刈谷市

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かりやし
刈谷市
Flag of Kariya, Aichi.svg
刈谷市旗
Mark of Kariya (Aichi).svg
刈谷市章
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
団体コード 23210-6
面積 50.45km²
総人口 148,430
推計人口、2014年8月1日)
人口密度 2,940人/km²
隣接自治体 豊田市安城市大府市知立市
高浜市豊明市みよし市
愛知郡東郷町知多郡東浦町
市の木 クスノキ
市の花 カキツバタ
刈谷市役所
所在地 448-8501
愛知県刈谷市東陽町一丁目1番地
北緯34度59分21.4秒東経137度0分7.7秒
Kariya City Hall 120912.jpg
外部リンク 刈谷市の公式サイト

刈谷市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

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亀城公園(刈谷城址)

刈谷市(かりやし)は、愛知県のほぼ中央の西三河地区の西端に位置する。境川を挟んで尾張地区に対する。江戸時代には土井氏二万三千石の城下町であった。現在はトヨタグループ主要企業の本社・工場が集まる日本有数の自動車工業都市である。

概要[編集]

愛知県のほぼ中央、三河地方の最も西に位置する市町村。愛知県では11番目の人口を有する。 刈谷駅北口はトヨタグループの主要企業本社があり、南口は商業施設や公共施設が整っている。

市名は、テレビなどでは「りや」と呼ばれることがあるが、地元では「体」と同じ様に、「かりや」と「りや」にアクセントをおいて呼んでいる。

地理[編集]

刈谷市中心部周辺の空中写真。
1987年撮影の6枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

尾張国との国境であった境川が市の西部を流れる。この川に沿って市域は南北に長い形をしており、南北最長は13.2kmとなっている。旧三河国の西端に位置する。市域は海抜10m前後の、全体的に平坦な土地であり、田畑が広がる地域もある。

境川の他にいずれも境川水系の逢妻川猿渡川等の中小河川が市内を東西に横断するように流れ、それぞれの流域に小規模ながら沖積平野を形成している。これらの沖積平野部はかつては衣浦湾が入り込んだ入り江であったところに河川がもたらす土砂が堆積して生じたものである。この沖積平野部に近世初頭以後干拓によって得られた新田が加わり、低湿地帯を形成しており、多くは現在も水田として利用されている。

そのほかの市域の多くは洪積台地であり、工場や住宅地が拡がっている。北部の愛知教育大学周辺は丘陵地帯であり、天然記念物である小堤西池カキツバタ群落など僅かではあるが自然が残る地域である。

現在の南北に細長い市域の成立は、近代の市町村合併によるものだが、江戸時代の刈谷藩の時代に既に、元刈谷地区 - 井ヶ谷地区の半分まで、藩領であったことが確認できる。一方で、半城土・依佐美・小垣江の南部・東部は、重原藩であった。そのほか、高浜市域が刈谷藩であったことが確認できる。

隣接する自治体[編集]

人口[編集]

Demography23210.svg
刈谷市と全国の年齢別人口分布(2005年) 刈谷市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 刈谷市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
刈谷市(に該当する地域)の人口の推移
1970年 87,672人
1975年 96,152人
1980年 105,643人
1985年 112,403人
1990年 120,126人
1995年 125,305人
2000年 132,054人
2005年 142,134人
2010年 145,744人
総務省統計局 国勢調査より

町一覧[編集]

歴史[編集]

古代[編集]

刈谷は衣浦湾の入り江の奥に位置しており、魚介類が豊富に採れ、台地端からの湧水も豊富であったことから、古代より人の住む地域であったと考えられている。市内には貝塚古墳も多く存在している。

現存する古墳[編集]

移築・取り壊された古墳[編集]

城下町としての刈谷[編集]

刈谷の城下町としての歴史は戦国時代前期の天文2年(1533年)、水野氏宗家水野忠政刈谷城築城に始まる。当時は刈谷と東浦の間には衣浦湾が入り込んでおり、刈谷城の背後は入り江、周囲は湿地や堀に囲まれており、水に浮かんだ亀のごとくに見えたことから別名亀城とよばれた。本丸には三層のも建造されていた。

