ジェフ・ハースト
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| 名前 | ||||||
| 本名 | ジェフリー・チャールズ・ハースト | |||||
| カタカナ | ジェフ・ハースト | |||||
| ラテン文字 | Geoff HURST | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1941年12月8日(71歳) | |||||
| 出身地 | ランカシャー・アシュトン・アンダー・ライン | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | FW | |||||
| 代表歴 | ||||||
| 1966-1972 | 49 (24) | |||||
| ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
サー・ジェフリー・チャールズ・ハースト MBE(Sir Geoffrey Charles Hurst, 1941年12月8日 - )は、イングランド出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。1966年FIFAワールドカップ・イングランド大会決勝戦の西ドイツ戦にて、決勝ゴールを含むハットトリックを挙げた。しかしその決勝ゴールが果たして実際にゴールだったのかは、現在も論争の的となっている。
目次 |
経歴 [編集]
クラブ [編集]
1959年にウェストハム・ユナイテッドに入団し、ここでキャリアの多くを過ごすことになる。当初のポジションはミッドフィールダーだったが、ロン・グリーンウッド監督によってフォワードにコンバートされた。ウェストハムでは1964年にFAカップ、1965年にUEFAカップウィナーズカップに優勝した。
ウェストハムを離れた後はストーク・シティ、ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン、NASLのシアトル・サウンダーズなどでプレーした。
引退後は指導者として、ウェストハムとチェルシーFCでアシスタントコーチを務め、チェルシーでは監督のダニー・ブランチフラワーが解任された後は監督に昇格した。
1975年に大英帝国勲章を授与され、1998年にはナイトに叙勲された。2004年にイングランドサッカー殿堂入り。
イングランド代表 [編集]
1966年2月に西ドイツ戦でイングランド代表デビューを果たす。数ヶ月後に開かれた1966年FIFAワールドカップ・イングランド大会のメンバーにも選出されたが、大会当初ハーストは控え選手とみなされていた。だが大会途中にエースFWのジミー・グリーブスが怪我をしたため、準々決勝のアルゼンチン戦からハーストに出番が回ってきた。
ハーストのゴールによってアルゼンチンに1-0で勝ったイングランドは、準決勝のポルトガル戦にも勝ち、西ドイツとの決勝戦に駒を進めた。西ドイツ戦では前半18分に同点弾となる1点目、延長前半11分に3点目、更に延長後半5分にも4点目を挙げて、ワールドカップの決勝戦でハットトリックを達成した最初の(そしていまだに唯一の)選手となった。イングランドは結局4-2で西ドイツを降し、ワールドカップ初優勝を遂げた。
論争の焦点は決勝ゴールとなった延長前半11分の3点目である。ハーストの右足から放たれたシュートはクロスバーを強く叩き、真下に落下してゴールライン上に落ちた。スイス人主審のゴットフリート・ディーンストは線審の判断を仰いだが、ロシア人線審(実際にはアゼルバイジャン人だが、一般的にこう呼ばれている)のトフィク・バフラモフはこれをゴールと認めた。
ハーストは1970年メキシコ大会でも3試合に出場して1ゴールを挙げた。代表での最後の試合は1972年4月のUEFA欧州選手権予選西ドイツ戦だった。
選手経歴 [編集]
- 1958-1972
ウェストハム・ユナイテッド - 1972-1975
ストーク・シティ - 1975-1976
ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン - 1976
シアトル・サウンダーズ - 1976
コーク・セルティック
テルフォード・ユナイテッド 選手兼監督
指導者経歴 [編集]
テルフォード・ユナイテッド 選手兼監督
ウェストハム・ユナイテッド アシスタントコーチ
チェルシーFC アシスタントコーチ 1979
チェルシーFC 監督 1979-1981
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