大府市

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おおぶし
大府市
Ohbu Aichi chapter.JPG
大府市章
1958年10月1日制定
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
団体コード 23223-8
面積 33.68km²
総人口 86,889
推計人口、2012年11月1日)
人口密度 2,580人/km²
隣接自治体 名古屋市東海市豊明市
刈谷市東浦町
市の木 クロガネモチ(Holly)
市の花 クチナシ(Gardenia)
-
大府市役所
所在地 474-0025
愛知県大府市中央町五丁目70番地
大府市役所
外部リンク 大府市

大府市位置図(愛知県)

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村
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大府市(おおぶし)は、愛知県知多半島の北端に位置する。自動車関連の企業を中心に、金属や繊維、食品等の企業の本社や主要工場が数多く立地する工業都市である。その一方、丘陵部では愛知用水の開通以降、名古屋市に生鮮野菜を供給する近郊農業も盛んである。そのほか、平成18年からはWHO健康都市連合に加盟しており、当市南部と東浦町北部にまたがるウェルネスバレーは全国有数の健康・医療・福祉・介護関連の機関の集積地として開発が進んでいる。なお名古屋市都市圏の一角として近年宅地化が著しい。

目次

地理 [編集]

市域には新第三紀鮮新世に形成されたなだらかな丘陵が広がる。また市の東部を境川が、市のほぼ中央部を鞍流瀬川が流れ、小規模な沖積平野を形成している。特に境川付近の平野は、江戸時代に行われた衣ヶ浦の干拓によるものである。このため大府市は知多地域に分類される。

戦後愛知用水の開通によって、市内の丘陵部は急激に開発されて園芸用地なったが、特に市の北部には広大な森林も残されている。

沖積平野部の大部分は水田だが、一部工業用地や住宅地としても開発が進んでいる。

また鞍流瀬川に沿ってJR東海道本線が走り、市街地もこれに沿う形で形成されている。

隣接している自治体・行政区 [編集]

人口 [編集]

Demography23223.svg
大府市と全国の年齢別人口分布(2005年) 大府市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 大府市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
大府市(に該当する地域)の人口の推移
1970年 48,960人
1975年 56,211人
1980年 62,277人
1985年 66,696人
1990年 69,720人
1995年 73,096人
2000年 75,273人
2005年 80,262人
2010年 85,254人
総務省統計局 / 国勢調査

河川 [編集]

市域を流れる川のほとんどが境川水系であり、ごく一部が天白川水系である。

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丘陵部には溜池が多く、近年は公園としての整備も進んでいる。 なお、ここでは上池と下池を合わせて表記する。

歴史 [編集]

原始 [編集]

現在の市域の大部分は、かつて衣ヶ浦と呼ばれた遠浅の海の一部であり、魚介類が豊富であったことなどから先史時代より人々が集住していた。市域最古の遺跡とされるのが旧石器時代共栄遺跡(共栄町)であり、石鏃などの打製石器剥片石器が出土している。

縄文時代になると、衣ヶ浦沿岸の丘陵部には桟敷貝塚(朝日町)をはじめとする多くの貝塚がつくられた。

弥生時代以降の遺跡としては子安神社遺跡(共和町)が最も規模が大きく、弥生土器土師器などが出土した。

古代 [編集]

古墳時代になるとこの地方にも大和政権の支配が及び、尾張国造の支配域である尾張国の一部となり、衣ヶ浦を挟んで隣国の三河国と接した。さらに8世紀以降は知多郡に編入された。当時の遺跡としては高山古墳(中央町)が確認されているが、古墳の規模などの詳細は不明である。

飛鳥時代から奈良時代の遺跡としては惣作遺跡(横根町)がある。この遺跡からは多数の製塩土器が出土し、製塩が行われていたと推測される。また 729年(天平元年)には、行基円通寺(共和町)を創建したと伝えられる。

平安時代になると、市域には尾張国衙領や熱田社の荘園が存在した。また窯業生産も盛んであったようで、羽根山古窯群(横根町)をはじめ市内には古代から中世にかけておよそ100の窯群がある。特に吉田第1号窯吉田第2号窯(ともに吉田町)で生産された瓦が鳥羽上皇の宮殿に用いられたことが分かっている。その他市内には、814年(弘仁5年)弘法大師が三河国から衣ヶ浦を渡って尾張国に上陸した際に宿泊したと伝えられるおしも井戸(朝日町)という場所がある。

中世 [編集]

鎌倉時代になると尾張の国にも幕府の支配が及び、小野氏中条氏名越氏などの北条氏一門が守護に任じられて各荘園にも地頭も設置された。現在の長草天神社(長草町)付近には、この地の地頭藤田民部長草城があった。