水野忠政は緒川から刈谷に本拠地を移し、徳川家康生母於大の方は刈谷城主の娘として、同じく今川氏傘下の岡崎城主松平広忠のもとに嫁いだ。父水野忠政の死後、兄水野信元が今川氏を離れ織田信秀と同盟(織水同盟)を結んだため松平氏を離縁となった彼女は阿久比城主久松俊勝に再嫁するまでの日々を刈谷城近くの椎の木屋敷で過ごした。

三河・尾張に於ける有力な豪族であった水野氏の拠点として刈谷はしだいに政治的戦略的に重要性を増していき城下町としての体裁を整え始めた。

なお水野信元の時代について『三河物語』や『今川氏真判物』に下記のような記述がみられる。

『三河物語』によると、桶狭間の合戦の項目で「小河より水野四郎右衛門尉(信元)殿方カラ、浅井六之助(道忠)ヲ使にコサせラレテ」との記述があり、桶狭間合戦当時、信元は緒川城周辺を守備するか、もしくは戦の成り行きを日和見していたと考えられる。同じく『三河物語』の三河一向一揆の項目では「水野下野守(信元)殿、雁屋(刈谷)より武具にて佐崎之取出え見舞に御越有。」と記述がある。

また、永禄3年(1560年)6月8日付の岡部元信宛の今川氏真判物に「苅屋城以籌策、城主水野藤九郎其外随分者、数多討捕、城内放火、粉骨所不準于他也」とあり、屋が当てられている。上記の判物には桶狭間合戦当時の刈谷城主水野藤九郎(信元の弟)と記されているが、藤九郎信近は信元の城代として刈谷を守備していたと考えるのが妥当である。武家のしきたりとして弟は嫡男の家臣となるのが通例であった。今川方の文書から藤九郎信近を刈谷城主とするのは適当でない。

江戸期の刈谷[編集]

江戸幕藩体制の刈谷藩水野勝成の三万石で始まった。その後江戸中期までは頻回に転封があり、石高の最小は阿部氏の一万六千石から最大は本多氏の五万石まで変化したが、いずれも譜代の小藩であった。1747年、土井氏が二万三千石で入封し、以後、土井氏の治世が廃藩置県まで120年余り続いた。この間、刈谷は城下町として少しずつ発展していった。市域は侍屋敷を中心に発達したが、多くの町人も集まり、太田平右衛門、加藤新右衛門、岡本権四郎等の大商人も現れ、活況を呈するようになった。

土井家時代の刈谷市域の中部・南部は刈谷藩の領地であったが、北部の井ヶ谷村の半分および東境村の半分も刈谷藩であった。市の南部や東部の一部(半城土、小垣江など)は重原藩の地域が多く、他に、西大平藩などの領地もあった。

幕末期、刈谷藩主土井利善は早くから西洋式軍隊の優位性を認め西洋式軍事訓練を行う開明的な譜代大名として知られており幕府陸軍奉行に任じられ、やがては幕閣を担う逸材として将来を嘱望されていた。

また同時期に、譜代藩であったにもかかわらず刈谷藩は二人の勤皇志士を輩出している。天誅組総裁松本奎堂と同組幹部の宍戸弥四郎である。 本来、藩主土井利善と松本、宍戸は良き主従であり互いの理解者でもあったのだが、激動の時代の幕開けはしだいに松本や宍戸らを先鋭的な勤王運動へと向かわせ二人は吉野での天誅組の壊滅と共に壮絶な死を遂げることとなった。

そして天誅組の変は刈谷藩主土井利善の運命も変えてしまった。元家臣が天誅組の幹部である責任を問われた彼の幕府内での立場は一転し、隠居に追い込まれたのち失意のうちに死去したのである。

さらには勤皇派藩士の誤認による三家老斬殺事件という悲劇も起きており、大きく動揺した。

明治以降の刈谷[編集]

東海道本線開通時の刈谷駅設置、商業酒造業蚕業窯業等の発達と市域の拡大、刈谷駅で南北にクロスさせる形での三河鉄道敷設の成功、八中(現刈谷高校)刈谷高女(現刈谷北高校)の誘致の成功、この鉄道網と教育機関立地の優位性による豊田自動織機の誘致の成功などにより現代の刈谷の基盤となる部分が整えられた。 豊田自動織機の誘致は工業都市としての発展につながった。

