広島県総合グランドメインスタジアム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
広島スタジアムから転送)
広島県総合グランド > 広島県総合グランドメインスタジアム
広島総合グランドメインスタジアム
Balcom BMWスタジアム

下写真の下方交差点より撮影。

1988年。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
広島県総合グランドメインスタジアムの位置(広島市旧市内内)
広島県総合グランドメインスタジアム
施設情報
所在地 広島市西区観音
位置 北緯34度22分32秒 東経132度25分22秒 / 北緯34.37556度 東経132.42278度 / 34.37556; 132.42278座標: 北緯34度22分32秒 東経132度25分22秒 / 北緯34.37556度 東経132.42278度 / 34.37556; 132.42278
開場 1941
修繕 1992
所有者 広島県
運用者 ひろしま未来創造パートナーズ[1]
グラウンド 天然芝(106m×71m)
ピッチサイズ 105m×68m
照明 鉄塔式8基 1,500ルクス
大型映像装置 電光掲示盤(10.2m×22.8m)
旧称
Coca-Cola West 広島スタジアム
(命名権・2008年4月1日 - 2018年3月31日)
コカ・コーラボトラーズジャパン広島スタジアム
(命名権・2018年4月1日 - 2020年3月31日)
使用チーム、大会
マツダスカイアクティブズ広島JAPAN RUGBY LEAGUE ONE
AFCアジアカップ1992
収容人員
13,800
アクセス
広電バス・総合グランド入口バス停
1945年米軍作成の広島市地図。左下の"ATHLETIC FIELD"が総合グランド。周辺に半壊被害があったが総合グランド自体は被害がなかったとわかる。
1945年米軍作成の広島市地図。左下の"ATHLETIC FIELD"が総合グランド。周辺に半壊被害があったが総合グランド自体は被害がなかったとわかる。
1988年。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成左下が広島西飛行場滑走路、左上が庚午橋。
1988年。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成左下が広島西飛行場滑走路、左上が庚午橋
メインを正面から(旧)
メインを正面から(現)

広島県総合グランドメインスタジアム(ひろしまけんそうごうグランドメインスタジアム)は、広島県広島市西区広島県総合グランド内にある陸上競技場。通称、広島スタジアム。略称は「広島スタ」。2020年(令和2年)10月より、命名権名称により『Balcom BMWスタジアム』の名称を用いている(詳細後述)。

施設は県が所有し、2021年令和3年)4月以降、ミズノ・(公財)広島県教育事業団・ミズノスポーツサービス・ユニサス・三栄産業で構成される「ひろしま未来創造パートナーズ」が指定管理者となり運営管理を行っている<[1]

概要[編集]

1941年誕生の施設の一つで、かつては織田幹雄記念国際陸上競技大会も開催されるなど、広島陸上界における聖地として知られる。

球技場としても使用されており、以前はJリーグサンフレッチェ広島のホームスタジアムだった。現在では、天皇杯皇后杯などの全国規模の大会、全広島サッカー選手権大会高円宮杯 JFA U-18サッカープリンスリーグ中国など地方規模の大会など広島県サッカー協会主催のサッカー公式戦会場や、ジャパンラグビーリーグワンマツダスカイアクティブズ広島中国電力レッドレグリオンズのホームゲームなど、ラグビーの公式戦会場としても利用されている。

施設命名権[編集]

施設の命名権コカ・コーラウエストホールディングスが取得し、2008年(平成20年)4月1日より呼称を「Coca-Cola West 広島スタジアム」(略称は主に「コカスタ」表記)としていた。その後、組織再編でコカ・コーラボトラーズジャパンホールディングスとなった事に伴い、2018年(平成30年)4月1日からは、「コカ・コーラボトラーズジャパン広島スタジアム」としていた。2020年(令和2年)3月31日をもって命名権契約が終了し、4月1日より「広島県総合グランドメインスタジアム」に名称を戻した[2]が、同年10月1日より、BMWの中国地方の販売代理店(正規ディーラー)「バルコム」が広島県総合グランド全体の命名権を取得し、[3]、「Balcom BMWスタジアム」(バルコム・ビーエムタブリュー・スタジアム)の呼称を用いることになった。

歴史[編集]

1941年12月、広島県の皇紀2600年記念事業の一環として完成した、「総合体錬場(現広島総合グランド)」の一施設。完工式は同年12月7日に行われ、陸上競技織田幹雄吉岡隆徳高田静雄の3選手が模範演技を見せた。この日から3日間記念の体育大会が行われたが、翌8日から太平洋戦争に突入、大会は予定どおり行われたものの、会場でも大本営発表が再三放送されたとの回想がある。

1945年8月6日広島市への原子爆弾投下の際には、爆心地から約3.5 km(右地図より)に位置した。右地図資料より火災には遭わなかったことがわかる。付近の建物破損が起きた可能性はあるが、広島市が発行した原爆戦災誌などの公式資料にはここの被災状況は記載されていない。

1951年広島国体で初めて全国規模の大会に利用された。南側に広島空港(広島西飛行場)ができ、1961年から供用開始している。

1974年には来日中のペレがここでサッカー教室を開いた。

1993年に開幕するJリーグに参加するサンフレッチェ広島がホームスタジアムとして使用することや、1992年アジアカップ1994年広島アジア大会1996年ひろしま国体の試合会場として使用することから、1992年に全面改築を施した。

また、1996年から始まった全国都道府県対抗男子駅伝競走大会のスタート地点にもなっていたが、転倒シーンが多く見られた為コースの変更を余儀なくされ、わずか4年でスタート地点としての役目を終え、2000年からはスタート地点もゴール地点と同じ広島平和記念公園となった。