なお、市内の芦沢の井(吉田町)は、1185年(元暦2年)壇ノ浦の戦いで敗れた平家の武将平景清が居住した地と伝えられている。

室町時代になると知多郡は三河国守護一色氏の支配下に入った。そして15世紀後半に水野貞守緒川城を築城すると、市域は水野氏の支配下に入った。1467年(応仁元年)に応仁の乱が起こると、尾張守護代であった織田信長が守護の斯波氏を退けて実権を握り、水野氏との衝突が起こったが、後に両者は和睦し、知多半島北部は水野氏の支配下にとどまった。なお延命寺(大東町)には水野氏に関連する書類等が保管されている。また永禄年間には駿河の今川義元の勢力が尾張国にも及び、1558年-1561年(永禄元年-4年)にかけて織田信長と今川義元、そして水野信元松平元康(後の徳川家康)が市内を流れる石ヶ瀬川を挟んで衝突した。(石ヶ瀬川の戦い)そして1560年(永禄3年)に桶狭間の戦いで今川義元が敗れると、織田・水野氏は松平元康と和睦し、尾張国は統一された。なお、当時市域には追分城横根城が築城され、現在は首塚などが遺っている。

また中央の公家七津大夫(ななつたゆう)(滝本中納言)が応仁の乱の戦火をさけて大清水(桃山町)付近に移住し、村を「大夫」と名付けたとされ、現在の市名の由来とも伝えられている。

その他、室町時代の遺跡としては吉加波入道によって1397年(応永4年)築城された吉川城址(吉川町)や15世紀末に築城された丸根城址(共栄町)があるが、遺構などは遺されていない。

近世 [編集]

江戸時代、市域は尾張藩の支配に属した。1608年(慶長13年)には幕府による全国的な検地が実施され、市域では半月村・横根村・吉川村の検地帳が現存している。またこの頃になると衣ヶ浦は境川逢妻川の堆積によって埋め立てられ、新田開発の一環として大規模な干拓が行われた。また両河川が天井川になり排水が困難になったことから、新たに五ヶ村川が開削された。こうして衣ヶ浦は大幅に縮小され、現在とほぼ等しい河川の流路が形成された。また丘陵部でもため池が盛んに建設された。

1782年(天明2年)に鳴海陣屋(現名古屋市緑区)が設置されると、市域の農民はこの配下に入り、農民は年貢などを納めた。特に東海道鳴海宿に近接した村は、助郷役なども課された。当時から市域では人の往来が盛んであり、東浦街道などの街道も整備され、道しるべの石柱なども現存している。また、隣りの刈谷藩とも交流があった。

近現代 [編集]

明治維新後、尾張藩は名古屋藩になり、鳴海陣屋は廃止された。さらに1871年(明治4年)の廃藩置県によって名古屋藩から名古屋県となり、知多郡はここに編入された。しかし三河の10県が統一して額田県になると、知多郡はそちらに繰り入れられた。なお1672年(明治5年)に両県は合併し愛知県となった。

1689年(明治22年)以降、市域の諸村が合併して「大府村」となった。初代村長には鈴置善平が就任した。

1887年(明治19年)には武豊線が開通し、翌年には大府駅が営業を開始した。さらに翌年には東海道本線が開通し、大府は東海道本線と武豊線の分岐点として、交通の要衝となった。

1915年(大正4年)には町制を施行して「大府町」となった。初代町長には深谷甲太郎が就任した。

第二次世界大戦が勃発すると、三菱重工業によって大府飛行場が建設されるなど軍需工場の進出も見られたが、幸運にも市域は大きな空襲を免れ、終戦を迎えた。

戦後愛知用水が開削されると、市域の丘陵部では園芸盛んになり、名古屋市に生鮮野菜を供給する近郊農業の一大拠点へと変貌した。

さらに工業の面でも豊田自動織機住友重機械工業をはじめとする大企業や中小企業の誘致が推進され、高度経済成長期を経て中京工業地帯の一翼を担う工業都市へと成長を遂げた。

その一方で宅地造成も積極的に推進され、1970年(昭和45年)に市制施行した。

現在は主要産業である農業・工業の他、東浦町と共同でウェルネスバレー構想を掲げるなど新たに健康・医療関連の産業にも進出しており、暮らしと産業の調和のとれた都市として発展している。

年表(明治以降) [編集]