第二次大戦中は数日違いで空襲も逃れ、戦後は急速に工業都市へと変貌し、日本有数の優良な財政を誇るにまで至った。

年表(明治以降)[編集]

明治22年以前 明治22年10月1日 明治23年 - 明治45年 大正1年 - 大正15年 昭和1年 - 昭和64年 平成1年 - 現在 現在


刈谷村 刈谷町 刈谷町 明治39年5月1日
合併 刈谷町
刈谷町 昭和25年4月1日
市制 刈谷市
刈谷市 刈谷市
元刈谷村 元刈谷村 元刈谷村
小山村 小山村 小山村
高津浪村 逢妻村 逢妻村
熊村
下重原村 下重原村 明治24年8月14日
分立 重原村
半城土村 明治24年8月14日
分立 半高村
明治39年5月1日
合併 依佐美村(一部)
依佐美村(一部) 依佐美村(一部) 昭和30年4月1日
刈谷市に編入
高須村
小垣江村 小垣江村 小垣江村
野田村
(一部)
(野田) 野田村(一部) 野田村(一部)
西境村 境村 境村 明治39年5月1日
合併 富士松村
富士松村 富士松村
井ヶ谷村
東境村 明治24年8月14日
分立 東境村
泉田村 逢見村 逢見村 逢見村
今岡村
今川村
一ツ木村 一ツ木村 一ツ木村
築地村

市名の由来[編集]

応永16年正月11日の熊野檀那職譲状写(米良文書)に「一所借屋郷」とあるのが、初見。

一般には天文2年(1533年)の刈谷城の築城からとされるが、『宗長日記』には大永2年(1522年)に「此国、折ふし俄に牟楯する事有りて、矢作八橋をばえ渡らず。舟にて、同国水野和泉守館、苅屋一宿。」、大永4年(1524年)に「八日に参川苅屋といふ所、水野和泉守宿所一宿。」、大永6年(1526年)に「かりや水野和泉守宿所。」との記載があり、水野和泉守の居館が苅屋にあったという。

『三河物語』では、三河一向一揆のくだりで、「水野下野守(信元)殿、雁屋(刈谷)より武具にて佐崎之取出え見舞に御越有。」と記載され、「刈」の字に「雁」が当てられている。

また伝説で、"以前は「亀村」と称していたが、元慶元年(877年)に出雲より一族を連れ移住した狩谷出雲守の名による。"と言うものがあり、平安時代から刈谷であったと言う説もある[1]。ただ狩谷氏というのは、古代の氏族に名前が見えず、律令制平安時代に出雲国司(出雲守)が、三河の刈谷にやって来る、刈屋城の別名が築城以前に消失したはずの亀村の亀城である、史料の提示はなく伝説とするなど、不自然な点が多い。

  1. ^ 愛知県観光情報ファイル>刈谷市

なお、刈谷は当初は「谷」ではなく、「屋」を当てるのが正しい。よって、苅屋、苅屋城が正しい。『宗長日記』においても、苅屋と「屋」が当てられている。『三河物語』においても、「屋」を当てている。『信長公記』の天正8年(1580年)8月20日の項目においても「小河かり屋」と「屋」が当てられている。また、上記で述べた永禄3年6月8日付の岡部元信宛の今川氏真判物でも「屋」が当てられている。

その他、水野藤九郎代牛田守次寄進状写に「一四百文目 坪本苅屋南 天文十九年 庚戌 三月六日」、水野和泉守寄進状に「合壱所者 坪ハ深見苅屋百姓友三郎 大永五年 乙酉 弐月彼岸日 水野和泉守近守」とある。東照宮御実紀巻一に、三州刈屋の水野右衛門大夫忠政とある。

財政[編集]

刈谷市の財政は半数をトヨタグループ企業(デンソーアイシン精機豊田自動織機トヨタ車体トヨタ紡織等)の税金がしめている。

予算額[編集]

