アンのパリ・サンジェルマンFCに移籍し、ここでもレギュラーポジションを獲得した。2003年夏にはFCジロンダン・ボルドーに移籍したが、半年後には降格の危機に瀕していた古巣RCDエスパニョールにレンタル移籍で復帰した[1]。2003-04シーズンは最終節でプリメーラ・ディビシオン残留を決めると、2004年6月にはフリートランスファーでRCDエスパニョールに完全移籍し[2]、最終シーズンとなった2005-06シーズン以外はレギュラーとしてプレーした。同シーズンにはコパ・デル・レイで自身2度目の優勝を果たし、34歳で現役引退した[3]。RCDエスパニョールでは2度の在籍期間にクラブの外国人最多出場記録となるリーグ戦275試合に出場した。
指導者 [編集]
2009年1月、18位と低迷していた古巣RCDエスパニョールの監督に就任した[4]。4月の半ばには最下位が定位置であったが、ラスト10試合で8勝1分1敗という奇跡的な巻き返しを見せ、最終的には10位でシーズンを終えた[5]。6月上旬にはクラブとの契約を延長した。2009-10シーズンはクラブの象徴的な選手であるラウル・タムードを戦力外とするなど独自色を出し、再びリーグ中位でシーズンを終えた。2010年9月28日、RCDエスパニョールとの契約を1年延長して2012年6月30日までとした[6]。
2012年11月26日、成績不振のためエスパニョールの監督を解任された[7]。
2013年1月18日にナイジェル・アドキンスの跡を継いで、サウサンプトンFCの監督に就任した[8]。
所属クラブ [編集]
指導者経歴 [編集]
タイトル [編集]
RCDエスパニョール
脚注 [編集]
外部リンク [編集]