阿久比町

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阿久比町
あぐいちょう
日章旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
知多郡
団体コード 23441-9
面積 23.94km²
総人口 24,875
推計人口、2009年5月1日)
人口密度 1,040人/km²
隣接自治体 半田市常滑市知多市
東浦町
町の木 モチノキ
町の花 ウメ
マスコット
キャラクター
アグピー
阿久比町役場
所在地 〒470-2292 愛知県
知多郡阿久比町大字卯坂字殿越50番地
電話番号 0569-48-1111
外部リンク 阿久比町公式サイト

阿久比町位置図(愛知県)

:政令指定都市 / :市 / :町・村
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阿久比町(あぐいちょう)は、愛知県西部、知多郡にあるである。知多郡では唯一、海に面していない内陸の町で、知多半島のほぼ中央部に位置する。

目次

[編集] 地理

阿久比町は海に面しない内陸の町で、丘陵とその間の狭小な盆地からなっている。町の中心の南北には北の東浦町から南の半田市に向かって阿久比川が流れており、阿久比地域全体を指して古くは「英比(あぐい)谷」と呼ばれた。現在も阿久比川に沿って名鉄河和線県道55号が走っており、町の南北軸になっている。

町南部にあって半田市と接する植大地区は、隣接する半田市岩滑地区出身の童話作家、新美南吉の作品の舞台としてたびたび登場する。権現山という名前で呼ばれている小山や、半田市との市境を流れる阿久比川支流の矢勝川は「ごんぎつね」の舞台のモデルとされ、ごんぎつねの「ごん」は権現山の「ごん」から取ったとも言われる。また矢勝川の水源である半田池は、「おじいさんのランプ」に実名で登場する池である。

[編集] 隣接する自治体

[編集] 人口

阿久比町と全国の年齢別人口分布図(比較) 阿久比町の年齢・男女別人口分布図
紫色は阿久比町
緑色は日本全国
青色は男性
赤色は女性
1980年 20,880人
1985年 23,341人
1990年 23,932人
1995年 23,890人
2000年 24,028人
2005年 24,577人
総務省統計局 / 国勢調査2005年

[編集] 歴史

「あぐい」の地名が残る最古の記録は、藤原京跡から出土した西暦694年記年の木簡で、「阿具比」と記されていた。その後、漢字二字による当て字として「英比」が用いられるようになり、平城京の木簡に実例がある。平安時代以降は知多郡英比郷と呼ばれ、また阿古屋、安古居など様々な用字で書かれた。

中世の後期、阿久比の地の支配者として久松氏という菅原姓を名乗る武士が歴史に登場する。久松氏の系譜によれば、久松氏が阿久比に根付いたのは南北朝時代後醍醐天皇に仕えた菅原定長の子、定範が尾張国知多郡目代に任ぜられて英比郷に土着したのに始まるといい、久松の名字は、定長の先祖である菅原雅規が幼名の久松麿を名乗っていたとき、901年に祖父の菅原道真が失脚したのに連座して流された先が尾張国の英比であったという縁によるとされている。

久松氏は16世紀中頃の織田信秀信長父子の時代には、緒川(現在の東浦町)を本拠地とする水野氏の傘下にあり、当主の久松俊勝は、水野忠政の娘で松平広忠と離縁させられた於大を妻とした。のちに於大と先夫との間の子である徳川家康が織田氏と同盟を結んで独立の大名になった縁から、於大が俊勝との間に生んだ息子たちは徳川氏に仕えて阿久比を離れ、江戸時代には譜代大名になった。一方、阿久比に残った久松俊勝の長男信俊は、1577年に当時、織田信長のもとで尾張南部の諸将を統率していた上司の佐久間信盛の怨みを買って殺され、阿久比の久松氏は断絶している。

江戸時代には、現在の阿久比町域には横松、萩、宮津、板山、福住、白沢、草木、卯之山、坂部、稗之宮、椋原、角岡、矢口、高岡、植、大古根の諸村があった。これを俗に「英比谷(又は阿久比谷)16か村」と呼ぶ。これらは明治の合併により阿久比村となり、またこの時に「あぐい」の用字として「阿久比」が定着する。1889年(明治22年)10月には、阿久比村、上阿久比村、東阿久比村の3か村に分かれていたが、1906年(明治39年)5月に再合併した。人口の増加により、1953年1月1日に阿久比村は町制施行して阿久比町となった。