  • 平成20年度
    • 総額:845億7324万6千円
    • 一般会計:561億6148万円
    • 特別会計:246億5831万5千円
    • 企業会計:37億5345万1千円
  • 平成21年度
    • 総額:840億216万2千円
    • 一般会計:580億4000万円
    • 特別会計:219億9223万9千円
    • 企業会計:39億6992万3千円
  • 平成22年度
    • 総額:774億1865億8千円
    • 一般会計:516億3000万円
    • 特別会計:212億8490万2千円
    • 企業会計:45億375万6千円
  • 平成23年度
    • 総額:745億5421万7千円
    • 一般会計:480億1000万円
    • 特別会計:223億9227万円
    • 企業会計:41億5194万7千円
  • 平成24年度
    • 総額:736億6938万9千円
    • 一般会計:463億7000万円
    • 特別会計:237億2073万6千円
    • 企業会計:35億7865万3千円
  • 平成25年度
    • 総額:748億1022万7千円
    • 一般会計:473億円
    • 特別会計:239億3245万2千円
    • 企業会計:35億7777万5千円
  • 平成26年度
    • 総額:805億5449万3千円
    • 一般会計:517億4000万円
    • 特別会計:248億4701万2千円
    • 企業会計:39億6791万8千円

姉妹都市[編集]

姉妹、友好都市[編集]

通例Mississaugaは「ミシサガ」と表記するのが一般的だが、刈谷市では表記揺れの一つである「ミササガ市」を中心的に使用している。これに名を得たミササガ通りミササガパークある。

姉妹都市提携[編集]

1980年(昭和55年)11月、カナダ・オンタリオ州ミササガ市より、日本の刈谷市との姉妹都市提携を希望する書簡が届いた。翌年1981年(昭和56年)1月、日本企業関係者がミササガ市長ヘーゼル・マッキャリオンの親書を携えて刈谷市に訪問する。これに対して刈谷市側は慎重な態度をとり、まず調査団をミササガ市に送った。ところがミササガ市側は同日のうちに姉妹都市提携を宣言した。こうした問題があったものの、スポーツ・文化面での交流を中心に友好を深める線で合意に達し、調査団の帰国後、刈谷市側も議会で承認可決した。姉妹都市提携の調印式は、1981年(昭和56年)7月6日にカナダのミササガゴルフカントリークラブでとり行われた。

しかしその後、一時は音信が途絶え、また議会先行の提携であったためか市民レベルでの交流はなかった。そこで次にアメリカ・ミシガン州フリント市が姉妹都市提携を申し入れてきたが、これに対し当時の宮田刈谷市長は明確な回答を避けた。ようやく1983年(昭和58年)4月になって「刈谷市国際友好協会」が発足したことによってミササガ市との具体的な交流が始まった。

ミササガ通り[編集]

2001年(平成13年)に刈谷市の市制50周年とカナダオンタリオ州ミササガ市との姉妹都市提携20周年を記念してミササガパークが整備された。それと一体的にカナダをイメージして市道が整備がされたことから、この道路はミササガ通りと命名された。

1983年(昭和58年)に設立された「刈谷市国際友好協会」[1]を通じ、刈谷市とミササガ市はさまざまな交流を行ってきた。ミササガ市内には"Kariya Park"や、"Kariya Drive"など「刈谷」の名を冠した公園や道路がある。

ミササガ通りの沿道にはカエデが植えられており、毎年秋が深まる季節になると色鮮やかな紅葉が通りを演出する。また「ミササガ橋」と命名された猿渡川に架かる橋にはミササガ市の市章のほかにサーモンやメイプルリーフなどの意匠があしらわれている。

  • 区間
    • 愛知県刈谷市半城土町(半城土町南大湫交差点)から同市田町2丁目(田町2丁目交差点)までを南北に通る
    • 延長:約735m

フレンドシップ相手国[編集]

過去の刈谷市内で行われた国際交流事業[編集]

  • ナマステ・インディア in KARIYA
  • カナダ・ストリートホッケー交流会
  • ナマステ・インディア2009 in KARIYA
  • ナマステ・インディア2010 in KARIYA
  • 高校生による国際理解教育教材づくり

行政[編集]