明治22年以前 明治22年10月1日 明治22年 - 明治45年 大正1年 - 大正15年 昭和1年 - 昭和64年 平成1年 - 現在 現在


追分村 共和村
桶狭間を除く)
共和村 共和村 共和村
桶狭間を除く)
明治39年5月1日
合併 大府村
大正4年11月1日
町制 大府町
昭和45年9月1日
市制 大府市
大府市 大府市
横根追分村
追分新田
木之山村
八ツ屋新田
又右衛門新田
伊右衛門新田
長草村 長草村 長草村 長草村
横根村 横根村 横根村
大府村 大府村 大府村 大府村
広恵新田
北尾村 北崎村 北崎村 北崎村
近崎村
吉川村 吉田村 吉田村 吉田村
半月村
猪伏村 森岡村(一部) 森岡村(一部) 森岡村(一部)

行政 [編集]

  • 市長 久野孝保
  • 副市長 岡村秀人
  • 教育長 梶谷修
  • 歴代市長
    • 初代 大島武雄
    • 二代 鷹羽操
    • 三代 福島務

財政 [編集]

行政機関 [編集]

広域行政 [編集]


姉妹都市・提携都市 [編集]

国内 [編集]

  • 長浜市滋賀県) - 2006年8月26日 災害時相互応援協定締結。
  • 遠野市岩手県) - 2008年2月1日 災害時相互応援協定締結。同時に大府市役所内に遠野市の定住推進組織「で・くらす遠野」の中京地区本部を開設。2010年10月1日には、友好都市提携を締結した。
  • 木曽郡王滝村長野県

海外 [編集]

国際交流 [編集]

姉妹都市であるオーストラリア・ポートフィリップ市との交流事業(作品の交換・生徒の相互派遣)や日系ブラジル人との交流のためのポルトガル語の授業(小学校)など国際色豊かな学校運営を行っている。

教育 [編集]

大学 [編集]

短期大学 [編集]

高等学校 [編集]

中学校 [編集]

小学校 [編集]

  市内の小中学校には給食室が設置されており調理員が朝から少数で全校生徒分の給食を作っている。

幼稚園 [編集]

私立
  • 大府大和幼稚園
  • 大府西パレット幼稚園
  • ジーニアス幼稚園
  • 至学館大学附属幼稚園

保育所 [編集]

市立
  • 大府市立荒池保育園
  • 大府市立追分保育園
  • 大府市立大府保育園
  • 大府市立北崎保育園
  • 大府市立共長保育園
  • 大府市立共和東保育園
  • 大府市立長草保育園
  • 大府市立柊山保育園
  • 大府市立桃山保育園
  • 大府市立横根保育園
  • 大府市立吉田保育園
  • 大府市立米田保育園
  • 大府市立若宮保育園


私立

特別支援学校 [編集]

児童センター等 [編集]

学校間のかかわり [編集]

市内に愛知県立大府養護学校養護学校)を擁しているため、養護学校生徒との交流が生徒会児童会レベルで継続されている。また、各学校には障害者を少数だが、受け入れる教室を持っている。

高校進学特例 [編集]

大府市の中学生は調整特例により、刈谷市および知立市の公立高等学校普通科に進学できる。

産業 [編集]

農業 [編集]

古来より市域では稲作が行われていた。 また戦後愛知用水の開削によって、丘陵部では園芸が盛んになり、現在は典型的な近郊農業地帯となった。 特に当市での生産量が、伊勢芋が愛知県内1位、たまねぎが同2位である。(大府市ホームページ・市勢要覧のデータによる)

主な農産物 [編集]

工業 [編集]

市内には、主に自動車製造業などの企業が拠点を構えており、工業専用地域や工業団地なども整備されるなど、工業が盛んである。

市内に本社を置く主な企業 [編集]

市内に拠点を置く主な企業 [編集]

商業 [編集]

大府駅共和駅付近の両地域が市内の商業の中心となっている。

主な商業施設 [編集]

健康医療関連産業 [編集]

大府市は1987年(昭和62年)に「健康づくり都市宣言」をし、さらに2006年(平成18年)にはWHO健康都市連合に加盟し、健康都市づくりを推進している。さら東浦町と共同でウェルネスバレー構想を提唱し、今後は愛知健康の森公園付近に医療関連の企業などの誘致、インフラの整備などが推進される。

ウェルネスバレー関連機関・施設 [編集]

その他の主な医療機関 [編集]

交通 [編集]

鉄道 [編集]

※市の北東部にJR logo (central).svg東海道新幹線名古屋三河安城)が通っているが、駅はない。最寄は名古屋駅。

愛知県の市では珍しく、名鉄電車が通っていない。

バス [編集]

道路 [編集]

有料道路 [編集]

一般国道 [編集]

県道 [編集]

主要地方道 [編集]
一般県道 [編集]


