H.C. TOCHIGI 日光アイスバックス

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H.C. TOCHIGI 日光アイスバックス
原語表記 H.C. TOCHIGI 日光アイスバックス
愛称 バックス
創設年 1925年
所属リーグ アジアリーグアイスホッケー
本拠地 日光市
ホームリンク 栃木県立日光霧降アイスアリーナ
監督 村井忠寛
公式サイト 公式サイト
Template(ノート 解説)

H.C. TOCHIGI 日光アイスバックス(ほっけーくらぶ とちぎ にっこうアイスバックス)は、日本栃木県日光市にホームを置く、アジアリーグアイスホッケーに加盟するプロアイスホッケークラブ。日本初のプロアイスホッケークラブである。

目次

チーム概略 [編集]

整列するH.C. TOCHIGI 日光アイスバックスの選手たち(2008年1月27日、対SEIBUプリンスラビッツ戦より~ダイドードリンコアイスアリーナ)

チームの前身は日本最古の伝統チーム「古河電工アイスホッケー部」で、設立当初のチーム名称は「HC日光アイスバックス」。ホームリンクは栃木県日光市清滝の「電工リンク」であったが、古河電工が電工リンク廃止を決定したため同市所野の「栃木県立日光霧降アイスアリーナ」に移った。

「日光バックス」、または単に「バックス」と略されて呼ばれている。なお、下部チームとして、バックスレディース/アイスバックス神戸レディースを有する。

2005年度シーズンより日光市と兵庫県神戸市に活動拠点を置くダブルフランチャイズ制を採用、チーム呼称を「日光神戸アイスバックス」に変更した。これは神戸市にある「日本セールス&マーケティング社」がチームスポンサーに就任したことによるもので、ホームタウンを日光市、サブホームタウンを神戸市に置き、「神戸市立ポートアイランドスポーツセンター」で数試合ホームゲームを開催した。

2005-06年度シーズン(予選リーグ 全38試合のうちホーム19試合)においてはメインホームタウンの日光市で10試合、準ホームの神戸市では4試合(その他リーグ管轄のホーム試合として東伏見=西東京市で2試合、新横浜で2試合を、スポンサーの関係で京都で1試合)の主催ゲームを行った。2006-07年(予選34試合中ホーム17試合)は日光市で11試合、神戸4試合、リーグ管轄オープニングゲームでのホーム試合として東伏見(ダイドードリンコアリーナ)2試合を行う。

2006-07年度シーズンからサッカー評論家(元藤和不動産サッカー部)のセルジオ越後がシニアディレクターに就任。慢性的に財政難であるが、特にこのシーズンは遠征費用にも事欠く状況で、2006年12月に「IceBucks募金」として1口1万円の寄付を募った。寄付者にはセルジオ越後のサイン入りパックを送付するとして、翌年3月までに817万円を集めた。しかし、金融制度の無知から、寄付者のほとんどの連絡先が判明せずパックを発送できないという不手際ぶりであった。

2007-08年度シーズンから運営母体が変わり、神戸市との準フランチャイズを解消した(ただし、スポンサーの関係上神戸での試合は同年度2試合あった)ため、チーム呼称を「HC日光アイスバックス」に戻した。

2009年8月、選手の一人が宇都宮市簗瀬町のカラオケ店で、酒に酔って店長に暴行を加えて傷害容疑で現行犯逮捕された(後日に被害者と示談が成立し起訴猶予処分)。翌日、チームは謝罪した上で再発防止委員会を設置し、該当選手を無期限の選手契約停止処分とした。

2010年3月、第77回全日本アイスホッケー選手権大会の準々決勝で中央大学アイスホッケー部に1-5で敗れた。トップカテゴリ所属のチームが大学に敗れるのは雪印アイスホッケー部以来17年ぶりの出来事である。

歴史 [編集]

株式会社栃木ユナイテッド
Tochigi United Co.,Ltd.
種類 株式会社
本社所在地 321-1411
栃木県日光市稲荷町2-360-9
設立 2007年3月30日
業種 サービス業
事業内容 アイスホッケークラブの運営
代表者 代表取締役社長 小林澄生
代表取締役シニアディレクター セルジオ越後
資本金 100万円
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1999年1月の古河電工アイスホッケー部廃部を受け、日本リーグ初の“市民クラブ”として発足。資金難から2000年11月に2度目のチーム廃部となったが、栃木県・日光市・県内の有力企業などから援助を得て2001年5月に別の運営会社が設立され、チーム運営を引き継いだ。 2005年シーズンよりダブルフランチャイズ制を導入し神戸市をサブホームタウンとしたが運営はなかなか好転しなかった。2007年6月に現・運営会社「栃木ユナイテッド」へチーム運営を引き継いだ。

