FC刈谷

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FC刈谷
原語表記 FC刈谷
クラブカラー      白・    
創設年 1949年
所属リーグ 東海社会人リーグ
所属ディビジョン 1部
ホームタウン 愛知県刈谷市
ホームスタジアム
06kariya7.jpg
ウェーブスタジアム刈谷
収容人数 4,000
運営法人 特定非営利活動法人かえるスポーツクラブ
代表者 神谷鈴治
監督 石田学
公式サイト 公式サイト
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
かえるスポーツクラブ
国籍 日本の旗 日本
格付 特定非営利活動法人
専門分野 教育系 (スポーツ)
設立日 2006年2月10日 (法人認証日)
代表者 星野勝利
活動地域 愛知県
主な事業 サッカークラブ運営、地域スポーツ振興
郵便番号 448-0003
事務所 愛知県刈谷市一ツ木町8-11-12
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FC刈谷(エフシーかりや)は、愛知県刈谷市を本拠地とする東海社会人リーグ参加のサッカークラブである。

概要[編集]

2006年に発足。本拠地はウェーブスタジアム刈谷。また芝の養生のために豊橋市岩田総合球技場、名古屋市港サッカー場を年数回使用している。練習場所は主にデンソー池田工場グラウンドを使用しているが、デンソー敷地内にあるためサポーターが自由に見学することは出来ない。その他の練習場所としてジェイテクトグラウンドや刈谷市総合運動公園内にある運動広場やグリーングラウンド刈谷を使用している。

運営母体は特定非営利活動法人かえるスポーツクラブであり、市民クラブとして活動している。選手全員がアマチュアで2007年現在プロ契約選手は0人である。ただし、Jリーグから期限付きで移籍した選手はプロ契約を結んでいる。

刈谷市を中心とした地域に根ざしたチーム作りを目指しており、2006年シーズン所属選手25人中13人が愛知県出身、うち5人が刈谷市出身であった。2007年当初の所属選手27人中11人が愛知県出身、うち4人が刈谷市出身である。2007年6月まで指揮していた安原成泰元監督も刈谷市出身である。

JFL所属時にJFL以上のカテゴリーの日本のサッカークラブでユニフォームにスポンサーが入っていない(クラブロゴ・背番号のみ)のはFC刈谷のみでであった。

歴史[編集]

日本電装・デンソー (1949年-2005年)[編集]

1949年に前身となる実業団、日本電装サッカー部として設立された。東海社会人リーグを中心に上位に君臨したが、1995年度の地域リーグ全国決勝大会(1996年1月開催)で優勝し、ジャパンフットボールリーグ(1999年から新JFLにそのまま移行)への参入を果たす。これとともに、日本電装のデンソーへの社名変更に伴いデンソーサッカー部に変更された。

2001年にはJFL得点王を獲得した徳重隆明の活躍もあり、5位に入ったが、2002年徳重の移籍があり、高山英樹が得点王を獲得する活躍を見せたが、10位に終わった。なお新JFLで2年続けて得点王を出したのはデンソーだけである。

その後実業団チームとしては2005年で休部。

FC刈谷 (2006年-現在)[編集]

2006年度よりクラブチームに移行。地元・刈谷市の市民が中心となって設立した「特定非営利活動法人かえるスポーツクラブ」がチームを運営する。チーム名は一般公募した結果「FC刈谷」とすることが決まった。

2007年の目標を「TOP3」と掲げた安原成泰監督だったが、シーズン前期は下位に沈む。前期終了後に「退任を起爆剤として選手達にはプライドを持ってやりきってもらいたい」を理由に安原監督と服部順一GM(刈谷市出身)、コーチ2人が退任。後任監督にFC刈谷の選手であった浮氣哲郎。浮氣は監督を就任したときに選手としては引退した。しかしその後も成績は振るわず、16位で2007年シーズンを終えた。

2008年、浮氣哲郎が引き続き監督を続投。目標は「勝点52」を掲げる。GK石川扶、DF松田勉、DF石川高大、DF田上裕と守備陣がほとんど入れ替わったことや浮氣監督の指導がチームに浸透したこともあり、前年度と比べ失点数が59から40に減り、負け数も22から9まで減らした。結果、目標勝点52に一歩及ばない51まで伸ばした。順位も2007年の16位から8位まで躍進した。シーズン終了後主力7人がチームから離れた。

