深谷友基

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深谷 友基 Football pictogram.svg
名前
愛称 ファルコン
カタカナ フカヤ ユウキ
ラテン文字 FUKAYA Yuki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1982年8月1日(31歳)
出身地 愛知県岡崎市
身長 180cm
体重 73kg
選手情報
在籍チーム FC岐阜
ポジション DF (CB)
背番号 3
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2005-2009 大分トリニータ 140 (7)
2010-2012 大宮アルディージャ 63 (7)
2013 大分トリニータ 4 (0)
2014- FC岐阜 0 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2012年12月29日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

深谷 友基(ふかや ゆうき、1982年8月1日 - )は、愛知県出身のプロサッカー選手JリーグFC岐阜所属。登録ポジションはディフェンダー(センターバック)。

人物[編集]

中学校までは主にMFを務め、1年生の時からレギュラーを務めた。中学卒業後は、愛知県立三好高等学校に進学。同校初のインターハイ全国大会出場に貢献。阪南大学在学中の2003年-2004年に強化指定選手として京都パープルサンガに登録され、サテライトリーグに出場した。

2005年大分トリニータに加入。同年のリーグ戦では新人ながらチーム最多の32試合に出場した。以降も、同年途中から指揮を執ったペリクレス・シャムスカ監督の下レギュラーに定着。特に2008年には「カメナチオ」と呼ばれたリーグ最少失点(Jリーグ記録)を記録したチームでスタメンCBとして出場を続け、クラブ歴代最高順位となるリーグ戦4位・ヤマザキナビスコカップ優勝に大きく貢献した。しかし、優勝争いの天王山となった11月23日鹿島戦で膝を負傷。左膝前十字靱帯損傷、内側半月板損傷で全治6か月という重傷を負う。

前年の負傷の影響でシーズン前半戦は試合に出場できなかった。その間大分はリーグ戦14連敗を喫するなど不振に陥り監督もシャムスカからランコ・ポポヴィッチに交代した。復帰戦となった18節・浦和戦で決勝点となるゴールを決め連敗記録を14でストップさせる等シーズン後半戦からの大分の復調に貢献するも、実らずJ2降格となった。同年オフ、降格に加え大分が深刻な経営難により主力選手を保持出来なくなったこともあり、大宮アルディージャに完全移籍。移籍1年目の2010年は自身最多となるリーグ戦6ゴールを記録した。

2013年、大分へ完全移籍。4年ぶりの古巣復帰となったがコンディション不良により出場機会は殆ど無かった[1]。2014年は地元・東海に本拠地を置くFC岐阜に移籍。別府キャンプ初日に監督のラモス瑠偉から副主将に指名された。

人物[編集]

大分に入団後から2007年まではスキンヘッドであったが、翌2008年以降はソフトモヒカンを通している。

2006年11月14日に結婚。

2008年4月12日、対川崎戦でJ1・100試合出場達成。試合前のセレモニーで正妻に花束を贈られ祝福されるも、試合開始わずか15分で2枚のイエローカードを受け、プロ初の退場処分となった。この件は同年11月のナビスコカップ優勝後のTV出演でもネタにされた。

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2005 大分 4 J1 32 1 5 0 2 0 39 1
2006 31 1 5 1 2 0 38 2
2007 31 3 5 0 2 0 38 3
2008 32 1 9 0 0 0 41 1
2009 14 1 3 0 2 0 19 1
2010 大宮 25 6 2 0 0 0 27 6
2011 27 1 2 0 1 0 30 1
2012 11 0 4 0 1 0 16 0
2013 大分 4 0 1 0 1 0 6 0
2014 岐阜 3 J2 -
通算 日本 J1 207 14 36 1 11 0 254 15
日本 J2 -
総通算 207 14 36 1 11 0 254 15
  • 2003年、2004年特別指定選手としての出場はなし。

脚注[編集]

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関連項目[編集]