新運営会社はサポート組織会費を基盤に運営するクラブ作りを目標にしている。従来のファンクラブを拡大する形で新たに設立する「栃木ユナイテッドスポーツクラブ(仮称)」において法人200社、個人350人以上の会員を募集。理事会により運営し当面、年間1億1000万円の会費を集める計画。

沿革 [編集]

1925年(大正14) 古河電工アイスホッケー部創部
1999年(平成11)1月 アイスホッケー部活動停止決定
1999年(平成11)5月 「古河電工アイスホッケーを愛する会」が日本アイスホッケー連盟へ4万人の署名提出
1999年(平成11)8月 「有限会社栃木アイスホッケークラブ」設立、市民クラブ「HC日光アイスバックス」として再スタート
2000年(平成12)11月 資金難から有限会社栃木アイスホッケークラブの会社清算・廃部決定
2001年(平成13)1月 栃木県、日光市、今市市が行政支援を決定、バックスの存続を求める署名は10万人に達する
2001年(平成13)5月 「有限会社日光アイスバックスとちぎ」設立、有限会社栃木アイスホッケークラブよりチーム運営を譲り受ける
2005年(平成17)1月 株式会社日本セールス&マーケティング社が経営に参加
2005年(平成17)7月1日 チーム名称を「日光神戸アイスバックス」に変更、チームロゴにも反映
2007年(平成19)3月30日 「株式会社栃木ユナイテッド」設立
2007年(平成19)6月7日 株式会社栃木ユナイテッドが有限会社日光アイスバックスとちぎよりチームの運営権を譲り受ける、記者会見で神戸市とのフランチャイズを解消しチーム名称を戻すことを発表
2007年(平成19)6月9日 公式HPにおいて、チーム名称を「日光アイスバックス」と表示(6月12日からは「HC日光アイスバックス」)。
2009年(平成21)7月23日 公式HPにおいて、チーム名称を「H.C. TOCHIGI 日光アイスバックス」と発表(8月1日から変更)。

獲得タイトル [編集]

選手 [編集]

ゴールキーパー
# 選手名 キャッチ 登録年 出身地
29 日本の旗 伊藤 慶介 2010 日本
39 日本の旗 菊地 尚哉 2009 日本
44 日本の旗 福藤 豊 2010 日本
ディフェンダー
# 選手名 ハンド 登録年 出身地
2 日本の旗 萩原 優吾(A) 2006 日本
3 日本の旗 山口 和良 2009 日本
6 日本の旗 隅田 洋介 2010 日本
7 日本の旗 福沢 直哉 2008 日本
22 日本の旗 大久保 智仁 2009 日本
34 日本の旗 岡本 利章 2007 日本
43 日本の旗 河村 正博 2009 日本
77 カナダの旗 リチャード・ローチフォルト 2010 カナダ
フォワード
# 選手名 ポジション ハンド 登録年 出身地
8 日本の旗 鈴木 貴人(C) W 2009 日本
11 日本の旗 塚田 裕之 2008 日本
12 日本の旗 内山 朋彦 W 2009 日本
13 日本の旗 田川 聖 W 2010 日本
15 日本の旗 倉田 龍一 2010 日本
16 日本の旗 土田 英二 W 日本
17 日本の旗 高橋 一馬 C 2009 日本
18 日本の旗 辻 康治郎 W 2004 日本
19 日本の旗 中居 武蔵 C 2007 日本
45 日本の旗 瀬高 哲雄 (A) C 2005 日本
47 日本の旗 篠原 亨太 (A) C 2005 日本
58 カナダの旗 バド・スミス C 2009 アルベルタ,カナダ

スポンサー企業 [編集]

など

H.C. TOCHIGI 日光アイスバックスに関するメディア [編集]

TV [編集]

ラジオ [編集]

  • 「Come On!Bucks」 栃木放送 毎週火曜日 21:10~21:20

書籍 [編集]

  • 『命を賭けた最終ピリオド—ガンとアイスバックスと高橋健次』国府秀紀。角川書店ISBN4048836854

SNS [編集]

  • 2006年12月よりピュアライム(SNS)でセルジオ越後と日光神戸アイスバックスの選手がブログを公開

音楽 [編集]

  • 熊木杏里『ゴールネット』(公式応援ソング)

関連項目 [編集]

かつて、神戸市を「準本拠地」と位置づけていたため

外部リンク [編集]