2003年に発足した「専用スタジアム推進プロジェクト」にて、サッカー専用スタジアムに改修しサンフレッチェ広島の本拠地とする計画が挙がった。しかし、これには陸上競技関係者の反対にあい、都市公園法[注 1]および航空法[注 2]の問題もあり、断念することとなった(詳細は広島のサッカースタジアム構想参照)。

なおサンフレッチェは1994年(公式には1996年)以降、同じ広島市内にある広島ビッグアーチにホームスタジアムの登録を変更したため、2006年までは準ホーム扱い[注 3] となっていたが、2007年以降サンフレッチェ主催の試合は行われなくなった。これはここが固定席を約7千席分しか有しておらず[4]Jリーグライセンスで、必須項目とされるA等級条件として提示した規定の固定座席数(J1・1万5000、J2・1万)の固定席を確保できないためである。[注 4]

しかし2011年8月13日、広島ビッグアーチに試合日程発表前から他のイベント予約が入っていた影響で、同日行われるJ1リーグ公式戦の代替会場としてここでの開催が決定した[5]

J1規定に対応するために次のような仮設施設の設置工事をした。

  1. バックスタンド前に仮設席を設置[6]
  2. ゴール裏席の前に立見席(グラウンド上にフェンスを囲った形)を設置[7]
  3. トラック運搬型の仮設オーロラビジョンをゴール裏とバックスタンドの間のスペースに設置[8]

また、南側に広島西飛行場があった関係から、航空法による高さ規制により当施設の改修には制限があったが、2011年に空港の閉鎖とヘリポート化への変更が決まったため当施設に屋根をかけることに制限がなくなった。

ラグビートップリーグ開催実績[編集]

現在のスタジアム概要[編集]

  • 交通 JR広島横川の各駅と広島西飛行場からのバスで総合グラウンド入口下車
  • 日本陸上競技連盟第2種公認[9]
  • トラック:400m×8レーン、全天候舗装
  • フィールド:天然芝
  • 収容人員:15,409人(ゴール裏が芝生席)
  • ナイター照明設備(メイン・バック両スタンドに設置)
  • スコアボード:電光式

総合グランド内その他の施設[編集]

エピソード[編集]

2023年1月15日、開催されたJAPAN RUGBY LEAGUE ONE中国電力レッドレグリオンズクリタウォーターガッシュ昭島の試合中に選手のモールでゴールポストの左側ポストが根元から倒れた。そのため特別ルールとして「ドロップゴールなし」「トライ後のコンバージョン、ペナルティーゴールは反対側のゴールで行う」「ゴールを外した場合は22メートルラインからのドロップアウトで再開」などを両チームが了承した上で行われた[10]

脚注[編集]

注釈
  1. ^ 2万人屋根つき専用スタジアムに改修しようとした場合、隣接する広島県総合グランド野球場を解体しなければならないため、野球関係者からの反発は必至。
  2. ^ この計画構想当時、近くに広島西飛行場があったためにスタンドに屋根をつけようとすると航空法による高さ制限にひっかかった。
  3. ^ 1993年までと1994年のNICOSシリーズ(年間後期)はアジア大会に備えたビッグアーチの芝生保護の観点から試合数を制限するため、1998年第1ステージはビッグアーチの芝生張替えや施設改修のため使えず、代替ホームとして使用された。
  4. ^ J3は5000人以上収容を原則としているので、J3規格については充足している。
出典
  1. ^ a b 広島県総合グランドに係る指定管理者の候補者の選定について”. 広島県スポーツ推進課. 2021年10月4日閲覧。
  2. ^ 広島県総合グランド”. セイカスポーツセンター. 2020年7月22日閲覧。
  3. ^ 広島県総合グランドのネーミングライツパートナーに係る優先交渉権者の決定について”. 広島県スポーツ推進課 (2021年6月24日). 2021年10月4日閲覧。
  4. ^ 予約重複しサンフレ会場変更”. 中国新聞 (2011年6月3日). 2011年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年6月3日閲覧。
  5. ^ 8月13日(土)J1第21節vs.名古屋グランパス『コカ・コーラウエスト広島スタジアム』にて開催決定のお知らせ”. J's GOAL (2011年6月16日). 2011年8月11日閲覧。
  6. ^ フォトニュース”. J's GOAL (2011年8月13日). 2011年8月14日閲覧。
  7. ^ フォトニュース”. J'sGOAL (2011年8月13日). 2011年8月14日閲覧。
  8. ^ フォトニュース”. J'sGOAL (2011年8月13日). 2011年8月14日閲覧。
  9. ^ a b 指定管理者であるセイカスポーツクラブによる公式サイト。トップページに「「コカ・コーラウエスト広島スタジアム」は、第2種公認陸上競技場の天然芝フィールドです。「補助競技場」は、第4種公認陸上競技場となっています。」との説明あり。指定管理者が(公財)広島県教育事業団だった2016年3月以前は第1種公認だった
  10. ^ 【リーグワン】試合中モールでゴールポスト倒れた「初めて見た」異例事態もポストなしで再開 . 日刊スポーツ(2023年1月15日). 2023年1月15日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

先代
瑞穂陸上競技場
名古屋市
国民体育大会
主競技場

広島国体 (1951年)
次代
宮城陸上競技場
仙台市
前本拠地:
n/a
-
サンフレッチェ広島の本拠地
1992 - 1993
<公式には1995年まで>
次本拠地:
エディオンスタジアム広島
1994 - 現在
<公式には1996年から>