シュナイダー潤之介
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| シュナイダー 潤之介 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | シュナ、シュナ潤 | |
| カタカナ | シュナイダー ジュンノスケ | |
| ラテン文字 | SCHNEIDER Junnosuke | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1977年5月22日(32歳) | |
| 出身地 | 東京都新宿区 | |
| 身長 | 185cm | |
| 体重 | 82kg | |
| 血液型 | B型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ガイナーレ鳥取 | |
| ポジション | GK | |
| 背番号 | 15 | |
| ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||
シュナイダー 潤之介(シュナイダー じゅんのすけ、1977年5月22日 - )は東京都出身でJFL・ガイナーレ鳥取所属のサッカー選手。ポジションはGK。
目次 |
[編集] 来歴
明星高2年時にDFからGKに転向。明星大を経て、2000年に群馬FCフォルトナ(現・アルテ高崎)に入団。翌2001年にサガン鳥栖へ移籍(セレクションで合格して入団)。2002年にレギュラーを獲得するようになり、2005年には主将も務めた。
[編集] 仙台への移籍
2006年11月末、サガン鳥栖は、年俸など契約条件を提示し、交渉を進めていたが、シュナイダーがJ1チームへの移籍を希望していたため契約更新に至らなかった。「レベルの高いところからオファーがあれば、それは本人のために、本人の意志に任せる」というのが、クラブの方針の鳥栖は、翌2007年1月に、他クラブとの交渉が自由にできる移籍リストに登録し、J1チームからのオファーを待った。鹿島アントラーズなど具体的なチーム名が挙がっていたが、同時にJ2ベガルタ仙台からもオファーがあった。J1チームへの移籍を希望していたため、鳥栖サポーターは仙台に移籍しないだろうと思っていたが、結局シュナイダーは仙台に移籍する。「高いレベルでプレーしたい」と語っていたシュナイダーの話と矛盾する移籍(2006年の成績は、鳥栖が4位、仙台が5位)だったので、多くの鳥栖サポーターが失望した。
また移籍時に「ようやくベガルタ仙台に来ることが出来ました、自分の憧れの土地だったので非常に楽しみです」とコメント。待ちに待った仙台サポーターからは大変な歓迎を受けるが、一部の鳥栖サポーターからは反感を買ってしまった。
仙台移籍1年目の2007年は開幕から正GKとして毎試合スタメンを任されるようになるが、6月6日の練習中に右手を骨折。全治3ヶ月と診断された。これにより戦線を離脱を余儀なくされるとともに、開幕戦から続いていたスタメン・フル出場が途切れてしまった。チームはその後、コンサドーレ札幌から林卓人を期限付き移籍で獲得し、彼を正GKとして起用するようになる。負傷完治後も林から正GKの座を奪い返すことはできず。翌2008年もチームは移籍期間を延長した林を正GKとして起用。シュナイダーは控え選手としてベンチ入りしたことは度々あったものの、結局、天皇杯やJ1・J2入れ替え戦を含め、1試合も公式戦に出場することはなく、同年を以って戦力外となり、チームを去った。
[編集] JFL・鳥取への移籍
2009年1月9日、JFL・ガイナーレ鳥取への完全移籍が発表された。今回の移籍決定に際し、「1つ下のリーグですが、Jリーグ参入の為、(古巣の)仙台と同リーグで闘う日を楽しみにして頑張ります。」とのコメントを残している。なお、鳥取はJリーグ準加盟クラブとしての認可を受けているため、JFLで4位以内に入れば翌年のJリーグ入りが可能となり、リーグ戦で仙台と対戦できる可能性が出てくる。
[編集] プレースタイル
飛び出しとセービングの上手さには定評があり、また、ムードメーカーとしてチームを盛り上げる役にも長けている。
[編集] 所属クラブ
ユース経歴
プロ経歴
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2000 | 群馬 | 群馬県2部 | - | 1 | 0 | ||||||
| 2001 | 鳥栖 | 21 | J2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 2002 | 鳥栖 | 21 | J2 | 24 | 0 | - | 1 | 0 | 25 | 0 | |
| 2003 | 鳥栖 | 14 | J2 | 10 | 0 | - | 0 | 0 | 10 | 0 | |
| 2004 | 鳥栖 | 14 | J2 | 26 | 0 | - | 2 | 0 | 28 | 0 | |
| 2005 | 鳥栖 | 14 | J2 | 40 | 0 | - | 2 | 0 | 42 | 0 | |
| 2006 | 鳥栖 | 1 | J2 | 31 | 0 | - | 2 | 0 | 33 | 0 | |
| 2007 | 仙台 | 22 | J2 | 18 | 0 | - | 0 | 0 | 18 | 0 | |
| 2008 | 仙台 | 22 | J2 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |
| 2009 | 鳥取 | 15 | JFL | - | |||||||
| 通算 | 日本 | J2 | 149 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0 | 156 | 0 | |
| 日本 | JFL | - | |||||||||
| 日本 | 群馬県2部 | - | 1 | 0 | |||||||
| 総通算 | 0 | 0 | 8 | 0 | |||||||
[編集] アラカルト
- 子供の頃からの広島東洋カープファンである。ベガルタ仙台時代には、仙台市を本拠地とする東北楽天ゴールデンイーグルスの試合を観戦しているところを時々目撃されている。なぜイーグルス戦を観戦したかというと、対戦相手が広島カープだったからである。
- 現在ガイナーレ鳥取で着用している背番号15は、元・広島カープ投手の黒田博樹が広島時代に着用していた背番号に由来する[1]。
[編集] シュナイダー劇場
ベガルタ仙台でシュナイダーが行ったパフォーマンス。ホームゲームで勝った場合、ゴール裏でパフォーマンスを行う。サポーターと自身の応援歌を歌い、最後の締めにスライディング(でんぐり返しなど他にもある)してはじける。サポーターから絶大な人気を誇るシュナイダーのパフォーマンスは「シュナイダー劇場」と呼ばれるようになり地元マスメディアにも取り上げられた[2]。しかし、試合終了後に数十分のパフォーマンスが観客とともに行われることから、観客の安全確保のために警察が行っていた歩行者天国の時間を延長せざるを得なくなり、この件に関してクラブが地元警察から相談を受けるに至った[3]。このパフォーマンスはサポーターの応援歌に手拍子で称えたり、一緒に歌って盛り上げる貴重な存在だったが、対モンテディオ山形戦を最後に「シュナイダー劇場」は行われることはなかった。
その後、シュナイダー劇場はガイナーレ鳥取に於いて、その日の出場全選手及び出場機会がなかったサブ登録選手(故障の治療等により出てこられない選手を除く)を交えて、シュナイダーが音頭を取ってその試合で最も活躍した選手を選出して行うというように、若干形を変えて復活した。既に名物として定着しつつあり、鳥取県内のメディアからは「ガイナーレ劇場」と呼ばれている[1]。
[編集] 関連情報
[編集] テレビ・ラジオ番組
- 2009年- BSSテレビ Road to J ガイナーレ劇場(レギュラー)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
[編集] 脚注
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