フランステレコム
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 本社所在地 | 〒75505 パリ 6 Place D’Alleray |
| 業種 | 通信事業者 |
| 代表者 | ディディエ・ロンバール (Didier Lombard) |
| 資本金 | 549億ユーロ(2007年2月) |
| 売上高 | 510億ユーロ(2006年) |
| 従業員数 | 19万1000人(2006年終わり) |
| 主要株主 | フランス政府 26.94% |
| 主要子会社 | Globecast, Viaccess, Orange, Goa |
| 外部リンク | francetelecom.com |
フランステレコム(France Télécom、ユーロネクスト:FTE、NYSE:FTE)は、フランスの主要電気通信事業者の一つ。世界中で19万1千人近くの従業員と1億5900万人の利用客を持つ。現在の代表はディディエ・ロンバール (Didier Lombard)。
傘下に携帯電話事業者のOrangeなどを持ち、2006年よりグループ全体の統一ブランドとして「Orange」を使用している。
目次 |
現在の企業形態[編集]
フランステレコムはオレンジのブランドの元に、以下の3種のサービスを提供している。
- 固定電話事業。世界各国で、国営通信会社として活動していた地域(フランス、ポーランド、ヨルダン、セネガルなど)では、France Telecomのブランドでの事業を続けている。
- 個人間通話事業、すなわち携帯電話事業。
- 企業向け通信事業
固定電話事業[編集]
France Télécom または Orange のブランドで、以前からの電話回線と、場合によりADSLサービスにより、以下のような商品展開を行う。
個人間通話事業[編集]
Orange のブランドで、主に第2世代 (GSM)、第3世代の携帯電話による以下のような商品を提供している。
- 携帯電話通話
- 携帯マルチメディアサービス
企業向け通信事業[編集]
Orange Buisiness Services のブランドで、事業者向けに絞った以下のサービスを提供している。
- 固定電話、および携帯電話通信
- データ通信
- インターネット接続
- 企業内ネットワーク構成
フランス本国では、携帯電話事業は ORANGE FRANCE SA、固定電話とインターネット接続は FRANCE TELECOM SA が取り扱っている。
統計[編集]
2005年には20万3000人の社員を雇用し、売り上げ高490億円、うち事業所得が113億円 (23%)、純利益は57億円、一株あたりにして2.28ユーロであった。パリとニューヨークの証券取引所に上場している。企業の借入額は478億円で、これは総利益額の2.48倍にあたる。
顧客数は、携帯電話が8400万(うちフランスが2200万)、固定電話が4900万(うちフランスが3300万)、インターネット接続が1200万(うちフランスが600万)である。
社員数は、2005年終わりのAména社買収前には、60%がフランス、16%はポーランド、12%はイギリス、2%がスペインであった。
沿革[編集]
国営通信事業[編集]
フランス革命のさなか、1792年に、当時紛争下で治安の不安定であった国の各地を結ぶ初めての情報通信網が作られた。シャップの発明による目視通信システムである。
やがて電信、そして電話の発明に伴い、1878年にフランス国家が郵政電信省(Ministère des Postes et Télégraphes, P&T)を開設、まもなく1898年には電話網を吸収合併・国営化し、1900年には郵政電信電話事務局(l'Association Générale des agents des P.T.T.)が設置された。1923年になってやっと、郵政電信省のロゴP&Tに電話を表す二つ目のTが加わり、郵政電信電話省(PTT)となった。
1941年に郵政電信電話省の内部に電信電話総局 (Direction Générale des Télécommunications) が開設され、1944年には、フランス国内での電信電話産業を推進する機関として、CNET、すなわち国立電信電話研究センター Centre national d’études des télécommunications(訳注: 現在は France Télécom R&D)が誕生する。
1970年代にフランスはDelta LP計画の通信網整備により、数か国に遅れを取っていた分を挽回する。これよって、CNETの技術者、研究者は、フランスの産業界の協力により、デジタル通信、ミニテル、GSM企画を整備することとなった。
企業としてのフランステレコムの誕生[編集]
欧州連合の公共サービスの競争化の方針に従い、電信電話総局は1988年1月1日よりフランス・テレコムとなった。
1990年7月2日の法令により、フランステレコムは国家と分離した法人となり、マルセル・ルレ (Marcel Roulet) が初代社長に就任する。財政的にも国家とは分離するが、これ以前は、国民議会の議決を必要とする『PTT補足予算』の一部として予算が計上されていた。
1995年9月、ミシェル・ボン (Michel Bon) がフランス・テレコム・グループのトップに立つ。
1998年1月1日の自由競争化に備え、1996年7月に成立した法律により、フランス国家が唯一の株主である株式会社となる。
急成長期[編集]
1997年の最初の株式公開は、インターネットブームにも乗って市場に好感を持たれ、大成功であった。第2回の株式公開は1998年に行われた。ボーダフォンなどの競争相手が仕掛けた国際化競争などでは出遅れたため、この時期急成長を見せたインターネット事業から最大限に利益を引き出すように焦点を絞った戦略をとる。これは結果的にドイツ・テレコムとの同盟関係を決裂させ、ドイツ・テレコムはテレコム・イタリアと協定を結ぶ協議に入ることを宣言することになった。
フランス・テレコム・グループは、Orange plc の株を2000年に過半数、2003年には全株を買い取り、自社の携帯電話事業 Itinéris, OLA, Mobicarte と統合してグループ企業としてオレンジ (Orange SA) を設立させる。フランス・テレコムはまた、世界中で企業買収を行って、規模としては世界で4番目の通信事業者となった。
暗黒時代[編集]
2002年10月2日、当時世界第2の負債を抱えていたフランス・テレコムの建て直しのため、ティエリー・ブルトン (Thierry Breton) が社長・総支配人に任命される。彼は銀行と投資家による150億ユーロの負債償還、当時最大株主であったフランス国家から150億ユーロの増資、そして組織内改革により150億ユーロの内部資金調達の再建計画を行う。ティエリー・ブルトンは2005年2月、入閣のためにフランス・テレコムを辞職した。
2004年9月に、フランス国家は手持ち株の一部を売却して株保有率を50%未満とし、フランス・テレコムは一般私企業となった。国営化後115年を経て、電話事業は再び私営化された。
2005年7月27日、フランス・テレコムは、スペイン市場の24%を占める携帯電話事業者アメナ (Amena) の株の80%を、64億ユーロ(うち30億ユーロは増資による)で取得したと発表。
また、フラン・テレコムは、利用者が必要とする全ての通信手段を一括して提供するとするNExT計画の展開を発表する。
Dataxis社の調査によれば、2005年現在でフランス・テレコムは中国電信に次ぎ、アメリカのSBCコミュニケーションズを抑えて世界第2位、ヨーロッパでは第1位のインターネット事業者である。
2006年6月1日よりフランス・テレコムは全ての商品をOrangeのブランドにて世界中で展開している。ロゴは丸みを帯びて、色と書体が変更された。
資本[編集]
フランス・テレコムは、104億1223万9188ユーロの資本をもつ株式会社であり、その株の配分は以下の通り。
- 一般公開分 : 63.95%
- 従業員 : 4.63%
- フランス国家 : 18.16%
- ERAP(国家機関) : 14.25%
子会社[編集]
持ち株の売却歴[編集]
共同事業[編集]
外部リンク[編集]
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