[編集] 行政

町長:竹内啓二(たけうち けいじ、1954年5月18日 - )

2002年の町長選で当時現職の石川桂を破り初当選し、現在2期目。任期満了は2010年12月17日。

[編集] 合併

南の半田市との編入合併を推す意見もあったが、2004年12月26日に、合併特例法に基づく半田市と阿久比町の合併協議会設置の賛否を問う住民投票が実施され、その結果、反対多数となり、協議会は設置されないこととなった。中部国際空港を生かした知多半島10自治体合併構想は、1つも実現しなかった。

[編集] 産業

阿久比川を中心に田園風景が広がるが、名古屋鉄道河和線知多半島道路を通じて名古屋市の中心部に30分程度という好立地のため、工業団地や住宅団地も進出している。また、かつては阿久比スポーツ村にある阿久比球場を中日ドラゴンズの二軍が使用していた。

人口の増加に対して、この地域におけるショッピングの中心は長らく南の半田市にあった。しかし半田市に近い植大地区で、1999年に大型ショッピングモールのアピタ阿久比店が開店。映画館も併設され、新しい地域の中心になっている。

[編集] 本社・工場

[編集] 公共施設

  • オアシスセンター
  • 勤労福祉センター
  • 阿久比町立図書館
  • 町立阿久比スポーツ村
  • 草木グラウンド
  • 白沢グラウンド
  • 阿久比町立阿久比スポーツ村野球場(旧名鉄阿久比グラウンド)
  • ふれあいの森
  • 子ども総合支援センター(子育て支援センターあぐぴっぴ・教育相談センター)

[編集] 教育

[編集] 高等学校

[編集] 中学校

[編集] 小学校

[編集] 幼稚園

  • 阿久比町立ほくぶ幼稚園

[編集] 交通

[編集] 鉄道

[編集] 道路

[編集] 県道

[編集] 有料道路

[編集] 観光

  • 坂部城跡 - 久松氏の居城跡
  • 宮津柳審城跡 - 新海氏の居城跡。現在は秋葉神社が祀られている。
  • 洞雲院 - 徳川家康の母、於大の方の墓所
  • 二子塚古墳- 知多半島唯一の前方後円墳

[編集] 祭礼・民俗信仰

  • 横松の祭礼 - 神明社の祭礼で、4月の第4日曜日と前日の土曜日に行われることが多い。山車が1台ある。
  • の祭礼 - 大山祇神社の祭礼で、毎年4月の第2日曜日と前日の土曜日に行われる。地区には「大山車(おおやまぐるま)」と呼ばれる山車(地元では「おくるま」と呼ぶ。)が1台あり、狭い地区内の道を曳きまわす。神社が丘の中腹にあり、境内から一気に曳き下ろされるさまは「萩の坂下ろし」と呼ばれ、近隣のみならず、遠くは大阪や静岡からもリピーターがやって来る。また、かつて荷物を荷車などで運搬していた頃には、近隣では坂道を登る際に先に綱をつけて引っ張っている様子を「萩のお祭りみたい」と表現した。
  • 宮津の祭礼 - 熱田社の祭礼で、4月の第3日曜日と前日の土曜日に行われる。南組・北組にそれぞれ山車(地元では「おくるま」と呼ぶ。)が1台あり、地区内を曳きまわされる。
  • 大古根の祭礼 - 八幡神社の祭礼で、4月の第3日曜日と前日の土曜日に行われることが多い。山車が1台ある。
  • 虫供養 - 毎年秋の彼岸のお中日(9月23日)に、町内の13の地区を輪番で回る年中行事。愛知県重要無形文化財に指定されている。
  • おせんぼ - 洞雲院で毎年3月中旬の日曜日に行われる。正式には「観音懺摩法会」といい、徳川家康の母於大の方が「戦国の女性の哀しみが二度とおきないように」と、洞雲院で祈願したのが始まりだと言われている。

[編集] 出身有名人

[編集] 外部リンク

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