刈谷市役所

市長[編集]

  • 竹中良則(2011年7月3日再選、2期目[2]

広域行政[編集]

  • 碧南市安城市知立市高浜市との間で衣浦東部広域行政圏協議会を結成している。また、同じ枠組みで衣浦東部広域連合を結成し、消防業務を共同で行っている。
  • ごみ処理に関して、知立市との間で刈谷知立環境組合を結成している。
  • 刈谷市が中心市として、知立市、高浜市、東浦町とともに衣浦定住自立圏を結成し、密接に連携して、圏域全体の安心感や利便性の向上、圏域全体のつながりを強め、郷土への魅力や誇りを創出し、豊かに暮らすことができる地域づくりに努めていくとしている。

行政体系[編集]

  • 企画財政部
    • 企画政策課
    • 広報広聴課
    • 財務課
    • 契約検査室
    • 情報システム課
  • 総務部
    • 総務文書課
    • 人事課
    • 税務課
    • 納税推進室
  • 危機管理局
    • 危機管理課
  • 市民活動部
    • 市民協働部
    • 市民課
    • 富士松支所
    • 市民安全課
  • 福祉健康部
    • 社会福祉課
    • 国保年金課
    • 健康課
  • 長寿保険部
    • 障害福祉課
    • 長寿課
  • 次世代育成部
    • 子育て支援課
    • 中央児童館
    • 子ども課
  • 経済環境部
    • 農政課
    • 土地改良事業室
    • 商工課
    • 環境推進課
    • ごみ減量推進室
  • 建設部
    • 土木管理課
    • 道路建設課
    • 雨水対策課
    • 建築課
    • 用地対策課
  • 都市整備部
    • まちづくり推進課
    • 都市交通課
    • 公園緑地課
    • 区画整理課
  • 上下水道部
    • 水道課
    • 水道料金窓口
    • 浄水管理事務所
    • 下水道管理課
    • 下水道建設課
  • 会計課
    • 会計課
  • 議会事務局
    • 議事課
  • 監査事務局
    • 監査事務局
  • 教育部
    • 教育総務課
    • 学校給食センター
    • 学校教育課
    • 子ども相談センター
  • 生涯学習部
    • 生涯学習課
    • 社会教育センター
    • 東刈谷市民センター
    • 富士松市民センター
    • 小垣江市民センター
    • 北部市民センター
    • 南部生涯学習センター
    • 文化振興課
    • 中央図書館
    • 美術館
    • スポーツ課
  • 福祉施設
    • しげはら園
    • くすのき園
    • すぎな製作図
    • 心身障害者福祉会館
    • 身体障害者デイサービスセンターたんぽぽ
    • 高齢者福祉センター
    • 一ツ木福祉センター
    • 老人デイサービスセンターひまわり
    • 老人デイサービスセンターたんぽぽ

その他[編集]

議会[編集]

(2013年8月8日現在)

刈谷市議会

  • 議員定数:28
  • 任期:2011年7月28日~2015年7月27日[3]
  • 議長:清水行男(自民クラブ→無所属、3期)
  • 副議長:神谷昌宏(志誠会→無所属、4期)
会派名 議席数 議員名(◎は代表者)
自民クラブ 8 ◎加藤賢次、加藤峯昭、山崎高晴、岡本優、前田秀文、渡辺周二、鈴木絹男、佐野泰基
市民クラブ 7 ◎伊藤幸弘、中嶋祥元、黒川智明、佐原充恭、鈴木浩二、山内智彦、沖野温志
公明クラブ 3 ◎白土美恵子、松永寿、樫谷勝
日本共産党議員団 3 ◎山本シモ子、新村健治、野村武文
清風会 3 ◎星野雅春、上田昌哉、新海真規
志誠会 1 蜂須賀信明
新自民クラブ 1 成田正和
無所属 2 清水行男、神谷昌宏

参考: 愛知県議会議員

  • 選挙区は刈谷市選挙区。定数は2名。
氏名 会派名 当選回数
永井雅彦 民主党 1
(欠員)

参考: 衆議院議員

氏名 党派名 当選回数 備考
大見正 自由民主党 1 選挙区
大西健介 民主党 2 比例復活

参考: 参議院議員 (刈谷市内在住者)

