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小川 慶治朗 |
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| 名前 |
| カタカナ |
オガワ ケイジロウ |
| ラテン文字 |
OGAWA Kejiro |
| 基本情報 |
| 国籍 |
日本 |
| 生年月日 |
1992年7月14日(20歳) |
| 出身地 |
大阪府豊中市 |
| 身長 |
168cm |
| 体重 |
62kg |
| 選手情報 |
| 在籍チーム |
ヴィッセル神戸 |
| ポジション |
MF(LSH) / FW |
| 背番号 |
13 |
| 利き足 |
右足 |
|
| クラブ1 |
| 年 |
クラブ |
出場 (得点) |
|
| 2010- |
ヴィッセル神戸 |
39(8) |
|
1. 国内リーグ戦に限る。2012年6月24日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
小川慶治朗(おがわ けいじろう、1992年7月14日 - )は、J2・ヴィッセル神戸所属のサッカー選手[1]。大阪府出身[2]。ポジションは、MF、FW。2010年にクラブ史上初のトップチームとの2種登録選手となった[3]。
来歴 [編集]
プラチナ世代の選手の一人であり、2009 FIFA U-17ワールドカップでは高木善朗・堀米勇輝の控えとして2試合に途中出場した[4]。2010年1月の新体制発表会でヴィッセル神戸に所属する選手として初めて2種登録選手としてトップチームに登録された[5]。
2010年3月27日、横浜F・マリノス戦の後半30分に途中出場し、クラブ最年少出場記録を樹立(17歳5か月13日)。その後しばらくは出たり出なかったりの状況が続いたが、9月にトップチーム昇格が内定。残留争いが厳しくなった10月に和田昌裕の抜擢を受け、怪我で離脱した大久保嘉人が務めることの多かった左サイドで出場。2010年10月30日ガンバ大阪戦の後半12分にJリーグ初得点を挙げる。これは2012年に同じくユース出身のMF松村亮が更新するまではクラブ史上最年少得点記録だった。残留のかかった大一番の浦和レッズ戦でも残留を決定づけるゴールを決めるなど[6]、終盤8試合は全試合スタメン出場。2種登録ながら15試合に出場し2得点をあげた。シーズンオフの関西Jリーグ応援番組「スタジアムへ行こう!!」において山野孝義から「人間機関車」と評され、来シーズン期待する選手として名前を挙げられた。
2011年シーズンはコンスタントに出場機会を得ていたが、7月のゲームで右足関節脱臼骨折の負傷を負い長期離脱。11月20日のセレッソ大阪戦で復帰。ルーキーとして迎えたシーズンは怪我の影響もあり無得点だった。
2012年シーズン、大久保嘉人が背番号を「10」に変更した事により、神戸のエースナンバーである背番号「13」を受け継いだ。第14節のジュビロ磐田戦で、クラブ史上最年少、J1では歴代3番目の若さとなる19歳と338日でハットトリックを達成した。攻撃陣が怪我や不振に喘ぐ中、一人気を吐き9得点をあげたがチームは降格した。
所属クラブ [編集]
個人成績 [編集]
| 国内大会個人成績 |
| 年度 |
クラブ |
背番号 |
リーグ |
リーグ戦 |
リーグ杯 |
オープン杯 |
期間通算 |
| 出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
出場 |
得点 |
| 日本 |
リーグ戦 |
ナビスコ杯 |
天皇杯 |
期間通算 |
| 2010 |
神戸 |
31 |
J1 |
15 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
15 |
2 |
| 2011 |
12 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
13 |
0 |
| 2012 |
13 |
28 |
9 |
6 |
0 |
1 |
0 |
35 |
9 |
| 2013 |
J2 |
|
|
|
|
|
|
|
|
| 通算 |
日本 |
J1 |
55 |
11 |
7 |
0 |
1 |
0 |
63 |
11 |
| 総通算 |
55 |
11 |
7 |
0 |
1 |
0 |
63 |
11 |
代表歴 [編集]
- U-15日本代表候補
- U-16日本代表
- U-17日本代表
- 2009年 2009 FIFA U-17ワールドカップ出場(2試合0得点)
脚注 [編集]
- ^ 安藤隆人『プラチナ世代のW杯』p.110
- ^ 安藤隆人『プラチナ世代のW杯』p.110
- ^ 安藤隆人『プラチナ世代のW杯』p.112
- ^ 安藤隆人『プラチナ世代のW杯』p.111
- ^ 安藤隆人『プラチナ世代のW杯』p.112
- ^ 安藤隆人『プラチナ世代のW杯』p.111