2009年からはかつてFC東京でFWとして活躍したアマラオをコーチとして迎え、またFC東京から池上礼一を完全移籍で、FC岐阜より3選手を期限付き移籍で獲得し上位を目指したが、昨年チーム得点王だった平林輝良寛原賀啓輔の二桁得点者の抜けた穴が大きく開幕当初から決定力不足(最終的にチームの得点26はリーグワーストタイ)に陥り、4月5日の町田ゼルビア戦の勝利以降勝ちがなくなった。その間に5月31日のガイナーレ鳥取戦から8月2日のソニー仙台戦まで10連敗(6試合連続無得点)を喫した。そのため急遽アマラオが選手として復帰することとなった。またシーズン途中で前年まで主力だった篠川雅仁を呼び戻したり、FC岐阜から車東訓を期限付きで、神奈川大学から大石治寿、さらに東海学園大学から在学中の3選手を獲得した[1](なお、うち2人は11月をもってFC刈谷を退団。九州サッカーリーグMSU FCへ移籍した。)。しかし、その後も伸び悩み9月12日の鳥取戦に4-2で勝利するまで、21試合連続未勝利となった。鳥取戦以降は5勝3分1敗と持ち直したものの、順位は17位で終え、入れ替え戦に臨むこととなった。入れ替え戦ではツエーゲン金沢を相手にシーズン中に露呈した決定力不足が出てしまい、相手よりも多くのシュートを打つが決められず(2戦合わせてのシュート数は、刈谷が29本、金沢が15本。)、カウンターから失点し、2試合で合計1-2(0-1、1-1)となり、デンソー時代を含めて15年ぶりに東海社会人リーグへの降格となった。試合後、浮氣哲郎監督の退任とコーチ兼任だったアマラオの2010年からの監督就任が発表された。また5選手が2009年をもって退団あるいは引退、池上礼一もシーズン途中に負った怪我の具合が思わしくなく退団、FC岐阜から期限付き移籍中の4選手も契約満了で退団となった(FC岐阜からも戦力外で退団となった。その後姜曉一とは2010年2月にFC刈谷へ完全移籍で再加入した)。

2010年は9選手が新たにFC刈谷の一員として加わり、また加藤知弘と西原拓己がコーチ兼任としてアマラオ監督を支えることとなり、一年でのJFL復帰をめざすことになった。しかし、敗戦は1敗のみであったが引き分けが多く優勝したshizuoka.藤枝MYFCに一歩及ばず2位でリーグ戦を終えて、一年でのJFL復帰はならなかった[2]。さらに財政難でクラブの存続が危機的であることが明らかになった[3]が、2011年もチームが存続することが決まった[4]ことから運営費を削減、プロ契約の監督だったアマラオがリーグ戦終了後に退団となり、コーチ兼任だった加藤知弘が現役引退して、2011年より監督就任が発表された。また10選手がFC刈谷を退団した。

戦績[編集]

年度 所属 順位 勝点 試合 得点 失点 点差 備考
1989 東海 5位 17 17 7 3 7 44 31 13
1990 7位 19 16 8 3 5 36 23 13
1991 2位 26 16 12 2 2 46 14 32 地域リーグ決勝大会敗退
1992 4位 22 16 9 4 3 36 22 14
1993 優勝 29 16 14 1 1 61 7 54 地域リーグ決勝大会2位・入替戦敗退
1994 2位 26 16 11 4 1 54 10 44 地域リーグ決勝大会敗退
1995 優勝 35 19 16 3 0 65 16 49 地域リーグ決勝大会優勝・旧JFL昇格
1996 旧JFL 15位 16 30 5 - 25 40 90 -50 延長勝0/PK勝3/延長敗0/PK敗1
1997 13位 27 30 11 - 19 29 49 -20 延長勝2/PK勝2/延長敗2/PK敗1
1998 10位 38 30 14 - 16 48 59 -11 延長勝2/PK勝1/延長敗1/PK敗0
1999 JFL 4位 34 24 11 4 9 46 38 8 延長勝3/延長敗3
2000 3位 44 22 16 1 5 43 23 20 延長勝5/延長敗3
2001 5位 54 30 17 3 10 70 54 16
2002 10位 21 17 6 3 8 32 30 2
2003 12位 32 30 9 5 16 41 51 -10
2004 16位 18 30 4 6 20 29 85 -56
2005 14位 19 30 4 7 19 33 63 -30 この年をもって企業チーム「デンソーサッカー部」廃部
2006 13位 32 34 8 8 18 46 63 -17 この年よりクラブチーム「FC刈谷」へ移行
2007 16位 28 34 8 4 22 36 59 -23
2008 8位 51 34 13 12 9 47 40 7
2009 17位 31 34 7 10 17 26 51 -25 入替戦金沢戦2試合合計1-2敗退で東海リーグ降格
2010 東海1部 2位 35 16 10 5 1 38 9 29
2011 3位 21 14 6 3 5 28 24 4
2012 4位 18 14 5 3 6 23 17 6
2013 3位 25 14 8 1 5 35 21 14
2014 20 14 6 2 6 19 19 0 第50回全国社会人サッカー選手権大会1回戦敗退