氏名 党派名 当選回数 備考
酒井庸行 自由民主党 1 選挙区

経済[編集]

商業[編集]

市内にある大型商業施設

本社を置く主な企業[編集]

産業[編集]

トヨタ紡織刈谷工場(1923年11月設立)
東陽町商店街にある刈谷名店街ビル(1960年8月竣工)
自動車産業
トヨタグループの企業を中心に発展している。豊田自動織機デンソートヨタ紡織トヨタ車体アイシン精機愛知製鋼ジェイテクト(旧豊田工機)などのトヨタグループの中心企業が軒並み本社、主力工場を構える。なかでも豊田自動織機豊田佐吉の創業によるトヨタグループの本家であり、大正時代に刈谷に誘致された本社工場を基盤として飛躍的に発展した。この所以をもって刈谷はトヨタグループ発祥の地とされている。愛知県産業技術研究所(旧名:愛知県工業技術センター)も設置されている。
酒造業
かつて刈谷は豊富な地下水を利用した酒造業が盛んであり、菊の世広瀬酒造、稲徳酒造など大きな酒造元が存在した。今の刈谷の姿からは想像が難しいが、美酒の産地として知られた土地であった。このうち菊の世広瀬酒造酒蔵は、犬山市の博物館明治村に移築されている。
蚕業
明治から大正にかけての刈谷は蚕種紙の取引の中心地として栄えた。高野蚕種製造所、杉浦蚕種製造所などの大規模な蚕種製造業者や町田製糸場などの製糸業者が操業し、この地方では豊橋と並ぶ蚕都であった。刈谷駅北口の刈谷市産業振興センターの曲線の屋根はかつての蚕都・刈谷の名残りとして、繭の形を模したものである。
窯業
刈谷地方は良質の粘土が産出したことから、明治時代に大野煉瓦工場が操業を開始し、以後土管の製造業が盛んであったが、現在は衰退している。コバレントマテリアルの主力工場が現在も市内小垣江で操業しているが、主力製品はシリコンウエハーなどであり、地元の粘土を使ったかつての窯業とは性質が異なる。
商業
旧刈谷藩時代から城下町として発展した刈谷は近隣の商業の中心地であり、太田平右衛門、加藤新右衛門ら有力な御用商人がいた。明治以後も発展を続け、特に第二次大戦後はトヨタグループの発展とともに商業も発展を遂げ昭和50年代中頃までは刈谷駅から刈谷市駅にかけて、銀座、広小路、新栄、東陽町など中心地には地方都市としては広大な商店街アーケード街が拡がり、休日ともなると歩行も困難なほどの人出であった。しかし現在は複数の要因により著しく衰退してしまった。「大企業が多数本社を構えているにもかかわらず、主要駅前、中心市域の衰退が著しいケース」として有名になっているほどである。
現在は、対岸の東浦町にあるショッピングセンターイオン東浦に行く人も多い。
農業
逢妻川・猿渡川に隣接する沖積平野に、水田が多く見られる。市北部にはぶどう・すいか・大根等の農家が点在する。

教育[編集]

刈谷市の中学生は、三河地区の県立普通科高校の他、尾張の大府高校東浦高校豊明高校の普通科に調整特例で進学できる。2007年からは、調整特例校に大府東高校がさらに追加された。

小学校[編集]

中学校[編集]

高等学校[編集]

大学[編集]

交通[編集]

鉄道[編集]

刈谷駅南地区「みなくる刈谷」

市北部は、JRより名鉄のほうが距離的に近いが、一ツ木駅富士松駅は普通しか止まらず不便であるため、知立市知立駅の利用者が多く、知立駅発着の路線バスもある。なお、知立駅は、地理的に若干ではあるが、刈谷市に食い込んだような場所に位置しているので、それほど遠回りとはならない。なお、路線バスはないものの、自転車などで豊明市豊明駅へ向かい、そこから名鉄を利用する市民もいる。

バス[編集]