郵便 [編集]

大府市の郵便番号は「474-00**」である。

大府郵便局

郵便局 [編集]

  • 大府郵便局
  • 大府長草郵便局
  • 大府柊山郵便局
  • 大府森岡郵便局
  • 大府横根郵便局
  • 大府吉田郵便局
  • 共和郵便局

文化 [編集]

スポーツ [編集]

大府市はバドミントンが盛んで、市内に本社を置く東海興業はバドミントン日本リーグの1部リーグ(男子の部)に所属しているほか、市内の学校は全国大会に出場するなど有力校が多く、日本ユニシスに所属する打田しづか野尻野匡世を輩出している。

わかしゃち国体では大府市民体育館がバドミントン競技の会場になったほか、全国レベルの大会やバドミントン日本リーグの試合が開催される。

格闘技の分野では、至学館大学レスリング部は世界でも名門として知られており、吉田沙保里伊調千春伊調馨姉妹ほか多くの有力選手を輩出。

また、柔道では、大石道場吉田秀彦谷本歩実らを輩出している。大相撲では元関取服部祐兒や現役力士岩崎翔平序二段)がいる。

高校野球では大府高校は公立の有力校で、春夏合わせて7回の甲子園出場経験を持ち、卒業生に元巨人槙原寛己や元阪神赤星憲広などがいる。

その他、元フィギュアスケート選手の小岩井久美子や市内に本社を置く愛三工業の陸上競技部や自転車競技部の愛三工業レーシングチームが有名である。

スポーツ施設など [編集]

そのほか、あいち健康の森公園内にはテニスコートやベビーゴルフ場、ランニングコースなどが整備されている。

音楽 [編集]

市では音楽活動が盛んであり、市内にある9つの公民館や大府市勤労文化会館などが市民の活動の拠点となっている。また現在建設中の大府文化交流の杜ALLOBには音楽スタジオやコンサートホールが整備される。

主な団体としては、大府市楽友協会管弦楽団大府市民吹奏楽団のほか、市内の学生メンバーによる大府市ユースウィンドオーケストラなどの楽団や多くの合唱団などが活動している。

美術 [編集]

市内には美術館がないが、市内の文化施設では市民の芸術作品の展示が行われる。また大府市役所の地下ロビーなど、市内の公共施設には絵画や彫刻が展示されており、市民は芸術に親しむことができる。

演劇 [編集]

劇団シアターガッツは大府市を拠点に活動している。

文化施設 [編集]

観光 [編集]

博物館 [編集]

公園 [編集]

寺社 [編集]

知多四国八十八箇所 [編集]

長草天神社

神社 [編集]

旧跡 [編集]

詳細は「歴史」の項を参照。

祭事・催事 [編集]

楽曲 [編集]

名所・その他 [編集]

宿泊施設 [編集]

出身有名人 [編集]

補足 [編集]

  • 地図上では大府町が距離を置いたところに複数ある。
  • 国道155号線沿いの歩道は比較的狭く夏になると雑草が生い茂り、往来の阻害となっている。そのため朝は学生が運転する自転車が登下校中の小学生をよけるために車道を通り、自動車と接触しそうになることもしばしば見受けられる。加えて、豊田自動織機の工場があり大型車両の交通も多い[要出典]
  • 衆議院小選挙区において、知多半島10市町で大府市のみ愛知県第7区に属する。
  • 現在の豊田自動織機長草工場には、かつて三菱航空機知多工場があり、陸軍の四式重爆撃機「飛龍」を生産していた。その工場の北西には出荷用の飛行場(大府飛行場、ただしその名に反して大部分が東海市域に属する)が建設され、国鉄大府駅との間には専用鉄道(三菱専用引き込み線)が敷設されていた。三菱は当時の大府町(大府市)と隣接の上野町(東海市)にまたがる丘陵地帯に、およそ570万坪(約19平方キロ)の土地を取得した。知多丘陵地の山を削り、谷を埋める30か月にわたる大工事の末、1944年4月に長さ1,300mの滑走路に総組立工場と整備工場が付属した三菱航空機知多工場が完成した。さらに、1944年12月より、上野町大字富木島に航空本部の飛行場拡張工事が実施され、近隣集落から多くの勤労奉仕に出た。戦後、この飛行場の一部は農業開拓者の農場に転換されたが、残り6万坪は三菱重工業(株)の所有のまま放置されていた。1952年2月、豊田自動織機製作所は大府町のあっせんにより、この地を同社から買い受けた。

関連項目 [編集]

出典 [編集]

  • 大府市歴史民俗資料館公式ウェブサイト

外部リンク [編集]