現所属選手[編集]

  • 2014年所属選手を背番号順に記す
No. Pos 選手名 前所属チーム 備考
監督 日本の旗 石田学 --
1 GK 日本の旗 原田洋斗 北陸大学 新加入
2 DF 日本の旗 永井鷹也 阪南大学 新加入
4 DF 日本の旗 星克弥 びわこ成蹊スポーツ大学 新加入
5 DF 日本の旗 山﨑貴雅 専修大学 新加入
6 MF 日本の旗 阿部勇治 阪南大学 新加入
7 DF 日本の旗 小林健史 SC鳥取 愛知県名古屋市出身
8 MF 日本の旗 高橋良太 ツエーゲン金沢
9 FW 日本の旗 稲葉圭吾 専修大学 新加入、愛知県半田市出身
10 MF 日本の旗 酒井康平 豊田自動織機製作所サッカー部 刈谷市出身
11 MF 日本の旗 中田健太郎 デッツォーラ島根 新加入
12 サポーター
13 MF 日本の旗 杉山一貴 デッツォーラ島根 新加入
14 MF 日本の旗 松田忠 東海学園大学
15 DF 日本の旗 萩原直斗 グルージャ盛岡 新加入
16 FW 日本の旗 星野快 立命館大学 新加入、愛知県尾張旭市出身
17 FW 日本の旗 河内修人 青山学院大学 新加入
18 DF 日本の旗 川上玄太 日本福祉大学
19 FW 日本の旗 富ヶ原良 東京農業大学 新加入
20 FW 日本の旗 橋爪健斗 北陸大学 新加入
21 GK 日本の旗 平原央 アイン食品サッカー部
23 MF 日本の旗 安藤武蔵 東海学園大学 愛知県春日井市出身
24 MF 日本の旗 髙橋明嗣 東京国際大学 新加入
25 MF 日本の旗 豊永翔也 京都学園大学 新加入
29 GK 日本の旗 鈴木聡 四日市大学

ユニフォーム[編集]

斜めに走る赤いラインは"赤ダスキ"と呼ばれ、高校サッカーの古豪である愛知県立刈谷高等学校のユニフォームをモチーフにしたもの。赤ダスキは刈谷のサッカーにおけるシンボルデザインとなっている。

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) 白×赤
FP(2nd) 黄緑×赤
GK(1st) 銀×赤
GK(2nd) エンジ×赤 エンジ エンジ
FP 1st
FP 2nd
GK 1st
GK 2nd

脚注[編集]

  1. ^ JFLではJリーグと違い特別指定選手の制度がないため大学チームに在籍しながらのJFLチームでの試合は認められていないため、大学のチームの選手登録を抹消してFC刈谷の選手として選手登録した。
  2. ^ 2009年までは前年度全国地域サッカーリーグ決勝大会の決勝リーグ出場地区(最大4)については、次年度の同大会事実上のシード枠として2位のチームにも出場できる権利があったが、2010年からシード枠が事実上廃止となり、東海リーグで優勝するか、全国社会人サッカー選手権大会で決勝進出、ないしは準決勝敗退であっても3位決定戦で勝利しない限り同大会出場ができなくなった(かつては、飛び級制度適用が認められた場合でも出場する権利があったが、これは2011年に廃止されている)
  3. ^ 「FC刈谷、存続の危機 JFL復帰の“公約”暗雲」 中日新聞 2010年10月7日付
  4. ^ 「FC刈谷、来季も存続 財政は依然厳しく」 中日新聞 2010年11月18日付

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

公式サイトなど[編集]