鉄道が東西には通っているが、南北には通っておらず、移動が不便な為、バスが重宝される。

  • 名鉄バス
    • 愛教大線(イオン三好店アイモール前(みよし市)・日進駅(日進市) - 愛知教育大前 - 東境 - トヨタ車体前 - 知立(知立市))
    • 刈谷・愛教大線(愛知教育大前 - 富士松駅 - 刈谷総合運動公園 - 刈谷駅)
  • 刈谷市公共施設連絡バス(無料)
    • 西境線(ひまわり - 刈谷駅北口 - 総合運動公園 - 富士松駅 - 刈谷ハイウェイオアシス - 洲原温水プール)
    • 東境線(ひまわり - 刈谷駅北口 - 総合運動公園 - 刈谷ハイウェイオアシス)
    • 小垣江線(小垣江駅東口 - ひまわり - 刈谷駅南口 - 刈谷市駅 - 逢妻駅南口)
    • 東刈谷線(半城土町大原 - 東刈谷駅 - 野田新町駅 - ひまわり - 刈谷駅南口 - 生きがいセンター)
    • 一ツ木線(総合運動公園 - 一ツ木駅南 - 刈谷駅北口 - 刈谷駅南口 - 市役所)
    • 依佐美(よさみ)線(東刈谷駅北口 - 野田新町駅北口 - 刈谷駅南口 - 刈谷市駅 - 小垣江駅西口)
  • 東浦町運行バス(う・ら・ら)
    • 刈谷線(刈谷駅 - 緒川駅東口(東浦町))
  • あんくるバス - 安城市が運行しているコミュニティバス。
    • 西部線(東刈谷駅 - 安城市方面)
  • ミニバス - 知立市が運行しているコミュニティバス。
    • 3コース(東刈谷駅 - 知立市方面)
    • 4コース(東刈谷駅 - 知立市方面)
中部国際空港バス
高速バス

道路[編集]

国道1号国道23号知立バイパス)が市域を横断している。

衣浦港境川)を渡河する境川橋・平成大橋とその周辺は、平日の出退勤時の渋滞、週末のイオンモール東浦へ買い物に行く車の渋滞が起こりやすく、幹線道路以外は街灯も少ない。今後、道路インフラの整備が急がれる。刈谷駅東側にJRの線路をアンダーパスする立体交差がある。

高速自動車国道[編集]

刈谷パーキングエリア
刈谷ハイウェイオアシス[編集]

刈谷PA - ハイウェイオアシス。外部から利用可能。観覧車天然温泉もあり観光名所となっている。

一般国道[編集]

主要地方道[編集]

一般県道[編集]

その他[編集]

  • 境大橋


観光[編集]

博物館・資料館[編集]

公園[編集]

その他の施設[編集]

その他[編集]

行事[編集]

名物[編集]

マスコット・キャラクター[編集]

  • かつなりくん - 刈谷市マスコットキャラクター。刈谷城築城480年記念マスコットキャラクターとして誕生。初代刈谷藩主の水野勝成公と市の花「カキツバタ」がモチーフ。公式ページなどのプロフィールによると、刈谷城の精とされ、天文2年生まれの元気な男の子で、やり集めとお城づくりが趣味。ブログなどでは語尾にカリーとつけて喋る。デザインは、年末ジャンボ宝くじのイラストも手がけた、刈谷市在住のイラストレーター、服部ユーイチ。
  • カリピー - ウイングアリーナ刈谷のマスコット。
  • キー坊と仲間たち - 刈谷市役所 環境推進課所属、刈谷の環境を守る、自称木の精。仲間のラビタン・エピコとともに市民だよりに登場し、みんなに環境問題教えてくれる。

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  • 刈谷音頭
  • 刈谷よいとこ
  • 刈谷小唄

出身有名人[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 2003年(平成15年)に「刈谷市国際交流協会」に名称を変更。
  2. ^ なお、2011年の市長選挙においてはトヨタグループの企業が土日操業を行ったために期日前投票に多くの人が行ったが、投票率は前回を下回った。土日操業で期日前投票に列 刈谷市のダブル選中日新聞2011年7月2日、竹中氏が刈谷市長再選中日新聞2011年7月4日。
  3. ^ 市町村選挙情報(平成23年度)愛知県

外部リンク[編集]