佐藤洋平

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佐藤 洋平
名前
カタカナ サトウ ヨウヘイ
ラテン文字 SATO Yohei
基本情報
国籍 日本
生年月日 1972年11月22日(36歳)
出身地 宮城県仙台市
身長 187cm
体重 80kg
血液型 A型
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ App (G)
1991-1992
1992-1998
1999-2003
2003-2008
日本の旗住友金属工業蹴球団
日本の旗鹿島アントラーズ
日本の旗コンサドーレ札幌
日本の旗ジュビロ磐田
00 (0)
76 (0)
135 (0)
32 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2008年6月30日現在。
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

佐藤 洋平(さとう ようへい、1972年11月22日 - )は、日本の元プロサッカー選手1992年 - 2008年)。サッカーコーチ2008年 - )。ポジションは、ゴールキーパー宮城県仙台市出身。

2009年ベガルタ仙台のGKコーチに就任。

目次

[編集] プレースタイル

極めてオーソドックスで安定感が売りのゴールキーパー。キック精度はあまりよくなく、時にはポカミスもあるが、それを上回る堅実さで複数のクラブでゴールマウスを守り続けてきた。

[編集] 来歴

[編集] 鹿島時代

当時の正ゴールキーパーで4歳上の古川昌明と競い合い、併用されていたが、出場機会はなかなか与えられなかった。1994年に初めて試合出場するが、そこに待っていたのは3試合連続PK負けという試練であった。

しかし、早くも翌年の1995年に、実力と成長振りをアピールする。特筆すべきは、ニコスシリーズ第15節・ジェフ市原戦である。主力選手の約半数を欠き、さらに退場者も出た試合であったが、必死の好セーブなどで0対0でのPK戦に持ち込む。そして、味方のミスキックがあったにもかかわらず自らが2つ止めて、4-2で勝利した。

1997年にはジョアン・カルロス監督によって正ゴールキーパーに起用される。リーグ第1ステージとナビスコカップの制覇に貢献するが、ジュビロ磐田とのチャンピオンシップでは第2戦で中山雅史にボールを奪われて失点し、優勝をさらわれるという屈辱を味わう。しかし、同年の天皇杯では優勝した。

1998年は膝を痛めて離脱中にポジションを失う。

[編集] 札幌時代

1999年、J2に降格したコンサドーレ札幌をJ1に上げようという岡田武史・新監督の誘いに応じ、出場機会を求めてレンタル移籍。2000年にはJ2優勝及びJ1昇格に貢献する。この年のJ2における札幌の失点は、1試合当たり僅か0.55点という驚異的な数字であった。2001年には札幌に完全移籍し、J1残留の立役者となった。また、この年は日本代表に選出された。岡田は、「(札幌が好成績を挙げられたのは)佐藤ら、ごく一部の選手の実力に頼ったもの」であると、テレビのインタビューで明言した。

J2に降格して迎えた2003年も札幌に残留し、正ゴールキーパーとチームキャプテンを務めた。

[編集] 磐田への移籍~引退後

2003年、鹿島時代の恩師であるジョアン・カルロスが札幌の監督に就任したが、指導方針で対立して出場機会を失った。そこに、同年シーズン途中にゴールキーパー不足[1]となった磐田からのオファーを受け、レンタルでの移籍を決断する。コンビネーションの問題でリーグ戦は出場機会がなかったが、山本浩正の不安定なプレーが続いたため、天皇杯ではゴールマウスを守り、その安定したプレーでジュビロ磐田としては初の天皇杯制覇に貢献。翌年には完全移籍し、正ゴールキーパーとして活躍する。

2005年川口能活の加入、自らの怪我などがあってベンチを暖めることが多くなったが、出場した試合では安定したプレーでチームを支えた。

2007年のシーズン前、自分のファンが製作したサイトに「今年をラストイヤーにする」とコメントし、クラブ側からの説得にもその意志は変わらず、11月29日に2007年シーズンをもって現役を引退する事が発表された。引退発表後は磐田の他に古巣の鹿島と、出身地のクラブであるベガルタ仙台からコーチ就任オファーがあったが、「若年層育成を行いたい」との意志から、磐田から要請されたジュニアユースチームのGKコーチに就任した。しかし、八田直樹の負傷によるGK不足から、チームからの要請を受け、2008年2月21日から6月30日までの期間限定で選手に復帰。試合に出場することはなかったものの、カップ戦ではベンチ入りをした。

2009年、地元チームであるベガルタ仙台のGKコーチに就任。

[編集] エピソード

  • Jリーグ発足後の国内のタイトルは、ほとんどすべて自らがゴールマウスを守って獲得している。その上、J1とJ2の優勝、J1への昇格、J2への降格のすべてを、選手として経験している。
  • 現役生活の最後の所属チームであるジュビロ磐田とは、色々な意味で縁がある。Jリーグ公式戦デビューは対・磐田戦であり、また、1997年のチャンピオンシップでの失態(上述)の際の相手チームも磐田であった。さらに、佐藤本人によれば、「高校時に住友金属(→鹿島)とヤマハ発動機(→磐田)からオファーを受けた」とのこと。磐田加入直後のインタビューで、住友金属を選んだ理由について、「ヤマハの正ゴールキーパーは森下申一さんだったので、住友金属の方がチャンスがあると思った」と述べている。
  • GKは「試合に勝っても大して評価されないが、失点したり試合に負けると真っ先に責められるというポジション」という事で、あまり好きではなかったが、札幌時代にディド・ハーフナーの指導を数年間受け、ゴールキーパーの楽しさが徐々にわかってきたらしい(佐藤談)。

[編集] 所属クラブ

[編集] 経歴

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1991-92 住友 JSL2部 0 0
1992 鹿島 - J - 0 0 0 0 0 0
1993 鹿島 - J 0 0 0 0 0 0 0 0
1994 鹿島 - J 5 0 0 0 0 0 5 0
1995 鹿島 - J 26 0 - 4 0 30 0
1996 鹿島 - J 15 0 10 0 0 0 25 0
1997 鹿島 21 J 28 0 6 0 5 0 39 0
1998 鹿島 21 J 2 0 0 0 1 0 3 0
1999 札幌 1 J2 35 0 2 0 3 0 40 0
2000 札幌 1 J2 37 0 2 0 3 0 42 0
2001 札幌 1 J1 29 0 2 0 0 0 31 0
2002 札幌 1 J1 27 0 6 0 1 0 34 0
2003 札幌 1 J2 7 0 - - 7 0
磐田 28 J1 0 0 0 0 5 0 5 0
2004 磐田 1 J1 23 0 5 0 2 0 30 0
2005 磐田 21 J1 6 0 1 0 0 0 7 0
2006 磐田 21 J1 1 0 1 0 2 0 4 0
2007 磐田 21 J1 2 0 1 0 0 0 3 0
2008 磐田 36 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
通算 日本 J1 164 0 32 0 20 0 216 0
日本 J2 79 0 4 0 6 0 89 0
日本 JSL2部 0 0
総通算 243 0 36 0 26 0 305 0
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFC ACL
2004 磐田 1 5 0
2005 磐田 21 5 0
通算 AFC 10 0

[編集] 代表歴

[編集] 指導経歴

[編集] 脚注

  1. ^ 磐田のゴールキーパーであったアルノ・ヴァンズワムが2003年の途中で退団。理由は、高原寿康の負傷とコーチとの対立であるとされる。

[編集] 関連項目