新居辰基

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新居辰基
名前
愛称 タツ
カタカナ アライ タツノリ
ラテン文字 ARAI Tatsunori
基本情報
国籍 日本
生年月日 1983年12月22日(25歳)
出身地 北海道石狩郡当別町
身長 172cm
体重 65kg
血液型 A型
選手情報
在籍チーム ジェフユナイテッド市原・千葉
ポジション FW
背番号 11
利き足 右足
クラブチーム1
クラブ App (G)
2002-2004
2004
2005-2006
2007-現 在
コンサドーレ札幌
静岡FC
サガン鳥栖
ジェフ千葉
67 (8)
? (?)
75 (40)
33 (6)
1. 国内リーグ戦に限る。2008年12月8日現在。
Template(ノート 解説)サッカー選手pj

新居 辰基(あらい たつのり、1983年12月22日 - )は、北海道出身のサッカー選手。ポジションはフォワード

コンサドーレ札幌下部組織から、2002年トップチーム昇格によりプロ選手となる。のち静岡FCサガン鳥栖を経て、2007年、ジェフユナイテッド市原・千葉へ移籍。

目次

[編集] プレースタイル

ディフェンスラインの裏へ抜けるスピードを最大の武器とし、ゴール前の嗅覚に優れた『点取り屋』[1][2]

[編集] 来歴

サッカーを始めたのは小学校1年生のとき。野球をやっていたがサッカーもやってみたいと思ったのがきっかけで、地元の当別サッカー少年団に入った。中学生のときはユニオンジュニアユースチームFC(江別市)でプレー。高校生になるとき、ユニオンのユース(U-18)ができるならユニオンでプレーを続けようと考えていたが、結局ユニオンでは高校生年代のチームができなかったため、クラブチームの方が性に合うというコーチの勧めにより設立3年目のコンサドーレ札幌ユースに入団した。

コンサドーレ札幌ユース時代は、年代別日本代表には無縁だったが、1年生の秋ころから試合に出るようになり、2年生でレギュラーポジションをつかむ。ピッチ上でのらりくらりと歩いていたかと思うと一瞬でディフェンスラインの裏に抜け出す駆け引きや、ボールのこぼれてくるところに走り込む得点への嗅覚に非凡なところを見せた。調子のよいときはニヤニヤした表情を見せ、オフサイドの旗をあげる副審にはにらみを効かすふてぶてしい態度は、「得点にどん欲でプロ向きな性格」とサポーターに期待を抱かせた。高校3年の2001年には日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会でチームを準優勝に導く原動力となり、MIP (Most Impressive Player) の表彰を受ける。

2002年からトップチームに昇格。この年チームはJ2に降格したが、新居は5試合に出場し、Jデビュー戦であるホーム鹿島戦でのゴールを含む2得点を挙げる。札幌ユース出身選手として初めて将来のチームの主軸となりうる可能性を持った選手として周囲の期待も大きく、当時の監督張外龍ASローマ生え抜きのトッティになぞらえてか、「コンサドーレの王子」と称したほか、サポーターからも前年に在籍しリーグ得点王に輝いたウィルになぞらえて「プチ俺王」と呼ばれ、期待を集めた。

その後もコンスタントに試合出場を続けていたが、プロ3年目の2004年8月に酒気帯び運転から人身事故を起こして逮捕され、クラブから解雇処分を受ける[3]。それから約2カ月は解体工事現場で働きながら、夜はジムに通ってトレーニングを行っていた[4]が、同年10月にJFL入りを目指す東海社会人リーグ静岡FCに入団した。

2005年にサガン鳥栖に移籍し、Jの舞台に復帰する。開幕当初はスーパーサブ的な起用をされたが、すぐに先発メンバーに定着。17得点を挙げて長谷川太郎とともにJ2の日本人得点王となった。また、同僚で15点を挙げた鈴木孝明と2人で、2004年のチーム総得点分の得点(32点)を稼いだ。この活躍により移籍話が浮上したが、「拾ってもらって、1年で出ていくわけにいかない」と自ら封印しチームに残留した。

2006年はチームの得点源であるため相手チームのチェックが厳しくなって怪我を負うことも多くなり、特に第4クールは半分近くの試合を欠場した。それでも出場試合数は前年より減ったのにも関わらず前年より多い23得点を挙げ、2年連続でJ2の日本人得点王となった。なお鳥栖はこの年Jリーグ参戦から過去最高の4位という躍進を遂げる。上位進出の最大の立役者となった。ここ数年の活躍により、日本代表に推す声も聞こえるようになっている。

2007年、ジェフユナイテッド市原・千葉に完全移籍。 2008年シーズンのアレックス・ミラー監督体制下では、本来のFWとしてだけではなく、サイドでも起用されるなど新しい面も見せている。(ただし、本人は不満を漏らしている)

[編集] アラカルト/エピソード

  • J2でハットトリックを3回達成。これは日本人選手としてはJ2史上での単独最多記録である(外国人も含めての最多はジュニーニョの6回)。
  • 名前の辰基(たつのり)は、少年野球の指導者であり巨人ファンである父親が巨人の人気選手だった原辰徳にあやかって命名したもの。新居自身も小学生のころはサッカーと並行して野球もしており、大の巨人ファンである。子供のころは家族からも友人からもタッチと呼ばれ、プロになってからはチームメイトからタツと呼ばれている。ジェフでは市原熊谷と私設応援団を結成している。
  • 小さい頃からの憧れの選手はカズ(三浦知良)。
  • 在籍時代は色々なことがあったが、コンサドーレのことは気になるらしい。

[編集] 所属クラブ

ユース経歴

  • 1990年 - 1995年 当別サッカー少年団 (小学校1年 - )
  • 1996年 - 1998年 ユニオンジュニアユースFC (北海道江別市、中学生時)
  • 1999年 - 2001年 コンサドーレ札幌ユースU-18 (北星新札幌高校

プロ経歴

[編集] 経歴

[編集] 現役

  • 2002年4月20日 - プロデビュー(Jリーグ) - 鹿島戦(函館千代台[5]
  • 2002年4月20日 - プロ初ゴール(Jリーグ) - 鹿島戦(函館千代台)[5]

[編集] 個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2002 札幌 25 J1 5 2 3 0 1 0 9 2
2003 札幌 17 J2 35 3 - 0 0 35 3
2004 札幌 13 J2 27 3 - - 27 3
2004 静岡 9 東海1部 - -
2005 鳥栖 27 J2 39 17 - 1 1 40 18
2006 鳥栖 11 J2 36 23 - 1 0 37 23
2007 千葉 11 J1 25 5 5 0 1 0 31 5
2008 千葉 11 J1 23 3 5 2 1 0 29 5
2009 千葉 11 J1
通算 日本 J1 38 8 11 2 2 0 51 10
日本 J2 137 46 - 2 1 139 47
日本 東海1部 - -
総通算 175 54 11 2 4 1 190 57

[編集] 個人タイトル

[編集] 出場大会

  • 2001年 日本クラブユース選手権 (準優勝)

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 脚注

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  1. ^ 出典:『2007 J1&J2 リーグ選手名鑑』、2007年3月9日発行、ベースボール・マガジン社
  2. ^ 出典:「ゴール前、優れた嗅覚 新居辰基(鳥栖→千葉)」、2007年02月07日付、アサヒ・コム
  3. ^ 出典:「ニュースリリース - 新居辰基・中尾康二選手 契約解除について」、2004年8月17日付、コンサドーレ札幌 公式サイト
  4. ^ 出典:「暴走をサッカーで償う得点王!鳥栖新居」、2006年9月4日付、ニッカンスポーツ・コム
  5. ^ a b 出典:「登録選手一覧表 - 2007 J1ジェフ千葉」、2007年3月9日付、Jリーグ公式サイト

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